第61話 魔王、下水道にて最弱を知る 〜かつて掃除したドブ川が、今の俺のマイホームです〜
目が覚めると、そこはゴミの山の上だった。
「……っ、つぅ」
全身が軋むように痛い。
指一本動かすのも億劫だ。
ダストシュートからの落下。本来の俺なら無傷で着地できた高さだが、今の俺には致死レベルの落差だったらしい。
「あるすさま……?」
隣で、小さな温もりが動いた。
幼児化したリルだ。俺が必死に抱きかかえていたおかげか、彼女には怪我ひとつない。
ボロボロのスーツのまま、不安そうに俺の顔を覗き込んでいる。
「よかった……。お前だけでも無事で」
俺は安堵の息を吐き、視界の隅にあるシステムウィンドウを開いた。
……現状を直視しなければならない。
【名前】アルス(元・第13代魔王)
【職業】無職(指名手配犯)
【レベル】1
【HP】3 / 5
【MP】0 / 0
【支持率:Error(接続圏外)】
「……ははっ。HP3って、なんだよそれ」
乾いた笑いが出た。
デコピンされたら死ぬ数値だ。
スライムどころか、風邪をひいただけでゲームオーバーになりかねない。
最強の力も。
絶対的な権力も。
積み上げた財産も。
全て、失った。
今の俺は、ただの「ひ弱な人間」だ。
この魔界の最底辺、下水道のゴミ溜めで、薄汚れた布切れ一枚をまとって震えている。
◇
ペタ……ペタ……。
湿った音が、暗闇の奥から響いてきた。
俺はビクリと身を強張らせた。
「……何か来る」
目を凝らす。
暗がりの向こうから現れたのは、半透明の緑色のゲル状生物。
「汚泥スライム」だ。
レベル2。
かつての俺なら、視界に入れただけで蒸発させられた雑魚中の雑魚。
だが、今の俺にとっては――
「デカい……!」
見上げるような巨体に見える。
溶解液を滴らせ、獲物を見つけた喜びで震えている。
捕食者だ。
「くそっ、あっちに行け!」
俺は手近にあった石を拾って投げつけた。
だが、肩が弱すぎて届かない。石はスライムの手前で虚しく転がった。
「(嘘だろ……。俺は、神殺しの魔法を使った俺は、こんなところでスライムの餌になって終わるのか!?)」
スライムが跳躍した。
避けられない。今の俺の動体視力では、反応すらできない。
「めっ! あるすさま、いじめるなー!」
その時、小さな影が俺の前に立ちはだかった。
リルだ。
彼女は両手を広げ、スライムに向かって威嚇している。
「リル! 逃げろ! お前じゃ無理だ!」
「やー! わたしが、まもるの!」
彼女の小さな手で叩いたところで、ダメージなど通らない。
スライムは鬱陶しそうにリルを弾き飛ばし、俺に向かって溶解液を吐き出そうと体を膨らませた。
終わりだ。
俺は目を閉じた。
――ガインッ!!
鈍い金属音が響いた。
溶解液は来なかった。
恐る恐る目を開けると、スライムの核を、錆びついた鉄パイプが貫いていた。
「プギューッ!」
スライムは悲鳴を上げて霧散し、汚い水たまりに戻った。
「……大丈夫かね? 若いのがこんなゴミ溜めで」
闇の中から現れたのは、ボロボロの服を着た、腰の曲がったゴブリンの老人だった。
薄汚れているが、その目は穏やかだ。
「じいさん……助けてくれたのか?」
「何、通りがかりじゃよ。ほれ、立てるか?」
老人は俺に手を貸してくれた。
その手はゴツゴツしていて、温かかった。
◇
老人に連れられ、俺たちは下水道の奥へと進んだ。
歩きながら、俺はある「違和感」に気づいていた。
(……臭くない)
ここは魔王城の排水が流れ込む、最悪の不衛生エリアのはずだ。
以前に来たときは、鼻が曲がるような腐敗臭が充満していた。
だが今は、空気は澄んでいて、足元の石畳も驚くほど綺麗に磨かれている。
「……ここ、随分と住みやすそうだな」
俺が呟くと、老人は誇らしげに笑った。
「驚いたか? ここは昔、ヘドロの海じゃったが……数ヶ月前、当時の魔王様が魔法でピカピカにしてくれたんじゃ」
「ッ……!」
「おかげで、ワシらホームレスも住めるようになった。壁も床も抗菌仕様じゃから、病気にもならん。
ここは『魔王様の慈悲地区』と呼ばれとるんじゃよ」
老人は、壁に飾られた小さな祭壇(俺の似顔絵らしき下手な絵が供えてある)に手を合わせた。
「今の魔王は知らんが、前の魔王様は良いお方じゃった。顔も知らんが、毎日拝んでおるよ」
俺は言葉を失った。
あの時の掃除。
あれは、単に「臭いのが嫌だ」「支持率が欲しい」という、俺の保身とエゴのための行動だった。
それが巡り巡って、どん底に落ちた今の俺の命を救い、雨風をしのぐ「家」になっている。
「(……皮肉なもんだな。俺は、自分で自分を救ったのか)」
老人の隠れ家に到着すると、彼は鍋から温かいスープをよそってくれた。
具材は残飯の野菜くず。
だが、今の俺にはどんな王宮料理よりも輝いて見えた。
「食え。腹が減っては戦はできんぞ」
「……ありがとう」
俺は震える手でスプーンを運び、一口飲んだ。
薄味だ。でも、温かい。
五臓六腑に染み渡る。
【HP回復:3 → 5】
たった「2」の回復。
けれど、それは俺に「生きる気力」を与えるには十分だった。
「じいさん。……ここらへんに、他にも逃げてきた奴らはいないか?」
俺は聞いた。
一人じゃ何もできない。仲間が必要だ。
「ああ、いるとも。奥の廃棄区画に、『レジスタンス』を名乗る若者たちが逃げてきとるよ」
老人は顎で奥を指した。
「変な眼鏡のゴブリンがリーダーじゃ。『俺たちは働きたいんじゃない、休みたいんだ!』とか叫んでおる変わり者じゃがな」
「……!」
変な眼鏡。
休みたいと叫ぶゴブリン。
間違いない。
ゴブ三郎だ。
俺はスープを飲み干し、立ち上がった。
足の震えは止まっていた。
「……ありがとう、じいさん。恩に着る」
「行くのかね? 無理はするなよ」
「ああ。……ちょっと、忘れ物を取りにな」
俺はリルを背負い、奥へと歩き出した。
ステータスは最弱。金も権力もない。
だが、俺にはまだ「コネ(仲間)」と「知識(経営ノウハウ)」がある。
待っていろ、ガルドノヴァ。
ここからが、魔王アルスの本当の戦い――「泥沼からの成り上がり(再就職)」の始まりだ。
【現在ステータス:Lv.1】
【クエスト発生:レジスタンスと合流せよ】




