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第8話 ゴブリン労組と「ブラック企業の夜明け」 〜魔王様、有給の申請フローが未定義です〜

 魔王城の正門前広場。

 そこは今、魔界始まって以来の異様な熱気に包まれていた。


「シュプレヒコール! 我々は機械ではない!」

「そうだー!」

「未払い残業代を払え! 36(サブロク)協定を守れ!」

「そうだー!」

「有給消化率100%を要求するぞー!」

「うおおおおお!」


 地鳴りのような怒号。

 広場を埋め尽くしているのは、数万匹のゴブリン、オーク、コボルトなどの亜人たちだ。

 彼らは手に武器ではなく、「賃上げ」「休ませろ」と書かれたプラカードを掲げ、整然と行進していた。


 魔王城バルコニーからその光景を見下ろし、俺は頭を抱えた。


「……デモだ。完全にストライキだ」


 隣に立つ四天王たちの反応は対照的だった。


「軟弱な! 労働ごときでガタガタぬかすな! 魔王様、俺がブレスで焼き払いましょうか? 一瞬で静かになりますぞ!」


 ヴォルカンが鼻息荒く提案する。当然、却下だ。支持率が死ぬ。


「なりませんわヴォルカン。彼らがいなくなったら、誰が私の屋敷のトイレ掃除をしますの? 誰が配送センターで荷物を仕分けますの? ……彼らは魔界の『インフラ』ですわ」


 セレスティアが青ざめている。彼女のような特権階級ほど、現場がいなくなった時のダメージはデカい。


「その通りです。現場ここが止まれば、魔界は死にます」


 冷静な声と共に、一人のゴブリンがバルコニーの下まで進み出てきた。

 作業着に安全ヘルメット。分厚い眼鏡をかけ、片手には電卓とバインダー。

 【地の賢者】にして、魔界最大の票田「亜人労働組合」の代表、ゴブ三郎だ。


 彼は眼鏡をクイッと上げ、俺を真っ直ぐに見据えた。


「魔王アルス様。我々は長年、先代魔王の『やりがい搾取』に耐えてきました。ですが、もう限界です」

「適切な回答なき場合、本日正午をもって城のライフライン――電気、水道、魔力供給、ゴミ収集――を無期限停止します」


 脅しではない。通告だ。

 俺は冷や汗を流した。

 武力で鎮圧すれば「暴君」の烙印を押され、支持率低下で即死。

 かといって、彼らが要求する「未払い残業代」を全額払える予算は、今の国庫にはない(修理費で消えたからな!)。


(……やるしかない。あの手を)


「……代表者と話をしよう。ゴブ三郎、私の執務室へ来い」


「個別の懐柔ですか? 無駄ですよ。私の意志は鋼より固い」


「いいから来い。……美味い『酒』がある」


          ◇


 場所を変えて、魔王城の奥にある「Bar・魔界」。

 薄暗い照明と、ジャズが流れる大人の隠れ家だ。


「……どうぞ」


 俺はカウンターに座らせたゴブ三郎の前に、グラスを置いた。

 トクトクと注がれる琥珀色の液体。

 ドワーフ族が作る最高級蒸留酒「火酒ウォッカ」。度数は驚異の96度だ。


「魔王様、こんな接待で私が絆されるとでも……」


「いいから飲め。仕事の話はその後だ」


 俺も自分のグラスに注ぎ、無言で乾杯する。

 ゴブ三郎は警戒しつつも、一口煽った。

 カッ! と喉が焼けるような感覚の後、芳醇な香りが脳を痺れさせる。


「……ふぅ。良い酒ですな」


「だろう。俺の秘蔵っ子だ」


 二杯、三杯。

 無言のまま酒が進むにつれ、ゴブ三郎の肩の力が抜けていく。

 頃合いだ。俺はポツリとこぼした。


「……大変だよな、中間管理職ってのは」


 ビクッ、とゴブ三郎の耳が動く。


「上(幹部)からは『納期を守れ』『予算を削れ』と無理難題を言われ、下(現場)からは『キツイ』『帰りたい』と突き上げられる」

「部下のミスは自分の責任。自分の手柄は上司のもの。……家に帰っても泥のように眠るだけ。たまの休みも電話が鳴るんじゃないかとビクビクする」


 俺は、前世の記憶を噛みしめるように語った。

 演技ではない。これは、俺(佐藤健太)の本心だ。


「俺も……昔はそうだった。ドラゴンが壁を壊すたびに、徹夜で修繕費を計算して、業者に頭を下げて……。誰も、褒めてくれなかったな」


「…………っ」


 ゴブ三郎が、グラスを握りしめたまま俯いた。

 その肩が震えている。


「魔王様……! わかって、くださるのですか……!」


 堰を切ったように、ゴブ三郎が叫んだ。


「そうなんです! ヴォルカン将軍は『壁など気合いで直せ』と言うし、セレスティア様は『予算はないけど豪華にしろ』と言うし! 無茶苦茶なんですよぉ!」

「現場のオークたちは腰痛で倒れるし、ゴブリンたちは過労で目が死んでいくし……! 俺だって、俺だって皆を守りたかっただけなのに!」


 ポロポロと、眼鏡の奥から大粒の涙がこぼれ落ちる。

 彼は「反乱軍のリーダー」ではない。

 ただ、板挟みに苦しむ、悲しき中間管理職だったのだ。


「わかるぞ、ゴブ三郎。あんたはよくやってる」


 俺は彼の方に手を置き、もう一杯注いだ。


「だがな、今の財政じゃ、残業代を一括で払うのは無理だ。国が潰れちまう」


「……ぐっ、やはり、そうですか」


「だが――『制度』は変えられる」


 俺は懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。

 そこに書かれているのは、この世界には存在しなかった革命的な契約書だ。


「ゴブ三郎。金ではなく、『時間』と『心』のゆとりを約束しよう」


 俺は高らかに読み上げた。


「第一に、『プレミアム・フライデー』の導入。金曜の午後は全業務を停止し、酒を飲んでも良いとする」

「第二に、『ノー残業デー』の設置。水曜日は定時で強制退社だ。破った上司は俺が処罰する」

「第三に、俺のスキル【並列思考】を使った『業務効率化ツール』の提供。事務作業の負担を半減させる」


 ゴブ三郎が目を見開く。


「週に……二日も休んでいいのですか? 陽が高いうちから酒を……?」


「ああ。休め。そして遊べ。リフレッシュしてこそ、良い仕事ができる。……それが、俺の目指す『ホワイト魔界』だ」


 ゴブ三郎の手が震える。

 彼は羊皮紙を、まるで聖書のように押し頂いた。


「……ついていきます! 貴方こそ、我々が待ち望んだ『理想の上司ボス』だ!」


 ガッチリと、種族を超えた握手が交わされた。

 そこにはもう、支配者と被支配者の関係はない。

 あるのは、共にブラックな職場と戦う、社畜同士の熱い絆だけだった。


          ◇


 数分後。

 バルコニーに出たゴブ三郎は、集まった数万の群衆に向けて、高らかに宣言した。


「勝利だ! 魔王様は我々の要求を(一部)飲んだ! 我々はもはや『消耗品』ではない、『社員』だ!」

「これより、週休二日制とプレミアム・フライデーが導入される!」


「うおおおおおおお!!」

「魔王様バンザイ! ゴブ三郎バンザイ!」

「金曜は昼からビールだーーッ!!」


 地響きのような歓声。

 広場の空気が、殺伐としたものから一転して、祭りのような熱狂に変わる。


 それを見ていたヴォルカンが、不思議そうに首を傾げた。


「魔王様。兵を休ませてどうするおつもりだ? 訓練時間が減るではないか」


 すると、隣のセレスティアが得意げに扇子を開いた。


「あら、わかりませんの? これは『アメとムチ』ですわ」

「十分な休息と餌を与え、英気を養わせることで、士気を極限まで高める……。全ては、来たるべき『人間界への大侵攻』に備えての準備でしょう?」


「おおっ! なるほど! さすが魔王様、深いお考えだ!」


(……いや、単に俺も休みたいだけなんだけど)


 部下たちの「良い方向への勘違い」に助けられつつ、俺は胸を撫で下ろした。

 これで「金(吸血鬼)」「暴力ドラゴン」「ゴブリン」の全てを掌握した。

 支持率は48%まで回復。あと少しで過半数だ。


「ふぅ……これでやっと、ゆっくり眠れ――」


「魔王様!!」


 その時。

 執務室のドアが乱暴に開かれた。

 飛び込んできたのは、秘書官のリルだ。彼女はハンカチで口元を押さえ、涙目になっている。


「ま、魔王様……! 労働問題は解決しましたが、大変です!」

「先日の下水道掃除の件……『ゴミ処理場』の方で、新たな公害が発生しています!」


「は? 掃除は完璧に終わったはずだろ?」


「いえ、ゴミの種類が問題なんです! ゴミ処理を担当していたゾンビたちが、『分別されていない聖水』に触れて職場放棄しました!」

「現在、魔都市の外周に、巨大な『汚染モンスター』が生まれようとしています!」


 俺は天を仰いだ。

 一難去ってまた一難。

 どうやらこの魔界には、本当の意味での休息は存在しないらしい。


「……わかった。出動する(サービス残業だ)」


 俺は再びマントを翻す。

 次なる敵は、文明の汚物が生み出した怪物。

 それを浄化するには、もはや小手先の魔法では追いつかない。


 ついに、あの「最強魔法」を解禁する時が来たのだ。

(※ただし、使用には膨大な書類申請が必要です)


【現在支持率:48.0%(↑UP!)】

【「亜人労働組合」との労使協定を締結しました】

【次回予告:ゴミ屋敷と化した魔界を救え!】

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