第7話 ドラゴン将軍と死の「スキンシップ(物理)」
魔王城の西棟、国防省エリア。
そこは、政治の中心地というよりは、巨大な「鉄と汗の殿堂」だった。
廊下を歩くだけで、ドシン、ドシンという地響きが伝わってくる。
すれ違うのは、丸太のような腕をしたオーガや、全身鎧のリザードマンたち。彼らは一様に、俺(魔王)を見ると「オスッ!」と野太い声で敬礼し、すぐに筋トレに戻っていく。
「……臭いな」
「我慢してください、魔王様。ここは魔界一の筋肉密度を誇る場所です」
リルが鼻をつまみながら先導する。
そしてたどり着いた、国防大臣の執務室。
そこには、扉などなかった。かつて扉があったであろう場所は破壊され、瓦礫が積み上がっている。
「失礼します」
中に入ると、そこは執務室というより、巨大なトレーニングジムだった。
部屋の中央、鉄骨で補強された机の上で、ベンチプレスをしている赤い肌の巨漢がいる。
バーベルの重りには、巨大な岩石が使われている。推定10トン。
「ふんっ! ぬんっ!」
彼がバーベルを持ち上げるたびに、衝撃波で書類が舞う。
【炎の将軍】ヴォルカン・ドラグニール。
魔界最強の武闘派であり、脳みそまで筋肉でできていると噂の男だ。
「……9998、9999、10000! よし!」
ヴォルカンは轟音と共にバーベルを床に落とすと(床が割れた)、湯気を立てる体を起こして俺を睨みつけた。
「おう、魔王! 遅かったな! 待ちくたびれて筋肉が分解されるところだったぞ!」
「仕事熱心なことだ。……単刀直入に言うぞ、ヴォルカン」
俺は(ビビって震えそうになる足を抑えながら)威厳ある声を出す。
「軍事演習の縮小と、無駄な遠征の禁止を命じる。今の財政状況では、お前たちの暴走を支えきれん」
瞬間、部屋の温度が急上昇した。
ヴォルカンの全身から、真紅の闘気が噴き出す。
「断る!!」
問答無用の一喝。
衝撃波で俺の髪が逆立つ。
「魔族は舐められたら終わりだ! 力こそ正義! 筋肉こそ法律! 文句があるなら、俺を力でねじ伏せてみろ!」
「……話し合いで解決する気はないのか?」
「言葉で語るな! 拳で語れ! 痛みが俺たちの共通言語だ!」
ダメだ、話が通じない。
こいつは「力」でしか会話ができない種族なんだ。
「いくぞ魔王! 新入りの実力、この体で測らせてもらう!」
ヴォルカンが地面を蹴った。
速い。巨体からは信じられないスピードで、俺の目の前に肉迫する。
丸太のような右腕が、唸りを上げて振りかぶられる。
(ヒィィッ! 殺される!)
俺の思考は真っ白になった。
逃げなきゃ。避けなきゃ。防御魔法を。
だが、体は恐怖で金縛りにあったように動かない。
声も出ない。指一本動かせない。
死んだ。
そう思った瞬間――。
ドゴォォォォンッ!!
凄まじい衝撃音が響き、衝撃波が部屋中の窓ガラスを吹き飛ばした。
……だが、俺は立っていた。
痛みはない。
目の前数センチのところで、ヴォルカンの拳がピタリと止まっている。
俺と拳の間には、薄いガラスのような透明な壁――オートスキル【絶対防御結界】が展開されていた。
「……ほう」
ヴォルカンがニヤリと笑う。
彼には、この透明な結界が見えていないらしい。
「防御魔法の詠唱もなしに、身一つで受け止めたか。……しかも」
彼は俺の顔を覗き込む。
俺は恐怖で目が乾ききり、瞬きすらできずに彼を凝視していた。
「面白い……! ならば、これはどうだ!」
ヴォルカンが咆哮する。
彼の体が膨張し、皮膚が硬質な鱗に覆われていく。半竜化。
口元に、太陽のような灼熱の光が集束する。
「消し飛べぇぇぇ! 極大熱線!!」
ズドオォォォォォォォ!!
部屋が、紅蓮の炎に包まれた。
視界が真っ赤に染まる。温度は数千度。鉄も瞬時に蒸発する熱量だ。
だが、俺の【絶対防御結界】は、熱さえも遮断する。
俺は炎の嵐の中で、ただ立ち尽くしていた。
(あつっ! いや、熱くはないけど、見た目が熱い! 怖い! 早く終わってくれぇぇぇ!)
心の中では半泣きで悲鳴を上げているが、外から見れば、業火の中で微動だにせず佇む魔王の姿だ。
一分、二分……。
ヴォルカンは全魔力を込めて焼き続けた。
やがて、息切れと共に炎が収まっていく。
「ハァ……ハァ……! ど、どうだ……!」
黒煙が晴れる。
溶けた床、崩れた天井。廃墟と化した執務室。
その中央に――俺は立っていた。
傷一つなく。服の裾さえ焦げていない。
俺は、あまりの恐怖と緊張でガチガチになっていた肩の力を抜き、大きく息を吐いた。
「……ふぅ(やっと終わった……生きた心地がしなかった……)」
そして、服についた煤を払うために、パンパンと肩を叩いた。
その仕草を見たヴォルカンが、膝から崩れ落ちた。
「……ば、馬鹿な……」
彼はわなわなと震えながら、俺を見上げた。
「俺の全力のブレスを受けて……『退屈だ』とため息をついただと……!?」
「それに、あの仕草……。『埃がついた程度だ』と言うのか……!」
ヴォルカンの目から、敵意が消え失せた。
代わりに宿ったのは、純粋な強者への崇拝。
「完敗だ……。あんたこそ、真の『最強』だ……!」
彼は額を、ドロドロに溶けた床にこすりつけた。土下座だ。
「魔王アルス様! 無礼をお許しください! このヴォルカン、一生ついていきます! 俺をあなたの『鉄砲玉』にしてください!」
「い、いや、鉄砲玉はいらないから……」
俺はどうにか声を絞り出す。
「とりあえず、軍縮だ。無駄な演習はやめろ」
「わかりました! 今日から実戦形式の演習は中止! 全予算をプロテインと筋トレ器具に回します! 筋肉さえあれば、世界は平和です!」
「(……まあ、金がかからないならいいか)」
方向性はともかく、服従させることには成功したらしい。
俺が安堵のため息をついた、その時。
「魔王様! ご無事ですか!」
リルが瓦礫を乗り越えて飛び込んできた。
そして、惨状を見て絶句する。
「きゃあああっ!? 何ですかこの有様は!」
壁は溶け落ち、天井には大穴が空き、高級な執務机は蒸発して跡形もない。
そこはもう、部屋としての機能を失っていた。
「……魔王様?」
リルが引きつった笑顔で、電卓を叩きながら俺を見る。
「ご報告します。先ほどセレスティア様から巻き上げた予算ですが、この部屋の修理費で全額消えました」
「……えっ」
俺とヴォルカンの動きが止まる。
「なんなら、特別会計からの持ち出しが必要です。……魔王様、来月のおやつ代、カットさせていただきますね?」
リルの背後に、修羅が見えた気がした。
◇
こうして、武力の頂点であるドラゴン将軍は手懐けた。
だが、金の問題は振り出しに戻ったどころか、マイナスに転落した。
「次は……一番厄介な相手だな」
俺は遠い目をして、窓の外(壁がないので丸見え)を見た。
城の下層エリアから、何やらシュプレヒコールのような声が聞こえてくる。
数は力。
魔界最大の票田を持つ、「労働組合」との対決が待っていた。
【現在支持率:42.0%(↑UP!)】
【「国防省」の狂信的な支持を獲得しました】
【所持金:マイナス】




