第二章 五.五一話 リコとリタと妹と姉
おや…ナンバリングがおかしなことにw
「千佳です! ただいまもどりました!!」
玄関の引き戸を開けてそういうと、千佳は大急ぎで靴を脱ぎはじめていた。
外から、車の音が聞こえる。
表ではまだ大原たちが乗った車が車寄せに止まっており、千佳以外が全員いた。
この集団の中で一人、千佳だけが家の中に駆け込んでいったのだった。
千佳は靴を脱ぐと、大急ぎで廊下をかけてゆく。
家人や使用人が声をかけてくる…が、簡単な返事しかしない。
置いて行かれた家人も使用人も、一様に驚いていた。
あの千佳が廊下を走るなんて…何年ぶりだろう!!、と。
構わず千佳は全力で走る。
目指すところは、決まっていた。
「千奈!!! ただいま帰りました!!」
すたあん!!
勢いよくふすまを開けると、そのまま和室の上に置かれた医療用ベッドに駆け寄った。
そこにいたのは…一人の少女。
閉じたままのカーテンのせいで、はっきりとは見えない。
が…そこには、半年前に千佳の魔法で蘇生した、千奈がいた。
「三か月ぶりですね、千奈…ああ、もう!」
何かを堪えかねたように、千佳は千奈の手を取ると、自分の頬に当てる。
暗い室内で、千奈の鎖骨の下に埋め込まれた輸液チューブが、吊られた点滴パックごと大きく揺れる。
「…久しぶりです…会いたかったです、千奈…」
薄く涙を滲ませながら言う千佳。
その千佳に…千奈は応えない。
半年前に千佳の魔法で復活したとき同様、魂がそこに無いかのように、昏睡したままだった。
そう…ここは、千佳とチナの生家。
実に三か月ぶりの帰宅であった。
半年前に葬式を行った山寺から、さらに二〇〇メートル坂を上ったところの、山の頂。
まるで山城のような構えの、伊藤家本家があった。
実際ここは、江戸時代に入るまでは、砦だったところである。
さすがに天守閣はないが…その位置にあるのが、チナたちの育った家である。
十二分に広い敷地。
そこに、これが日本の庭である、という庭園。
それを見下ろす二階建ての木造家屋が、母屋と蔵。
庭の端に、茶室を備えた平屋の離れ。
それらの周囲を、切り立った石垣と、土塀が囲んでいる。
定期的に改築されているため、傷んだ感じが全くない。
これが旅館なら一泊いくらか心配になるほどの、個人の家とは思えないほど立派なお屋敷であった。
そもそも、玄関に車寄せがある個人宅など、そうそうないだろう。
車を降りながら大原は、家の中から聞こえてきた千佳の声に微笑を見せた。
「あいつ…ほんまシスコンな。
けしからんことでもやっとんちゃうか」
もちろん、そんなことなど全く思ってもいない大原である。
その背中に、声をかけられた。
「変な妄想はやめた方がいいわ、大原。
日本では、噂をすれば影がさす、と言うわ。
…この影、とは、ナイフを持った私の影かもしれないわよ」
笑顔で言いながら殺意を突き刺してきたのは…円だった。
GIジェーンみたいな肉体をスーツで包み、眼鏡なんぞしているから…大原でさえもぞくっとするような、凄みのある美人さんになっていた。
全米一の交渉人です、と言われたらそのまま信じてしまいそうな。
急に来た悪寒を抑えながら、大原は振り返って答える。
「『さす』違いや。 影が差すとヒットマンが刺すでは、全然違うやろ」
「あら…私に刺し殺されたいから、あえてそんなことを言ってるのだと思ったわ。
どちらにせよ…私の目の前で、千佳様を貶めるような事を言わないほうが身のためよ。
いい理由が出来るから」
「いい理由て……もう、殺すことが前提になっとるやないかい!」
「あら? 違うとでも思っていたの?」
「………。
…すいませーん、自重しまーす…」
素直に引き下がる大原であった。
素直に引き下がったのは…先ほどの言葉だけではない。
最近…大原は、円がわりと本気で千佳に忠誠を誓っているのではないかと思い始めたからであった。
年上の女性としてのアドバイスから、『チナ救出隊』における戦術上戦略上のアドバイスまで。
それは大原にはできないことであったから、わりと本気で助かっている。
…まあ、張の元配下だけに、そういう芝居であるだけかもしれなかったが。
くそ…あのバカでかいチチの中に、悪態を考える脳みそでも詰まってるんじゃなかろうか。
もしくは…優しい心は、あのバカでかいチチの中に封印されているのだろうか。
だとすれは、本当はどれだけ優しい娘なんだろうな!!
引き下がりながらも、心の中で悪態をつく大原だった。
その大原に、グリーン夫妻が声をかける。
「素晴らしいお宅ですね。
写真で見た、日本の城のようです」
素直に感動している様子のグリーン夫。
その隣に…少女を抱えたグリーン妻がいた。
少女の名はリタ…かつて千佳が回復魔法魔法で、事故の後遺症を完全に消し去った少女である。
「千佳様がおっしゃっておられましたわ。
ここはあの…最近有名になった天空の城みたいな雲海が見られるんですってね!」
ずいぶん日本通であるグリーン夫妻。
それもそのはずである…彼らの経営していたホテルグループの中に、日本店が二つもあるのだ。
ユダヤ系の中には親日的な人が少なからずいる…という噂は、あながち嘘ではないらしい。
「エエト…気象条件ガ余程アワナイト無理デスガ。
デモ、嘘デハアリマセン。
ハッハッハ、トンデモナイ田舎デスノデ、ソウイウ事シカ自慢話ガナインデスヨ」
英語力はあるが英会話に弱い典型的な日本人である大原は、発音は悪いがグリーン夫妻に答えていた。
夢見るような表情で、顔を見合わせる二人。
と…グリーン妻の腕の中から、少女が焦れたように声を上げる。
「ねえ、ママあ!
もう、『降りて歩いても』いいんでしょう!?」
足をばたつかせながら言うリタにグリーン妻が苦笑を見せる。
「ああ、ごめんなさい、リタ。
いけないわ、まだ癖が抜けなくって。
えぇと…オオハラさま?」
大原の顔を見ながら言うグリーン妻に、オオハラと呼ばれた大原は応じる。
「エエト…OK。 ミンナ、仕事柄、口ハ堅イデス。
ソレト…俺ハ、『様』ハ不要デス。
俺ハ、タダノ、千佳ノ、保護者」
オオハラのあたりを訂正しなかったのは…本人はどちらでもよいと思っているからだった。
千佳千奈にもそう呼ばれていたし。
「保護者じゃなくて、寄生虫でしょうに」
日本語で、優しそうな笑顔で言う円。
日本語をマスターしていない夫妻には、思いやりの一言のように聞こえただろう。
大原は足でも踏んでやろうかと思ったが…どうせ避けられるので、止めておいた。
難癖付けて殺されてもかなわないし。
「じゃあいいのね!!」
母の腕からぴょこんと飛び降りるとリタは、裸足のまま三和土を渡ると、そのまま家の中に飛び込んでしまった。
それは…つい先日まで車椅子に乗っていたとは絶対に思えない回復ぶりだった。
「ティカー! 待ってー!」
その後姿を見送る夫婦は、もちろん笑顔。
そこに、申し訳なさそうに大原が言葉をかける。
「スミマセンネ…アノ娘ニハ、『不自由ナ目』ニ遭ワセテシマッテ…。
モウ歩ケルノニ、体ガ『不自由ナフリ』ヲサセテシマッテ…」
「何をおっしゃいますか、大原様。
それは我々夫婦もあの娘も十分理解した上でのことです。
我らが主の奇跡の力を世間に広めない為と言うこと。
それによって…世間の余計な嫉妬や非難を受けないようにする為ということ。
その主の目に適っただけでも、奇跡的なことだと思っています。
我らは絶対、死んでも世間に公表しません」
今さら何を言うんだ、と言う様子で熱弁するグリーン夫。
…まあそれは、千佳の魔法の『希少価値』を保つためでもあるんやけどな…。
心の中で、大原は申し訳なく思うのだった。
「我らは千佳様に忠誠を誓った身。
娘のほうも…あと半年ほどの我慢と言うことにしていただいていますが、それも、必要であれば、死ぬまで我慢させます」
「イエ! イエイエイエ!!
ソレハ、ゼンゼンOK。
張サンノ助言通リ、ユックリ規制解除シテ、自然回復ヲ、装エバ、問題ナシ。
タダ…彼女ノ、友達ガ、減ルト、思イマスノデ…ソコダケガ、気ガカリデス」
大原が言ったのは…回復前の、病院でのリタの友達のことであった。
長期入院している子供たちは…症状は違えど、境遇は同じ。
普通の友達以上の結びつきがある場合が多いのだ。
境遇を相憐れむだけではなく…中には、友達のうち何人かが亡くなってしまうケースもある。
無論入院患者全員がそうだとは言わないが…一度出来た友誼の強さは、推して知るべしだった。
戦友と言う言葉を使ってよいなら、まさにそれそのものなのだ。
大原は…子供のころ、千奈が重い病気で入院していた時のことを思い出していた。
全快はしたものの…千佳より成長が遅れた千奈は、随分気に病んでいたようだった。
またそれは、千佳が千奈を可愛がる理由の一つでもあった。
「………」
「………」
大原の言葉に、夫婦は無言となった。
やがて…二人は重い口を開く。
「それは…致し方ないことですわ」
「わが娘可愛さの親の身勝手と思います。
しかし、選べと言われれば、間違いなくこの道を選びます」
「こればかりは…神の許しを請うばかりですわ」
二人は体を抱き寄せあいながら…祈るようなしぐさを見せていた。
「マ、マアマア!
コノ話ハ置イトイテ、トリアエズ中デ、オ休ミクダサイ。
うぃー。
おおはらのおっちゃん、入りまーす」
そう言いながら、大原は玄関をくぐった。
その時。
…中から、千佳とリタの悲鳴が聞こえてきた。
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「千佳っ!! どないし…ぬぉっ!? …ぐぇ!!」
叫びながら、慌てて靴を脱ごうとする大原。
慌てすぎて前のめりに倒れていた。
悲鳴に応じて、駆け出したのは円だった。
円はその迷いのない瞬発力で…遠慮なく大原の背中を踏みつけ、土足のまま声の方向に走ってゆく。
警護の関係上、敷地から家屋の中まで、間取り図を頭の中に叩き込んであった
もちろん、間取り図を作らされたのは、大原だ。
「おっ、おい!! じ…。 銃ハ、ヤメロヨ!!」
肝心な部分を英語で隠しながら、もたもたと立ち上がる大原。
そしてヒィヒィ言いながら千奈の部屋に向かう大原。
「ど…どないしたんや!! 千佳!!」
全開のふすまに手をかけ、死にそうな声で言う大原。
そして…千奈の部屋で見たものは。
「あ…大原の叔父様…。
すみません、お騒がせしてしまって…」
よほど何かに驚いたのか、その時のままの顔で振り返り、大原に応える千佳。
同様に、驚いた様子のリタ。
そして、苦笑する円。
円は、いつの間にか靴を脱いでいた。
そのまま…室内奥のカーテンに歩み寄り、一気に開く。
と。
そこには…千奈にかけられた布団で一緒に眠り込む末の妹、理子の姿があった。
そして…千奈の顔には落書きがあった。
まるでお経のように『ぷいきゃあ』『ぷいきゃあ』『ぷいきゃあ』と顔にびっしり書かれたチナは……何も知らずに眠ったままだった。
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