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第54話 貴族派の変貌。「伝統」という名のパワハラ 〜トマトジュースを捨て、泥水を飲むのが「美徳」らしい〜

 魔王城、執務室。

 先代魔王の亡霊に意識を刈り取られ、目覚めた俺の目に飛び込んできたのは――信じがたい光景だった。


「……ない」


 部屋が、ガランとしている。

 ふかふかの来客用ソファも、床を覆っていたペルシャ絨毯も、壁に飾られた名画も。

 昨日までそこにあった「王の威厳を示す調度品」が、すべて消え失せていた。


 残っているのは、部屋の中央に置かれた粗末な木の机と、硬そうな木の椅子だけ。

 まるで、独房か、倒産寸前の事務所だ。


「おはようございます、魔王様!」


 バンッ! と音を立てて敬礼したのは、財務大臣セレスティアだった。


 だが、俺は我が目を疑った。

 いつものフリフリのゴシックドレスではない。

 色気のない、カーキ色の「国民服(軍服)」。

 艶やかな金髪ロールはキツくひっつめにされ、化粧っ気もない。


 そして何より、その深紅の瞳にはハイライトがなく、瞳孔がカッと見開かれていた。


「セ、セレスティア? その格好は……それに、部屋の荷物はどこへやった?」


「すべて廃棄いたしました!」


 彼女は胸を張って答えた。


「魔王様! 本日より『魔王庁・構造改革プラン(超・緊縮財政)』を施行します!

 贅沢は敵です。快適は罪です。我々はたるんでいました!」


「はぁ!?」


「手始めに、無駄の極みであるこの部屋を浄化しましたわ。……あ、まだ『ゴミ』が残っていましたね」


 セレスティアの視線が、俺の椅子に向けられる。

 そこには、俺が愛用している「低反発・腰痛対策クッション(人間界製)」が置かれていた。


「軟弱な! 王たる者が、腰をいたわってどうします!」


「ちょ、待て! それがないと俺の腰が……!」


 ズパンッ!!


 セレスティアの手から魔法の刃が放たれ、クッションが無惨にも両断された。

 舞い散る低反発ウレタン。

 俺の悲鳴は虚しく響いた。


「さあ魔王様、朝礼の時間です! 『貴族』の本来あるべき姿を、とくとご覧ください!」


          ◇


 連れて行かれたのは、城の中庭だった。

 そこには、財務省や貴族院に所属する吸血鬼、悪魔たちが整列していた。


 彼らもまた、ボロボロの麻袋のような服を着せられ、裸足で砂利の上に立っている。

 顔色は青白く(元々だが)、ガタガタと震えていた。


「全体、注目!」


 セレスティアが教官のように叫ぶ。


「声が小さい! 挨拶は腹から出しなさい! お辞儀の角度は90度!」


「「「おはようございますッ!!」」」


 悲壮な叫びが響く。

 セレスティアは満足げに頷き、足元にあった「バケツ」を持ち上げた。

 中には、茶色く濁った泥水が入っている。


「本日の朝食は、これです」


「なっ……!?」


 俺は絶句した。

 グルメで知られる彼女が、泥水を?


「飲みなさい。これこそが『大地の恵み』。我々魔族の原点です!

 上に立つ貴族こそ、下々の苦しみを理解するために、泥をすするべきなのです!」


 歪んだノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)。

 先代魔王の「精神論」が、彼女の真面目な性格と最悪の化学反応を起こしている。


「さあ! 感謝していただきなさい!」


 部下の一人が、震える手で柄杓ひしゃくを受け取り、泥水を口に含んだ。

 ゴクリ。


「オ゛ェッ……!」


 当然、吐きそうになる。だが、セレスティアの冷たい視線がそれを許さない。


「美味しいです! 大地の味がします! ありがとうございます!」


 部下は涙目になりながら飲み下し、感謝を叫んだ。

 それを見た他の者たちも、次々と泥水を飲み干していく。

 地獄絵図だ。


「やめろ! やめさせろ!」


 俺はセレスティアの腕を掴んだ。


「腹を壊すだろ! 治療費がかさむ! これのどこが『構造改革』だ!」


「……魔王様」


 セレスティアが、底冷えするような声で俺を呼んだ。

 彼女は、俺の手をゆっくりと、しかし強い力で振り払った。


「貴方様は、お優しすぎます」


「え?」


「私たちが強くなれば、魔王様をお守りできる。そのためには、甘えを捨てねばなりませんの」


 彼女の背後に、ニヤニヤと笑うガルドノヴァの影が揺らめいた気がした。

 

(洗脳されている……! 言葉が通じない!)


 ならば、行動で示すしかない。

 俺は懐から、最終兵器を取り出した。


「セレスティア。落ち着け。……これを見ろ」


 俺が取り出したのは、『期間限定・果肉入りプレミアムトマトジュース』のパック。

 かつて彼女を陥落させた、至高の逸品だ。


「これなら文句ないだろう? さあ、泥水なんて捨てて、これを飲んでいつもの優雅なお前に戻るんだ」


 パックを開ける。

 完熟トマトの芳醇な香りが漂う。

 飢えた部下たちが、ごくりと喉を鳴らす。


 セレスティアの視線が、赤い液体に釘付けになる。

 勝った。

 そう思った、次の瞬間。


 パコォォォンッ!!


 セレスティアの手が、俺の手元を払い飛ばした。

 宙を舞うパック。

 地面に広がる、鮮やかな赤。


「……あ」


 俺は呆然と、地面に吸い込まれていくジュースを見つめた。


「軟弱ですわ」


 セレスティアは、汚いものを見る目で吐き捨てた。


「今の私に必要なのは、甘いジュースではありません。……渇きと、ハングリー精神です」


「セレスティア、お前……」


「さあ皆様! 精神統一の『滝行』に行きますわよ! 心頭滅却すれば火もまた涼し!」


「「「イエッサー!!」」」


 号令と共に、貴族たちは行進して去っていく。

 彼らの背中には「死ぬまで働きます」という悲壮な決意が張り付いていた。


          ◇


 誰もいなくなった中庭。

 俺は一人、こぼれたトマトジュースの前に立ち尽くしていた。


「(……なんてことだ)」


 恐怖だった。

 敵に襲われるよりも、ずっと怖い。

 「良かれと思って」狂っている集団を止める術を、俺は持っていなかった。


 これが、先代魔王の呪い。

 組織の「善意」を「狂気」に書き換えるウイルス。


 ズドォォォォン……!


 その時。

 遠くから、地響きのような爆音が聞こえた。

 方角は――「国防省」。


「まさか……ヴォルカンもか?」


 嫌な予感が確信に変わる。

 脳筋ドラゴンが精神論に染まったらどうなるか。

 想像するだけで、俺の胃袋が悲鳴を上げた。


【現在支持率:ERROR(部下の忠誠値が異常です)】

【状態異常:組織崩壊の進行】

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