第二章 五.五二話 リコとリタと妹と姉2
怒られた。
すっごく怒られた。
どこかで見たことのある出だしで恐縮だが、無論、ぷいきゃあ大好きの理子である。
あれから理子の母親が飛んできて、千佳に平謝りに謝っていた。
無論、大原に『うおっ! 耳なし芳一かっ!?』と叫ばれるほどの落書きの件である。
ちなみに…理子には噛み癖があって、寝たまま起きない千奈の顔に、歯形を付けていた事も判明した。
ついでに、大量のヨダレも。
「お…お義母様、それくらいで…子供のやったことですから…」
落書きを消しながらの千佳の仲裁で、お叱り時間はかなり軽減されていた。
なおこの人は、千佳千奈の継母さんにあたる人。
父親の、再婚相手。
理子は、父とこの人の子供だった。
千佳千奈の母親はかなり前に早逝していた。
こう言うと、千奈も含めて『ナントカ家の男は代々早逝』と言う言葉が思い起こされるが…そんなことはない。 祖母だってまだ生きている。
またこの継母さんがまだ若いためか、腰の低い人で、家の中でもずっとぺこぺこしている。
大原曰く、『大阪でいう、気使いし過ぎの人』『あの人は絶対胃に穴を開けるから、出来るだけストレス掛けさしたらあかんで』とのこと。
で。
今は千佳の膝の上にいる理子である。
千佳さまご一行は、千奈の部屋にいた。
と言っても千奈のプライベート空間と言う意味ではなく…寝たきりの千奈の看病のために、客間を一つ潰してベッドと医療機器を設置してあるだけの部屋だ。
地方の家は…信じられないくらいスペースが広く、部屋だって余っているのである。
普段、部屋を暗くしてあるのは…千奈の眼球保護のためだ。
どうも半開きになる癖がある千奈の目蓋。
ゆえに、目蓋は半透明の医療用テープで閉じられ、部屋も暗くしてある。
「おお…こちらが、千佳様の妹君ですか」
「確かに、そっくりでいらっしゃいますね」
グリーン夫妻は神妙な顔をして千奈に謁見していた。
まさしく謁見だ…何か神聖なものでも見ているかのような表情。
なんだか、千佳への忠誠心が間違った方向に進んでいるようである。
「ねえ…ティナは、本当に目を覚まさないの?」
リタは後ろに座る千佳を振り返りながら、悲しそうに問いかけていた。
ティナとは、千奈のことだ。
TINA、転じてティナである。
千佳ももう、訂正を求めなかった。
「…はい。
私たちはみんな…千奈を目覚めさせるために、がんばっているのですよ…」
「じゃあ私も、お手伝いするね!!」
「ふふふ。 じゃあまずはお勉強を頑張ってくださいね」
「うん、する! 今日もお勉強を教えてね!!」
「はいはい。 数日はこの家でゆっくりする予定ですから」
「リコ! あなたもよ!」
リタはそう言いながら、理子を指さす。
指さされた理子は、リタを無言で眺めてから、ぼそり、と言った。
「のーさんきゅー」
今どきの幼稚園保育園では、私立でなくとも英語教育を取り入れているところも多い。
理子も一応、この二人の会話位は理解していたようだった。
「きいい!
駄目よ、リコ。 あたしはあなたのためを思って言ってるんだからね!」
リタのその言葉に、グリーン妻が、はっとしたように顔を赤くする。
それは…彼女がリタをしつけるときによく言う言葉だった。
子供と言うのは…親の言うことを意外とよく覚えているものである。
家の秘密が暴露されたかのように、赤くなったままのグリーン妻。
まあ、これも子育てあるあるの一つであるといえよう。
「えー。 めんどくさい…そんなことよりぷいきゃあがいい」
「ぷいきゃあ? 何それ。 知らないわ」
「じゃあ、おしえてあげる…めんどうだけど」
「ありがとう! 一緒にお勉強しようね!」
満面の笑顔で言うリタ。 それをやさしく眺める外国人たち。 …苦笑する日本人二名。
踊るようにくるくる回りながらリタが、千佳に言葉をかける。
「ティカ! 夏休みって、最高ね!!」
「ええ。 日本では、ちょっと早いですけど…」
苦笑しながらそういう千佳。
千佳はいちおう、アメリカに留学していることになっている。
グリーン家は長期ホームステイのホスト親。
そして…中学生にもかかわらずいろいろ動き回っていられるのは、すでに某有名学校法人の偉い人を、抱き込んでいるためだ。
アリバイ作りに数度顔を出したことはあるが…ほとんど出席していない。
にも拘らず、成績優秀者として数年後に卒業できることは、今から決まっている。
コネクションとは、偉大なものであった。
で、その夏休みの帰省である。
いちおう、『チナ救出隊』のことは家族にも秘密になっていたので、実家に顔を出さないとまずいと進言したのは大原だった。
日本ではまだ五月の半ばと言うのに、次の九月まで夏休み。
何ともうらやましい学生生活…と言っても、千佳には関係ない。
そもそも、学校に行っていないのだ。
「ねえ…これって、例の…脳みそがどうとかいう話?」
円が、不意に後ろから小声で大原に話しかける。
指さす先には…これだけ騒いでも目を覚まさない千奈の姿。
おそらく…以前の、千佳の魔法でも脳の中身は再生できないかもしれない、と言う話を千奈に当てはめているらしかった。
だが…大原は、びくん、と大きく体を震わせていた。
「…どうしたの?」
思わず問いかける円。
それに…少し焦ったように大原は応える。
「…当たったんだよ」
「え?」
問い返しながら円は視線を下げる…と。
そこには自分の足元が隠れるくらい巨大な『何か』がぽよんと揺れていた。
円は小さく噴き出していた。
それに、大原は咳払いなど一つして、続ける…ちょっとだけ、耳が赤くなっていた。
「えぇと…一応医者の診断やとな。
脳波も正常で、脳に出血の痕跡等の、ダメージを受けた痕跡もない。
本当に…ただ眠っているだけらしい。
『眠る』と言う機能は正常、と言うことやな。
それにいちおう…まあ、女の子には酷な話かもしれんが、流動食を胃に流して、排泄できるかと言う試験も問題なかった。
だから…そこは、大丈夫のはずや。
つっても…四八時間以上血流がなかった筈から…何ともいえんが。
…ていうか、レポートは一度、見せたやろ?
チナ救出隊の概要と、状況説明のやつ。
Your eyes onlyやから、すぐに回収したけど」
「見たけど…どうも、胡散臭いというか。
結局、千奈様の魂とやらを探す、と言うことなんでしょう?」
「…それを言ってくれるなよ。
どこかで生きているという物理的証拠は…今も変わり続ける千奈のステータス画面だけなんやから」
言いながら大原は天を仰いだ。
たしかに…時々、自分でも何をしているのか、分らなくなる時がある。
…む。 いかんいかん、自分がこんなことを言ってて、どうする。
大原は、軽く両の頬を叩いていた。
「その状況の打破としての、千佳様の『魔法』の解析よね。
これも…遅々として進んでないけど。
そもそも解析なんてできるのかしら?」
まじめな顔でいう円に、気を引き締め直した大原が答える。
「そのための『チナ救出隊』の活動やろが。 人材収集のカネとコネ作り。
つっても…この名前は、ええ加減なんとかせんとなぁ…」
「あら。
軍事色も政治色もない、良い名前だと思うわ。
とっくに気付いてるはずのNSAもシギント部隊も公安調査庁も、スルーしてくれてるみたいだから」
「ぃい!!?」
大原は思わず振り返っていた。
NSA(アメリカ国家安全保障局)、シギント部隊(人民解放軍総参謀部第三部通信情報傍受部隊)、公安調査庁。
ネットなんかでたまに目にする組織。
何でも…電話やネット上の通信をすべて監視して、国家の敵や危険な団体を捜査しているらしい組織であり、その専門の部署。
まさか…ネットの書き込みではなく、リアルの人の口からその名前を聞こうとは!
驚いたままの大原に、円は続ける。
「そこそこ地位の高い人とそこそこの金が動いているんだから、当然じゃないの。
メールやら振り込みなんかしてるからよ。
向こうがその気になったら、その辺の子供の財布の中身でも何でも調べられるんだから。
と言っても…まだ、危険分子やその予備軍としては扱われてないと思うけど。
思うけど…わからないわよ?」
「………。
ま、まあええやろ。 幸い、こちらの研究も進んでないことやしな。
しかし…もし仮に解析できたら…」
「それはまあ、それを独占したい人たちが押し寄せるでしょうね。
もし解析できたら、さっさと論文をネットにばらまくことをお勧めするわ。
そうなると…言い方は悪くなるけど、千佳様の商品価値は急降下するし、独占も出来なくなるけど…命を失うよりはましでしょう」
「………。 まあ、な。
俺らの目的も、解析して独占することではないしな。
むしろ…そこからがスタートラインかも知れん…」
ため息をつきながら…視線を千佳千奈に戻しながら、大原は機密保持というものについて、思考を巡らせていた。
…それを中断させられた。
背中にもう一度…柔らかい感触が来たからだ。
同時に…耳の裏に、円の吐息がかかる。
「ぬほ!? ちょ…」
「時に…『チナ救出隊』って名前、誰が考えたの?」
「そ、それはもちろん…あっ」
「私の目の前で、ケチをつけるなんて」
言いながら円は、コマ○ドーの指をへし折れる握力で…だらしない大原の脇腹をつねるのだった。
手加減がどの程度できていたか、円にもわからなかった。
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