第一章 六話 チョキンと妹
「さて!! 今日こそは、稼ぐわよ!!」
がきん!!
両腕の拳を胸の前でぶつけるチナ。
黄金のガントレットから、硬い音が鳴り響く。
ちなみに、セーラー服に金色のガントレットといういで立ち。
日本から来たものにとっては目を引く姿であろう…何のコスプレかと。
だがこちらの世界では…ただの、異邦の衣服にガントレット。
目は引いたが、民族衣装的なそういうものなのだろうとしか思われない。
「どうしましたの、ティナさん。
やけに張り切っておられますのね?」
シャルロットが、怪訝そうにチナに問いかける。
「んー、ちょっと吹っ切れたから」
「?」
「なんでも。
さあ、今日は朝から行くよ! ガンガン稼いじゃうよ!
昨日みたいな消化不良は、断じて認めないから!」
「消化不良って…昨日は、ティナさん自身が帰るっておっしゃったのではありませんか」
「聞こえない、聞こえない。
さてさて。 どんなクエストがあるかのなー」
そういうとチナは、クエストが張り出してある掲示板に向かった。
「…て、読めねーわ。 全部、筆記体じゃないの」
チナの言葉通り、書いてあるのはすべて手書きの英語だった。
筆記体。 ペンで書くことに特化した文字だ。
印刷やスクリーンフォントでしか英字をみる機会がないチナにとってそれは未知の文字と言ってもよかった。
まだ習っていなかったし、日本でも最近は筆記体を教えない学校もあるとか。
また最近英語圏でも、読めない、読めても書けない、という人が増えているらしい。
情報化社会の弊害ともいえる事例であった。
「あら…ティナさんは、話せるのに文字が読めませんの?」
「あぁ…あたしのところで筆記体なんて見ることなんて…ほとんどないから」
「え? では、どうやって勉強を?」
「ああ、テキストは印刷されたものだったから。 なんだっけ? ブロック体?」
「印刷でも、筆記体でしょうに」
「ああ…そっか。 昔は木に掘った手書きの文字を、版画みたいに印刷してたんだっけ」
「…昔?」
「違うのよ、ええと…」
チナは、活版印刷について説明しようとして………やめた。
詳しくは知らなかったし、何よりも面倒くさくなったからだ。
ここで説明していれば、この世界の文明レベルが10は上がったのに!
と、歴史的なフラグを盛大にへし折りながらチナは続ける。
「とにかく…読めないの!
シャルロット、代わりに読み上げて!」
「は、はぁ…まあ、構いませんけれど。
あっ。
こ、今度、教えて差し上げても…その、よろしくてよ?」
「ありがとう。 またの機会にね」
若干、食い気味だった。
なんだかシャルロットの好感度が上がるイベントが始まりそうだったので、取りあえずチナはぼっきりフラグを折っておいた。
今のところ、ハーレムを作る予定はなかった。
ちなみにジェーンはいま、孤児院で朝食の片づけをしている。
兼業で冒険者をやっているから、いろいろと他にやることがある。
終わったら合流する予定だ。
で。
シャルロットは、クエストの一覧を読み上げる。
討伐系は…まあいろいろあったが、『ティナ孤児院』のランクでは受託できるものは、昨日も受託した『ゴブリン一匹の討伐』や、近隣の農家発の『草食害獣数匹の討伐』など比較的簡単なクエストだった。
もちろんその分、報酬は安い。
あとは収集系と運搬系。
薬草の収集、他の町までの手紙の配達…時間ばっかりかかってしょうがない。
もちろんその分、安全なのだろうが。
「うーん、しょぼいのばっかりしかないね」
「しかたありませんわ。 まだ、駆け出しですもの。
続けていけば、そのうちランクも上がるでしょうし」
「じゃあさ、もっとパーッとランクが上がる方法はないの?」
「あっ、ありましゅお!!」
と…チナたちに声をかける者がいた。
振り返る………ジェーンだった。
ジェーンは頭から湯気を上げながら、目をナルトみたいな記号にさせながら、続ける。
「ド、ドラゴンでしゅ!! ドラゴンをたおしゅのでしゅ!!」
・
・
・
「け、けんこんいってち! か、かいてきひっさちゅ! か、か、かみのてきはめっさつ
しゅるのでしゅ!!」
状態異常のまま、ジェーンは森の中を歩いていた。
その後ろに続く二人。 チナとシャルロットだった。
歩いていたのは…昨日、上位ゴブリンを討伐した森。
その奥の奥…奥深くに洞穴があり、その奥にはドラゴンがいるという。
とはいえ、ここ数百年は休眠期ということで、近隣に影響は全くない。
よって、討伐対象にもなっていない。
大昔は挑んだものがいたということだ。 が…その手前で魔物に襲われて死亡したか、ドラゴンに挑んで返り討ちにされたか、帰ってきたものはいないという。
三人は、その森を歩いていた。
町の南の森。
特に名前を聞いても、ない、という。
なぜこの森に『帰らずの森』という名をつけなかったのか。
ファンタジーの神様に土下座して謝ってほしいところだ。
「ジェーンー、最後のは、言ってはいけない一言ですわよー」
先頭をぐいぐい歩くジェーンにシャルロットは声をかける。
「は、はひっ! が、がんばりましゅ!!」
「そこー、会話がかみ合ってないよー。
しかし…ジェーンも運が悪かったねー。
まさか出がけに…ニュー神父に見つかって、嫌味を言われた…なんてね」
「ええ。
で、ぷんすかして、ドラゴンだって倒して見せましゅ、だなんて。
本当に神官か、と問い詰めたくなりますわ」
「まあまあ。
でも…その場で撲殺しなかっただけましだと思うなぁ…。
昨日の昼ならともかく…今やランクアップまでして、上位神官だし」
「…こ、怖いことをおっしゃらないでくださいます!?
わ、私だって、その…昨日急にレベルが上がったせいで力の加減ができなくって。
今朝も下の子を高い高いしたら天井に軽くぶつけてしまったんですから。
よく、叩きつけなかったと思いますわ。
そう思うと…力加減もそうですが、自制心に自信が無くなって。
軽くでもたたいたら、子供なんてそのまま絶命してしまいそうですもの」
「怖っ!!
レベルアップって、危険な行為だったんだね…。
まあ、大量殺戮者の階段を上っているのは確かなんだけど」
「い、嫌な言い方はしないでくださいまし!
…こんなに急にレベルが上がるとは思いませんでしたわ。
いまや私たちは…レベルだけでいえば、中堅の冒険者ですわよ」
「お財布は駆け出しだけどね」
「…それを言わないでくださいまし…こんなことをしている場合ではありませんのに…」
言いながらシャルロットはため息をつく。
ちなみに。
どうしてもドラゴンを倒すというジェーンとせっかく異世界に来たんだからドラゴンを見たい、というチナ。
この二人を止められず、シャルロットはここにいる。
パーティを組んだのは、金策のはず…そう思うが、今朝。
昨日の報酬。
自分のお小遣い以外はすべて孤児院に寄付したチナに、シャルロットは強くいうことができなかった。
かくして、三人はここにいる。
危険な魔物の巣窟であるはずの、森を歩きながら。
「ま、それはなんとかなるんじゃない? だって…」
「か、かいてきひっさちゅ!」
かきーん。
ふいに、ジェーンの叫びと、ホームランでも打ったような音がチナの言葉を遮った。
見ると…頭部を失ったオークが力なく倒れてゆくところだった。
他に仲間がいないことを確認し、チナはさっそく魔物が腰から下げていた革袋を探る。
数個の宝石と、原石。
あと…魔物にしては珍しく、別の皮袋に金貨が1枚と、四分の一銀貨が3枚と、銅貨が50枚。 これは…人間からの略奪品かもしれない。
チナはそれを取り出した。
ちなみに…この世界では、金貨一枚に対し銀貨四枚、銀貨一枚に対し銅貨百枚が交換のレートだ。
大金貨一枚に対し金貨百枚というものもあるが、こちらは庶民には関係のない話だ。
「…ね?
こうして歩いているだけでも、結構な収入になるじゃない?」
ぴろりろりん。
「…そしてレベルも上がりますしね。
もう…恐ろしいとしか言いようがありませんわ…」
「しかし…この森も、危険な森って聞いてたけど…案外、たいしたことないね」
「それはチナさんがいてこそですわ。
こうなると、もう…ギルドのクエストは、別に受注しなくてもよいのではありませんこと?」
「まあまあ。 雰囲気だって大切だから。
さて。
こうなると…ドラゴンのほうも、期待薄かな?」
「き、期待って…まさか本当に倒す気でしたの!?」
「うん。
ちょっと、新しい装備も手に入れたしね。
それに………なんでもない。
まあ、ちょっと、頑張ってみようかなって思っ…」
「て、てんまふくめちゅ!!」
かきーん。
不意にきたジェーンの死の宣告とともに、大型のシカが撲殺されていた。
そしてぴろりろりん。
「また…レベルが…あ、ジェーンですのね」
「ジェーン、たまにはこっちに回してよー?
…て、シカじゃん! ちょうどいいや! 解体して、お昼にしようよ!」
「か、解体!? そんなことできますの!?」
「うん。 ナイフとか火おこしとかの『ぼうけんしゃせっと』は調達してあるし」
「あ、あの…本気で、か、解体を…?」
「大丈夫だって。
あたしだって、イトーの家の娘だから。
どこでだって生きていけるよう、仕込まれてるから」
・
・
・
「あ、血が出てますわ血が出てますわ血が血が血がひいいいい!」
「わわわ我らが主豊穣神よかかかか彼女の彼女の彼女の彼女の…」
震えながら、本気でドン引きするシャルロットとジェーン。
その二人の前で、チナは仰向けに倒れるシカの解体を始めていた。
「えー…こういうの、異世界の人のほうが慣れてると思うんだけど………」
二人の姿に、チナはチナでひいていた。
「わ、私は町育ちなので…あまりこういう現場に立ち会ったことがなくって……」
「わ、私もですわ……こう見えても、両親が健在の時は、蝶よ花よと育てられて…」
震えながら言う二人…あ、いつの間にかジェーンが状態異常から回復している。
「しょうがないなぁ…じゃあ、火おこしと、内臓を埋める穴を掘っといてー」
「「は、はひっ!」」
二人は逃げるようにその場を離れる。
「さて…ガントレットちゃん」
チナがそういうと両手に装備されていた金色のガントレットが、すう、と消えてゆく。
ものの数秒で、素手に戻る。
解体作業の邪魔になりそうだから、素手になりたかったのだ。
触ってみる…一応、自分の素肌だった。
なかなか便利な装備であった。 豊穣神は、神器とか言っていたか。
いちおうステータスウィンドウを開き、目線で操作して…確認してみる。
「あー…この状態でも、装備されたことになってるんだね。
…妙なスキルも外れてないし。
ふむ…いちおう防具扱いか。
まあ、あまり武器とか使わないからそれでもいいんだけど…まあいいや。
さっさと解体」
で、チナは獲物に視線を戻す。
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ…以下略。
さて」
そういうとチナは、小さなナイフを取り出した。
そのままチナは、解体用のナイフを獲物の喉の下に当てる。
そして、刃の横に指をあて、刃が一定以上の深さに潜らないようにしてから、ナイフを毛の方向に滑らせる。
すう…小さくても、新しいナイフはよく切れる。
そして、切り裂いた毛皮を大きく開く。
そのまま、毛皮を切り離していく。
「日本なら、殺虫剤かけて蚤だのダニを追い出してからやるんだけど。
まあ、そこまで贅沢は言ってられないよねー」
誰に言うでもなく、チナは呟いていた。
そして…皮をすべて剥ぎ、防水シート替わりにする。
いわば、毛皮のシートの上に解体前の肉が乗っている状態にした。
…ちなみに。
解体作業には、軍手か長手袋と長袖の服は必須である。
血で刃物が滑って大けがをすることもあるし…野生生物につきものの、ノミダニ除けもある。
怪我したところから寄生虫が入りこむこともある。
素手での解体など…チナのように、強力な握力と回復魔法がなければ…あまりお勧めはできない所業であることを述べておく。
「さて…ここからが本番」
すう…チナは、腹膜を傷つけないように腹部を切り割く。
そこから大きく開くと腹膜の袋に覆われた内臓がさらされる。
「よし、腹膜は傷つけてないよね。 じゃあ…」
袖を大きく捲り、内膜と肋骨の隙間に腕を突っ込み、気道の先端を探す。
そして。
「よ、い、しょ!」
わりと力任せに引きずりだすと…腹膜の袋に覆われた内臓の塊が、でろんと出てきた。
それを腹腔の外に出し、腸の終端をつかみ…最後にその先を切る。
内容物をこぼすことなく、見事に内臓を抜き取っていた。
「はい終了。 内臓は食っちゃいけねえって、じっちゃが言ってた」
その間、20分。
解体の手順を心得ていないと、ありえない時間だった。
「あ、お肉ですわ」
「本当ですね…こうなると…ただのお肉ですね…」
いつの間にか戻ってきた二人が、正直な感想を漏らす。
確かにそれは………持ち運び用に手足に毛皮が残っているが、精肉前の肉の塊だった。
「…まあ、あまり血抜きはできてないけどね。
いちおう、作業前に念入りにジャイアントスイングしといたけど…あまり出なかったからね。
頭が吹っ飛んでて、心臓、止まってたから」
「はぁ…異世界って、いろいろワイルドですのね…」
「………。
清めの魔法。 対象、あたし。 せーの、ぽん」
シャルロットの言葉に、チナは応じなかった。
ジェーンに教わった儀式前などに使う清浄化の魔法を使い、血を洗い流して聞こえないフリをするのだった。
・
・
・
ジェーンとシャルロットは、たき火の前に並んで座り、二人で火を眺めていた。
山道の大きめの段差……そこを利用して火をおこし、左足とあばらを立てかけてある。
お尻を並べてしゃがみ、それをじっと眺める二人。
「お肉が…焼けてきましたね」
「お肉が…焼けてきましたわね」
「いい匂いが…しますね…」
「いい匂いが…しますわね…」
「お肉なんて久しぶり…ですね…」
「お肉なんて久しぶり…ですわ…」
「そこー、会話が成り立ってるようで成り立ってないよ」
チナは思わず突っ込んでいた。
振り返る二人。 目が、マンガの肉の形になっていた。
「え?
そ、そんなに?」
チナの言葉に、二人は自嘲の笑みを浮かべ、視線を逸らす。
「…まぁ、十人の子供を抱えた食生活ですからね。 お肉なんて…滅多に」
「滅多もなにも、全く、ですわね、正直。」
「………。 だめよ、子供には定期的にお肉を食べさせないと。
貧血や、発育不良の原因になるよー」
「えっ!? そうなんですの?」
妙に食いつくシャルロット。 勢いよく振り向いても、その胸は揺れなかった。
「らしいよ。 まあ、本の知識だけど。
でも…さすがに全くないのはまずいんじゃないかなぁ…あ、でも豆食べてたか。
肉の代用にはなってると思うけど…あれ? それって大豆だっけ?
まぁ栄養士じゃないからシラネ」
「そんなことより!! お肉は発育に良いんですの!?」
「まぁ悪くはないだろうね。 子供たち、みんな喜ぶよね」
「えっ? あ、そうですわね」
「……あ、そっち?
…うん。 偏りのない食生活は、発育が良くなるって。
野菜とお肉と穀物のバランスは大事なんだって。
でもまあ…若干、お肉に偏ったほうが、スタイル的には良くなるんじゃないかなぁ。
あたしのところでも…オウベイ市西アメリカ山町ってところはうちの地元よりも肉食が多いらしくて。
そこはもう…なんか、ばいんばいんのぼよんぼよんだもの」
「なるほど…なるほど、なるほど」
「あ、お肉もう焼けたんじゃないかな。
調味料は例によって塩だけだけど。
でもまぁ…」
「「神よ、感謝します!!」」
「…て、早えわ」
と…大幅に省略された祈りと同時に、二人は肉に飛びついていた。
・
・
・
「さて…行こっかー」
食事を終えた二人に、チナは言葉をかけていた。
すでに火は消し、余った肉も、内臓なんかと一緒に埋めてある。
野生動物に食われないように保管し、帰りに掘り出す予定だった。
肉を土に埋めるという行為に二人は驚いていたが…功労者のチナに文句を言うことは、なかった。
「取りあえず…ドラゴンの住む、洞窟ですわね」
「うん」
「あの、あの…本当に? 本当にドラゴンを?」
「「あんたが行くって言ったんじゃないの!!」」
チナとシャルロットは同時に突っ込んでいた。
身をすくめるジェーンにため息をついてからチナは続ける。
「まあ、様子見、ねー。
パッと見て、行けそうなら行くし。 ダメなら撤退。 それでいーわ」
そして『ティナ孤児院』は出発した。
森の中の道はだんだん傾斜がついてゆき、山脈の中に入っていったことがわかる。
おそらく、洞窟は山の中だろう。
数百年、誰も帰らなかったという洞窟。
それを探すのは往生したが…ここでもチナのオートマッピングが大活躍した!!
山中で迷うことなく、効率的な捜索を続けることができたのだ。
とはいえ…すでに夕刻になっていた。
「見つけた……たぶんあれね」
チナは山々の中に、中腹に大きな開口部の洞窟がある山を見つけた。
そして足を運び、一行は洞窟に入る。
「せーの、ぽん」
中は真っ暗だったが、チナとジェーンが魔法で周囲を照らしていた。
なんと…チナとジェーンの身体が発光しているのだ。
「便利よねぇ…まあ、明るいっちゃ明るいんだけど…目立つんじゃない?」
「そうですね…十分警戒しながら進みましょう」
そして一行は洞窟を進む。
と…急に空間が開けた。
「ふわ…あ…」
チナは息を飲んだ。
広大な空間だ。
日本の観光地にある洞窟とは比べ物にならない。
「あ…はは! すっごい! すっごい!!」
チナは妙にはしゃいでいた。
世界のなんとか特集とか世界一のなんとかとかテレビで見たことがあるが、それに匹敵する壮大さだった。
最近のテレビは雛段芸人に完全に支配されているが……チナは自然科学や秘境探索物の番組が結構好きだった。
意外なほどにはしゃぐチナ。
と…そのチナにジェーンが声をかける。
「ティナさん、あれを!!」
ジェーンがふいに絶叫する。
「あれは…まさか………っ!?」
シャルロットが、驚愕しながら目の前を指さす。
「げっ! あ、あれって…ひょっとしてドラゴンの…」
そしてチナは光の光量を上げ、奥を見通す。
そこにあった生物の姿に、チナは動揺を隠せなかった。
チナは無意識に呟く。
「…ドラゴンの、死体?」
・
・
・
三人の目の前に、これだけ騒いでもピクリともしない大型の生物の姿があった。
大型のダンプカーを二台つなげたようなサイズがある。
ドラゴン。
日本風の竜ではなく、まさしく西洋風のドラゴン。
チナは、ふと考える。
昔からの疑問…この生き物は、どのような進化をしたのだろうか。
頭部、両腕、両足、しっぽの他に、翼という補助肢がある。
八肢。
まあ少なくとも、よく言われるトカゲの同類ではあるまい。
トカゲを含む、爬虫類の姿を思い浮かべてほしい。
六肢。
蛇でさえも、レントゲンを撮ってみれば六肢とわかる。
そこからどう進化しても、残りの二肢が生えてくる余地はない。
両生類も六肢。 魚類でさえも同じだ。
なので、ドラゴンとは魚類の誕生以前に分岐したグループなのであろう。
もっとも古い脊椎動物と言われるナメクジウオやホヤから魚類が発生するまでの間に、ドラゴンは、我々とは違う進化ルートで進化したと思われる。
つまり、魚類以前…カンブリア紀あたりか。
西洋風のドラゴンは…ネットでたまに見かけるアノマロカリスやオパビニア等といった面白グロい古生物が、祖先なのかもしれなかった。
まあ、全ての生き物が八肢という異世界から来たのかもしれないが。
かくも異世界と言う言葉は便利なのである。
その、大きな死体。
チナはあっけにとられていた。
「えと…えと…」
「あ、ティナさん、足元危ないですよ」
「え、わっ!!」
がっしゃん。
動揺していたためか、ものの見事にすっ転ぶ。
と…見知らぬ骸骨と、目が合う。
「え…ひゃあああ!!」
チナは驚いて立ち上がる。
と…そこには鎧や武器を装備したままの、大量の人骨があった。
「あ、これは…見るからに、冒険者の…」
「つわものたちの夢のあと、ですわね…」
シャルロットとジェーンは、呟いていた。
そして二人は、目を見合わせ、頷く。
…金になる。
視線で二人は、そう語り合っていた。
なぜなら、そもそもドラゴンに挑もうという冒険者たち…結構なレベルだったのであったのは間違いない。
その、高レベルの冒険者たちの装備だ。
剣や防具どころか、アクセサリーやブーツまで高レベルの魔法がかけられた逸品に違いないし…何より、所持金だって高レベルに違いない。
「………」
「………」
二人は無言のまま、剥ぎ取り作業を開始した。
ざ、ざ、ざ、ざ、ぺこぺこん。
「すごい…すごいですわ!
この軽い鎧…見たこともない金属を使っていますわよ!!」
ぺこぺこん。
「こちらは随分おもいフレイルですね…あっ! 熱い!!
銘が…『炎のフレイル』?
えっ? 炎魔法付与の武器じゃないですか!」
ぺこぺこん。
「こちらは…あっ!! アイテムボックスですわ!!
冒険者や商人垂涎の!
重さも大きさも無視して何でも大量に収納できるという、文字通り魔法のアイテム!!
中身は…ふう」
「シャルロットさんが気絶を!?
いったいどんな中…きっ! 金貨が!! 大金貨もこんなに…ふう」
舞い上がり、目を通貨のマークにしていた二人が…気絶した。
「あ、あさましいなぁ…これがお金の魔力ってやつかなぁ…」
後ろで繰り広げられている光景に、チナはあきれていた。
まあこれは、彼女自身、お金で苦労したことがないので、分からないかもしれなかった。
家訓があった。
『イトーの家は貧にあらず。富にあらず。賤にあらず。貴にあらず。
ただ、分を知り弁えるのみ』
それを実践してきた家族と祖先のおかげである。
と…ふいにチナの声が硬くなる。
「…ちょっと。
ちょっと…二人とも、起きて。
早く!」
その声に、シャルロットとジェーンは目を覚ます。
「う、うーん…いまから、ちょうど食べるところでしたのに…」
「…ここは…黄金の浴室ではなかったのですか…?
あらティナさん、まだ着衣を?」
見ていた夢がべた過ぎる。
だがそれを突っ込む余裕は、チナにはなかった。
「みんな!!準備して!!
生きてる…この子、まだ生きてるよ!!」
チナの声に反応するように、ドラゴンが起き上がろうとしていた。
急に動き出したドラゴンに、二人は恐慌に陥っていた。
…しかし。
「…あれ?」
どすううううううん!!!
先刻まで立あがりかけていたドラゴンが、その身を地面の上に落としていた。
広大とはいえ、閉じられた空間の中に、大量の土煙が舞う。
そして、細い息。
そのまま、動かない。
ドラゴンは死んでいるのではなく、死にかけているらしかった。
ふと、ドラゴンの外見を見渡す。
大きな外傷はなかった。
ゆえに、冒険者たちと相打ちになったわけではあるまい。
では…どうしたというのだろうか。
チナは警戒を少し緩め、そのまま…地面に倒れたままのドラゴンをみる。
ゆっくりと、一周する。
もうあきらめているのだろう…ドラゴンはチナに一瞥を加えたまま、身動きもしない。
「……。
完全回復と状態回復の同時掛け。 エリア指定、半径一〇メートル。
対象、無差別」
「ちょ…ティナさん!! 本気ですの!?」
「ティナさん、危険です!! …せめて遺品を回収するまで…」
「せーの、ぽん」
と…チナが不意に回復魔法をかける。
しかし。
「『完全回復+1』!! せーの、ぽん!」
追加だ。
ジェーンは、初めて見た………『完全回復』の重ね掛けなど。
それはチナとの付き合いを通じてもそうだが、祖父のものでも見たことがない。
「『完全回復+2』!!! ぽん!!」
まさかの三度目。 しかし。
光の粒子がどれほどドラゴンを包んでも…ドラゴンは、全く動かなかった。
光が終息すると…荒い息のまま、チナは片膝を落とす。
「これ以上は…限界か。
……なんで効かないの? 傷は治ってるよね。
血が足りないのかな…かわいそうに…こんなに頑張ってるのに……」
チナの顔が…今まで二人に見せたこともない表情を見せた。
そして、勢いよく顔を上げる!!!
「ジェーン!! シャルロット!! この子を、助けよう!!
言い分は、聞かない!!
さもないと…友達の縁を、切る!!!!!!!!」
・
・
・
そこから先の二人は、まさにてんてこまいだった。
チナの注文は、大量の水と、大量の肉。
水は先ほど冒険者から巻き上げたアイテムボックスの中身を捨て、川の水を汲んで来いと。
肉は、何でもいいからとりあえず狩って来いと。
で、片っ端からドラゴンの口の中に放り込めと。
わかったら行け!!、と。
困ったのは二人だった。
とりあえず、シャルロットは…近隣の獲物を狩り始めた。 狩っては、ドラゴンの口に放り込んだ。
だが、もっともっとと言われる。
既に高レベルなシャルロットの狩りは安定していたが…それでも何度も狩りに出かける必要があった。
一方、ジェーンは…血の涙を浮かべてアイテムボックスを空にし、川を探した。
だが、川がない。
小さな水の流れを見つけては、時間をかけ、入るだけの水を入れて戻る。
しかし…ドラゴンの口に手持ちすべての塩と水を流し込みながらのチナに怒られる。
「遅いし! もう一回!」
こんなに荒ぶるチナを見たのは初めてだった。
だが…理不尽な要求に、理不尽な叱咤。
「…ああ…でもなぜか…」
「…充実…しますわ……」
それらを突き付けられながらも…二人はなぜか、幸せな高揚感を感じるのであった…。
で、その間のチナである。
険しい表情で、ドラゴンの産卵口に手をかけていた。
そこには……白くて分厚そうな、卵の殻。
それが…本来すり抜けるはずの産卵口より大きく育ってしまった卵が、引っかかっていたのだ。
最初その産卵口の周りは、傷だらけだった。 深い傷が、いくつか化膿していた。
そして…出血を続けていた。
チナが真っ先に回復と状態回復の魔法をかけたのはこのためである。
おかげで今はその傷も癒え、化膿も消え去っている。
だが…いったいどれくらいの間、この状態だったんだろう。
抱卵期間がどれくらいかは知らないが、少なくともずっとこの状態のはずだ。
…後日、数年と聞いて、ぞっとすることになる。
「ごめんね。
やっぱチョキンしないとダメそうだわ」
チョキンの意味が知りたければ、お母さんに聞くとよい。
チナは…そこらへんに落ちている、冒険者たちの剣をとった。
「いちおう、消毒はいるよね。
清めの魔法。 対象、あたしと剣。 せーの、ぽん」
輝く光の粒子。
それに洗われ、汚れ一つない状態に回復した剣。
何かの魔法がかけられているのか、刃こぼれ一つしていない。
チナはその持ち手を変え、先端を、産卵口と卵の隙間に滑り込ませる。
彼女にしては珍しく、その手が、息が、微かに震えていた。
「…あたししかいない、あたししかいない、あたししかいない。
あたしならできる、あたしならできる、あたしならできる…よし。
お母さん…ごめんね。
よっ、こい………しょ!!」
チナは卵を傷つけないように注意しながら、剣を一気にドラゴンに突き立てた。
途端に、ドラゴンの咆哮!!
「あーごめんごめん…痛いね、いたいよね…うまくできなくって、ごめんね…」
だが…本来であれば吹き飛ばさるほど暴れられそうだが、その体力もないらしい。
「ごめんね。 悪いけど…まだ続けるからね」
そういうと突き立てた剣の先端を支点にして…産卵口を少しずつ切り裂いてゆく。
出口を切開し、中身を取り出すのだ。
「うわ…硬ったい…さすがはドラゴン、だね……」
全身を使って切り開くチナ。
しかし、卵を気遣うと一気に切り裂くことができない。
「できるだけ急ぐから…死なないでね、お母さん。」
緊張からか、チナは震えながら言う。
卵を中心にした正十六角形の先端……計十六か所の切開。
最初は正四角形だったが、卵が大きすぎてそれでも出てこなかった。
それを正八角形にしても駄目…そして今、十六か所目を切開したところだった。
同じ作業を繰り返して、巨大な産卵口をさらに切り広げる。
その作業に、五時間は費やしていた。
すでに時間は深夜を超えている。
役目を終えて戻ってきたシャルロットとジェーンは…見守ることしかできない。
そして。
「出る、出る…出ましたわ!!」
ドラゴンがひときわ高く咆哮する。
と…楕円形の、大きな卵が一気に飛び出してきた。
「うわあ!!」
その勢いと巨大さに、チナは驚いて逃げる。
そのまま卵は、勢いのまま地面に突き刺さった。
「…あ…はは、あはは、でた、出たぁ!!
…えっ!!」
もう一度、チナは驚いた。
卵が、もう一つ出てきた。
さらに、もう一つ出てきた。
計三つの卵が、地面に突き刺さったのだ。
鶏と違い、妙に細長い卵。 蛇の卵のようだった。
大きさは、チナの腰の高さまであった。
三つの卵は、支えあうようにして立っていた。
高揚しているチナ…しかし残りの二つは、空気に触れていなかったから、駄目かもしれない……微かによぎる不安を押しのけるように、チナは叫ぶ。
「やったー!!でてきたぁ!!」
「しゅ、しゅごいでしゅ!! やった! やったー!!」
「やりましたわ!! 三つもなんて…素晴らしいですわ!!」
「三つ子なんて! やるじゃん、お母さーん! BANZAAAII!!
BANZAAAII!!」
「ば…バンザイ?」
「…バンサイ…」
チナの喜びの叫びを聞きながら、ジェーンとシャルロットは目を見合わせる。
そして。
「「「BANZAAAAAAI!!! BANZAAAII!!!」」」
三人は、同じ言葉を叫び、抱き合って喜んでいた。
「あ。
ま、まだですよ、ティナさん。 最後に、傷口を癒さないと…」
「あ、そーだね!!
じゃあ、三人でやろう!」
「さ、さんにん? わ、わたくしもですの?」
「うん。 掛け声は……だから!」
「ええ…わかりましたわ」
「わたしもですね…はい、わかりました」
「じゃ…みんな、一緒に! いくよー!」
「「「いっせーの、ぽん!」」」
瞬間…洞窟内に、目も眩むような光の帯があふれ出した。
一面光の世界の中で…チナは二人の体を強く抱きしめていた。
心地よい疲労感とともに…チナはその場で気を失っていた。
同時に…ジェーンも倒れこむ。
MPの枯渇か、疲労のためか。
「わわわ、ちょっ…お二人とも…」
慌てた様子で、受け止めるシャルロット。
途端に…その場から、光が消えた。
魔法で照明役を務めていた二人が倒れれば、照明は消える。
当然である。
漆黒の空間の中、一人取り残されたシャルロットは、呆然と立ち尽くすことになった。
何も見えず、何も聞こえない…それはおそらく、夜があけるまで。
「…えー…朝まで、私一人ですの…?」
結局シャルロットは、ぼっちで朝まで過ごすこととなった。
…それが、原因となった。
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