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今回は短めです。
領主、つまり暁の父親が死んだのは美月が12歳になった春先。
領地の視察中、雪解けで地盤が緩んだ土砂崩れに巻き込まれたということだった。遺体は発見されなかった。
突然の当主死亡のほうに屋敷が騒然となる中、にわかに騒ぎ出したのは領主の親類たち。後継ぎである暁はまだ14歳と若年で、彼が成人するまで誰かが後見に立つ必要がある。後見になれば領主並みの権限を手に入れることができると考え、自分こそを後見にと多くの人間が詰めかけたのだ。暁に、父親を悼む時間すら与えられなかった。
「暁」
この木の根元にやってくるのは何年振りだろう。大人たちから逃れるように走り去る暁を見つけ、追いかけてみれば木の根元にうずくまる少年がいた。伏せられた顔はどんな表情をしているのかわからなかった。
「美月……俺、もう逃げたい」
顔は伏せられたままだ。
「誰も俺のことを知らない土地に行って、美月と二人で暮らしたい」
いつかのようにそっと近づき、震える肩をなでた。
「あんな奴らのいないところに行きたいよぉ!」
暁は失望していた。父親の死に悲しみを示すどころか、自分の欲をむき出しにする親戚たちに。その中には、暁が祖父のように慕っていた老人や、兄のように接していた青年もいることを美月は知っていた。
今まで知ることのなかった人の裏側を目の前に曝されて、暁は怯え震えている。いつかは知る事になっていただろうが、今突然に曝される必要はなかったはずだ。子供でいることを許してくれた父親はもういない。領主の息子は暁一人、これから新たな領主としてこの地を守っていかなければならないのだ。
「暁はいいの?旦那様が遺したものを放り出して」
「そんなつもりでいったんじゃない」
「でも、そういうことだよ。逃げるってことは」
暁は領主である父親を誇りに思っていた。父親を慕い、領主の仕事に魅せられ、自ら采配を振るう日を夢描いていた。この地を、人々を守ることこそ自らの役目だと信じていた。手放せば、後悔するのは暁のほうだ。
「逃げてなんて」
「逃げてる」
美月から視線を逸らすのは後ろめたさがあるからだ。暁は全部わかっていて、だからこそ受け入れられないのだ。
「貴方の望みは何?」
「え?」
「貴方の、願いは?」
「それは……」
ただ茫然としていた暁の顔に見る見る生気が宿り、瞳に輝きを取り戻した。
「父上と、約束したんだ。ここを守るって」
再び父親を思い出したのか、目元がゆがみ、こみ上げてくるものを押し殺そうとしていた。
「ここにはだれも来ないから泣いていいよ」
「男は、泣いてはいけないんだ」
「誰もいないところくらいならいいじゃない。私も何も見ないから」
美月は暁と背中合わせになるように座った。決して見ないことを伝えるために。一人だけはまだつらいだろう暁にそばにいるよと教えるために。
しばらくして聞こえた押し殺したようなうめき声が止まるまでしばらくの時間が必要だった。
数日後、当主の遺書が開封された。まだまだ現役であったはずの彼が遺書を残していたのは自分の死を予見していたからなのか。それは本人にしかわからない。
大広間で遺言状は後悔されることになった。使用人はその場に立ち入ることが許されなかったため、皆が息を殺してその時を待つ。しばらくして大きなどよめきが上がり、いつかの宴の時以上の騒ぎが起きた。あわてて自分の屋敷に飛んで帰る者、どういうことかと代理人に詰め寄るものと混乱が収束するまでしばしの時がかかった。
理由が分かったのは世もだいぶ更けた頃、ひっそりと到着し、堂々と屋敷に足を踏み入れた一人の男を見た時。
どこか気だるげに、だが迷いのない足運びをする、野生の獣のような男を見るのは数年ぶりだった。
彼の足はいまだに落ち着きが戻らぬ広間へと足を踏み入れてた。
ある程度の落ち着きを見せていたはずの場は一気に乱れ、昼間以上の混乱が見て取れた。今度は声だけでなく何か物がぶつかったような音も聞こえた。私はひっそりと姿を隠し、広間をじっと見つめていた。
広間が静かになった瞬間、男がふすまを開けて渡り廊下に姿を現した。足音を立てずに歩くさまは五日ん冬の日を思い出させた。
一つだけ違ったのは一瞬だけ男がこちらに視線を向けたような気がしたということだけ。
領主の腹違いの弟、東也。彼が暁の後見役になると発表されたのは二日後のことだった。