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第4話 最初のクエストは「SSランク:下水道の詰まりを解消せよ」

 魔王城から少し離れた地下区画。

 そこは、魔界の人口の六割を占める「ゴブリン族」や「オーク族」などの亜人種が暮らす、巨大な居住区だった。


 かつては活気があったらしいが、今は見る影もない。

 薄暗く、ジメジメとしていて、何より――


「……くっさ!!」


 俺は思わず、マントの裾で鼻を覆った。

 腐った卵と、生乾きの雑巾と、得体のしれない化学物質を混ぜて煮込んだような悪臭が鼻腔を突き刺す。


「申し訳ありません、魔王様……。マスクをご用意すべきでした」


 案内役のゴブ三郎が、申し訳なさそうに頭を下げる。

 彼もまた、鼻を押さえて顔をしかめていた。


「いや、いい。……これが、お前たちの現状なのだな」


 俺は(臭さに涙目になりながら)努めて冷静に周囲を見渡した。

 ボロボロの木造アパートがひしめき合うスラム街。

 その地面を、ドロドロとした黒い液体が川のように流れている。いや、流れていない。詰まっている。


 下水道のマンホールというマンホールから、黒い汚泥が逆流し、道を塞いでいたのだ。


「なんだあれは? ただの汚水じゃないな」


「はい……。『ヘドロ・スライム』です」


 ゴブ三郎が指差す先で、黒い汚泥がボコッ、ボコッと泡立ち、不定形の怪物の形をとった。

 生活排水に含まれる魔素を食べて異常進化した、汚物系モンスターだ。


「あれが増えすぎて配管を塞ぎ、さらに分裂して地上に溢れ出しているんです。駆除しようにも物理攻撃は効きませんし、焼こうとするとメタンガスに引火して街ごと吹き飛びます」


「なるほど……詰んでるな」


 住民であるゴブリンたちが、遠巻きに俺たちを見ていた。

 その目は冷ややかだ。


「おい見ろよ、魔王だぜ」

「どうせパフォーマンスだろ? 俺たちの生活なんてどうでもいいくせに」

「あーあ、煌びやかなマントが汚れちまうぞ。帰って寝てろよ」


 諦めと、軽蔑。

 無理もない。歴代の魔王は、彼らのような下級魔族を「使い捨ての駒」としか見ていなかったのだから。


(……だが、今の俺には、彼らの一票(支持率)が必要なんだ!)


 俺は一歩、前に出た。

 ヘドロの海へ。


「魔王様! 危険です!」


 ゴブ三郎が止めようとするのを手で制す。

 俺は汚泥スライムの群れを見下ろした。その数、目視できるだけで数百。地下の配管内を含めれば数百万匹はいるだろう。


 どうする?

 剣で斬る? 無理だ、キリがないし服が汚れる。

 魔法で燃やす? 街が全焼して支持率ゼロになる。

 氷魔法で凍らせる? 解けたら元通りだ。


(……やるしかないか。あの『禁呪』を)


 俺はステータスウィンドウを開き、一つのスキルを選択した。

 それは、かつて神々との戦争で大陸の一つを消滅させたとされる、極大消滅魔法。


(本来なら戦略兵器だ。だが、今の俺のスペックなら……!)


 俺はふわりと空中に浮き上がった。

 スラム街の住民たちが、ざわめきながら空を見上げる。


「魔王様……? まさか、この街ごと焼き払うおつもりじゃ……!?」


 ゴブリンの老婆が悲鳴を上げた。

 違う。そうじゃない。

 俺は右手を掲げ、神経を研ぎ澄ませた。


 スキル発動――【超・並列思考】、【超・精密魔力操作】。


 カッ!

 俺の脳内で、世界がグリッド線で区切られた3Dモデルへと変換される。

 

 ターゲット確認。

 対象:ヘドロ・スライムの「コア」のみ。

 除外対象:ゴブリン、住居、洗濯物、路傍の石、空気中の有益なバクテリア。


(……選別開始。数は約五百万!)


 脳が焼き切れそうなほどの情報量が雪崩れ込んでくる。

 スライム一匹一匹の核をロックオンし、それ以外のオブジェクトを保護対象としてマーキングする。

 誤差0.0001ミリも許されない。少しでもズレれば、ゴブリンの家が消えるか、俺の精神が崩壊するかだ。


(くっ……重い……! 世界を滅ぼす方が100倍楽だぞこれ!)


 額から脂汗が流れる。

 だが、俺は元社畜だ。

 数万行のエクセルデータから一つの入力ミスを探し出す作業に比べれば、これくらい……!


「……消え失せろ」


 俺は指を鳴らした。


「――『虚無の回廊ヴォイド・ゲート』」


 パチンッ。


 乾いた音が響いた、その直後。

 爆発音も、閃光もなかった。


 ただ、世界から「汚れ」という概念だけが切り取られた。


 あふれかえっていた黒い汚泥が、一瞬で「シュンッ」と音を立てて消失した。

 地下の下水道に詰まっていたヘドロも、壁にこびりついていたカビも、全てが亜空間へと転送され、虚無の彼方へ消え去った。


 後に残ったのは、建設直後のようにピカピカに研磨された石畳と、驚きで口を開けたゴブリンたちだけ。


(まだだ……! 仕上げ!)


 俺は残った魔力で、【光魔法・殺菌】と【風魔法・清涼】を追加発動した。

 街全体を包んでいた腐敗臭が消え、代わりに高原のようなフローラルの香りが漂い始める。


「……ふぅ」


 俺はゆっくりと地上に降り立った。

 完璧だ。

 スラム街のボロアパートには傷一つつけず、汚れだけを分子レベルで消滅させた。

 これぞ、魔王流ハウスクリーニング。


「…………」


 静寂。

 誰も言葉を発しない。やりすぎたか?

 俺が不安になった、その時だった。


「お……おおお……!」


 一人のゴブリンが震える声で叫んだ。


「消えた……! ヘドロが、全部消えたぞ!」

「臭くない! 空気がうめぇ!」

「おい見ろよ、下水道がピカピカだ! 鏡みたいに光ってやがる!」


 わっと歓声が爆発した。

 住民たちが家から飛び出してくる。子供たちが綺麗な地面を転がり回る。

 先ほどの老婆が、俺の足元にひれ伏して拝み始めた。


「あ、ありがたや……! 俺たちはドブネズミだと思ってた。一生、この悪臭の中で死んでいくんだと……。なのに魔王様は、ドブを星空に変えてくだすった……!」


「魔王様バンザイ!」「魔王様バンザイ!」


 熱狂の渦。

 俺は安堵すると同時に、急激な目眩に襲われた。


(やべっ……MP(魔力)は減ってないけど、HP(精神力)が削られた……計算しすぎて頭が……)


 視界がグラリと揺れる。

 俺は膝から崩れ落ちそうになった。


「魔王様ッ!」


 支えてくれたのは、ゴブ三郎だった。

 泥だらけだった作業着が、いつの間にか綺麗になっている(ついでにクリーニングしておいた)。


「大丈夫ですか!? お顔の色が!」


「ああ……少し、根を詰めすぎたな……」


 俺はこめかみを押さえて答えた。

 単に「計算のしすぎで目がチカチカする」だけなのだが、ゴブ三郎の目には違って映ったらしい。


「(たかが掃除に……倒れるほどの魔力と精神力を注いでくださるとは……! 我々のような下等種族のために、ここまで本気で……!)」


 ゴブ三郎の目から涙が溢れ出した。


「うおおおん! 一生ついていきますぅぅ!」


「いや、泣くなよ。服が濡れるだろ」


 俺は苦笑しながら立ち上がった。

 その時、頭の中でファンファーレのような電子音が鳴り響いた。


『ピロリン♪』


 視界の端に、あのウィンドウが現れる。


【支持率上昇:32.0% → 33.0%(▲GREAT!)】

【「亜人労働組合」の熱烈な支持を獲得しました】

【称号獲得:掃除大臣(※効果:清掃業務の効率2倍)】


(……掃除大臣はいらねえよ!)


 心の中でツッコミを入れるが、悪い気はしない。

 45%。これなら、即死ラインは脱出した。


 騒ぎを聞きつけたのか、秘書官のリルが転移魔法で現れた。

 彼女はピカピカになったスラム街を見て絶句し、それから俺を見て、不敵な笑みを浮かべた。


「計算通りですね、魔王様ハート


「(何も計算してない……)」


「この勢いは利用できます。魔王様、すぐに城へ戻りましょう。今こそ、全魔族に向けた『所信表明演説』を行うべきです!」


「えっ、今から? 休ませてくれない?」


「鉄は熱いうちに打て、です! さあ、メイクを直しますよ!」


 俺はリルに引きずられ、熱狂するゴブリンたちに手を振りながら(営業スマイル)、魔王城へと帰還した。


 ――しかし、俺はまだ知らなかった。

 この演説こそが、俺を「最高に有能な魔王」として世界に誤解させる、決定的な事件になることを。

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