16.躊躇いと自責
誰とも結婚できない魔術師は、恋愛することも当然ながらにできない。ただ、人を避けていることもあって、恋心を抱く心配もなかった。
だからパーシヴァルは、口づけなど生涯を通じて自分には縁のないものだと思っていた。
そのはずが、まさかというタイミングで、まったくわけがわからないままに経験してしまった。
リアムとの口づけは、世界のすべてがそこにあると勘違いするくらい、うっとりとするものだった。
味わうほどに求めてしまう魅惑的なもので、生きるに必要な呼吸よりも求めて、今自分はどこで何をし、これからどうするべきかが頭から飛んでしまうくらい酩酊させられた。
しばらくして、パーシヴァルは両手でリアムの胸を押した。恥ずかしさのあまり目を逸らしたかったが、見えたリアムの表情は不安げで、探るような目を向けられていたことに、はっとした。
「……も、もう大丈夫」
ひきつりながらも笑みを浮かべると、リアムもほっとしたように身体の強張りを解いた。
「……だったら、残党をつぶすぞ」
間近で見つめ合い、互いに泣きそうな顔を向け合って、そっと視線を逸らしたのも同じタイミングだった。
そのときパーシヴァルはふと感じた。リアムのほうも死にたいくらいの羞恥を抱え、不甲斐なさから自分自身を呪っているのかもしれない、と。
それにもしかしたらだが、羞恥だけでなく陶酔のほうも、パーシヴァルと共有していたのかもしれない。
しかし、だから何だという話であり、今はそれどころではない。
パーシヴァルの魔力は平常の三割程度であったが、残党程度なら蹴散らす自信はあった。
「ま、魔族はいま、どこにいるんだ?」
ひっくり返った声でリアムに聞きながら立ち上がり、パーシヴァルはあたりを見渡した。リアムも横へやってきて、パーシヴァルの右手斜め前あたりを指さした。
「ここから北東のほう、一キロ程度先だ」
「じゃあ、飛翔の術で」
「いや、ここからでも十分だ。むしろ近づいて下手に感知されるよりいい」
「でも、俺は……」
的に当てる腕がない。パーシヴァルが言いかけて口をつぐんだとき、おもむろにリアムから腕を取られた。
「俺が狙いをつけてやる」
リアムはパーシヴァルの腕を北東のほうへ差し向けた。
「撃て!」
触れられてどきりとしたパーシヴァルだが、リアムの言葉を受け反射的に魔法弾を放った。遠くで爆音が轟く。しかしパーシヴァルが目をこらす暇もなく、リアムは今度別のほうへパーシヴァルの手を動かした。
「一キロ三百五十メートル先だ」
そんな数字を言われてもわからない。パーシヴァルは同じ威力でぶつけ、そのあと示された四方向へも、続けざまに魔法弾を撃った。
二度と醜態はさらすまい。絶対に仕留めてやるとの思いで、ありったけの威力を込めた。
「次は?」
「……次は、怪我人の治療だ」
「えっ?」
リアムはパーシヴァルの腕から手を離し、いきなり駆け出した。
「どこに行くんだ?」
「さっき上空から南西のほうに騎士の軍が見えた。最初の攻撃は脅しじゃなかったのかもしれない」
まさか。
青ざめたパーシヴァルは、またも考えなしに飛翔し、リアムの手を取って浮き上がった。リアムは驚きつつも何回か経験してきからか、すぐさまパーシヴァルの背中へのぼりついて、二人は南西の方角へ向かった。
リアムの言うように見えてきたのは、スロンベリーの騎士や兵士たちだった。ざっと見た限り、部隊の規模は魔族の半数ほどのようだ。ハルアラへ向けて行軍していたのだろう。
怪我人だらけであり、上空からでも泥にまみれてどす黒い血が見える。軽症の者が手当に奔走しているようで、ポーションを使ったり、包帯を巻いたりと慌ただしげな様子である。
滑空して地面に降り立つと、途端にリアムは駆け出した。パーシヴァルは目で追いながら、どうしようと迷い、未だ決心できずにいた。
治癒の術は会得している。しかし術を発動するに躊躇いがあった。
どれほどの人数なのか、どの程度の怪我なのか。症状の重さもまちまちだろうし、順番や判断を間違えば不公平とはならないか。
そこまで考えたパーシヴァルは、なぜ自分は助けるほうで悩んでいるのかと、はっとした。
パーシヴァルの願いは、人類滅亡であるのに。
「ポーションはないのか?」
「いま行く」
「治療セットは?」
「あるが、少し待ってくれ」
「水をくれ」
「……わかった」
「こっちにも頼む」
リアムは必死な様子で走り回っている。声をかけられては駆けつけ、怪我の様子を見て、ポーションを使って治療を施している。リアムの右往左往としている様は、なんとも滑稽だった。
少しくらい放置してもいいような相手にばかりかまけていたら、死者が出る。
重症者は声を出すこともできないため、声を上げているのはもっぱら軽症者たちだ。
見向きもされなかった兵士たちは、怪我を負わせた相手にではなく、助けてくれなかったリアムを呪って死んでいくだろう。
しかも、あんな程度では何の意味もない。ひとりにあれほど時間をかけていては、全員を助けるのは不可能だ。
バカバカしく、愚か極まりない。
冷めた目でリアムの姿を目で追っていたパーシヴァルは、足元でうめき声のようなものが聞こえて身体を震わせた。見ると、顔中を血だらけにした騎士が、パーシヴァルを見上げて手を伸ばしている。
騎士は目が合ったとたん何かを訴えようとして血反吐をはき、咳き込んだ。
パーシヴァルは顔を横に振りながら後退った。
すると今度は別の目とかち合い、ぞっとして顔を背けた。その先にはまた別の目があり、慌てて逸らした。しかし、またもや誰かの目と合ってしまい、どこへ目を逸らそうとも、誰かしらと目を合わせてしまうことに気がついた。
立っている者や座っている者、手当を受けている者など、見渡す限りの目が、パーシヴァルへ物言わぬ視線を注いでいる。何人も。いや、何十、何百という目が、パーシヴァルに訴えかけていた。
魔術師だろ? 助けろよ。人間より凄い存在なんだろ? 俺たちとは違うんだろ? 人間のために尽くすんだろ?
音ではなく眼差しから声が聞こえてきた。
パーシヴァルは、うめき声を漏らしながらさらに後退し、つばを飲み込もうとして、喉が張り付いていたことに気がついた。
息を喘がせながら何歩か下がると、何かに躓いてしまい、尻もちをついた。それは人の手だった。真っ赤にただれ、皮から血が噴き出し、肉が見えている。
小さく悲鳴をあげて、目線をあげた。すると走ってくる人影があり、びくと身体を強張らせた。
「なにやってんだ? 体力があるんなら手伝えよ」
パーシヴァルの腕を取り、ぐいと身体を起こしてきたのはリアムだった。
「治癒の術を使えなくても責めやしない。手を動かしてくれるだけでいい」
凛々しく見据えてくるリアムに、パーシヴァルは青ざめた顔を向けるしかできない。
リアムから視線を逸らすと黒や赤色ばかりが目につく。
死滅すればいいと願いながら、今目の前で死に向かっている人間を見て、じくじくと胸が苛まれていた。
苦痛を味わって欲しいわけじゃない。
死ぬにしても、天災に遭ったかのごとく、死んだことすら気づかないほどあっけなくであって欲しかった。
死を願ったのは、差別されたり嫌悪の目を向けられることに耐えられなかったからであり、苦しむ姿を見て愉悦に浸りたいわけじゃなかった。
「おい! どうしたんだ?」
リアムの声を耳にしながら、パーシヴァルは大きく息を吸い込んだ。
そして、ありったけの魔力を込めて治癒魔法を発動した。
とにもかくにもすぐに助かって欲しい。パーシヴァルの頭にあったのは、それだけだった。
吹き出た血が再生し、やぶれた皮膚がつながり、まろびでた肉や内臓へは戻るよう念じた。
再生と回復。魔法とはかくも便利なものであり、時間はかかっても生命のあるかぎりは、自然に逆らえる力を持つものだった。
「うう、っ……」
パーシヴァルは膝をつき、地面にへたりこんだ。 リアムから供給されても、万全ではない。向こう見ずにも無理をしていた。
リアムが支えてくれ「もういい、やめろ」と叫んでいた。
しかしパーシヴァルは振り払い、術を止めることをしなかった。
魔術師とは、人間よりも強大で、畏怖され、敬われる存在なのだから。




