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第26話 深夜の労組交渉と、消えたボスモンスター 〜「残業代が出ないなら帰ります」とキマイラが言った件〜

 魔王城・中層エリアの最奥。

 そこは「合成獣の庭」と呼ばれる、危険度Sランクのボスエリアだ。


 本来ならば、獅子の頭、山羊の胴体、毒蛇の尻尾を持つ凶悪な魔獣「キマイラ」が、侵入者を八つ裂きにする阿鼻叫喚の地獄絵図が展開される……はずだった。


「……え?」


 勇者エミリアが、間の抜けた声を上げた。

 重厚な扉を開けた先。

 そこは、見事なまでに――もぬけの殻だった。


 魔獣の姿はない。あるのは、部屋の中央にポツンと置かれた看板と、一枚の貼り紙だけ。


『本日の業務は終了しました。御用の方は明日の朝9時以降に侵入してください』

『署名:亜人労働組合・魔獣支部』


「はぁぁぁぁぁ!?」


 エミリアが絶叫した。


「何これ! ボスがいないダンジョンなんて詐欺よ! ここまで来るのにどれだけ尺(時間)使ったと思ってるの!?」


 彼女がスマホを確認すると、コメント欄は大荒れだった。


『は? 敵いないの?』

『運営やる気ねーな』

『過疎ゲーかよ』

『低評価押します』

『寝るわ』


 同接数が、みるみる減っていく。

 マズい。非常にマズい。

 俺――黒騎士アルスは、仮面の下で冷や汗を滝のように流していた。


(ゴブ三郎め! あいつ、俺の言った「残業規制」を忠実に守りすぎてやがる!)


 昨晩のキャンプで時間が押したせいで、キマイラの拘束時間が労働基準法の上限を超えたのだ。

 ホワイト企業としては正しい。

 だが、エンターテインメントとしては最悪の放送事故だ!


(どうする!? 今から俺が着替えてキマイラの役をやるか? 無理だ、サイズが違う!)

(このままでは「期待はずれ」で炎上し、エミリアがキレて城を破壊し始めるぞ!)


 俺の脳内CPUがオーバーヒート寸前まで回転する。

 視聴者を繋ぎ止め、エミリアを納得させ、かつ城を守る方法は――一つしかない!


 俺は一歩前に出ると、誰もいない空間に向かって剣を抜き放った。


「……ッ! 気をつけろ、勇者よ!」


「えっ? 黒騎士さん?」


「奴は……そこにいるぞ!」


 俺は虚空を睨みつけ、切迫した声を上げた。


「このキマイラは、変異種だ。『完全不可視ステルス』モードを展開している!」


「み、見えない敵!?」


 エミリアが息を呑む。

 コメント欄がピタリと止まる。

 『マジか』『ステルスとか強敵じゃん』『黒騎士には見えてるのか?』


(よし、食いついた! あとは……俺の演技力アドリブ勝負だ!)


          ◇


 俺は一人、何もない空間に向かって剣を振るった。


「ハァッ!」


 キンッ!


 剣と剣がぶつかる硬質な音が響く。

 もちろん、敵はいない。俺がこっそり無詠唱で【硬化魔法】を空中に展開し、それを叩いただけだ。


「くっ、速い! 風圧だけで皮膚が切れそうだ!」


 俺は一人でバックステップを踏み、見えない爪を回避する(フリをする)。

 同時に、左手でこっそりと【風魔法・衝撃波】を生成し、自分に向けて発射する。


 ドォン!


 衝撃波が俺の鎧を直撃し、火花が散る。


「ぐぅッ! 重い一撃だ……!」


「黒騎士さん!?」


 エミリアが悲鳴を上げる。

 彼女の目には、俺が見えない強敵と激しい攻防を繰り広げているように映っているはずだ。


 だが、その実態は――。


 右手: 剣で何もない空間を斬る(攻撃演出)。

 左手: 自分に向けて魔法を撃つ(敵の攻撃演出)。

 足: ドスンドスンと床を強く踏み鳴らし、巨大な魔獣の足音を演出。

 口: 「グオオオオ!」と腹話術で獣の咆哮をあげる。


(忙しい! 死ぬほど忙しい!)


 自分で放った火の玉を、自分で必死に避ける。

 これを世間では「マッチポンプ」と言うが、今の俺は「命がけのワンオペ・マッチポンプ」だ。


『すげええ! 見えない敵と互角とか達人かよ』

『心眼スキル持ち?』

『でも絵面が地味だな……敵が見えないと何が起きてるかわからん』


 シルフからの念話が入る。

『魔王様! コメントで「敵の姿が見たい」との要望多数です!』


(注文が多いな視聴者は!)


 俺は歯を食いしばり、さらにタスクを追加した。


「……チッ、姿を見せる気になったか!」


 俺は【幻影魔法イリュージョン】を発動。

 空間にうっすらと、巨大なキマイラの姿を投影する。

 半透明のCGモンスターだ。


「見えた! あそこね!」


 エミリアが剣を構える。

 俺は焦った。


(待て! 勇者が参戦したら、俺の操作が追いつかない!)


 俺は現在、

 1.幻影キマイラを動かす(脳内操作)。

 2.幻影に合わせて、自分の魔法を撃つ(物理演算)。

 3.自分の体(黒騎士)でそれを受ける(演技)。

 という、神業的なマルチタスクを行っている。

 ここにイレギュラー(勇者)が加われば、処理落ちして自爆するのは確実だ。


「手出し無用!!」


 俺は叫んで、エミリアの前に立ちはだかった。


「こいつの狙いは君だ! 私が引きつける、君は下がっていろ!」


「でも……!」


「信じてくれ! 君に傷一つ付けさせはしない!」


 カッコいいセリフで誤魔化す。

 その瞬間、俺の脳内CPUが一瞬だけフリーズした。


(あ、やべ。操作ミスった)


 幻影キマイラの「尻尾攻撃」モーションに合わせて、俺が自分に撃つはずだった「衝撃波」の座標がズレた。

 防御する予定の剣をすり抜け、俺の脇腹に――


 ドゴッ!!


 直撃。

 しかも、焦って出力調整をミスり、ガチの威力で入った。


「ぐべっ!?(ガチの声)」


 俺の体がくの字に折れ、壁まで吹き飛ぶ。

 肋骨がミシミシといった。痛い。涙が出るほど痛い。


「黒騎士さん!?」


 エミリアが駆け寄ろうとする。

 コメント欄が『うわあああ!』『直撃した!』と沸き立つ。


(……くそっ、痛いけど……「美味しい」!)


 俺は芸人根性で立ち上がった。

 脇腹を押さえ、苦しげに息を吐く。


「……はぁ、はぁ。油断した。だが、動きは見切ったぞ」


 俺は剣を構え直す。

 これ以上長引かせると、俺の骨が持たない。

 フィニッシュだ。


「これで……終わりだぁぁぁッ!!」


 俺は【身体強化】を全開にし、幻影キマイラに向かって跳躍した。

 渾身の一撃。

 剣閃が走り、同時に魔法を解除して幻影を霧散させる。


「グ……グオオオオオオ……ッ!!」


 俺の腹話術による断末魔と共に、キマイラは光の粒子となって消滅した。

 カラン、コロン。

 俺がこっそりアイテムボックスから落とした「ドロップアイテム(魔石)」が、床に転がる音だけが響く。


          ◇


「……勝った」


 俺は剣を納め、その場に膝をついた。

 演技ではない。脇腹が痛すぎて立っていられないのだ。


「黒騎士さん!」


 エミリアが抱きついてくる。


「すごい! あの見えない猛攻を一人で捌き切るなんて!

 私を守るために、あんな傷まで負って……!」


 彼女の目は潤んでいた。

 コメント欄も称賛の嵐だ。

 『黒騎士かっこよすぎ』『単騎でキマイラ完封とか何者?』『自己犠牲の精神に泣いた』


(……自分で自分を殴って怪我しただけなんだけどな)


 虚しさがこみ上げるが、結果オーライだ。

 俺はポーション(自腹)を飲みながら、エミリアに微笑みかけた。


「……君が無事なら、それでいい」


「もう! 無茶しないでよ……バカ」


 エミリアが俺の傷ついた鎧を撫でる。

 その顔が少し赤いのは、気のせいだろうか。


 こうして、最大のトラブル(ボス不在)を乗り切った。

 次はいよいよ最深部、「玉座の間」だ。


 しかし、俺にはまだ、最後にして最大のミッションが残っている。

 「黒騎士から魔王に着替える」という、物理的に不可能な早着替えミッションが。


(……どうやってこのパーティから自然に抜けるか。それが問題だ)


 俺は痛む脇腹をさすりながら、玉座へと続く最後の扉を見上げた。


【現在支持率:56.0%】

【現在のHP:脇腹に打撲(全治3日)】

【獲得称号:自作自演の達人】

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