第40話 繁栄の光と影。 〜黒字になったので寿司を頼んだら、ワサビより辛い現実が待っていた〜
魔王城、仮設執務室(元・第三倉庫)。
天井のない玉座の間が修復されるまでの間、俺たちはこの薄暗い部屋で業務をこなしていた。
だが、今の俺の心は、オフィスの照明よりも明るく輝いている。
「……本当か、リル?」
「はい。間違いありません」
秘書官のリルが、満面の笑みで決算報告書を差し出した。
「カジノの爆発的な売上、ダンジョンのガチャ収益、勇者グッズの版権料……。
全てを合算した結果、今期は創業以来の大幅黒字です!」
「よっしゃああああ!!」
俺はパイプ椅子を蹴倒して立ち上がった。
長かった。本当に長かった。
転生してからずっと、「予算がない」「修理費が足りない」と金策に走り回っていた日々が、走馬灯のように駆け巡る。
「これで借金は完済! さらに、全職員へのボーナス支給も可能ですね!」
「よし、今夜は祝杯だ! 奮発するぞ!」
俺は通信機を取り出し、人間界の高級料亭へ直通ダイヤルを回した。
「もしもし? 俺だ、魔王だ。
今すぐ『特上寿司・魔界直送便』を持ってきてくれ! 人数は……城にいる全員分だ! 桶で持ってこい、桶で!」
執務室の外から、聞き耳を立てていたゴブリンたちの歓声が聞こえる。
「寿司だ!」「回らないやつだ!」「魔王様バンザイ!」
城内はお祭り騒ぎ。最高だ。これが「平和」の味だ。
◇
寿司の到着を待つ間、俺はウキウキで醤油皿を並べていた。
そこへ、広報大臣シルフが戻ってきた。
いつもの軽いノリではない。その表情は、ひどく硬かった。
「……魔王様。少し、よろしいですか」
「ん? どうしたシルフ、ワサビ抜きがよかったか?」
「いえ。……裏で、妙な物が撒かれています」
シルフが差し出したのは、一枚の羊皮紙だった。
薄汚れていて、クシャクシャに丸められた跡がある。
そこには、赤いインクで、殴り書きのような文字が記されていた。
『現魔王は人間に魂を売った』
『カジノで享楽に耽り、魔族の誇りを金に変えた売国奴』
『誇り高き魔族よ、牙を研げ。恐怖の時代を取り戻せ』
署名には、「憂国騎士団」とある。
「……なんだこれは」
「路地裏や、スラム街で配られている怪文書です」
シルフが苦々しげに言う。
「SNSでは魔王様は大人気です。でも、ネットを見ない層や、カジノの恩恵を受けられない貧困層の間で、静かに広まっています」
「憂国騎士団……。聞いたことがないな」
「おそらく、先代魔王を信奉する地下組織の残党でしょう。彼らにとって、今の『人間と笑い合う魔界』は、屈辱以外の何物でもないのです」
俺は窓から外を見た。
カジノのネオンが、夜空を焦がすほど輝いている。
だが、その光が強ければ強いほど、足元の影は濃く、深くなる。
「……『トマトジュースを飲むな、生き血を啜れ』か。時代錯誤も甚だしいが、飢えた者にはそれが『正義』に聞こえるのかもな」
俺は怪文書を握りつぶした。
せっかくの寿司の味が、食べる前から不味くなりそうだ。
◇
俺は窓ガラスに映る自分の顔を睨みつけた。
(……先代の亡霊め。俺が作ったこの『平和な職場』を、また『ブラックな戦場』に戻す気か)
冗感じゃない。
俺はやっと、定時に帰れる体制を整えたんだ。
週末にアニメを見て、美味しいものを食べて、泥のように眠る。
そんなささやかな幸せを、「誇り」だの「伝統」だので踏みにじらせてたまるか。
「……リル、シルフ。至急、『公安組織』を立ち上げるぞ」
「公安、ですか?」
「ああ。徹底的にマークしろ。不満分子を洗い出せ」
俺の声に、ドスが混じる。
「世界平和のためじゃない。俺の『定時退社』と『週末の寿司』を守るためなら、俺は悪魔にでもなってやる」
「……御意。直ちに手配します」
リルとシルフが、緊張した面持ちで退室していく。
普段は事なかれ主義の俺が初めて見せた、王としての――いや、自分の生活を守るための殺意だった。
◇
同時刻。
魔王城の地下最深部。
一般の兵士さえ立ち入りを禁じられた、「封印の回廊」。
そこには、厳重な魔法錠がかけられた「開かずの間」がある。
その扉の前で、見張りの兵士が一人、ゆらりと揺れた。
彼はエリートであるドラゴン族の兵士だった。
だが、その瞳は虚ろで、焦点が合っていない。
彼の耳元に、ドス黒い霧がまとわりつき、甘く囁いていた。
『……そうだ。開けろ。真の王を迎え入れるのだ……』
「……はい。……先代魔王様、バンザイ……」
兵士は夢遊病のように剣を抜き、自らの腕を切り裂いた。
噴き出した竜の血が、封印の呪符にかかる。
ジュワァァァッ……!
聖なる封印が、穢れた血によって溶かされていく。
パリーン。
乾いた音が響き、重厚な扉が、ゆっくりと内側から開き始めた。
そこから溢れ出したのは、冷たく、重く、粘りつくような「絶望」の気配。
◇
「魔王様! お待たせしました! 寿司が届きましたよ!」
倉庫に、ゴブリンたちが巨大な寿司桶を運び込んできた。
大トロ、ウニ、イクラ。宝石のように輝くネタの数々。
待ちに待ったご馳走だ。
俺は箸を手に取り、一番好きな中トロを摘んだ。
だが。
「…………」
口に運ぶ寸前、手が止まった。
背筋を、氷のような悪寒が駆け抜けたからだ。
美味そうに見える寿司が、急に「生臭い肉片」のように見えた。
食欲が、一瞬で消え失せる。
「……魔王様? どうなさいました?」
「いや……なんでもない」
俺は寿司を皿に戻した。
「……少し、ネタが悪くなったかな。急に寒気がした」
窓の外。
カジノの光が届かない闇の奥で、何かが嗤った気がした。
内乱の足音は、もうそこまで来ている。
魔王アルスの「ホワイトな治世」は、ここて終わりを告げようとしていた。




