第36話 魔都の治安維持と、謎の「黒い霧」 〜労災だと思ったら、呪い(ウイルス)でした〜
魔都パンデモニウムの中心部。
カジノ法案の可決を受け、建設予定地では急ピッチで工事が進んでいた。
カン! カン!
オークたちがハンマーを振るい、ガーゴイルが空から建材を運ぶ。
現場には『安全第一』『指差呼称(ヨシ!)』と書かれた横断幕が掲げられている。
俺――魔王アルスは、執務室の窓からその光景を眺めていた。
「順調だな。このペースなら予定通りオープンできる」
「はい。ゴブ三郎大臣の指揮のもと、24時間体制のシフトが組まれています。もちろん、法定休憩時間は遵守させていますが」
リルがスケジュール帳を確認する。
平和だ。
金も回り始め、法も整い、魔界はかつてない繁栄を迎えようとしていた。
――ズガァァァァァン!!
突然、窓の外で轟音が響いた。
建設中のカジノホテルの高層階から、巨大な鉄骨が落下し、足場を粉砕したのだ。
「なっ……!?」
土煙が上がる。
俺は反射的に立ち上がった。
「事故か!? 安全管理はどうなっている!」
現場からの念話が飛び込んでくる。
『ま、魔王様! 大変です! 現場のオークが突然暴れだしました!』
『制止できません! 目が……目が逝ってます!』
「くっ……! 俺が(急がせすぎたせいで)過労になったのか!?」
ブラック企業のトラウマが蘇る。
納期前のデスマーチ。倒れていく同僚たち。
俺は窓枠を蹴り、転移魔法で現場へ急行した。
◇
現場はパニックになっていた。
身長3メートルを超える巨漢のオークが、鉄パイプを振り回して暴れている。
「アァァァ……! 壊せ……! 全て壊せ……!」
白目をむき、口から泡を吹いている。
明らかに正気ではない。
「おい、落ち着け! 今日はもう上がっていいぞ!」
俺が声をかけるが、オークは反応しない。
それどころか、殺意をむき出しにして襲いかかってきた。
「魔王……アルス……殺す……!」
「ッ!」
鉄パイプが振り下ろされる。
俺は【自動防御障壁】で受け止めつつ、眉をひそめた。
過労による錯乱にしては、魔力の質が禍々しすぎる。
「……すまん、少し眠ってくれ」
俺は指を鳴らす。
【重力魔法・拘束】。
オークの体を傷つけないよう、優しく、しかし抗えない重力で地面に押さえつけ、気絶させた。
「け、怪我人は!?」
「い、いません! 全員退避しました!」
現場監督が震えながら答える。
俺は気絶したオークを見下ろした。彼の体からは、微かに黒い靄のようなものが立ち上っていた。
◇
魔王城、中央病院・特別集中治療室。
拘束されたオークは、鎮静剤を投与され眠り続けている。
「魔王様! 信じてください!」
ゴブ三郎が、汗だくで駆け込んできた。
「我々は『36(サブロク)協定』を遵守していました! 彼の残業時間は月40時間以内です! 有給も消化しています! これは過労ではありません!」
「わかっている、ゴブ三郎。落ち着け」
俺はモニターに表示されたバイタルデータを見る。
肉体的な疲労度はグリーン(正常)。栄養状態も良好。
ホワイトな環境で働いていたことは明白だ。
「体は健康だ。……だが、精神の中に『異物』がある」
俺はオークの頭に手をかざした。
戦闘用スキルを、解析モードに切り替える。
起動――【深淵鑑定】。
俺の視界がデジタルな解析画面に切り替わる。
オークの脳内マップ。その深層意識に、粘着質な「黒い霧」が絡みついているのが見えた。
「これは……ウイルスか?」
いや、違う。
これは高度に術式が組まれた「精神汚染魔法」だ。
誰かが意図的に、彼の心に侵入し、破壊衝動を植え付けたのだ。
「う、うぅ……」
オークが目を覚ます。
黒い霧は、俺の解析を察知して霧散していた。
「気がついたか」
「ま、魔王様……? 俺、なにを……?」
オークは青ざめた顔で周囲を見渡し、自分が拘束されていることに気づく。
「ああっ! 申し訳ありません! 鉄骨! 鉄骨は無事ですか!? 納期に間に合いますか!?」
「……お前、自分の体より納期の心配か。立派な社畜だな」
俺は苦笑しつつ、水を差し出した。
「何があった? 正直に話せ」
「は、はい……。休憩所にいたら、急に『黒い霧』が見えて……耳元で囁かれたんです」
『魔王アルスは偽物だ』
『破壊こそが魔族の本能だ』
『暴れろ……血を見せろ……』
「その声を聞いたら、頭が熱くなって……自分の中に眠っていた『不満』や『暴力衝動』が、無理やり引きずり出されたような感覚で……」
オークは恐怖に震えている。
俺は顎に手を当てた。
不満の増幅。精神の乗っ取り。
そして、採取した黒い霧の残滓(魔力データ)。
「リル。この魔力波長を『歴代魔王データベース』と照合しろ」
「はい。……検索中……照合完了しました」
リルが息を呑む。
モニターに表示された結果は、【一致率99%:第12代魔王ガルドノヴァ】。
「先代魔王……!? 彼は勇者に倒され、魂は地下深くに封印されたはずでは?」
「肉体はな。だが、どうやら『怨念』だけで動き出したようだ」
俺は拳を握りしめた。
これは単なる事故ではない。テロだ。
俺が築き上げた秩序を、内側から崩そうとする「政権転覆」の予兆だ。
「……許さんぞ」
俺の声色が低くなる。
リルとゴブ三郎が、ビクリと肩を震わせた。
「俺への反逆ならまだいい。だが……」
俺は、怪我一つないが怯えきっているオークの頭を撫でた。
「罪もない従業員(部下)を操り、使い捨ての道具にしたこと。そして、我が社の『労災事故ゼロ記録』を途絶えさせたこと……」
「経営者として、絶対に許さん!!」
怒りのポイントが若干ズレている気もするが、俺の怒りは本物だった。
ホワイト企業を目指す俺にとって、社員の心身を害する存在は、倒すべき「悪」だ。
「ゴブ三郎。この件は極秘だ。カジノオープン前にパニックを起こすな」
「は、はい!」
「リル。全現場の『魔力消毒』を行え。黒い霧は感染する可能性がある。メンタルヘルスチェックを強化するんだ」
俺は指示を出し、病室を出た。
廊下の窓から、建設中のカジノが見える。
煌びやかなネオン。
だが、その光の影に、見えない敵が潜んでいる。
◇
一方その頃。
カジノホテル予定地、VIPルーム。
人間界から視察に来ていた大富豪の男が、一人ワイングラスを傾けていた。
その背後に、スゥッ……と黒い霧が忍び寄る。
『……金だ。もっと金を欲しろ……』
霧が男の耳元で囁く。
『魔王の経済を、内側から食い破るのだ……』
男の目が、一瞬だけ赤く光った。
そして、ニヤリと卑しい笑みを浮かべる。
「……勝てる。このカジノ、私が破産させてやろう」
【現在支持率:60.0%(変化なし・水面下で危機進行中)】
【敵性存在:先代魔王(亡霊)】
【状態異常:パンデミックの予兆】




