第二章 〇.五話 頑張る姉
その時。
その中年夫婦は、神の奇跡を目の当たりにしていた。
口を突くのはOMG。
何度も何度もOMG、OMGとつぶやきながら、目の前の奇跡を見る。
そこには、二人の少女。
一人は、中年夫婦の最愛の娘。
数年前の交通事故…自分たち夫婦は無事だったものの、重症を負った娘。
下半身の自由と、光を失った娘。
以来この夫婦は、仕事の第一線から身を引き、娘のために尽くしていた。
生活の介護や、時には親子三人での旅行。
不思議なもので、仕事に振り回されるうち、事故にあう前は冷え切っていた親子三人が、絆を取り戻していた。
そして今日も三人で仲良く旅行を楽しんでいた。 楽しむことができていた。
夫婦、親子、ともに良好な関係に復旧していた。
事故は…神の与えてくれた試練だったのだ。
自分たち親子は…それを乗り越えることができたのだ。
そう思うようになっていた。
しかし、今。
帯状の、光。
どこからか現れた光の粒子が束ねられ、自分の娘に注がれている。
まぶしい光のその中心。
そこから…はじけるような娘の声が聞こえてきた。
「パパ! ママ! 動く! 動くわ!」
先ほどまで火傷の跡のせいでうまくしゃべれなかったはずの娘が、光を失ったはずの娘が、今度は……動かせなかったはずの自分の足を動かしている。
自由になった両脚を見て、事故にあう前のように花のような笑顔を自分たちに向けている。
それを見て、駆け寄らない道理などない。
中年夫婦は思わず駆け寄ろうとした。
それを制する者がいた。
「ウゴクーナ! マダ! ダメ、ゼッタイ!」
片言の英語。 それは…妙に太った、東洋人の男。
真剣な表情で両手を広げ、二人と娘の間に割って入る。
「アー、エー、チョットマッテ。ナゼナラ…エー、アー、チョットマッテ」
男は、必死で言葉を探している様子だったが、それしか出てこない。
その言葉を、継ぐ者がいた。
もう一人の少女。
それは…先ほどから自分の娘に手をかざす少女。
漆黒の髪の少女。
黄金のガントレットを両手に付け、おそらくは…自分の娘を救った少女。
それが、ニュースキャスターみたいな完全な英語で、答えていた。
「まだ光魔法による治癒が終わっていません。
今、横から手を出すと…どうなってしまうかわかりませんよ?
あなたもですよ、リタさん」
そういって少女は、娘に優しく微笑む。
「うん、ティカ! 何でも言うことを聞くわ!
だってあなたは…私の女神さまだもの!」
いつの間にかファーストネームで名前を呼びあう二人の間では、自己紹介が終わっていたのかもしれない。
が…ティカと呼ばれた少女は、苦笑を見せる。
「もう…人の名前を間違えてはいけませんよ。
私は、千佳。 伊藤千佳です」
「ティカィトー?」
「いいえ。チカ」
「ティカ!」
「チカ」
「ティカー!」
「チーー」
「チーー」
「カーー」
「カーー」
「チカ」
「ティカ!」
「ふふふふ…もう。 ティカでいいですよ。 …はい、終わりました」
千佳が笑顔でそう言うと、光の帯がすべてリタに吸い込まれた。
同時に…彼女の手にあった黄金のガントレットが姿を消す。
「ヘイ。 エー、アー、OK!」
何のためにいるのか分からない男だったが、その男の合図に夫婦ははじかれたように動き出した。
駆け寄ろうとする妻に、それを制止する夫。
「待て。
君たち…なぜ娘の名を知っている?」
夫は妻の腕を掴み、ひき止めながら、男と少女に問いかける。
「エー、アー、モウイッカイイッテ?」
「もちろん、調べたからです。 グリーン夫妻」
夫の問いに、二人は答えた。
夫は迷わず、男の肩越しに少女に視線を向ける。
少女は、笑顔を見せていた。
「…何が目的だ。
私がグリーンと…知っているといったな。
金なら…できるだけのことはしよう。
だが…私は一族の中でも末端の人間。
娘も幼い。
さほど大きな金額を動かせるわけでは…」
「代金はもちろんいただきます。
必要経費…ええと、宿泊費、交通費、米国への飛行機代ぐらいは。
ですが、私は、もっと大きなものが欲しいのです」
「それは?」
「私に、忠誠を」
大真面目に言う少女に、夫婦は顔をみあわせる。
「えぇと…我々は、ユダヤ系移民の末裔なんだが」
「ああ。
えぇと…あなた方の精神衛生のために言っておきましょう。
私は、神ではありません。
スキルとして神の御業を使うことはできますが、ただの日本の中学生です。
私に信じる神はいませんし、貴方に棄教しろというわけでもありません。
ただ、私に仕えて下さい。
それならユダヤ教的にも問題はありませんよね?
一生分のお給金は、もう支払ってしまったことですし」
そういいながら少女は、笑顔で完全に治療が終わったリタの頭を撫でる。
「仕えると言っても…その、業務内容は?」
「私に従い、すべてその命令に従うこと。
私がこうしろと言えば、すべてそうしてください。
私が死ねと言えば、死んでください。 頭を使わない簡単なお仕事ですね。
ああ、ええと…あなた方の信仰にかかわることは絶対に言いませんので。
そこはご安心ください」
笑顔のまま、そんな言葉を吐く少女。
「さもないと…元に戻しますよ?」
言いながら彼女が言うと、その手に、黄金のガントレットが顕現した。
「まて!! 待ってくれ!!
わ、わかった…言うことを聞こう。
ただし、妻は…」
「いいえ、私も忠誠を誓います。 だって、リタが…リタが…あんなに…」
「では。 私のガントレットに口づけを」
差し出されたガントレットに、二人は跪いてキスをした。
そして親子は…よろめきながらも歩けるようになった娘と抱き合って喜んだ。
もう、両親ともに号泣だった。 号泣しながら、笑いあっていた。
その光景を眺める男…伊藤大原。
その光景に…大原は、心の底からあふれてきた言葉を吐くのだった。
「エー、アー、モウチョット、ユックリ、シャベッテクダサイ」
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「いくつか、やっていただかないといけないことがあります」
超がつくほど高級そうなレストラン。
同じく、超がつくほど高級なホテル、その最上階だ。
それは、リタを含むグリーン一家が逗留しているホテルだった。
ユダヤ資本の、米国国内で不動産を中心に扱っている企業の物件だ。
若くしてそのCEOを務めていたグリーン。
今はリタの介護のために引退したが、影響力は今も残る。
突然の貸し切りなど、造作もないことだった。
千佳は、借りたドレスではあったが、それを見事に着こなしていた。
日本人の同世代の少女より、体形が良かった。
また武道を嗜んでいるため、背筋がぴいんと伸びている。
何より、服を含めた周囲の豪華さに、全く気後れしていない。
それが当然であるかのように、着こなし、佇んでいた。
「まずは……そうですね。
張さん、経験者としてのアドバイスがあればお願いいたします」
千佳の言葉に、右隣にいた男が恭しく頭を下げる。
高級そうなスーツを着込んだ中国人だった。
このレストランが貸し切りでよかったといえる。
なぜならそこにいたのは…報道で何度か顔を出すこともある、いつも怒り顔で怒鳴り声の中国共産党の幹部の一人だった。
それが…日本人の少女に恭しく従っているさまが、そこにあった。
「わかりました、千佳さま。
まず…グリーン様。
しばらくは、今回の事は…十分に秘匿することをお勧めします」
「…秘密にしろというんですか? せっかく治ったっていうのに?」
「はい。
いや、むしろ、治っていないことを誇示してください」
「…どういうことですか?」
「うるさいハエが寄り付かないようにするためです。
お気持ちは分りますが、誰かの目があるところでは重症の姿を偽装しておいた
ほうがよろしいかと」
「そんな…それでは治った意味が」
「しばらくの間、です。
そして……数か月をかけ、奇跡的にもだんだん快方に向かっていった、という小芝居をした方があとあと楽です。
急に治ったということであれば、色々詮索されてしまいますよ?
千佳様の光魔法は、残念ながらそう何度も使えるものではないそうですので。
万人にその存在を広めるわけにもいかないのです。
我々は、幸運にもそのお眼鏡にかなった…それだけなのです」
「…なるほど…確かに…そういうことであれば、その方が応対が楽そうだ…」
「それに…少し言いにくいのですが。
重傷患者や重病の患者には…ネットワークができるでしょう?
私の場合は、ガンの一人息子でしたが。
子供同士の友達や、親同士のコミュニティ。
その人たちからの詮索は…それは必死で恐ろしいものです。
こちらも、裏技で治ってしまったという後ろめたさがありますし。
まあ、私の場合は国内でしたので少々強権を使って追い払いましたが」
「………」
グリーンは張の言葉に無言になった。
それは容易に想像できることであったし、自分が逆の立場だったらそうする。
それは間違いなかった。
「あなたの場合は、不随意のご息女、でしたか。
犬でも買い与えることをお勧めします。
何でも…バカな飼い犬に毎日患部をなめられていたら、下半身不随が快方に向かったという事例があるとか。
その『せい』にしておけば、見ている方が勝手に納得してくれるでしょう。
はっはっは、しばらく犬の値段が高騰するかもしれませんな」
「なるほど…さっそく手配します。
いやこれは…貴重なご経験を。 ありがとうございます、張さん」
「いいえ。 全ては千佳様の御威光の賜物です」
完全なる忠臣、と言った体で、頭を下げる張。
テーブルが無ければ、五体投地ぐらいやっていたかもしれない。
それに苦笑いする千佳。
こわいくらいの忠臣ぶりだった。
「さて、難しい話はのちほどいたしましょう。
せっかくの食事が冷めてしまいますから。
私、今日は運動したのでお腹がすいているんです。
リタさんに会う前、強盗さんをやっつけましたので。
あれですね。
拳銃って、当たると結構痛いものなんですね」
「千佳様!! またですか!?」
がたんっ!! 椅子を倒すほど勢いよく立ち上がった張が、思わず叫ぶ。
また、と言うほど、それは張の記憶に新しい。
彼が知るだけでも三度目だった。
どうも千佳には強盗やゆすりたかりを引き寄せる磁力なようなものがあるらしい。
たしかに…世間知らずの娘に見える。いや、実際そうだ。
それが、犯罪者には格好のえさに見えるのはやむないことだったろう。
しかし…いくらなんでも、多すぎやしないだろうか。
頭を抱える張…その手が、ふと解かれる。
「SPを手配します」
「まあ、そんな大げさな。
それでは、私が守る人数が増えてしまいますよ?」
「うぐぐ…た、確かにそれは…。
千佳様の戦闘能力は存じ上げております。
私の不徳…貴女の御業を独占しようとした私の部隊を全滅し、それを蘇生させられたときに。
しかし、未然に防ぐ、と言う意味では必要です。
危機管理や危機察知能力もそうですが…あの男一人には荷が勝ちすぎるでしょう。
そもそも、その荷を背負えていないではないですか!!」
言いながら、張は大原を指さす。
え?いたの?と言うレベルで、大原は空気と化していた。
「エー、アー、ワタシノナマエハ、タイゲンイトーデス」
「知っとるわ!!
大体お前は、なぜいつも千佳様のそばにいるのだ。
なのになんで何もできないんだ!!」
「張さん」
と…ふいに千佳の声色が硬くなった。
振り返る…と、千佳の両腕にガントレットが装備されていた。
「伊藤家の人間は、身内の人間を虚仮にされるのを好みません。
ちょっと表に出てみませんか?」
にこやかに言う千佳。
ぴぃん!!
指をかけていたナイフの刃先が、折れてどこかへ飛んで行った。
「わ…わかりました。 しかし、SPの件はご考慮下さい。
これは譲れません。
我々『チナ救出隊』も、頭を失っては瓦解いたしますので」
「…わかりました。 考慮しましょう」
そういって千佳はため息をついた。
「『チナ救出隊』?」
と…グリーンが問い返す。
「…はい。
私の、不肖の妹。
伊藤千奈の魂を取り返すために、私は協力者をかき集めているのです。
宗教家、物理学者、SF作家…またはそれらに人脈のある資産家や権力者。
私は、私の妹…チナを、いずことも知れない世界に旅立った千奈を取り返すために、頑張っているのです。
叔父様とともに、ね」
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「なぁにが、『さもないと…元に戻しますよ?』だか。
こっちは回復するだけで、元に戻す方法なんてないのにな。
にゃははははー!!」
大原は割り当てられた自室のベッドに飛び込みながら、いつもの下品な口調で千佳に声をかけていた。
「まったく…よくそんなハッタリを言えたもんや。
たいしたもんやな、お前。
さすがは俺の姪。
にゃははははー!!」
「まあ、こちらも必死ですから。」
窓際のテーブルで、紅茶など飲みながら千佳は応じる。
「しかし…あれからもう半年か。
人脈は育ってきたけど、まだまだやぞ、千佳」
「ええ…具体的な成果は出ていませんね。
しかし…レベルが上がってきたのは実感しています。
今日も『完全回復+1』と『状態回復+1』を同時に使ったのに…以前のようにペナルティを貰うことはなくなってきましたから」
「ほんと…そのシステムもたいしたもんだと思うわ。
昔は一回ごとに倒れてたのに。
…強盗やら強請り集り(ゆすりたかり)の連中には悪いけどな。
経験値稼ぎ、極悪やな。 わが姪にふさわしいわ。
にゃははははー!!」
「叔父様…でもそれは、すべて叔父様の指示通りではありませんか」
苦笑しながら言う千佳。
確かに、この半年。
チナの肉体を取り戻してから、半年。
右の網膜に投影されるステータス画面は『TINA』のままである為、自分の
ステータスは確認できない。
が、そこそこは経験値を稼ぎ、レベルアップしているはずだ。
その証拠が、先の言葉である。
「しかし、皆さんに忠誠を誓っていただく、と言うのは…やはりやりすぎのような気がするのですが…」
「…ええんや。 ハッタリは必要なもんや。
ガイジンには、上下関係をはっきりさせんといかん。
その証拠が、張の特殊部隊や…まあ撃退できたし、結果的にお前のレベルアップになってよかったけど。
最初が肝心なんやで? 舐められるわけにはいかん」
「…そうですね。こちらは、どこにいるともしれない千奈を探し出さないといけないのですから」
「おう。 まだまだこれから、やな」
「はい。 まだまだこれから、です。
千佳お姉ちゃんはがんばるのです!」
力こぶを作って見せる千佳。
それを見て、満足そうな笑顔を返す大原。
ふと、チナはどうしているのだろうか、と思った。
だが…この姉の妹だ。
どこかで元気にやっているに違いない。
そう確信すると、かわいい姪の頭に手を伸ばすのだった。