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月が上がる




 私の一番古い記憶は大きな屋敷を見上げているところだ。瓦葺の古い屋敷。

 実際はそんなに大きかったわけではない。ただ、当時三歳だった私には天にも届くほど巨大なお屋敷に思えた。人どころか馬さえ通り抜けることができる門は何もかも飲み込んでしまう魔物のようで、私は泣き出しかけていた。そんな私の頭を撫でて慰めたのは母であり、しっかり手をつないでともに門をくぐった。

 父親が事故で亡くなった後、母は領主の屋敷に使用人として働きに来た。私が覚えている屋敷は領主一族の屋敷であり、私はその片隅の使用人部屋で育った。ほかの使用人たちは幼い子供に無関心で、母はそれでも身を縮めるようにして自分の存在を主張しないようにしていた。私は空気のような存在として一人遊びをするようになった。

 だが、なぜか興味をもたれたらしく、私が領主の長男暁あきらと引き合わされたのは五歳のころ。二つ年上の少年は、私を庇護すべき存在として認識したのか、積極的に私を連れまわした。領主の息子という肩書ゆえに一緒に遊べる子供がいなかったらしい。私は若様の遊び相手として屋敷の人々に認識された。


「みづきー」

「どうか、なさいましたか、わかさま」


 母に仕込まれた言葉をたどたどしく口にするさまは笑いを誘ったらしい。暁は人の悪い笑みを浮かべると、私に手を出すように指示を出した。言われるままに両手を出すと、手のひらに何かが落とされた。


「ぎゃーカエル!カエルいやぁ!!」

「なんでだよ。かっこいいじゃんか!」


 戦利品としてお気に入りの私に見せてやろうという親切心だったのだろうと思う。だが、カエルのような両生類が苦手な私は思いっきり手を振り上げてカエルを逃がしてしまった。


「せっかくつかまえたのをにがしやがって!!」

「ご、ごめんなさい、わかさま」

「わかさまはやめろっていったろ。あきらとよべ」

「……わかりました、あきら」

「そのへんてこなはなしかたもやめろ」

「うん、あきら」


 幼いころはよかったと思う。当時の私は身分の差というものをあまり感じずに彼とともにいることができた。朝から晩まで一緒に遊び、時には屋敷の人間にいたずらを仕掛けて周りの大人たちを怒らせた。使用人頭の怒声を背に手をつないで逃走したこともあった。暁が笑い、私も笑う。私が泣けば、暁も泣く。一緒に手をつなぐことができたのは一緒に走る事が出来たのはいつまでだったろう。少なくともほんの数年だったはずだ。


「あきら。何をしてるの?」


 若様が行方不明になったと使用人頭が真っ青になって美月のところまでやってきた。そのころ、暁は学校に通うだけでなく、家庭教師を呼んでの勉学を始めたので、美月と遊ぶ機会も少なくなり、美月も母と共に使用人の一人として簡単な仕事を手伝うようになった。使用人頭が美月のところにやってきたのは昔からの遊び相手だった自分なら知っているかもしれないと考えたからか。私も彼の居所を知らなかったので使用人頭はすわ誘拐かと真っ青になり、使用人総出で若様捜索が開始された。

 大方、勉強三昧にうんざりして家出でも実行したのだろうと私は思っていた。この間会ったときにそう言ったことをこぼしていたから。しかも、この屋敷から出てはいないとも考えた。彼は屋敷以外の場所はほとんど知らなかったから。

 結局彼を発見したのは中庭の木の上だった。葉が覆いしげっていたせいで彼を見つけることができなかったらしい。私は木の幹と枝の間に足をかけるとするすると登って行く。ようやく見つけた若様はぶすくれた顔で私を睨んでいた。それを気にせず彼の隣の枝に座って、最初の言葉を投げかけた。


「みんな、あきらをしんぱいしてさがしているよ」

「……ほっておけばいい」

「何かあったの?」


 普段の暁ならそんなことを言わない。使用人にさえ気を配る優しい少年なのだ。いたずらが見つかって逃げ出しても最後にはあやまって笑うことのできる少年なのだ。


「いつまで、使用人と遊んでいるつもりか、って。親父が」

「父上が、でしょう」


 言いなおししながらやはり、と納得もしていた。

 子供の頃、遊び相手として暁にあてがわれたものの、成長しても美月にべったりな息子を心配しての言葉だったのだろう。身分の差というものを暁にも理解させなければと考えたのか。異性である美月を警戒してのことだったのか。


「りょうしゅ様はあきらが大切だからそう言ったんだよ」

「美月は使用人じゃない!僕の大切な、友達なのに!!なのに、使用人って……」


 悔しくて仕方がなかったのだろう。暁の顔は泣きだす寸前にまでゆがんでいた。父親に言い返すこともできず、けれど納得もできずに部屋を飛び出すしかなかったのか。それだけ自分を大切に思ってくれているのだと思えば優越感がわいてくる。それに少しばかり浸るのはいい気分だった。


「つらくなったらまたここに上ればいい。わたしが見つけてあげるから」


 彼の立場は重い。自分には肩代わりすることはできない。だからせめて、愚痴くらいは聞いてやろうと思った。


「さあ、もどろう」


 私が笑いかければ暁も笑った。

 使用人頭にしこたま怒られ、罰として書き取り百回を申し渡されていたが、もう泣きそうな顔はしなかった。その後も何度か脱走を繰り返し、そのたびに私が探しに行かされるようになる。私は何度も木の上で彼の愚痴を聞いていた。これだけが私と暁が子供の頃に戻れる時間だった。





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