月を思う
東也視点の現在です。
誤字修正をしました。
「後見殿が女を囲ったというのは本当のことかね?」
好奇心たっぷりに笑いかけてきたのは甥に仕える家臣の一人。分家筋に当たる男で、東也のことが気に食わないのかしょっちゅう突っかかってくる男だ。ちらりと顔を見れば顔に赤味が増している。中身が空になった徳利の数を数えれば、かなり酔っていることであろうと悟らざるを得ない。彼はからみ酒なのでできれば向かい合って酒など飲みたくはなかった。
「さて。どうでしょうね」
祭りの最中は基本休みになる筈なのだが、どうしてもと呼び出された。幼かった甥が成人してからは領主の館に近付かないようにしていたのに、内容は瑣末な事。さっさと終わらせて帰ろうとすれば目の前の男を含めた数人につかまり、こうして酒を飲み交わす羽目になった。断ろうとしてもそれを無視して料亭に連れ近む様に苦笑いが浮かんだ。適当に酔わせて帰ってしまおうと思っていたのだが、どうやら最前の言葉が自分を誘った理由らしい。
憎たらしい男の弱みを少しでもつかみたいのか。
「またまた。遊郭中の女たちが嘆いてましたぞ。東也様がすっかりご無沙汰になってしまった、と」
「数日は閉じこもりでどうやら女がいるらしいとなればなおさら」
「女泣かせの東也様だが家に連れ込んだ女は初めてだとか」
「一体どんな女なのだろうと皆が知りたがっております」
基本的に己を嫌う男たちが多いことを知っているので、この手のことはよくある。放っておくと何をしでかすかわからない。こいつらのせいで、美月が苦しむのを見るのは嫌だった。
――苦しむなら、俺のせいで苦しめばいい。
偽らざる本音を笑みに隠してつがれた酒を口に含む。
「猫を拾ったのですよ」
「は?」
「猫、ですか」
不思議そうな、あるいは興味深そうな顔。考えていることがよくわかると大声をあげて笑いたくなった。少しは腹芸をして見せればいいものを。
「傷ついた子猫でね。拾って治療してやればやれひっかくは、噛みつくは。餌をやっても警戒心むき出しでね。今は懐かせている真っ最中なのです」
「おやおや」
「それはやっかいな」
「いや、逆にそれくらいの方が楽しめるのでは?」
「噂の女は猫の世話係ですよ。最近雇ったので噂がたったのでしょう」
男たちはやや不満げだが、一応納得したようだ。場の空気が収まるのを待てから退出を申し出る。
言質をとると座敷を出るため立ち上がった。
耳に響く音に気がついて空を見上げれば花火が上がっていた。まだ祭りは二日目。今夜も周辺から明るく、住民の歓声が聞こえてきそうだった。
「もう始まったか」
屋敷にいる美月を思い出しながら足を速める。花火を見て祭りを思い出してしまうであろう美月を一人にしたくはなかった。焦点の合わぬ目で、花火を見上げているのだろうと思うとやるせなくなる。
「御帰りなさいませ」
音一つ立てずに東也を出迎えたのは綺羅だ。東也が昔から使っていた女だが、美月を連れてきてからは屋敷の家事を任せている。『最近雇った世話係』である。
「美月は?」
彼女が出迎えに来たことはない。それでも、彼女の様子を確認するのはもう習慣だった。果たして答えは毎度同じ。
「つつがなく。今は庭の方に」
「そうか」
上着を綺羅に向けて放ると踵を返す。玄関から庭に入ることはできるのだ。綺羅の引きとめる声が聞こえるが無視。身支度くらいなら美月でもできる。自分に触れさせるなら美月だけでよかった。
「東也様」
振り返ればそこに見えたのは志羅の頭。いつの間にか東也に向かって火ざまづいていた。突然現れるのには慣れているのでなぜここにいるかと余計な質問をするつもりはない。
「どうした」
「松原家の調査が終了いたしました書類にまとめております」
「ご苦労。書類は俺の机に。下がれ」
「はっ」
糠谷が正面を向き直った時にはもう誰もいなかった。
案の定、美月は空を見上げていた。夏とはいえ、風もなく蒸し暑い。隊長はまだ不安てな所もあるため、早めに中に入れてやりたかった。
一度全てを失った美月は普段人形のようにぼんやりと過ごしている。女中の報告では日がな一日部屋に閉じこもっているという。東也と話す時はまだ生気が宿るがそれ以外になるととたんに覇気がなくなるのだ。生きようとする意志がないと言えばそうなのだが、死なせるつもりはさらさらなかった。
「あれは、俺のものだ」
決して手放さない。
いつか遠目で見た小さな少女。甥を慰め、共に泣いていた。いつからか表情が失われてしまったが、それでも彼女が欲しいと思い続けていた。
ようやく手に入れた月。
何を失っても、自分だけはともにあると伝えたい。