第3話 四天王会議は「猛獣使い」のスキルが試される 〜議題:トマトの関税について〜
重厚な扉が開かれた瞬間、肌を焼くような熱気と、背筋が凍るような殺気が同時に吹き荒れた。
「会議室」と聞いてイメージするような、ホワイトボードとプロジェクターがある無機質な部屋ではない。
そこは、まるで闘技場の控室だった。
円卓を囲んでいるのは、魔界の政治・軍事・経済を牛耳る「四天王」たち。
俺――魔王アルスは、リルの背中に隠れたい衝動を必死に抑えながら、努めて重厚な足取りで玉座(議長席)へと向かった。
(……キャラが濃い! 胃薬飲みたい!)
まず目に入ったのは、半裸の巨漢だ。
赤い肌に、岩のような筋肉。背中には収納しきれない竜の翼が生えている。
【炎の将軍】ヴォルカン・ドラグニール。ドラゴン族の長であり、国防大臣だ。
「遅いぞ魔王! 待ちくたびれて筋肉が分解されるところだったわ!」
ヴォルカンがドガン! と机を拳で叩く。
天板にヒビが入った。
俺の心の中で「備品損壊届」の文字が浮かぶ。
「野蛮ですわね。机の修理費、来期の軍事予算から引いておきますわよ?」
冷ややかな声でたしなめたのは、対照的に小柄な少女だ。
フリルのついたゴシックドレスに、不釣り合いなほど巨大な日傘。金髪の縦ロールが揺れている。
【氷の参謀】セレスティア・ブラッドロード。見た目は幼女だが中身は三千歳の真祖ヴァンパイア。財務大臣だ。
「やれやれ……。上層部がこうも揉めていては、現場の士気に関わりますな」
深いため息をつきながら電卓を叩いているのは、くたびれた作業着姿の小男。
【地の賢者】ゴブ三郎。ハイ・ゴブリンであり、魔界最大の票田を持つ「亜人労働組合」の代表(厚労大臣)である。
その目は、長年の残業で死んだ魚のようになっている。
「あ、魔王キター。とりま写真とっとこ。パシャ」
そして最後の一人は、フードを目深にかぶった褐色肌のダークエルフ。
【情報の大臣】シルフ・ウィスパー。
彼女はこっちを見もせず、手元の魔導スマホをいじり続けている。画面にはSNSアプリ「マカイッター」が開かれていた。
(……カオスだ。学級崩壊してる)
俺は席に着く。
ただ座るだけなのに、緊張で体が強張り、それがまたスキルのせいで「威圧感」として変換されてしまう。
空間がビリビリと震える。
「……始めろ」
俺が短く告げると、秘書官リルが一歩前に出た。
「では、定例閣議を始めます。本日の主要議題は――『人間界からの食料輸入規制、特に関税について』です」
リルがホワイトボードに「トマト」と大きく書いた。
そう。今日の争点は、たかがトマト、されどトマトだ。
「ふん! くだらん!」
即座に噛み付いたのは、予想通りヴォルカンだった。
「人間界の野菜など毒だ! 軟弱な食物を摂取すれば、魔族の牙が抜け落ちるわ! 即時輸入禁止! 代わりに俺の領土で獲れた『岩トカゲの燻製』を配給しろ!」
「却下ですわ」
セレスティアが優雅に紅茶(赤い液体)をすする。
「岩トカゲなんて臭くて固いもの、貴族の口には合いません。……ですが、人間の野菜も反対ですわね。あちらの肥料は魔力が低すぎます。輸入するなら『処女の生き血』に限りますわ」
「あのですねぇ!」
バンッ! とゴブ三郎が電卓を机に叩きつけた。
「あんたら富裕層はいいでしょうよ! ですがね、我々庶民にとって、安くて栄養価の高い人間界のトマトは命綱なんですよ! 岩トカゲ? 歯が折れますよ! 生き血? 高すぎて買えませんよ!」
「なんだとぉ!? 俺のトカゲを愚弄するか下等種族!」
「下等とはなんです! 我々ゴブリンがいなければ、この城のトイレ掃除は誰がやるんですか! ストライキしますよ!?」
議論は一瞬で沸騰した。
ヴォルカンが口から炎を漏らし、セレスティアの周囲が凍りつく。
ゴブ三郎は六法全書を盾のように構え、シルフは「うわ、ウケる。炎上確定w」と動画を回し始めた。
(やめろ……やめてくれ……!)
俺は心の中で悲鳴を上げた。
ここで喧嘩が始まったら、ただでさえ赤字の魔王城が物理的に崩壊する。
修理費はどこから出る? 俺の給料か?
それに、こんな下らない会議で支持率を下げて死にたくない!
「……や」
俺は声を絞り出した。
止めなきゃ。
でも、喉がカラカラで、声が出ない。
四天王の魔力に当てられて、足がすくんでいる。
(静かにしてくれ……頼むから……)
俺は祈るような気持ちで、机に肘をつき、顔を覆った。
そして、蚊の鳴くような声で呟いた。
「……静かに」
――その瞬間だった。
俺の「恐怖」と「焦り」の感情に反応し、魔王の固有スキル【絶対王者の覇気】が、最大出力で暴発した。
ドォォォォォォンッ!!
爆発音と共に、会議室の窓ガラスが全て粉々に砕け散った。
衝撃波が部屋を駆け抜け、強固な円卓にピキピキと亀裂が入る。
言い争っていた四天王たちが、見えない巨大な手に押さえつけられたように、その場で硬直した。
シーン……。
静寂が訪れる。舞い散るガラス片の音だけが響く。
(あ、やっちゃった……)
俺は顔面蒼白になった。
窓、全部割っちゃった。これ、敷金返ってこないやつだ。
弁償かな。俺のポケットマネーで直せるかな。
恐る恐る顔を上げると、四天王たちが青ざめた顔で俺を見ていた。
いや、見ているのではない。震えている。
(……な、なんだこのプレッシャーは!?)
ヴォルカンは脂汗を流していた。
今の衝撃波、魔法ではない。ただの「声」だ。
魔王は、我々の低レベルな口喧嘩に苛立ち、ただ一言の覇気で部屋ごと制圧したのだ。
『くだらん争いを続けるなら、貴様らごと消すぞ』という、無言の警告だ!
「……ひっ」
ゴブ三郎が小さく悲鳴を上げ、椅子から転がり落ちて土下座の姿勢をとる。
セレスティアも持っていたティーカップを取り落としそうになり、必死に支えていた。
俺は、この沈黙に耐えられなかった。
何か言わなきゃ。でも、言葉が出てこない。
喉が渇いた。
目の前に、セレスティア用に用意された予備のグラスがある。中身は赤い液体。
(……の、飲んでいいかな。緊張で口の中パサパサだわ)
俺は震える手で(周囲には怒りで震えているように見えた)、グラスを掴み、一気に煽った。
ゴク、ゴク、ゴク。
「……ふぅ」
生き返る。
ん? これ、血じゃないな。
濃厚な甘みと酸味。……トマトジュースだ。
人間界の高級トマトジュースだ。
俺がグラスを置くと、セレスティアがハッと息を呑んだ。
「……なるほど。そういうことですのね」
彼女は、まるで深遠な真理に触れたような顔で頷いた。
「魔王様は、言葉ではなく行動で示されたのです。自ら『トマトジュース』を飲み干すことで、人間界の産物であっても、それが有益ならば取り入れる器量がある、と」
「伝統や偏見に囚われず、実利を取れ……そう仰りたいのですわね?」
「えっ」
いや、ただ喉が渇いただけなんだけど。
「ぐぬぬ……! まさか、あの軟弱な飲み物をあそこまで豪快に飲み干すとは……!」
ヴォルカンも唸る。
「認めよう! 俺の負けだ! その飲みっぷり、見事であった! 輸入を認めようではないか!」
「ええっ」
ヴォルカンまで?
「魔王様……! 我々庶民の味方をしてくださるんですね!」
ゴブ三郎が泣いている。
「うわ、今の飲み顔イケメンすぎ。バズるわー」
シルフが連写している。
……どうやら、丸く収まったらしい。
俺は、引きつりそうになる頬を必死に抑え、「魔王の微笑み(営業スマイル)」を作った。
「……分かればいい。リル、決定事項を記録せよ」
「はっ! ……流石です、魔王様」
リルが頬を紅潮させてメモを取る。
こうして、魔界の食卓にトマトが並ぶことが決定した。
窓ガラスの修理費と引き換えに。
◇
会議終了後。
俺は疲労困憊で廊下を歩いていた。
もう帰りたい。今日は直帰したい。
「あ、あの! 魔王様!」
後ろから小走りで追いかけてくる影があった。
ゴブ三郎だ。
彼は作業着のポケットから手ぬぐいを取り出し、汗を拭いながら俺に並ぶ。
「さきほどは、ありがとうございました。まさか貴族や軍部の前で、我々の意見を通していただけるとは……」
「いや、まあ……(偶然だけどな)」
「実は……折り入ってご相談が」
ゴブ三郎は周囲を伺い、声を潜めた。
また面倒ごとか? 俺は身構える。
「魔都の下層にある『ゴブリン居住区』で、緊急事態が発生しておりまして……」
「緊急事態? 反乱か?」
「いえ、その……」
彼は言いづらそうに、しかし切実に言った。
「トイレが……溢れそうなんです」
「は?」
「下水道に『汚泥スライム』が大量発生して詰まってしまいまして……。このままだと、街が汚水で水没します! 財務省に予算申請したんですが、『ドブさらいに使う金はない』と却下されまして……!」
魔王にトイレの相談。
普通なら「知るか!」と一蹴するところだろう。
だが、俺の脳裏に、あの忌まわしい赤いウィンドウがよぎる。
【現在支持率:32.0%】
少し上がったとはいえ、まだ危険水域だ。
ここでゴブリン――魔界で最も人口が多い種族――を見捨てたら?
彼らが失望し、支持率が下がったら?
……死ぬな。俺が。
「……案内しろ、ゴブ三郎」
俺はマントを翻した。
「余が直接、現場を見る」
「ええっ!? 魔王様ご自身がですか!?」
「構わん。……(臭いが城まで来たら嫌だしな)」
こうして、歴代最強の魔王の最初のクエストは、「下水道掃除」に決定したのだった。




