7.急襲
スロンベリーの王都は、清廉な川に囲われている。城下町はそのアリステ川の内側に沿ってつくられたものだった。
パーシヴァルは数百歩と行かずに、まるで湯桶のごとくこじんまりと溜まった清潔な泉を見つけた。
ここでいいだろうと見定め、まずはと泉に向けて火魔法を発動した。
泉の表面に火を浴びせていれば温まるはず。
普通、引火物もない状態で火を焚き続けていたら魔力を大幅に消費する。ひねる頭があれば、というか誰であっても釜なんかに水を移して、木材や油などに着火させるために魔術を使おうとするものだが、知識や技術はおろか考えるということを放棄したパーシヴァルは、自分なら可能だからという理由で、延々と魔力を消費し続けるというバカな真似をしていた。
パーシヴァルは繰り返し泉に手をつけ、頃合いを見計らったあと、おもむろに衣服を脱いで泉に全身を漬けた。
「あーーー……気持ちいい……」
勝手に口から声が漏れた。
面倒極まりない湯浴みは、しかして足を踏み出すと、なぜこれほどまでに避けていたのかと驚くほど心地よいものである。
パーシヴァルは半ば目を閉じ、うつらうつらとしながら魔術を発動した。身体に付着した細菌や垢を取り除くことのできる便利な魔術で、怠惰なパーシヴァルのためにクリフォードが開発したものだ。
すると浅黒かった肌は、本来の白さを取り戻していった。引きこもりで日に焼けるはずがないのだから、教会の壁のごとく白いのが当然なのである。
ぼさぼさで櫛など入れていなかった髪も、魔法が艶やかに撫でつけてくれ、一見誰と見紛うかのごとく整えられた。
後は衣服の洗濯である。身体だけ綺麗にしても、汚れた衣服を着たらまったくの無意味だ。
やらねばと思いつつ、しかしあまりの心地よさにそこまで気が回らなかったパーシヴァルは、魔族が泉を取り囲み、パーシヴァルめがけてにじり寄っていたことにまったく気がつかなかった。
じゃりを噛むような音が聞こえたと同時に、それは来た。
パーシヴァルは怠惰かつ無気力でありながらも、ヒューゴによって記憶の朧げな頃から身に付けさせられた防衛術を四六時中まとっている。攻撃を感知した瞬間に、その強度が自動とも言える早さで増すことも、息を吸うかのごとく身についたものだった。
その防御魔術が、同時に放たれた四方向からの攻撃を防いだ。
といっても安堵はできない。パーシヴァルが気づいたそばから、間髪入れずに次々と攻撃が続けられている。
ドドドドという、耳をつんざく音がこだまし、泉は衝撃で踊り狂っているかのような水しぶきをあげている。
パーシヴァルにとって実戦の場は生まれて初めてのことだった。殺意を向けられた経験などこれまでに一度もない。だからと身構えていたのだが、大したことないとの結論に至り、緊張を解いた。
十日あまりの怠惰な生活は、体力と魔力をたっぷり蓄えてくれていた。攻撃の強度が変わらなければ三日くらい余裕でもつだろう。
そう結論づけ、悠々と湯を楽しもうと泉の淵にもたれた。しかし、静かな森を楽しんでいたさっきとは違って、騒がしくも煩わしい。三日の間ずっとこのままだと思うと不快だし不便だと思い直した。
腹は減るし眠くなる。泉は冷えてしまうし、生きるためには三日と経たずに術を解かねばならなくなる。
だったら、待つより先に倒してしまおう。やってだめなら考えればいいだけだ。
パーシヴァルは即断し、全裸のまま立ち上がって攻撃魔法を放った。
ドドドドの向こうに、ボンッという音がかすかに聞こえた。
もう一度放ち、同じく当たったのか外れたのか定かではない音がした。
パーシヴァルはうーんと首をひねりながらも、他に方法を思いつかず、同じことを何度も繰り返した。
しかし、ドドドドの音は増えもしなければ減りもしない。視界は術にぶつかって弾ける衝撃波によって覆われ、敵が何人いるかも、場所すらも視認できない。
「めんどくさ……」
パーシヴァルは攻撃魔法をろくに知らなかった。
基礎すら終えていないせいもあるが、熟練の魔術師たちも然りで、実のところ狩りや防御のため以外の攻撃魔法はたいして知らないのである。
魔術というのは大変に危険なしろものだ。初歩のレベルですら、人間をいとも簡単に殺してしまえる力を持っている。そのため、魔術師に不必要な力を持たせるのを厭った王室が、なるべく危険な魔術は教えないよう厳命していたのである。
パーシヴァルの繰り出した攻撃魔法は、直径三十センチほどの魔法弾をぶつけるだけのしろものだった。
居場所がわからなければ意味を成さない。多勢には無力と言ってよく、当たらなければつばを吐くほどの効果もない。
──だめだこりゃ。
パーシヴァルはすぐさま諦めた。考えるといった側からだが、怠惰な人間はしょせんこの程度なのである。なまじ魔力があるのをいいことに、困ってから考えたらいいというほうへ逃げたのだ。
腹が空いたとしても、水を飲めばいい。そう高をくくり、寝ることに決めた。意識せずとも発動できるというのは便利なもので、つまりは寝ていても構わないのである。
すると、ドドドドの音がかすかに弱まった気がした。
ドスッという音と、ずしゃっと何かが地面に崩れ落ちる音。次にまるでわめいているかのようなじゃりがこすれる音──これはのちに、魔族の発する言葉だと知ることになる──がして、ドドドドが最大量の半分程度にまで減った、気がした。
「おい、魔術師!」
さなかに、突然人間の声が聞こえてきた。
聞き間違いだろうか。まさかと耳を疑いながらも、パーシヴァルは術の衝撃が薄くなっていた隙間から外を覗き見た。
すると、動く影が見えた。木に向かって何かを振り回している。
目を凝らしてしばし観察した結果、さすがのパーシヴァルでも気がついた。それは人間で、おそらくは騎士であり、振り回しているのは剣であろう。そして騎士が相手にしている不気味な生物は、魔族であろうこともわかってきた。
そのとき、ふいにこちらへの攻撃がすべて止んだ。視界が開け、外の世界があらわとなった。
「あ……」
まずい、と感じた瞬間、パーシヴァルは攻撃魔法を放った。するとぼふっという音がして、ぎゃしぃと耳障りな音が続いたあと、怪物が地面に倒れた。騎士の背後に魔族が迫っていたのである。
ほっとしたパーシヴァルだが、吐こうとした息をたちまち飲み込んだ。なぜなのか、剣を手に騎士がこちらへ迫ってくるではないか。まるで襲いかかってきているように見え、助けたのになぜ?と困惑する。
青ざめていたパーシヴァルだが、剣は彼へ向けられず、彼の真横へと突き出された。ひぎゃんっという不快な音がして、水が大きく跳ねた。なにか生暖かい霧を浴びたような感覚があり、触れると緑色の液体がねっとりついていた。
「なにこれ?」
「……魔族の血だ。おまえはパーシヴァルか?」
訊ねられ、パーシヴァルは顔をあげた。これまでまったく気に留めていなかった騎士をまじまじと見て、目を見開いた。
「リアム・アーシュウェン?」
まさか彼とは思いもよらず、パーシヴァルはまぬけにも上擦った声をあげてしまった。リアムは不愉快げにパーシヴァルを一瞥し、顔を歪ませたあとそっぽを向いた。パーシヴァルは恥ずかしさのあまり、頬に熱がたまるのを感じて目を伏せた。
「自己紹介は要らないようだな。魔族はまだいるはずだ。だから早く──」
リアムの言葉が途中で切れたことで、パーシヴァルはなにごとかと顔をあげた。そのときちょうど振り返っていたリアムが剣を構えて飛び出そうとしていたところだった。パーシヴァルは見たのと同時に、彼の手を咄嗟に掴んだ。そして防衛魔術の範囲を広げ、自分だけでなくリアムもろとも覆った。
「なんのつもりだ?」
「いや……さっきの倍くらいいない?」
地面に倒れている魔族の数と比較しての雑感だが、倍以下には見えない。いくら国で一二を争う手練でも、一人で相手をするには多勢が過ぎる数だ。
「いるからなんだっていうんだ? 王都に魔族が侵入しているんだぞ?」
「……それって、まずいの?」
「あたりまえだろ」
リアムから頭がおかしいのか?とでもいう目つきで睨まれ、パーシヴァルはかちんときた。
「あ、あんな数きみ一人で相手できるの? 王都なんだから、騎士とかいっぱいいるはずだろ?」
「応援ってのは戦いながら待つものなんだ。それに、できるかできないかを迷う騎士なんていないんだよ。……怖いんなら、おまえはそこでおとなしくしてろ」
そう言ってリアムは強引にも手を振りほどき、防御魔法の範囲から飛び出ていった。会話をしている間にも繰り出されていた魔族からの攻撃にいっさい怯んだ様子はなく、携えた剣ひとつで、勇敢に。
たった一人で。
「……怖いんなら、だと? ……誰に言ってんだよ」
パーシヴァルの防衛術は堅固だ。どれほど数が増えようと強度をあげれば済むし、魔力はたっぷりとまだ残っている。手を出さずとも誰かしらが駆けつけてくるはずで、なによりパーシヴァルは、魔族側を応援したいのだから、反撃するなどもってのほかだ。
しかし、パーシヴァルにとって、人間から舐められるというのは何を置いても耐え難いことだった。
生活に頓着せず、人生になんの希望も持っていないと自負していながら、魔術師が人間よりも劣るなどとバカにされては、目の前が暗くなるほど頭にくるのだ。
「人間ごときが、ふざけるなよ」
攻撃魔法の種類を知らなかろうが、だったらそれっぽいのをぶつけてやればいい。
パーシヴァルは怒りのままに思いついた魔術を、深く考えもせずに発動させた。




