第9話 ゴミ問題、再燃。「燃えるゴミ」に「聖水」を混ぜたのは誰だ
魔王城、執務室。
労組との和解から一夜明け、俺は久しぶりに優雅なティータイムを楽しんでいた……はずだった。
「……臭い」
カップを口に運ぼうとした手が止まる。
窓の隙間から、得も言われぬ悪臭が漂い始めていたからだ。
腐った生ゴミを煮詰めて、さらに魔界特有の毒草を燻したような、鼻が曲がる臭い。
バンッ!
扉が開く。秘書官のリルが、ハンカチで鼻と口を覆いながら飛び込んできた。
「魔王様、緊急事態です! 魔都市外周の『廃棄物集積所』が機能停止しました!」
「またかよ! こないだ下水道は掃除しただろ!?」
「今度は上水ではありません、固形廃棄物です! 処理を担当していた『スケルトン・ゾンビ清掃団』が、職場放棄して逃亡しました!」
「職場放棄? ストライキか?」
「いえ、命の危険を感じて逃げ出したのです」
リルはタブレットを操作し、現場の写真を空中に投影した。
そこには、ゴミの山から逃げ惑う骨や死体たちの姿が映っていた。彼らの体からは、白い煙が上がっている。
「原因は、人間界からの『輸入ゴミ』です。最近、勇者ブームで魔界グッズが売れている裏で、向こうの廃棄物がこちらに不法投棄されているのですが……」
リルは深刻な顔で告げた。
「その中に、『聖水(の使用済みボトル)』が混入していたのです」
「……あ」
俺は察した。
人間にとってはただの清めの水。だが、アンデッドである彼らにとっては?
「そうです。彼らにとって聖水は、人間で言うところの『高レベル放射性廃棄物』です。触れただけで皮膚が焼け、魂が昇天しかける猛毒です」
「分別ルールを守れよ人間んんんん!!」
俺は机を叩いた。
プラスチックと可燃ゴミを混ぜるだけでもギルティなのに、アンデッドの職場に聖水を投げ込むとはテロ行為に等しい。
「彼らは『こんな危険な現場で働けるか! 二度と死にたくない(死んでるけど)!』と言い残し、散り散りになりました。その結果、放置されたゴミ山が化学反応を起こし……」
ズズズズズ……。
遠くから、地響きのような音が聞こえてきた。
「……生まれたのです。最悪のモンスターが」
◇
俺は転移魔法で、魔都の上空へ飛んだ。
眼下の光景を見て、絶句する。
そこには、山脈のごとく積み上がったゴミの山――が、二本の足で立ち上がり、歩き始めていた。
「グオオオオ……」
全長50メートル級の巨人。
構成物質は、生ゴミ、粗大ゴミ、ヘドロ、そして聖水を含んだ汚泥。
名付けるなら、「廃棄物巨人」。
巨人が一歩歩くたびに、体からボタボタと汚汁が滴り落ち、強烈な腐敗ガスが紫色の霧となって広がる。
「まずいぞ……!」
俺は進路を見て青ざめた。
巨人が向かっている先は、先日俺がピカピカに掃除したばかりの「ゴブリン居住区」だ。
「あいつが通れば、踏み潰されるだけじゃ済まない。あのガスを吸えば、抵抗力の弱いゴブリンたちは全滅する!」
現場では、逃げ遅れたゴブリンたちがパニックに陥っていた。
避難誘導が間に合わない。
(……やるしかない)
俺は右手を掲げた。
相手は物理攻撃が効かない(斬ってもくっつく)ヘドロの塊だ。生半可な魔法でも再生するだろう。
ならば、分子レベルで消滅させるしかない。
「最大火力で、塵一つ残さず消し飛ばす!」
俺の右手に、漆黒の魔力が収束する。
スキル【極大消滅波】。
かつて大陸を地図から消したとされる、俺の持つ最大最強の攻撃魔法だ。
「消えろ、汚物まみれの過去と共に……!」
『待ってください魔王様ァァァッ!!』
通信用のイヤリングから、リルの絶叫が鼓膜を貫いた。
「なんだ!? 今いいところなのに!」
『今その魔法を使ったら、魔王様が犯罪者になります! 即刻中止してください!』
「はぁ!? 敵は目の前だぞ!?」
『ダメです! 戦略級魔法の市街地での使用は、「魔界環境保全法」および「火災予防条例」により厳しく制限されています!』
リルが早口でまくし立てる。
『その規模の魔法を行使する場合、以下のプロセスが必須です!』
空中に、ホログラムのウィンドウが次々とポップアップする。
1.環境アセスメント(魔法による環境被害予測)の提出
2.周辺住民への避難勧告と同意書の取得
3.四天王全員の承認印(稟議書)
『無許可で撃てば、環境汚染と独裁権行使の罪で支持率はゼロ! 強制革命イベントで即死です!』
「ふざけんな! 手続きしてる間に街が消えるわ!」
俺は叫んだ。
目の前には、ゴブリンの街を踏み潰そうと足を上げる巨神。
手元には、世界を救える力がある。
なのに、「法律」という見えない鎖が俺を縛り付けている。
(……これが、法治国家の魔王かよ……!)
前世の記憶が蘇る。
緊急のトラブル対応なのに、「上司の承認がないとサーバーに入れません」「申請書を出してください」と言われて何もできなかったあの日々。
だが。
俺はもう、ただの社畜じゃない。
俺は、最強の(社畜)魔王だ!
「……わかった。全部やる」
『えっ?』
「『防衛』しながら『書類』を作る! 文句ないな!」
俺は空中で体勢を変えた。
左手を前に突き出し、防御魔法を展開。
右手を懐に入れ、亜空間収納から大量の羊皮紙と万年筆を取り出す。
「うおおおおおッ!!」
ドゴォォォォン!!
巨人の拳(プレハブ小屋サイズ)が、俺の展開した光の障壁に激突する。
凄まじい衝撃。空気が震え、俺の体がきしむ。
「ぐっ……! 重い……!」
だが、俺の右手は止まらない。
空中に魔力で固定した書類に向かい、目にも止まらぬ速さでペンを走らせる。
『環境アセスメント……爆心地の温度上昇予測……よし!』
『被害予想範囲……半径500メートル……結界で遮断……よし!』
『避難計画書……ゴブ三郎へ念話送信……よし!』
左手で数千トンの圧力を支えながら、右手で繊細な事務処理を行う。
脳の処理能力(CPU)が悲鳴を上げる。
これは戦闘ではない。究極のマルチタスク業務だ。
『魔王様! ゴブ三郎様より避難完了の連絡! 同意書は電子署名で受理しました!』
「でかした! 次は四天王への稟議だ!」
俺は巨人の攻撃を受け止め、衝撃でペン先がズレそうになるのを必死で抑え込んだ。
「ああっ! 捺印がズレた! 訂正印だ、訂正印!」
泥臭い。
空を飛び、光をまとい、巨人と戦う魔王の姿。
しかしその実態は、締め切りに追われてデスマーチをする中間管理職そのものだった。
『ヴォルカン将軍、承認! セレスティア様、承認! ……あと二名です!』
「急げ! 結界が持たん!」
巨人の汚泥が結界を浸食し、ピキピキと亀裂が入る。
悪臭が結界内に入り込み、俺の集中力を削ぐ。
(くそっ……! 最強の魔法を使うのに、なんでこんなに苦労しなきゃならないんだ!)
だが、この苦行こそが「正しい手続き」なのだ。
俺は歯を食いしばり、次なる書類――野党議員への根回し資料を書き始めた。
【現在支持率:横ばい(災害発生により不安定)】
【書類完成度:40%】
【結界耐久値:残り30%】
「待ってろよ国民……! 今、合法的に救ってやるからな!」
魔王アルスの、命とプライドを削るデスクワーク防衛戦は、まだ始まったばかりだった。




