29.積年の憎悪
「リアム?」
パーシヴァルの声は、応える者なく掻き消えるだけだった。
「クリフォード? ……どこに行ったんだよ!」
聞こえるは森の音だけであり、人の声はおろか、布のこすれるような気配を感じる音すら聞こえない。
パーシヴァルはあたりを見渡しながら、どこへ向かうでもなく歩き出した。無意識に人のいるほうへと進んでいたようで、少しすると整地された道に出た。開けていて見通しがよく、遠目に王城や教会の塔部分が見える。パーシヴァルは覚悟を決めて、街のほうへと進み始めた。
音もなく消えたのは、遮音術がかけられたからだ。物音ひとつしなかったせいで、どこへ向かったのか把握できなかった。
焦るあまり術をかけることに気が回らず、飛翔すればいいものを、ただ走り続けていた。
そのため透過術すらかけておらず、簡単に見破られてしまったのだ。
気配を察知する間もなく、いきなり防衛魔術が反応した。驚いた矢先に、続けて左右からの攻撃を受け、ようやく自分の失態に気づいたのだ。ぶつかって跳ね返されたものは実体のある石や煉瓦であり、相手は考えるまでもなく人間である。
「いたぞ」
「パーシヴァルだ」
声も聞こえて、遠目に姿も見えてきた。
舌打ちをしたくなったが、まだ距離がある。今からでも術をかけて姿を消すことはできるとすぐさま発動し、パーシヴァルは飛び立った。
「見えなくなっちまった」
「卑怯なやつだ」
「探せ! リアムもいるはずだ」
リアム、と聞いてパーシヴァルは足を止めた。人間の声というものは、塞ぎたくなるほどによく響いてくるものである。
「騎士のくせに、人間を裏切ったんだから」
なぜ?
自分といたから?
パーシヴァルは浮かんだ疑念に抗えず、声のするほうへ息を殺して近づいた。
「ずらかるぞ」
「どうした?」
「リアムが広場に現れたらしい」
「足の早いやつらだ」
「魔族なんだから神出鬼没なんだろ」
声が遠ざかっていく。
呆然としていたパーシヴァルだったが、ふと浮かんだ衝動のままに再び飛翔した。
そして森を見渡せる高度にまで到達したあと、躊躇うことなく攻撃魔術を放った。カッと閃光が走り、凄まじい轟音が響く。続いて、衝撃波がパーシヴァルの防衛魔法に突き刺さり、びりびりとした衝撃を受けながらも、成果に一瞥もくれず王都へと向けて踵を返した。
衝撃が収まったあとの森は、巨大な隕石が降ってきたかのようにえぐれていた。木々はひしゃげて火がつき、あちこちが燃え上がり始めていた。
──リアムに手を出すな。
パーシヴァルの頭にはリアムのこと以外なかった。人間たちがどうなるかなど微塵も考えず、威力の加減はしなかった。ただ、リアムに危害が及ぶことを恐れて守ろうとしただけだった。
森は跡形もなくなったが、驚くべくことに喋っていた男たちは無事だった。馬に乗っていたこともあり、ぎりぎりのところで森から出ることができたため攻撃を免れたのだ。
それがゆえに、犯人が誰であるかはすぐに広まることとなった。攻撃の威力だけでも十分な証拠となったが、どこへ潜んでいたかは知られていなかったため、魔族の襲撃であると判断される可能性もあった。
しかし、パーシヴァルを目撃した者らが自ら吹聴したのだ。疑念の余地はない。
四日前に起きた襲撃と匹敵するほどの規模だったこともあって、注目を集めたその犯人が誰なのかはまたたく間に広まった。
パーシヴァルは、鷹が獲物を狩るほどの速さで広場を目指した。
戦争のことなどまるで頭になく、師の変わりように悩んでさえいなかった。
パーシヴァルは、リアムにも、自分が向けられたのと同じだけの憎悪が向けられたものと思い込んでいた。そして、何倍もの怒りを覚えていた。
自分はいい。悔しさはあれど、才能を持っているのは事実だ。
しかしリアムは違う。全身全霊をかけて人間を守り、自身のすべてを捧げてきた高潔な騎士なのである。自分に向けるかのごとくの殺意を向ける相手ではない。
実際のところ、リアムはなんの被害も受けていない。刃を向けられてもいなければ、たかが数人から軽口を言われた程度のことである。
パーシヴァルは持ち前の思い込みの激しさと積年の憎悪によって、国民全員がリアムに殺意を向けているものと思い込んでしまった。
パーシヴァルは今や、スロンベリーの国民だけでなく、魔族や他国の人間をもすべて虐殺するつもりでいた。
リアムから得て増幅した魔力があれば可能だと信じていた。しかし、いくら歴史上比類なき天才であっても、一億ほどはいる人間すべてをたった一人で虐殺するのは不可能なことだった。スロンベリー国内ですら三千万人といる。半分にもできない無謀な考えだった。
志半ばで魔力が尽きて死ぬか、トドメを刺されるのが関の山である。
そのうえ実行したらむしろリアムの首を締めることでもあった。
リアムのためにパーシヴァルができることは、おとなしく投降し、魔族とは無関係であることを真摯に訴えることだった。ルーファス王子という証言者がいるのだから、なんの労苦もなく簡単に収まる話だった。
しかし、パーシヴァルには冷静に考えられる頭はなかった。リアムへの募らせた想いと、溜め込んだ憎悪が彼の判断を鈍らせ、直情的に行動させてしまったのだ。
クリフォードはそういったすべてを隅々まで読み切っていた。パーシヴァルがどのような反応をするか、そのうえでどんな行動をとるのかも正確に把握できていた。
行動したすえに、どんな末路を辿り、死を向かえるかも、過去に起きた出来事のように誤りなくすべてを見通していた。
一方で弟子のほうは、師の蓄積した想いにまったく気づいていなかった。互いに時間を共有していながら気づけないでいたのだから、当然のごとく思惑のほうを読み取ることもできなかった。
クリフォードは、世界を見渡しても稀有なほどの微弱な魔力しか持ち得ていない。生まれたときに魔力を感知されず、五歳になるまで親元で育てられていたことも稀な経歴だ。
そういった背景を持つ魔術師が、心に何を秘めているのか。何を望んでいるのか。
生まれながらに天才と見做されるほど強大な魔力を有していた男が気づけるはずはない。
誰もがクリフォードをたたえ、尊敬の念を抱いた。それは彼が自身の劣る面を補うために、誰よりも多くの知識を身につけたからであり、誰も真似できないほどの努力をして今の地位を築き上げたからだ。
クリフォードが、運命を自分で掴み取ったから。
人々は彼を手放しに称賛したが、奥に秘められた想いにまで踏み込んで、汲み取ろうとした者はいなかった。努力の原動力にはどういった感情があり、果てにどんな感情を抱くかなんて、誰が考えようか。
クリフォードが血の滲むほどの努力をしても得られないでいるものを、最も身近にいる者が生まれながらに持っていたこと。
それが、彼の人生をどう狂わせたのかを、想像した者は誰ひとりとしていなかった。




