第二章 三話 スキル発動の妹
「ほぇー…これがデルタちゃんとネアンちゃんのところの牧場かぁ…」
チナは口を開けたまま、目の前の牧場を見ていた。
広大な敷地を囲む柵沿いに、歩いている。
デルタとネアンを乗せたまま歩くユニコーンと、その横を歩くチナ。
チナはユニコーンには乗らなかった。
なぜなら…鞍も銜もなかったからだった。
基本的に、乗馬には鞍と手綱が必要である。
鞍は、いうなれば座席。
銜は、ハンドルである手綱を取り付けるため、馬の口の奥に入れる器具。
乗馬などというものに縁がない孤児院では、常備されていないものだった。
よほどそればかり練習しない限り、鞍のない馬には乗れない。
なぜなら…持つところが鬣くらいしかないからだ。
幼女ふたりくらいなら乗られる方も我慢できるだろうが大人では…鬣も抜けてしまうだろう。
また。
チナの服装が乗馬に耐える服装でなかったこともある。
わりと肌面積の多い下半身…大股を開けて馬に乗ることなど、彼女の羞恥心が許さなかった。
それに…『ちくちく』に耐えられそうな下着でもなかったし。
なお。
最初チナはユニコーンを馬だと思っていたが…どうも、ウシやヤギの仲間らしい。
証拠は、二本に分かれた蹄。 馬の蹄は一本だ。
ひと昔前の口蹄疫騒ぎの時にユニコーンが日本にいたら、牛や豚とともに口蹄疫ウィルスに罹患していたかもしれない。
日本にユニコーンがいなくてよかったよかった。
『もう少しでおうちにつくよ!』
『頑張ってね!』
宙に書いた文字で、ユニコーンとチナに声援を送る二人。
「うん。 ありがとー」
イエス、イエス、イエス。
心の中で絶叫しながら、笑顔を返すチナ。
そのチナを、熱い紺色の目で見るユニコーン。
「う、うん。 あんたも…ありがと…」
ノーサンキューDEATH。
心の中で絶叫しながら、ひきつった笑顔を返すチナ。
はたから見れば動物と会話を交わすいたいけな少女たちの図であった。
と。
進路の先に、人の姿が二つあった。
こちらに向かって、手を振っている。
『おとうさん!』
『おかあさん!』
二人の出迎えなのだろう。
この二人の里親である、アル夫婦であった。
『ありがとう!』
『また遊んでね!』
いそいそとユニコーンから飛び降り、そう書きながら二人がユニコーンの身体を撫でると…霧散するかのように、ユニコーンの姿が消え去った。
…最後までチナを見つめる姿に、若干の悪寒を感じるチナであった。
そして二人は、アル夫婦に向かって走っていった。
そのまま、夫婦の胸に、顔から飛び込む。
「このバカ娘ども!! 昨日のうちに帰って来いって言っただろうが!!」
「お父さんの言う通りだよ! 夜遊びを覚えるなんて、なんて悪い娘たちだろう!!」
容赦のない罵声を、頭上から浴びせられる二人。
ぁあん? もう一回言ってみ?
思わず変顔で夫婦をにらむチナだったが…二人そろって顔を上げた瞬間。
にぱー。 かける二。
二人の笑顔に、夫婦は顔を背けていた。
まぶしい光を見た時に、人はこういう反応をするようだった。 なんかちょっと顔赤いし。
「………わかる…」
夫婦の反応に、チナは大きくうなずいていた。
「あ、あのー。 おはようございまーす」
ためらいながら、チナはアル夫婦に声をかける。
初対面だったからだ。
それはアル夫婦も同様で、二人は顔を見合わせてからチナに応じる。
「あ、ああ、おはよう。いい天気だね」
ぎこちない反応なのは、普段来客の応対などほとんどない生活だからだろう。
それはまあ一次二次産業あるあると言ってよい。
なるべく緊張感を刺激しないように、チナは続けた。
「この子たちを、言い値で買います。
あ、間違えた。
先日はチーズをたくさんいただきまして、ありがとうございました」
そう言って、ぺこりと頭を下げるチナ。 一部本心がダダモレだったが。
それに、夫婦は思い出したように続ける。
「ああ、孤児院の人かね」
「それにしては…見たこともない顔だけど…」
「新入りです。
ティナ・イトーっていいます」
「はぁ…そうかね」
「じゃあ…随分苦労してるだろうに…」
あれー? あたしのビッグネームはどこ行ったー?
チナは思わずそう言いそうになった。
古龍を倒したパーティの一人にして、町の経済を牛耳るティナ・イトー。
近隣の町まで届いているはずのその名声は…普段人付き合いのないアル牧場には届いていなかった。
それに…孤児院の貧しい印象が、半年前のままだった。
いちおう毎日お肉が食べられるほどの経済力と、それを半永久的に継続させられるシステムを構築したはずなのに。
「あ…だ、大丈夫です。
今はうちも持ち直して…今日もさっそく、商談に来たんです」
「商談?」
「はい。
ティナ孤児院に、定期的に乳製品を卸しませんか?」
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チナの提案は、こうだった。
ティナ孤児院への、定期的な乳製品の納入。
乳製品だけではなく、生乳や、肉類でも構わない。
品数は少なくて良いので、週に何回かは納品に来てほしい。
無論、デルタとネアンが運べる量で構わない。
金額も卸値ではなく、市場価格で。
それは、一定量さえあれば、生産者からすれば破格の提案だった。
金額はともかく、継続が見込める現金収入なのだ。
しかし。
アル夫婦は、難しい顔をした。
「しかし…うちはね。 酪農業ギルドに加入しているんだ。
酪農業ギルドに加入すると、いろんな補助や指導が受けられるけど…一定量の商品を納入しないといけないんだ。
もちろん、販売、と言う形だけど…規格外品は購入してくれないけど。
まぁたしかにあまりいい価格じゃない。
だけど…個人的な売買は、基本的に禁止なんだよ」
「販路を独占して締め付けるなんて…おのれ酪農ギルド。
日本の旧農協みたいなことしやがって。
独占禁止法で訴えてドッキン☆ドッキン☆させてやろうか…」
「ノーキョー?」
「あ…気にしなくていいです。 今は組織も名前も変わったんで」
「??????」
「こほん。
ギルドのほうは、あたしが話を付けます。
それが無理でも…さっきの話にあった、規格外のものでも構いません。
要は、定期的で、継続的であることが大事なんです。
…だよね? 二人とも」
そう言って、デルタとネアンに声をかけるチナ。
要は、この二人が学校に来られる時間と建前を用意したのだ。
可愛らしくウィンクしたつもりが…なんか、男性俳優の決め顔みたいになってしまっていた。
もちろん、三枚目系の。
しかし、こうかはばつぐんだった。
『ありがとう! ティナおねえちゃん!』
『だいすき! ティナおねえちゃん!』
かえりうちにあった。
「えっ? だいす…おねえ…ぐはっ!」
まさかのコンボであった。
まさかの、だいすき。 まさかまさかの、おねえちゃん。
鼻血を吹いてぶっ倒れそうになる自分に、チナは早口で魔法をかける。
「『状態回復+2』!たいしょうあたしせーのぽん!
…あ、危なかった。 あやうく、状態異常に陥るところだった」
「おやおや、大丈夫かね」
「まあ、立ち話もなんだから…とりあえず中へ…」
アル夫婦に促され、チナたちは牧場の中へ入っていった。
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牧場内でまず目につくのは…ヤギだった。
体の大きさが、ほぼほぼ同じ。
成体ばかりなのだろう。
そういえば、ジェーンが春先の出産ラッシュがどうこう言っていたはずだったが…子ヤギの姿がほとんどない。
察するに、子ヤギは子ヤギでまとめて隔離し、管理してあるのだろう。
かわいそうだが…搾乳のため、やむをえない処置である。
ヤギ以外では…牛が数頭いるだけだ。
荒地や高低差のある土地でも育つヤギが多いのは…つまりそういうことなのだろう。
つまり、アル牧場は…あまり酪農に向いた土地ではないのかも知れなかった。
牧場内の家に向かう道中。
物珍しそうに周囲を見渡しているチナに、アル夫婦が話しかける。
「そんなに珍しいかね」
「えぇと…そうですねー。 あたしの国にあるのは牛の農場ですねー」
デルタとネアンの手前、いつもより敬語っぽいチナである。
「はっはっは。 平地の多い、いい土地なんだね。 …あ、そこ糞あるよ」
「ぅわぉ! …危ねー。
…そうなんですかね? 山ばっかりの国土なんですが」
「そういう所を切り拓いて、牧場と言うのはできるんだ。
基本的に、平原と言うのは、農地になるからね……あ、そこにも糞あるから」
ウンコまみれか。
無意識に突っ込もうとしたチナだが、二人の前ではいいお姉さんでいたいらしい。
と…ふいに、ヤギの一頭が、一行に近付いてきた。
すりっと体をこすりつけると、小さく一声なく。
乳を搾ってくれ、ということらしかった。
『おとうさん。 この子、垂れてる』
『おかあさん。 はやくしぼらないと、びょうきになるよ?』
二人の言葉通り、目の前のヤギは、足の付け根にある乳房から、ぽたぽたと乳を滴らせていた。
この状態を放置すると…乳房炎になることがある。
「おや?
おかしいな…今朝の分はもうしぼり終わったはずなんだが……んんん!?」
と…一行は、不意に動けなくなった。
いつの間にか、牧場内全てのヤギに取り囲まれていたのだ。
それは、命の危機さえ連想してしまう光景だった。
そして…すべてのヤギが乳房から、ぽたぽたと乳を滴らせている。
そのさまに…チナは絶望的な表情を見せる。
「…しまった…よく考えれば…」
そう…彼女は、今、気付いていた。
乳製品主体の牧場にいる動物は…ほぼすべてがメスなのだということに。
彼女のスキル『ハーレムエンプレス』は、すべての生き物に適用されるらしかった。
そして…初公開。 ガントレットの付与スキル『乳しぼり待ったなし』。
酪農業の神が与えた『搾乳量上昇』の上位スキルである。
かくして一行は、何の暴動かと言う勢いで、搾乳待ちのヤギに取り囲まれることとなった。
べー、べー、べー、べー。
ヤギの特徴的な、蛇の目を九〇度倒したような眼。 横に細長い瞳孔。
そんな目で詰め寄られ、何かを訴えるように鳴き続けられては恐怖しか感じない。
『あ…『仲良し』』
『ほんとだ。 『仲良し』してる。そんな時期じゃないのに』
ふいに出た二人の言葉に、チナが視線をやった先。
「げぇっ!!」
三国志の登場人物のように呻く、チナの視線の先。
…立派な角のオスが、馬乗りになっている。 何に、とはあえて言わない。
こちらも初公開の………『出生率向上』の上位スキル、『作る側の子供好き』。
デルタとネアンの目を両手で覆いながら、チナは大きくため息をついた。
「おお…これはいったい、どういうことなんだ…」
「何か悪いことの前兆じゃなければいいんだけど…」
夫婦が、ふいにフラグを立てる。
「あ、あの…何か取り込み中みたいなので…今日は失礼します!!
さっき言った件は、また必ず連絡しますから!!」
言いながらチナはアイテムボックスを取り出し、デルタとネアンの手籠に、乾燥野菜と乾麺を山ほど詰め込んでいた。
お土産のつもりだったが…焦っているから、もしかしたら金貨なんかも一緒に入れていたかもしれない。
デルタとネアンは、重くなった手籠を両手で抱えながら口をあうあうと動かす。
文字を書けないのがもどかしそうだった。
「じゃあ近いうちにまた来てね、ふたりとも。 …じゃあ、バイバイ!
…あんたたち! ステイ!! あたしが見えなくなるまででいいからステイね!!」
言葉の後半をヤギの群れに言いながら、チナは逃げるように走り去っていた。
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