第5話 所信表明演説、あるいは「社畜の謝罪会見」スキルが火を噴く時
魔王城のバルコニー。
そこは、魔界の支配者が民衆を見下ろすための、絶対権力の象徴だ。
眼下に広がるコロッセオには、数万の魔族がひしめき合っている。
オーク、ゴブリン、悪魔、獣人。
さらに空には巨大な「魔法スクリーン」がいくつも浮かび、この様子が魔界全土へ生中継されているという。
現在支持率、32%。
失敗すれば、失望した民衆が暴徒化し、俺はシステム的に爆発四散する。
「……なぁ、リル」
俺は引きつった笑みを浮かべて、隣に控える秘書官に囁いた。
「さっきから原稿が見当たらないんだが?」
リルは顔面蒼白で、震える指先で空の鳥かごを指差した。
「……申し訳ありません、魔王様。徹夜で仕上げた原稿ですが……使い魔のヤギに食べられました」
「は?」
「ヤギです。紙を食べるという迷信は本当だったようです……」
「いや、感心してる場合か!」
俺は心の中で絶叫した。
ぶっつけ本番? 全魔族の前で?
魔王としての威厳を保ちつつ、具体的な政策を語り、民衆の心を掴むスピーチを、アドリブで?
――ブォォォォォン……。
無情にも、開始を告げる角笛が鳴り響く。
スポットライトが俺を射抜く。
数万の視線が、痛いほど突き刺さる。
(……やるしかない。死にたくない!)
俺は腹を括った。
思い出せ、前世の記憶を。
納期遅れ、仕様変更、不祥事の謝罪……数々の修羅場で培った、あのスキルを。
すなわち――「中身のない言葉を並べて、相手を煙に巻いて納得させる、誠意ある謝罪」スキルを!
俺は一歩前に出た。
自動発動するスキル【魔王の威圧】が、俺の震えを「怒り」に、冷や汗を「闘気」に変換して周囲に撒き散らす。
「……聞け、魔界の同胞たちよ」
マイク代わりの拡声魔法が、俺の声を朗々と響かせる。
(まずは共感だ。相手の懐に入るんだ。……えーと、さっき見たゴブリンたちの現状は……)
「私は、知っている。其方らが抱える『澱』と『痛み』を」
会場がざわつく。
「薄暗い部屋、汚れた水、報われない労働……。その苦しみを、私はこの目で見てきた」
俺の脳裏にあるのは、さっき掃除した激臭の下水道と、ブラック企業時代の自分のアパートだ。
しかし、民衆の受け取り方は違った。
「……聞いたか? 魔王様が、俺たちのスラム街まで足を運んでくださっていたらしいぞ」
「あの下水道掃除は、パフォーマンスじゃなかったんだ……!」
「俺たちの貧困を、知ってくれている……!」
あちこちですすり泣く声が聞こえる。
よし、掴みはオッケーだ。次は「改革」の提示。
(先代魔王のせいで、現場は疲弊してる。俺だって休みたい。定時で帰りたい!)
「過去の因習は、打破されねばならぬ!」
俺は拳を握りしめて叫んだ。
「ただ盲目的に従うだけの時代は終わった。我々には、休息と、人間らしい……いや、魔族らしい『権利』が必要だ!」
「無駄な流血(残業)を減らし、効率的な支配(定時退社)を目指す。それが私の掲げる『新秩序』である!」
ドッ、と会場が沸く。
「新秩序……! つまり、無謀な人間界への特攻をやめるということか!」
「そうだ、俺たちは無駄死にばかりさせられてきた!」
「休息……なんて甘美な響きだ!」
よしよし、いいぞ。
最後はクロージングだ。
一番重要なのは、「俺一人じゃ無理だから手伝ってくれ(丸投げ)」を、いかに綺麗に言うかだ。
俺は声を一段低くし、切実な響きを込めた。
「だが……私一人の力は、微々たるものだ」
ザワッ、と民衆が動揺する。最強の魔王が、弱音を?
「約束された未来(週休二日)のために、どうか、私に力を貸してほしい」
そして、俺はとっさに頭を下げた。
腰の角度は45度。手は膝の横。背筋は一直線。
それは日本人のサラリーマンDNAに刻まれた、完璧に美しい「お辞儀(謝罪)」のフォームだった。
――静寂。
数万の魔族が、息を呑む音が聞こえた。
魔界において、「頭を下げる」行為は「服従」を意味する。
王が民に頭を下げるなど、歴史上あり得ないことだった。
やってしまったか? 魔王の威厳崩壊か?
恐る恐る顔を上げようとした、その時。
「…………うおおおおおおおおおおッ!!!」
地鳴りのような歓声が、空気を震わせた。
「見たか!? 魔王様が、俺たちに頭を下げたぞ!」
「支配じゃない……これは『契約』だ! 俺たちを対等な存在として認めてくださったんだ!」
「一生ついていきます! 貴方こそ真の王だ!」
横にいたリルも、眼鏡をずらして驚愕していた。
(原稿がない状態で、これほど完璧な演説を……。しかも、自らのプライドを捨てて民衆の心に入り込むなんて……。魔王様は、私が思うより遥かに深淵な思考を持っておられるのですね……!)
彼女の目の中で、俺の評価が「運のいい若造」から「底知れないカリスマ」へと爆上がりしているのがわかる。
「アルス! アルス! アルス!」
会場中がアルス・コールに包まれる。
俺は安堵と、極度の緊張からの解放で、膝から崩れ落ちた。
ガクッ。
「魔王様!」
リルが慌てて支える。
しかし、その姿さえも民衆にはこう映ったらしい。
「見ろ……魔王様が、感極まって膝をついたぞ……」
「俺たちの声援に、涙しておられるんだ……!」
違う、腰が抜けただけだ。
その時、頭の中で軽快なファンファーレが鳴り響いた。
『ピロリン♪』
視界のウィンドウが、凄まじい勢いでカウントアップしていく。
【支持率上昇:32.0% → 35.1%(▲GREAT!)】
【状態:政権安定圏内へ移行】
【特殊効果発動:全魔族の士気向上(大)】
(よ、よかった……クビにならずに済んだ……)
俺はリルの肩に寄りかかりながら、心底ほっとした。
今日はもう帰って寝よう。胃薬飲んで寝よう。
「素晴らしいです、魔王様!」
リルが興奮気味にタブレットを叩く。
「この支持率なら、予算も人員も思いのままです! さっそく明日から『魔界全土・視察ツアー』を組みましょう! 休みなしで全都市を回りますよ!」
「えっ」
「鉄は熱いうちに、です! さあ、次のスケジュールの確認を!」
……どうやら、俺の安息の日はまだ遠いらしい。
俺は遠い目をして、歓声を上げる民衆に手を振った。
◇
一方その頃。
魔界と人間界を隔てる国境付近。
一人の少女が、軽快な足取りで荒野を歩いていた。
輝く金髪に、碧眼。背中には聖なる剣を背負っている。
だが、その手には武器ではなく、自撮り棒が握られていた。
「はーい、みんな見てる〜? 勇者エミリアだよっ☆」
彼女は宙に浮かぶ魔法のカメラに向かって、満面の笑顔でピースサインを作った。
「ついに来ちゃいました、魔界!
今日の配信は『魔王城に突撃してみた』をお送りしまーす!
高評価とチャンネル登録よろしくね!」
平和への道を歩み始めた魔王アルス。
しかし彼はまだ知らない。
最強にして最悪のトラブルメーカーが、すぐそこまで迫っていることを。




