第37話 カジノ開業前夜! サキュバス秘書の過労死ライン 〜時を止めてでも、その寝顔を守りたかった〜
深夜二時。
魔王城・執務室。
そこは今、戦場よりも激しい弾幕(トラブル報告)が飛び交う最前線と化していた。
『魔王様! カジノのバニーガールの衣装、発注ミスで全部Sサイズが届きました! キツすぎて着れません!』
『スロットマシンの納品トラックが、ドラゴン渋滞に巻き込まれて到着しません!』
『厨房の冷蔵庫が爆発しました!』
明日は、魔界の命運を賭けた「魔界カジノ・ラスベガス」のグランドオープン。
次々と舞い込むトラブルの山。
このデスマーチをたった一人で捌いているのが、秘書官のリルだった。
「……衣装は背中の布面積を減らして(えっちに)対応しなさい。スロットマシンは転移魔法で強制徴収。冷蔵庫は氷結魔法で応急処置を」
リルは空中に5つのタブレットと3つの受話器を浮遊させ、目にも止まらぬ速さで指示を飛ばしている。
完璧なマルチタスク。
冷徹な判断力。
だが、俺――魔王アルスは気づいていた。
(……限界だ)
リルの顔色は土気色で、美しい銀髪も乱れている。
彼女は眠気覚ましのカフェイン錠剤を、ラムネのようにバリバリと噛み砕いていた。
「おいリル、少し休め。顔色がゾンビより悪いぞ」
「……平気です。私が倒れたら、誰がこの城を回すのですか……」
彼女は強がるが、指先が震えている。
魔力欠乏(ガス欠)のサインだ。
「魔王様……次のスケジュール……3秒後に……現場との……」
リルが立ち上がろうとした、その時だった。
「あ……れ……?」
彼女の視線が宙を彷徨う。
瞳からハイライトが消え、糸が切れた操り人形のように、体が傾いた。
「リルッ!?」
俺は反射的に【縮地】を使った。
床に叩きつけられる寸前、彼女の細い体を抱き留める。
「熱っ!?」
触れた肌が燃えるように熱い。
知恵熱と過労による魔力回路のオーバーヒートだ。
「申し訳……ありま……せん……まだ、仕事が……」
「馬鹿野郎……! 喋るな!」
リルは俺の腕の中で、うわ言のように謝罪を口にして、そのまま意識を失った。
俺は彼女を来客用のソファに寝かせ、上着を掛ける。
部屋にはまだ、山のような未決裁書類と、鳴り止まない念話のコール音が残っている。
このままでは、明日のオープンは失敗する。
リルが命を削って準備してきたプロジェクトが、水泡に帰す。
「……お前をここまで追い込んだのは、無能な上司(俺)だ」
俺は拳を握りしめた。
俺は魔王だ。世界を滅ぼす力を持っている。
だが、その力を「事務処理」に使ってこなかった。リルの優秀さに甘えていたのだ。
「なら、やることは一つだ」
俺は部屋の中央に立ち、魔力を練り上げた。
本来なら、神々との最終戦争か、世界の理を書き換える時にしか使わない、禁断の奥義。
それを今、たかが「残業」のために解き放つ。
「――世界よ、止まれ」
俺は静かに告げた。
「時空間魔法・『時間凍結』」
キィィィィィィン……。
世界の色が反転し、モノクロームに染まる。
鳴り響いていた電話の音も、窓の外の風の音も、秒針の動きも、全てが完全に停止した。
動けるのは、術者である俺だけ。
「……さて、ワンオペ・ショータイムだ」
俺は止まった時の中で、猛然と動き出した。
まずは机の上の書類。
【超・思考加速】で内容を瞬時に理解し、決裁印をマシンガンのように叩き込む。
ダダダダダダダッ!!
一万枚の書類が、数分(体感)で処理されていく。
次は現場だ。
【転移】でカジノへ移動。
静止した世界で、スロットマシンの配置をミリ単位で修正し、バニーガールの衣装を【裁縫スキル】で高速リフォームする。
ついでに厨房の冷蔵庫も【創造魔法】で新品より高性能なものに作り変える。
誰にも見られない。誰にも感謝されない。
ただ一人、止まった世界で働き続ける、孤独な魔王。
(……ふっ。前世のブラック企業時代を思い出すな)
あの頃は、終電を逃したオフィスで一人、虚無感に襲われていた。
だが今は違う。
ソファで眠る、大切な部下のためだ。
「よし……全部、終わった」
体感時間で数日分の作業を終え、俺は執務室に戻った。
汗だくだ。魔力も底をつきかけている。
俺は魔法を解除した。
「……解除」
カチッ。
世界に色が戻り、時計の秒針が再び動き出す。
しかし、もう電話は鳴らない。トラブルは全て解決済みだからだ。
◇
給湯室。
俺は小鍋で牛乳を温め、ハチミツと少量のブランデーを垂らした。
魔法で出せば一瞬だが、なんとなく手作りしたかった。
「……んぅ……」
ソファでリルが身じろぎする。
目を覚ました彼女は、自分の状況を把握できていないようだった。
「ま、魔王様……? 私、気絶して……」
彼女が慌てて起き上がろうとする。
俺はそれを手で制し、マグカップを渡した。
「飲め。特製ホットミルクだ」
「え? あ、ありがとうございます……。
って、そんな場合じゃ! 仕事! トラブル対応はどうなりましたか!?」
彼女が机を見る。
そこには、綺麗に整頓され、全ての決裁が終わった書類の山があった。
念話の受信ログも「全件処理済み」。
「……え?」
リルがポカンと口を開ける。
「全部終わったよ。……どうやら、働き者の小人さんがやってくれたみたいだな(すっとぼけ)」
俺はニッと笑って見せた。
リルは書類を見て、カジノのモニター映像(完璧に整ったフロア)を見て、そして俺の汗だくの顔を見た。
全てを察したのだろう。
「……魔王様」
彼女の手から力が抜け、眼鏡がずり落ちた。
眼鏡を外した彼女の素顔は、いつもの冷徹な秘書官ではなく、年相応のあどけない少女のようだった。
「貴方という方は……。世界を止める魔法を、こんなことのために……」
彼女の大きな瞳に、涙が溜まる。
「甘くしておいた。……疲れた脳には糖分が一番だからな」
「……はい。甘いです。……すごく」
リルはミルクを一口飲み、涙を拭った。
その表情は、俺が今まで見た中で一番、穏やかで可愛らしかった。
「明日は晴れ舞台だ。今日はもう寝ろ。これは業務命令だ」
「……はい。お言葉に甘えさせていただきます」
リルは再びソファに横になり、俺の上着を毛布代わりに被った。
安心しきった寝顔。
寝言で「魔王様……予算が……」と呟いているのが、少し切ない。
「(ふぅ……魔力を使いすぎてフラフラだ)」
俺も床に座り込み、残りのミルクを飲んだ。
静かな夜だ。
この平穏を守るためなら、時を止めるくらい安いものだ。
――しかし。
俺たちはまだ知らなかった。
この平穏な夜の裏側、カジノのVIPルームに、「招かれざる客」が到着していることを。
その客の背後には、ドス黒い霧が揺らめいていた。
【現在支持率:60.0%】
【リルの好感度:測定不能(限界突破)】
【魔王のMP:ほぼ枯渇】




