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第30話 エピローグ、あるいは「トマト通商条約」の締結 〜魔王の給与、修理費で相殺される〜

 魔王城、貴賓用医務室。

 天蓋付きの豪奢なベッドで、勇者エミリアが目を覚ました。


「……んぅ……」


 彼女が重いまぶたを持ち上げると、サイドテーブルの横で、俺――魔王アルスが椅子に座ってリンゴを剥いているところだった。

 シュルシュルと皮が剥け、手際よくウサギ型にカットされていく。


「気がついたか。……無茶をしおって」


 俺はナイフを置き、ウサギ(リンゴ)を差し出した。


「魔王……? 私、どうなったの?」


「気絶していたんだ。丸一日な」


「勝負は……?」


 エミリアが不安げに尋ねる。

 俺は、練習しておいた「敗者の顔」を作った。

 少し視線を逸らし、自嘲気味に笑う。


「……私の完敗だ。あの『禁断の奥義』……受け流すのが精一杯だった。あと一歩踏み込まれていたら、私が消し飛んでいただろう」


 大嘘である。

 実際は、俺が介護(ベクトル操作)して花火に変えただけだ。

 だが、エミリアの瞳に光が戻る。


「そっか……。私、勝ったのね……!」


 彼女は安堵の息を吐き、そしてニカッと笑った。


「でも、なんかスッキリした! 魔王って意外と話せる奴じゃん!

 リンゴ剥くの上手いし、悪い奴には見えないわ!」


 彼女の中では、激闘の末に拳で語り合ったライバル認定されているらしい。

 チョロい。いや、素直で助かる。


「体調に問題がなければ、場所を移そう。……『手打ち』の時間だ」


          ◇


 応接室。

 俺とエミリア、そして包帯だらけのヴォルカン、優雅なセレスティア、電卓を叩くゴブ三郎、スマホをいじるシルフが集まっていた。


「単刀直入に言おう。勇者の勝利を称え、貴様の要求を呑む」


 俺はテーブルの上に、一枚の羊皮紙を滑らせた。

 そこに書かれているのは、降伏文書ではない。

 『日魔親善通商条約』という、極めて現代的なビジネス契約書だ。


「……これでどうだ?」


 エミリアが内容を読み上げる。


1.魔界側は、人間界への「トマト」「小麦」「マンガ雑誌」の関税を即時撤廃する。

2.人間側は、魔界を「観光特区」として認定し、相互の往来を自由化する。

3.勇者エミリアを「魔界観光大使」に任命し、その活動を全面的にバックアップする。


「えっ、いいの!? 関税ゼロ!?」


 エミリアが目を丸くする。


「ああ。その代わり、魔界産ポーションとミスリル銀の輸出規制も緩和してもらう。……互いに利益があるだろう?」


 これは平和条約ではない。「業務提携」だ。

 エミリアは条項の最後を見て、歓声を上げた。


「それにこれ! 『カジノVIPパス(ドリンク無料・並ばずに入場可)』進呈!? 最高じゃない!」


「ふふ、当然ですわ。エミリアさんは私たちの大事な『上客インフルエンサー』ですもの」


 セレスティアが扇子で口元を隠して笑う。

 彼女の計算高い目には、既に「トマト輸入コストダウン」による莫大な利益が見えているはずだ。


「俺のプロテインも安く手に入るのか!? ガハハ! 負けた甲斐があったわ!」


 ヴォルカンも上機嫌だ。

 プライドよりも筋肉を選んだ男の笑顔は眩しい。


「文句なし! サインするわ!」


 エミリアは聖剣をペンに持ち替え(るような勢いで羽ペンを取り)、サラサラと署名した。

 俺もその横に、魔王のハンコを押す。


 ポンッ。


 軽い音が響いた。

 それが、長きにわたる人間と魔族の冷戦が終わった瞬間だった。

 動機は「カジノ」と「トマト」と「再生数」だが、結果が平和ならそれでいい。


          ◇


 夕暮れの魔王城正門。

 モンスターたちが「またのお越しを〜」「チャンネル登録したぞ〜」と旗を振る中、勇者一行が出発の準備を整えていた。


「じゃあねアルス! 楽しかったわ! 次はもっと凄い企画考えてくるから!」


「ああ。……手加減してくれよ(切実)」


 俺は苦笑いで見送る。

 エミリアは数歩歩いてから、ふと足を止めて振り返った。


「……あ、そうだ。一つだけ頼まれてくれる?」


「なんだ?」


 彼女は少し頬を染めて、もじもじと言った。


「あの……『黒騎士』さんによろしくね」


「ッ!?」


 俺の心臓が跳ねる。


「彼、最後は瓦礫の下敷きになっちゃったけど……私、信じてるの。彼ならきっと、ピンピンして生きてるって」

「だから伝えて。『次はコラボじゃなくて、プライベートでご飯行こ』って!」


 エミリアは満面の笑みでウインクし、今度こそ背を向けて歩き出した。

 俺は、その背中に向かって、引きつった声で答えるしかなかった。


「あ、ああ……。奴もきっと、草葉の陰で……いや、療養先で喜んでいるだろう」


(……二度とあの鎧は着たくないけどな!)


 勇者の好感度ラブが、俺ではなく「架空の黒騎士」に向いてしまった。

 これはこれで、後々面倒なことになりそうだ。


『ピロリン♪』


 エミリアのスマホが鳴る。

 『動画の再生数が100万回を突破しました』という通知を見て、彼女がガッツポーズをするのが見えた。


          ◇


「ふぅ……終わった……」


 執務室に戻った俺は、パイプ椅子(玉座は壊れたので仮設)に深く沈み込んだ。

 完璧なミッションコンプリートだ。

 勇者を笑顔で帰し、城の崩壊を防ぎ、支持率も爆上げした。

 これはボーナス確定だろう。


「お疲れ様でした、魔王様」


 リルが無表情で入ってくる。

 その手には電卓と、長い長いレシートのような羊皮紙。


「今回の『接待防衛戦』の収支報告です」


「おう、聞かせてくれ。カジノの売り上げも凄かったし、黒字だろ?」


「はい。収入の部。カジノ売上、動画配信のロイヤリティ、グッズ販売……合わせて金貨10億枚」


「おおっ! 過去最高益じゃないか!」


 俺はガッツポーズをした。これで老後の資金も安泰だ。


「続きまして、支出の部」


 リルが冷淡に読み上げる。


「城の天井修理費(特注強化ガラス)、5億。

 ヴォルカン様のサウナ建設費、3億。

 労組へのポテチ・コーラ配給費、1億。

 その他、破壊された柱、絨毯、壺の弁償費用……」


「……ま、待て。雲行きが怪しいぞ」


「締めて、支出12億枚」


「赤字じゃねーか!!」


 俺は絶叫した。

 2億の赤字。国家予算規模の借金だ。


「つきましては、責任を取って魔王様の今月の給与を90%カットさせていただきます」


「なんでだよ!! 俺、世界救っただろ!? 勇者のビーム素手で受け止めたんだぞ!?」


「世界は救われましたが、金庫は死にました。……残念ですが、来月からは馬車馬のように働いていただきますよ?」


 リルがポンと、俺の机に「給与明細」を置く。

 支給額:金貨10枚。

 ゴブリンの新入社員より低い手取り額を見て、俺は涙を流した。


(勇者を倒すより、黒字にする方が難しいなんて……)


 こうして、第2章「勇者外交編」は幕を閉じた。

 魔王アルスは名声を手に入れ、財産を失った。


          ◇


 ――しかし。

 その平和な日常の裏で、歯車は狂い始めていた。


 魔王城の地下最深部。

 誰も立ち入ることのない「封印の回廊」。

 そこには、かつて勇者に倒された先代魔王ガルドノヴァの魂が封じられている。


 暗闇の中で、鎖が一本。

 パチン、と切れる音が響いた。


『……嘆かわしい』


 地の底から響くような、怨嗟の声。


『魔王が人間に媚び、金に踊らされるとは……。魔族の誇りは地に落ちたか』


 封印の石碑に、ピキピキと亀裂が入る。

 その隙間から、ドス黒い霧が漏れ出し始めた。


『粛清せよ……。軟弱な現政権を、破壊せよ……』


 古の亡霊が、目を覚ます。

 それは、これまでのコメディチックな敵とは違う。

 純粋な悪意と、圧倒的な暴力の化身。


 アルスが手に入れた「平和」と「支持率」を根底から覆す、最悪の内乱(ブラック企業化)の足音が、静かに近づいていた。

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