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第58話 悪魔の囁き。「全部壊してしまえば楽になるぞ」 〜世界を救ったのは、勇者の「飯テロ」画像でした〜

 魔王城、執務室。

 幼児化したリルを医務室のベッドに寝かせ、俺――魔王アルスは、ふらつく足取りで戻ってきた。


 部屋は、死んだように静かだった。

 あれほど鳴り響いていた念話の着信音が、今はピタリと止んでいる。

 それはトラブルが解決したからではない。

 現場が崩壊し、報告する者すらいなくなったからだ。


 窓の外からは、遠く暴動の炎と、魔族たちの怒号が聞こえる。

 机の上には、もはや処理しきれない書類の山。

 床には、リルの割れた眼鏡。


「……疲れた」


 俺は椅子に座る気力もなく、書類の山に背を預けて、床に座り込んだ。


「もう、無理だ……。俺一人じゃ、何も……」


 膝を抱える。

 最強の魔王? 神殺しのスキル?

 そんなものが何になる。

 俺は結局、たった一つの城すら守れない、無能な管理職だったんだ。


『……そうだ。無理なのだ』


 粘りつくような声が、耳元で囁いた。

 背後から、ドス黒い影が覆いかぶさってくる。

 先代魔王、ガルドノヴァだ。


『貴様のやり方は、誰も幸せにしなかった。

 部下は壊れ、民は暴れ、貴様は孤独だ。……全部、貴様の「甘さ」が招いた結果だ』


「……ああ、そうだな」


 否定する気力もなかった。

 彼の言う通りだ。俺が甘かった。俺が間違っていた。


『楽になれ、アルス』


 ガルドノヴァの手(影)が、俺の右手を優しく包み込む。


『指を一つ、鳴らせばいい』


「……?」


『お前のその規格外の魔力を使えば、この城も、城下町も、暴れる愚民どもも……一瞬で消し去ることができる』


 悪魔の誘惑。

 だが、そのロジックは、疲弊しきった俺の脳髄に、甘い蜜のように染み込んできた。


『全てを灰にすれば、もう誰も文句を言わない。

 書類も書かなくていい。クレームも来ない。明日の朝、起きる必要もない』


「…………」


『それが「魔王」の特権だ。破壊こそが、究極の「業務整理リストラ」なのだ』


 リストラ。業務整理。

 ああ、なんて魅力的な響きだ。

 全部なくなれば、俺はもう、責任を負わなくていいのか。


 俺の瞳から光が消え、濁った色に変わっていく。


「……そうか。消してしまえば……残業しなくていいのか……」


 俺の右手が、ゆっくりと持ち上がった。

 中指と親指を合わせる。

 指パッチンの構え。


 指先に、どす黒い魔力が収束していく。

 これは、第1話で山脈を消した時と同じ――いや、絶望を吸ってより強大になった、破滅の光だ。


『そうだ、やれ! 世界を終わらせろ! 永遠の休日を手に入れるのだ!』


 ガルドノヴァが嗤う。

 脳裏に、城が崩れ落ち、静寂だけが残る光景が浮かぶ。

 それはとても、安らかで、静かで……。


 俺は指に力を込めた。

 あとコンマ1ミリ、指が擦れれば、世界が終わる。


 その時だった。


 ピロリン♪


 間の抜けた電子音が、静寂を切り裂いた。


「…………あ?」


 あまりに場違いな音に、俺の指が止まる。

 胸ポケットに入れていたスマホだ。

 魔王システムのアラートではない。人間界の通信アプリの通知音だ。


 俺は無意識に、ポケットからスマホを取り出した。

 社畜の悲しい習性だ。どんなに病んでいても、通知が来れば反射的に見てしまう。


 画面が明るく光る。

 通知の差出人は――「勇者エミリア」。


「……あいつか。また『コラボしよ』とか言ってきたのか……?」


 どうでもいい。今は世界の終わりを……。

 そう思いながら、ロックを解除した。


 そこに表示されたのは、一枚の画像だった。


 『見て見てー! 人間界で話題の「天空パンケーキ」! 限定のイチゴ乗せだよっ!』


 画像には、ふわふわのパンケーキタワーと、それに負けないくらいの満面の笑みでピースするエミリアが写っていた。

 生クリームと、真っ赤なイチゴ。

 キラキラしたフィルター加工。


 そして、続くメッセージ。


 『今度一緒に食べ行こ! チケット予約しとくね☆』

 『(スタンプ:ウサギがワクワクして跳ねている絵)』


「…………」


 俺は呆気にとられた。

 時が止まったようだった。


 俺が今、世界を滅ぼそうとしていた、まさにその瞬間に。

 こいつは、パンケーキの写真を送ってきたのか?

 のんきに? 笑って?


「……ふっ」


 乾いた音が、喉から漏れた。


「……ははは。なんだよ、これ」


 笑いがこみ上げてきた。

 世界の終わりと、パンケーキ。

 あまりの温度差。あまりのくだらなさ。


「美味そうじゃねぇか……ちくしょう」


 俺の指先に集まっていた破壊の魔力が、霧散していく。

 濁っていた瞳に、色が戻る。


『何をしている! 貴様、破壊を望んだはずだ! 楽になりたいのだろう!』


 ガルドノヴァが焦ったように叫ぶ。

 俺はスマホをポケットにしまい、深く息を吸い込んだ。

 腹が減った。

 甘いものが食いたい。


「……ああ、望んだよ。だがキャンセルだ」


 俺はよろりと立ち上がった。

 足はまだ震えている。絶望が消えたわけじゃない。

 でも。


「悪いな、先代。俺はまだ『退職』できない」


『なぜだ!』


「来週のパンケーキの予約が入っちまった。……あいつに奢る約束があるんでな」


 俺はニヤリと笑った。

 カッコ悪い理由だ。

 だが、俺にとっては「世界平和」よりも、「来週の楽しみ」の方がよっぽど生きる理由になる。


『貴様……! パンケーキごときのために、覇道を捨てるのか!』


「ごとき、じゃない。俺の『優先順位プライオリティ』の最上位だ」


 俺はガルドノヴァを睨みつけた。


「俺は世界を滅ぼさない。……明日も、明後日も生きて、美味いもんを食って、クソみたいな仕事に文句を言いながら生きてやる!」


『……チッ』


 ガルドノヴァが舌打ちをした。

 彼の姿が、ノイズのように乱れ始める。


『興が削がれた。……貴様のソフトを壊すのは諦めよう』


 亡霊の声が、機械的な響きに変わる。


『ならば――システム(ハード)ごと、強制的に書き換えてやる』


「なに?」


 直後。

 俺の視界にあるシステムウィンドウが、激しく明滅し始めた。

 文字がバグり、警告色が赤からドス黒い色へと変色していく。


【警告:システムエラー発生】

【警告:管理者権限への不正アクセスを検知】

【WARNING... WARNING...】


「おい、何をする気だ!」


初期化フォーマットだ、アルス。貴様という存在を、魔王の座から引きずり下ろす』


 ガルドノヴァの影が、床に吸い込まれるように消え――

 城の地下にある「魔力炉」へと直結した。


 俺の心臓が、ドクン! と嫌な音を立てた。

 これは精神攻撃じゃない。

 俺のステータスそのものを改ざんする、致命的な「サイバー攻撃」だ。


【現在支持率:■■■%(文字化け)】

【状態:ハッキングを受けています】

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