第39話 黒幕の片鱗。「先代」の影を追え 〜亡霊は「昔は良かった」と囁く〜
カジノのVIPルームから、一筋の「黒い霧」が逃げ出した。
それは天井の配管を抜け、迷路のようなダクトを通り、魔王城の地下深くへと潜っていく。
「逃がすかよ……! 営業妨害の損害賠償、きっちり払ってもらうぞ!」
俺は窓枠を蹴り、夜風の中に身を躍らせた。
転移魔法発動。
空間を折り畳み、霧の逃走ルートの先へと回り込む。
◇
辿り着いたのは、魔王城の最下層。
かつては拷問部屋や処刑場として使われていた、冷たく湿った石造りのエリアだ。
地上のカジノの喧騒とは対照的な、死のような静寂。
「……そこまでだ」
俺は通路の真ん中に立ち、逃げてきた霧を睨みつけた。
行き場を失った黒い霧が、渦を巻きながら凝縮していく。
『……ふん。軟弱な13代目にしては、鼻が利くようだな』
霧が人の形を取る。
半透明の、朧げなシルエット。
だが、その姿には見覚えがあった。
ねじれた二本の巨角。全身を覆う刺々しいスパイクアーマー。そして、見る者を威圧する巨躯。
俺は記憶の引き出し(歴史の教科書)を開けた。
「その魔力波長、そして時代錯誤なファッションセンス……。間違いないな」
俺は告げる。
「第12代魔王、ガルドノヴァ。……勇者に倒されたはずのあんたが、何をしている」
『ククク……。我が名を忘れてはいなかったか』
亡霊――ガルドノヴァの影が、不敵に笑う。
その顔は、俺がよく知る「昭和のワンマン社長」や「パワハラ上司」のそれと重なった。
生理的な嫌悪感が、背筋を駆け上がる。
『嘆かわしいことだ、アルスよ。人間と馴れ合い、金を数え、腑抜けた生活を送るとは』
『魔王とは、「恐怖」で世界を統べる存在であるべきだ。貴様には、魔族の長としての矜持がないのか?』
「時代遅れだ」
俺は即答した。
「今は『経済』と『法』で統べる時代だ。恐怖政治なんて、維持費がかかる割に離職率が高い。コスパ最悪なんだよ」
『コスパ……だと?』
ガルドノヴァが顔をしかめる。
『貴様には「覇気」も「根性」もない。だから部下にナメられるのだ。
休み? 給料? 甘えるな。血反吐を吐いてこそ一人前。死ぬまで働かせてこそ、組織は強くなるのだ』
「……出たよ、精神論」
俺はため息をついた。
話が通じない。こいつは、俺が前世で過労死した原因そのものだ。
「社員(部下)の命」を「燃料」としか思っていない。
『わしのやり方が間違っていると言うか? ならば問おう』
ガルドノヴァの影が、ゆらりと揺らめき、俺の目の前まで迫る。
『貴様の部下たちは、本当に今のぬるま湯に満足しているかな?』
「……何が言いたい」
『口では貴様に従っている四天王たちも……本能では、「血」と「戦い」を求めているのではないか?』
ドクン、と心臓が跳ねた。
『ヴォルカンを見ろ。奴は戦場を奪われ、筋肉を持て余している。
セレスティアを見ろ。彼女は古き良き伝統を愛していたはずだ。
……わしが少し耳元で囁けば、奴らは喜んで貴様の首を狩りに来るぞ?』
「……ッ!」
脳裏に、ヴォルカンの好戦的な笑顔や、セレスティアの冷徹な目が浮かぶ。
彼らは今、俺に協力してくれている。
だが、それは「メリット」があるからだ。
もし、もっと強い刺激や、古い本能を刺激されたら?
『疑心暗鬼になったか? ククク……組織とは脆いものよ』
「黙れ! あいつらは、そんなタマじゃない!」
俺は叫び、捕縛魔法を放った。
光の鎖が亡霊を捕らえようとする。
だが――
スカッ。
鎖は影をすり抜けた。
物理的な実体がない。「思念」だけの存在には干渉できない。
『無駄だ。わしはまだ「残響」に過ぎない』
霧が拡散し始める。
『だが、じきに地下の本体が目覚める。その時こそ、貴様を解任にし、真の魔界を取り戻す』
『楽しんでおくがいい。最後の「ごっこ遊び(ホワイト企業ごっこ)」をな』
「待てッ!!」
俺が手を伸ばした時には、黒い霧は換気口の彼方へと消え失せていた。
残されたのは、冷たい地下の空気と、胸に残る重いしこりだけ。
◇
俺は重い足取りで、地上へと戻った。
扉を開けると、そこには光と音の洪水があった。
ドォォォン!!
夜空に花火が上がり、カジノからは歓声が聞こえる。
人間と魔族が肩を組んで笑い合い、祭りの夜を楽しんでいる。
平和だ。
俺が作りたかった、理想の光景だ。
「(……この光景が、あいつには『軟弱』に見えるのか)」
俺は拳を握りしめた。
あいつは戻ってくる。俺の作ったこの場所を、破壊するために。
そして、その手先となるのは――もしかしたら、俺の信頼する部下たちかもしれない。
「魔王様!」
リルが人混みをかき分けて駆け寄ってきた。
息を切らせている。
「ご無事ですか!? 犯人は!?」
「……取り逃がした」
俺は努めて冷静に答えた。
不安を顔に出してはいけない。トップの動揺は、組織全体に伝染するからだ。
「リル。カジノの警備を強化しろ。……それと」
俺は声を潜めた。
「明日から、『公安警察(特高)』を組織する。メンバーは、ゴブ三郎の身内から信頼できる者を選抜しろ」
「えっ……? 公安、ですか?」
「ああ。……内部の裏切り者を、監視する必要がある」
リルの目が大きく見開かれる。
彼女は察しがいい。俺が何を恐れているのか、瞬時に理解したようだ。
「……承知いたしました。極秘裏に進めます」
彼女の表情から、笑顔が消える。
祭りの音楽が、急に遠く感じられた。
ネオンの光が届かない建物の影。
そこから、誰かがこちらを見つめているような気がした。
それがヴォルカンなのか、セレスティアなのか、あるいは……まだ見ぬ裏切り者なのか。
俺は胃の辺りをさすりながら、輝く魔都を見下ろした。
カジノの光が強くなるほど、足元の影は濃くなる。
俺たちは、自分の影の中に敵を飼っているのかもしれない。
【現在支持率:60.0%(表面上は好調だが……)】
【精神状態:疑心暗鬼】
【次回予告:繁栄の終わり】




