28.手段による勘違い
欲していたものが身体に満ちていく。もう一度味わいたいと夢に見ていたものが口内にむせび、渇望が解消されていく。
「……んんっ」
息を継ぐために一度離れるも、どちらともなくすぐに口を合わせた。
寸前まで拒否していたのに、リアムを感じたとたんに抗えなくなった。むしろ二人を隔てているすべてが焦れったく感じるほど、味も匂いも感触もリアムのすべてが欲してたまらなくなっていた。
パーシヴァルの抑えきれない欲望に、リアムは応えるかのごとく腕の力を強め、まるで快楽を引き出すかのように舌を絡めてくる。
嫌々しているはずなのに、与えるだけで何も得るものはないのに、リアムもパーシヴァルを求めているかのように錯覚してしまう。
ぐんぐんと魔力が回復していくさなか、パーシヴァルは陶然としてリアムに身を寄せた。
「いっときの感情に左右されたら、取り返しのつかない事態を招くことになるよ?」
いきなり頭上から声がして、パーシヴァルとリアムは同時に身体を強張らせた。
「……不平等な扱いは憎しみを生むと言うだろう?」
二人はさっと身体を離して、パーシヴァルは声のするほうを見上げた。しかし、誰の姿も見当たらない。
「最も必要のないパーシヴァルにだけ独占させるなんてさ」
パーシヴァルとリアムの二人しかいないはずだ。ただ、声のするほう、頭上にある木の枝が不自然にたわんでいる。
「クリフォード……」
この状況で姿を隠す意味はわからずとも、こんな真似ができるのは魔術師以外になく、声からしても彼の他に考えられない。
「やあパーシヴァル。僕の悲願だと知りながら嘘をついてくれるなんてびっくりだよ」
すぐ近くの草が、とすっと音を立てた。クリフォードがそこへ降り立ったのだろう。
「そんな子に育てた覚えはなかったのにな」
さくさくと、草の踏まれる音がする。近づいてきているのであろう。推察はできても、いまだ姿は見えない。
「……術を解いて」
「解かないよ。方法を知るために黙って見ていたけど、驚くべき発見もしたからね」
「……発見? ってなんのことだよ」
「自覚しているだろう? おまえの魔力は以前よりも増している」
なぜ、とパーシヴァルは息を呑んだ。相手の魔力量を量る手段なんてないはずだ。
「驚いた? これは秘術でね。ユージーンさえも知らない僕のオリジナルだ」
「オリジナル……魔術を開発したら報告するのが義務なんじゃないの?」
「誰から聞いたんだ? 術なんて編み出せない未熟者のくせに」
せせら笑うかのような物言いに、パーシヴァルは背筋を凍らせた。
──クリフォードじゃないんじゃないか?
クリフォードとは生まれたときからの仲だ。兄弟子であり、今は師でもある。パーシヴァルはこの世のすべてをクリフォードから習った。魔術だけでなく日常のなにもかもを。父のように育ててくれたヒューゴが亡きいま、この世界で唯一と言えるほどに身近な人物なのである。
「もうあんな下手な嘘はつくなよ。リアムのお告げは知っているんだから」
誰よりも見知った人物であるはずなのに、まるで別人のように感じられた。こんな傲慢かつ不遜で、不快極まる声など、一度として聞いたことがなかった。
「リアムのお告げ?」
「クリフォード様!」
リアムが焦った様子で口を挟んできた。
「……まさか、ユージーン様から伺ったのですか?」
「知るすべなんていくらでもあるよ」
「でも、俺はユージーン様以外には……」
「そうだね。彼を庇う必要なんてないけど、あり得ないと感じることは除外しても構わないとだけ言っておこう。きみのお告げは『愛する者同士がする行為で魔力を供給することができる』だろ?」
パーシヴァルははっとしてリアムを見た。反論もせず顔を強張らせたままの彼を見るに、事実であるらしい。
信じがたいことだが、実際に体験した者としては頷ける。驚異的ともいえるあんな能力をどうやって身につけたのか。想像もつかないほどのことなのだから、確かにお告げの影響である以外に考えられない。
「奇跡と等しい異能だよ? パーシヴァルだけ特別扱いするなんて、もったいないどころじゃ済まされない」
「……お伝えすれば、わたしは騎士という身分を剥奪されかねないと考えたものですから」
「そうだね。魔力の供給なんて夢のような力を持つ者の希少さは、魔術師どころじゃない。王族より敬わなければならない存在だ。それどころか、世に一億といる人間の中で、リアム以上に貴重な存在はいないだろうね。ただ、貴重であるというのは、希少であるがゆえに独占してはいけないものでもあるんだ。能力には責任が伴う。世の道理はわかるだろ?」
リアムは絶句し、顔からはみるみる血の気が引いていった。パーシヴァルは横目に見ながら彼の内心を想像して、するだけでも込み上げる吐き気を必死に堪えた。
スロンベリーだけでなく、他国も含めてすべての魔術師に能力を使役したら……彼は休む間もなく使われることになるだろう。
食われるために生かされる家畜のごとく。いや、生き物としての権利すら失い、道具と成り果てるかもしれない。
「そんな生活嫌だよね? うん。わかるよ。公表しなかったのは懸命だったと思う」
クリフォードはひとり頷き、リアムの気持ちに寄り添うような口調で続けた。
「だからね、僕にだけ力を使えばいい。僕はスロンベリーを背負って立つ立場にあるし、責任なんかもすべて負ってあげられる。リアムをちゃんと保護するし、口外しないことも約束するよ。一人への供給なら手間はないだろう? 愛し合う伴侶にするのと変わらないわけだし、昼は騎士として国防に従事して、夜は僕のもとへ帰ってくればいいんだから」
「それは……パーシヴァルと同様にということですか?」
「パーシヴァルと同様に?」
クリフォードは素っ頓狂にも大げさな声をあげ、次に笑い出した。
「きみは国防に従事する騎士だろう? なぜ魔族の側につこうとする?」
「魔族の側に? 聞き間違われたようですが、わたしが申し上げたのは──」
「間違えていないよ。パーシヴァルは魔族と同じ、彼の悲願は人類の滅亡なんだよ」
笑いながら言うクリフォードの言葉に、パーシヴァルは怖気を走らせた。立っていることができずにしゃがみこみ、両手で身体を抱いて、がたがたと震えるのを鎮めようとするしかできなかった。
クリフォードがパーシヴァルの本音を知っていたこと、それ自体は不思議でもなんでもない。パーシヴァル自身よりもパーシヴァルを知っている師であるのだから、お見通しであって当然だ。
恐ろしくてたまらなかったのは、クリフォードの声に滲んで聞こえた信じがたい感情だった。パーシヴァルを非難し責めてきた人間たちよりも深く、パーシヴァルを憎悪しているように感じられた。なによりも憎くてたまらない。殺すだけでは足りないというほど忌々しげに、弟子の名を口にしていたのだ。
「なにをおっしゃるのですか? ……パーシヴァルはスロンベリーを守るために魔族を打ち倒したのですよ」
「流されやすいからね。とりあえず命じられたままにしただけだよ。パーシヴァルの内心は、逆の願いを持っている。……そうだろう?」
水を向けられても、パーシヴァルが答えられるはずはない。
最も信頼していた師から、憎悪を向けられていたことを知ったのだ。
理由もわからず信じたくもない事実を前に、どんな反応ができるというのか。
そんなパーシヴァルを見て、クリフォードはバカにしたように鼻で笑った。
「まだ出会って間もないから、知らないのも無理はない。僕が教えてあげよう。あのね、パーシヴァルは人間を差別しているんだ。差別されているんじゃなくて、パーシヴァル自身が自分と他の人間を区別しているんだよ。……魔術師も含めてね。僕が魔術の回復を悲願していたのと同じように、パーシヴァルの念願は人類の滅亡なんだ。愚かな人間はすべて消え去るべきで、自分にはその力があるって驕っているんだ」
「そんな……あり得ないことです。こいつは自分の魔力が尽きるのを構わず、人々を救うために──」
「リアムのまえでいい格好をしたかったんじゃないか? 本性だけを切り取れば、魔族の仲間だっていうのは正しいことなんだよ」
「なぜそのようなことを! 自分の命と引換えに守ろうとしたんですよ? 人類の滅亡を願いながら、正反対ともいえることをするはずがありません」
「……ああ、もしかしてリアムのほうもパーシヴァルを愛してしまったのかな? 手段のせいで、勘違いしちゃったの?」
煽られても、リアムは答えなかった。
師のあまりの変わりように困惑していたパーシヴァルだったが、なぜ今度は反論しなかったのかが不思議で、ふと顔を上げた。
なぜなのか、リアムはクリフォードから何を言われてもパーシヴァルを庇おうとして譲らなかった。理由も、必要もないのに。
「……だったら、従わせるのは面倒そうだね」
やれやれといったクリフォードの声が聞こえた直後、リアムの姿が消えた。
「リアム?」
顔を上げたときにはいたはずなのに、今はいなくなっている。はっとしてクリフォードがいたらしき木の枝を見上げると枝のたわみが消え、さわさわと風に揺れるだけになっている。
「クリフォード?」
パーシヴァルは呼びかけながら、リアムがいたはずのほうへ手を突き出した。なんの感触も、抵抗も感じられない。透過術が使われている形跡はないようだった。
間違いなく、そこにリアムはいない。
「どこに? ……どうやって?」
パーシヴァルは天才であり、最強だった。
自他ともに間違いないことだったが、クリフォードがどのような術を使ったのか、どこへリアムとともに消えてしまったのか、天才にしても知り得ることができなかった。
師が弟子を上回る点があるとすれば、弟子よりもものを知っていることである。教えるべきことを教えないでいれば、如何に力の面で上回られても、ある点で超えられることはない。
師は弟子を導く立場にあり、だからこそ如何様にも好きな方向へ誘導することができるのである。




