第6話 吸血鬼の幼女大臣は「既得権益」と「リコピン」の味がする
魔都パンデモニウムの一等地に、その屋敷はあった。
広大な敷地を埋め尽くす真紅の薔薇。
外壁は総大理石。門にはミスリル銀の彫刻。
一言で言えば、「税金の無駄遣い」を具現化したような豪邸である。
「……なぁ、リル。俺の城より豪華じゃないか?」
「お静かに。ここは魔界の富の半分を握ると言われる『貴族連合』のトップ、セレスティア様の私邸です」
俺とリルは、通用門の前で立ち尽くしていた。
今回のミッションは「予算の獲得」。
下水道掃除や演説で支持率は回復したが、国庫は空っぽだ。改革を進めるには金がいる。
そして、魔界の財布の紐を握っているのが、この屋敷の主――財務大臣セレスティア・ブラッドロードだ。
「彼女は『真祖』と呼ばれる吸血鬼の始祖。見た目は愛らしい少女ですが、中身は三千歳を超える古強者です。機嫌を損ねれば、魔界の経済が死にます」
「胃が痛い……。なんで魔王が部下に頭を下げて金策しなきゃならんのだ」
俺はため息をつきながら、重厚な扉をノックした。
これは「魔王」としての訪問ではない。
「融資をお願いに来た中小企業の社長」の訪問だ。
◇
「あら、魔王様。わざわざ『下々の者』の屋敷まで足をお運びになるとは。よほどお暇なんですのね?」
謁見の間。
豪奢なビロードの椅子に深々と座り、紅茶をすすりながら出迎えたのは、金髪縦ロールの美少女だった。
フリルたっぷりのゴシックドレスに、室内だというのにレースの日傘を差している。
可愛い。黙っていれば人形のようだ。
だが、その真紅の瞳には、数千年分の老獪さと、俺への侮蔑が宿っている。
「単刀直入に言おう、セレスティア。来期の予算案に判を押してほしい」
俺は営業スマイルを貼り付け、リルに用意させた書類を差し出した。
内容は「インフラ整備」と「物流改革」。魔界の経済を底上げするための必須投資だ。
しかし、セレスティアは書類に目もくれず、鼻で笑った。
「お断りしますわ」
即答だった。
「なぜだ?」
「美しくありませんもの。下水道? 道路? そんな泥臭い事業に、我々貴族の血税(文字通りの血税)を使うなど言語道断」
彼女はカップをソーサーに置き、芝居がかった仕草で嘆いてみせる。
「予算とは、もっと『魔界の威信』のために使うべきですわ。例えば、伝統的な『鮮血の舞踏会』の開催頻度を月一回に増やすとか。人間界への威嚇射撃のために、花火を打ち上げるとか」
「……つまり、無駄な散財をさせろと?」
「伝統と言っていただきたいですわね。最近の魔王様は、少々『庶民的』すぎますのよ。もっと恐怖と浪費こそが、王の特権でしょうに」
典型的な懐古主義者だ。
「昔は良かった」「今の若者は」を繰り返すタイプ。一番厄介な相手だ。
俺は少し声を低くした。
「……もし、余が『魔王命令』として強制したら?」
瞬間。
部屋の空気が凍りついた。
セレスティアの足元の影が、ドロリと黒く広がり、無数の赤い目玉と牙が浮かび上がる。
「力で従わせますか? ……ふふ、よろしいですわよ」
彼女は可憐に微笑んだまま、殺意の波動を放った。
「私、これでも『真祖』ですの。魔力量だけなら、先代魔王とも渡り合ったことがありますわ。……ここで戦えば、この屋敷は消し飛ぶでしょうが、魔王様のお顔にも傷がつきますわよ?」
(ひえぇ……! ガチで強いやつだこれ!)
俺の本能が警鐘を鳴らす。
戦えば勝てるかもしれない。だが、そんなことをすれば「貴族派」が全員離反し、魔界経済は崩壊する。
力押しは悪手だ。
ならば、どうする?
俺はスキル【神の眼】を発動し、彼女を観察した。
弱点はないか。交渉の材料はないか。
(……ん?)
俺の目は、彼女の完璧に見える肌の、わずかな「荒れ」を見逃さなかった。
厚化粧で隠しているが、目の下にクマがあり、肌艶が悪い。
さらにテーブルの隅には、魔界製の「鉄分サプリメント」の瓶が置かれている。
(吸血鬼なのに、貧血気味? ……そうか!)
俺の中で、一つの仮説が組み上がった。
最近の人間界は食生活が変化している。ジャンクフードや化学調味料まみれの現代人の血は、グルメな古参吸血鬼の口には合わないのではないか?
偏食による栄養不足。それが彼女のイライラの原因だ。
俺はニヤリと笑った。
勝機あり。
「……よそう。力でレディをねじ伏せるなど、野暮なことはせん」
俺は殺気を収め、代わりに【アイテムボックス】を開いた。
「今日は、敵対しに来たのではない。日頃の感謝を込めて、極上の『赤』を持参したのだ」
取り出したのは、一本のガラス瓶。
中には、ドロリと濃厚な赤い液体が満たされている。
「……なんですの、それ? 下級悪魔の血ならいりませんわよ。泥臭くて飲めませんもの」
「いいや。これは人間界の錬金術の粋を集めた、至高の逸品だ」
俺はグラスにその液体を注いだ。
芳醇な香りが漂う。鉄臭さはない。爽やかで、甘酸っぱい、太陽の香り。
「名付けて、『プレミアム・トマトジュース(食塩無添加・リコピン3倍濃縮)』だ」
「と、トマト……? 人間の野菜など……」
セレスティアが顔をしかめる。
だが、俺は知っている。彼女の目が、グラスの中の鮮烈な赤色に釘付けになっていることを。
「まあ、騙されたと思って一口どうだ? この赤は、ただの水分ではない。美容と健康、そして何より『若さ』の源だ」
「……!」
『美容』と『若さ』。
その単語が出た瞬間、彼女のピクリと耳が動いた。
「……ふん。魔王様がそこまで仰るなら、毒見程度はしてさしあげますわ」
彼女は優雅さを装いながらも、素早い手付きでグラスを手に取った。
そして、恐る恐る口をつける。
コクッ。
一口飲んだ瞬間。
セレスティアのカッとした目が見開かれた。
「…………っ!?」
時が止まる。
次の瞬間、彼女はグラスを煽り、一気に飲み干した。
「ぷはぁっ……!」
幼女のような吐息が漏れる。
頬が薔薇色に染まり、カサついていた肌に、見る見るうちに潤いが戻っていく(ような気がする)。
「な、なんですのこれは!? 血のような生臭さが全くありませんわ! 濃厚な甘味、突き抜けるような酸味! そして何より、身体の芯から湧き上がるこの活力は……!?」
「リコピンだ」
俺はドヤ顔で解説した。
「抗酸化作用があり、血液をサラサラにし、美肌効果も抜群。……最近の不摂生で荒れた肌も、これを毎日飲めばツヤツヤに戻るだろう」
「毎日……!?」
セレスティアが身を乗り出した。
その瞳は、もう政治家のものではない。最新コスメを見つけた女子の目だ。
「魔王様! こ、これはどこで手に入りますの!? 魔界の市場には出回っておりませんわ!」
「当然だ。これは俺が独自ルート(通販)で取り寄せた限定品だからな」
俺は空になったグラスに、トクトクと追いトマトジュースを注ぐ。
「人間界との『正規の貿易ルート』が開通すれば、このジュースを毎日、君の屋敷に直送させることも可能だが……」
チラリと、机の上の予算案を見る。
インフラ整備、物流改革。それはつまり、人間界との貿易をスムーズにするための投資だ。
セレスティアは、予算案とトマトジュースを交互に見た。
伝統か、美肌か。
葛藤は、わずか三秒で決着した。
「……くっ。私の美貌のためなら、背に腹は代えられませんわ!」
彼女は万年筆をひったくり、予算案に豪快にサインと捺印をした。
バンッ!
「承認します! インフラでも何でもおやりなさい! その代わり!」
彼女は俺の襟首を掴み(背が低いので背伸びして)、鬼気迫る顔で言った。
「毎週1ケース! いえ、3ケース納品なさい! これは賄賂ではありませんわ、私の美を維持するための『国家必要経費』ですことよ!!」
「……商談成立だな」
◇
屋敷からの帰り道。
俺の懐には、承認済みの予算案があった。
「信じられません……。あの強欲な吸血鬼を、スーパーのジュース一本で手玉に取るとは」
リルが呆れたように、しかし尊敬の眼差しで俺を見る。
「魔王様、恐ろしい交渉術です」
「(よかった、お中元の残りで足りて……)」
俺は冷や汗を拭った。
とりあえず、「金」の問題は解決した。
だが、一難去ってまた一難。
ズドォォォン……!
遠くの山岳地帯から、地響きと共に火柱が上がるのが見えた。
あの方角は、国防省の管轄エリア。
「……次は、一番話が通じない相手だな」
「はい。ヴォルカン将軍です」
金で解決できない、暴力(筋肉)の化身。
俺は胃薬を飲み込み、次なる戦場へと歩き出した。
【現在支持率:38.0%(↑UP!)】
【「貴族連合」の支持を獲得しました】




