第55話 武闘派の暴走。「サービス残業」こそ戦士の誉れ 〜ドラゴンが空から降ってくる(過労で)〜
魔王城の西に位置する、国防省・大演習場。
そこは今、魔界の「夜」という概念が存在しない場所になっていた。
カッ!!
真夜中だというのに、スタジアム級の魔導照明がいくつも焚かれ、昼間よりも明るい光が荒野を照らしている。
響き渡るのは、爆発音と、悲痛な怒号。
「飛べぇぇぇ! 翼が折れても気合いで羽ばたけぇぇ!」
「止まるな! 止まった奴から置いていくぞ!」
上空を、ドラゴン部隊が編隊を組んで飛んでいる。
だが、その軌道は酔っ払いのようにフラフラと蛇行していた。
彼らの目はくぼみ、ウロコは艶を失い、舌を出して荒い息を吐いている。
ヒュルルルル……ズドンッ!!
一頭のワイバーンが、意識を失って墜落した。
地面に激突し、砂煙が上がる。
普通なら即座に救護班が駆けつける場面だ。
しかし、教官役のオーガは、墜落した部下にこう怒鳴った。
「立てぇ! まだ死んでないなら走れ! 甘えるなァァッ!」
「ひぃっ、はいっ! 走りますぅぅ!」
骨が折れているであろうワイバーンが、涙目で走り出す。
地獄。
ここは軍隊ではない。洗脳されたカルト教団の修行場だ。
◇
「ヴォルカン!!」
俺は転移魔法で司令塔の上に降り立ち、叫んだ。
そこに、国防大臣ヴォルカンはいた。
彼は仁王立ちで腕を組み、部下たちを睨みつけている。
その形相は凄まじかった。
両目は充血して真っ赤。全身の筋肉がパンプアップしすぎて血管が浮き上がり、体からは異常な高熱(知恵熱ならぬ筋肉熱)が湯気となって立ち上っている。
「おう、魔王様か! 見てください、この熱気! 我が軍の士気は最高潮ですぞ!」
「どこがだ! 全員死にかけじゃないか!」
俺は彼の襟首(太すぎて掴めないが)に掴みかからん勢いで詰め寄った。
「即刻中止しろ! 24時間ぶっ通しで訓練だと? 労働基準法違反で逮捕するぞ!」
「労基法? ……ああ、あの『軟弱者の言い訳』が書いてある紙束ですか」
ヴォルカンは鼻で笑い、足元の瓦礫を指差した。
そこには、俺が制定した労働基準法の冊子が、破り捨てられ、燃やされていた。
「なっ……!?」
「魔王様。俺は目が覚めたのです」
ヴォルカンが熱っぽい瞳で語り出す。
「休息? 休暇? ……そんなものは、筋肉を甘やかす毒だ。
本日より、我が軍のスローガンはこれだ!」
彼が指差した先には、血文字で書かれた巨大な横断幕があった。
『月月火水木金金』
『眠気は気合いで散らせ』
『過労死は名誉の戦死』
「狂ってる……! 生理学を無視するな!」
「無視などしていない! 筋肉に『眠るな』と強く命令すれば、細胞は従うのだ! これが最強のメンタル・コントロール!」
ダメだ、論理が通じない。
脳筋が精神論(ブラック思想)に染まると、ここまでタチが悪いのか。
「サウナはどうした! あんなに愛していたサウナは!」
「埋めました」
「は?」
「『整う』などという快楽は、戦士のハングリー精神を削ぐ。……今の俺に必要なのは、乾いた闘争心のみ!」
ヴォルカンは、手に持っていた「最上級ポーション」を一気飲みした。
ガシャリと瓶を握りつぶす。
「見てください、この回復魔法の効率的な使い方を!」
彼は墜落した部下にヒール(回復魔法)をかけた。
傷が塞がる。
するとヴォルカンは、治ったばかりの部下を即座に殴り飛ばした。
「立て! 傷は治ったな? ならば訓練再開だ!」
「ひぃぃぃ! やります! やらせてください!」
「……骨が折れたら治して、すぐにまた酷使する。これで強度は2倍になる!(なりません)」
俺は戦慄した。
ポーションや魔法を、「傷を治すため」ではなく「疲労を誤魔化してさらに働かせるため」に使っている。
ブラック企業におけるエナジードリンクの過剰摂取と同じ構図だ。
「やめろヴォルカン! お前は部下を壊す気か!」
「壊れる? 違うな。俺たちは――」
ヴォルカンは、俺を真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、狂気と共に、純粋すぎるほどの「忠誠心」が宿っていた。
「俺たちは、貴方様に追いつきたいのです」
「……え?」
「俺は見たのです。昨夜、深夜2時の執務室で……魔王様がたった一人、山のような書類と戦い続けている姿を!」
ドキリ、と心臓が跳ねた。
「誰よりも強大な力を持つ王が、誰よりも睡眠時間を削り、身を粉にして働いている……。
その背中を見て、俺は己を恥じました!」
ヴォルカンは涙を流しながら叫ぶ。
「王があれほど働いているのに、部下の我々が『定時』で帰る? 『週休二日』で休む?
……そんなこと、できるわけがないでしょうがァァァッ!!」
「あ……」
俺は言葉を失った。
ブーメランだ。
俺が「効率化のため」と思ってやっていたワンオペ残業が、部下たちには「無言の圧力」として伝わってしまったのだ。
『社長が帰らないのに、社員が帰れるわけがない』
『社長があんなに頑張っているんだ、俺たちも死ぬ気でやろう』
それは、もっとも厄介な形の「組織崩壊」だった。
「違う……俺は、お前たちを楽にさせたくて……」
「お気遣い無用! 貴方様に追いつくには、寝ている時間などないのです!
全軍、突撃ィィィッ!!」
「「「ウオオオオオオオオッ!!」」」
部下たちが、血涙を流しながら空へ舞い上がる。
彼らの背中には「魔王様のために」という重すぎる忠誠心が張り付いている。
◇
ヒュォォォォ……。
上空で、まだ幼いドラゴンの兵士が、限界を迎えた。
「あ……魔王、さま……」
糸が切れたように意識を失う。
真っ逆さまに墜落してくる。このままでは地面に激突して死ぬ。
「危ない!」
俺は駆け出そうとした。
だが、ヴォルカンの太い腕が、俺の進路を遮った。
「触るなッ!」
「なっ……見殺しにする気か!」
「手を貸せば、彼の『自立心』が傷つきます。自分で立つまで待つのです。這ってでも戻ってくる根性を信じるのです!」
「ふざけるなッ!」
俺はヴォルカンを突き飛ばし、重力魔法で落ちてくる兵士をキャッチした。
兵士は痩せ細り、体はボロボロだった。
「……ごめんな。俺のせいだ」
俺は兵士をそっと寝かせ、唇を噛み締めた。
ヴォルカンは、そんな俺を「甘い」という目で見下ろしている。
その背後には、ガルドノヴァの亡霊が満足げに頷いているのが見えた。
『ククク……。いいぞ、それでこそ兵士だ』
(……今の俺の言葉は、届かない)
俺自身が「休んでいない」からだ。
「休め」という命令に説得力を持たせるには、俺自身がホワイトな働き方を実践していなければならなかったのだ。
「……行くぞ」
俺は踵を返した。
この場にいても、事態は悪化するだけだ。
まずは体制を立て直す必要がある。
「残るは……『労働組合』か」
俺は最後の希望、ゴブ三郎の顔を思い浮かべた。
彼は中間管理職の悲哀を知る男だ。彼なら、この狂った精神論にノーを突きつけてくれるはずだ。
俺は魔王城の下層エリア、労組事務所へと急いだ。
――だが。
事務所の前にたどり着いた俺は、そこで絶望的な光景を目にすることになる。
掲げられた赤い旗。
そこには「賃上げ」でも「休暇」でもなく、信じられないスローガンが書かれていた。
【我々に仕事を寄越せ! 仕事を奪うな!】
【魔王のワンマン経営反対! 逆ストライキ決行!】
「……嘘だろ?」
最後の砦もまた、ブラックな呪いに蝕まれていた。
【現在疲労度:精神的ダメージ大】
【軍部の状態:暴走(24時間営業中)】




