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第2話 最強の魔法より強いもの、それは「魔界憲法」と「提出期限」

「……魔王様。聞いておられますか?」


 氷点下の声が、玉座の間に響いた。

 秘書官のリルの視線が痛い。眼鏡の奥の瞳が、完全に「使えない上司」を見る目になっている。


「あ、ああ。聞いてる。すごく聞いてる」


 俺は必死に頷いた。

 だが、冷や汗が止まらない。

 先ほど俺が「試し撃ち」で消滅させた山脈。あそこには、どうやら環境省が指定する希少生物が住んでいたらしい。


「いいですか? この魔界は無法地帯ではありません。『魔界憲法 第9条』により、戦略級魔法の行使には『議会の承認』と『環境アセスメント』が必須なのです!」


「憲法あんのかよ! しかも9条って、なんか聞き覚えあるな!」


「平和維持のための条項です! これを破れば、魔王といえども弾劾裁判にかけられます。わかりましたか、魔王ごときが法律に勝てると思わないでください!」


 魔王ごとき。

 部下にそんなことを言われる魔王が、かつていただろうか。

 しかし、俺の視界の端には、依然として赤いウィンドウが点滅している。


【現在支持率:31.5%(▼危険)】


「あと1.5%下がれば、私は死ぬ……」


「ええ、その通りです」


 リルはタブレットを操作し、空中にホログラムのグラフを展開した。

 右肩下がりの真っ赤な線。倒産寸前の企業の株価チャートにしか見えない。


「先代魔王のガルドノヴァ様は、力による恐怖政治を行いました。その反動で、民衆の政治不信はピークに達しています」

「現在の支持率31.5%。……これは、いつ暴動が起きてもおかしくない数字です」


 リルは眼鏡をクイッと押し上げ、無慈悲な宣告を続ける。


「そして、魔王システムの仕様により、支持率が30%を切れば、貴方様の心臓はシステム的に停止します。強制的な『代替わり』です」


「心臓麻痺……!」


 俺は自分の胸を押さえた。

 物理攻撃無効の最強ボディも、内部からのシステム削除には耐えられないらしい。


「生き残る道は一つ。支持率を上げることです。……ですが」


 リルは分厚い扉の方を振り返った。


「あと30分後に、定例の『四天王閣議』が始まります」


「四天王……」


 RPGなら中ボスとして立ちはだかる、最強の幹部たち。

 だが、この世界での彼らの役割は少し違うらしい。


「彼らは各省庁のトップであり、最大派閥のリーダー……いわば『野党の党首』です。彼らは虎視眈々と、新米魔王である貴方様の寝首をかこうとしています」


 リルは深刻な顔で告げた。


「この会議で『無能』だと思われたら終わりです。彼らが『魔王不信任案』を出せば、支持率は即座に30%を割り込み、貴方様はその場で即死でしょう」


「詰んでるじゃねーか!」


 俺は叫んだ。

 就任初日に、百戦錬磨の政治家たちと討論バトル? 無理だ。俺はただの中間管理職だったんだぞ。


「ですので、予習をしていただきます」


 ドサッ、ドササッ、ズドン!!

 リルが亜空間から取り出したのは、書類の山だった。

 いや、山じゃない。塔だ。高さ1メートルはある。


「これは過去100年分の判例、および今期の予算案、各省庁からの陳情書です。会議までに全て読み込み、論点を整理し、適切な回答を用意してください」


「……あと30分で?」


「はい。出来なければ死ぬだけですので」


 リルは冷たく言い放つ。

 彼女の目は「どうせ無理でしょうけど」と語っていた。歴代の魔王は皆、こうしたデスクワークを嫌い、力で解決しようとして失敗してきたのだろう。


(……やるしかない。死にたくない!)


 俺は書類の塔を見上げた。

 普通に読めば一週間はかかる分量だ。

 だが、今の俺は「ただの佐藤健太」じゃない。


「ステータスオープン……!」


 ウィンドウを開く。

 俺の目が、あるスキルに吸い寄せられた。


【超・思考加速アクセル・マインドLv.MAX】

 効果:体感時間を極限まで引き伸ばし、光速の剣戟さえも止まって見えるほどの知覚を得る。


【神の眼(鑑定)Lv.MAX】

 効果:対象の情報を瞬時に解析し、弱点や構造的欠陥を見抜く。


(……これだ)


 本来は戦闘で使うべきチートスキル。

 だが、今の俺にとっての戦場は、この書類の山だ!


「起動……ッ!!」


 世界から色が消えた。

 音も消えた。

 舞い落ちる埃さえも空中で静止する、【超・思考加速】の世界。


 俺は猛然と書類に手を伸ばした。

 パラララララララッ!!

 指先が残像を生む。

 本来なら「敵の剣筋を見切る」ための動体視力を、「文字を追う」ことだけに全振りする。


(見える……! 見えるぞ!)


 【神の眼】が、書類の文字列から「重要な情報」だけを赤くハイライトしてくれる。

 これは軍事費の水増し請求。

 こっちは建設業者の談合の痕跡。

 そしてこれは、条文の解釈ミス。


(ふざけやがって……! どいつもこいつも、新入りだと思って好き勝手な数字を書き並べやがって!)


 社畜時代のトラウマが蘇る。

 下請けいじめの契約書、粉飾された決算書。それらを見抜いて修正させてきた「修正屋」としての血が騒ぐ。


 俺は万年筆を抜き、赤インクで容赦なくチェックを入れていった。


          ◇


「――ふぅ」


 俺が息を吐くと、止まっていた世界が動き出した。

 現実時間にして、わずか一分。


「読み終わったぞ、リル」


「は……? いえ、冗談は……」


 リルが呆れた顔をする。当然だ。一分で読める量ではない。

 俺は一番上の書類を彼女に放り投げた。


「3ページ目の防衛予算、計算が合わない。人件費の計上が二重になっている。あと、この『土地開発法案』は5年前の改正前の条文を引用しているな。無効だ」


「えっ……?」


 リルが慌てて書類を確認する。

 電卓(魔道具)を叩く指が震える。


「あ……合っています。複雑な為替レートも、完璧に計算されている……」


 彼女はバッと顔を上げ、俺を見た。

 その目からは、先ほどまでの侮蔑の色が消えていた。

 あるのは、信じられないものを見るような驚愕と――そして、微かな「畏怖」。


「この膨大な資料を、一瞬で……? しかも、内容の不備バグまで見抜くなんて……」


 リルがつぶやく。

 歴代の魔王は、「山を消す」ことはできても、「予算の不正」を見抜くことはできなかった。

 彼女にとって、今の俺のパフォーマンスは、戦略魔法よりも遥かに恐ろしい「魔法」に見えたに違いない。


「……訂正します」


 リルは居住まいを正し、少しだけ頬を紅潮させて眼鏡の位置を直した。


「貴方様は、ただの筋肉バカではないようですね。……少しだけ、期待してもよろしいですか?」


「あ、ああ。(よかった、見直してくれた……!)」


 内心でガッツポーズをする。

 どうやら第一関門は突破したようだ。


「では参りましょう、魔王様。閣議の時間です」


 リルが先導し、俺たちは執務室を出た。

 長い廊下を歩き、重厚な鉄の扉の前へ立つ。

 扉の向こうからは、既にドスの効いた怒号や、何かが破壊される音が漏れ聞こえてくる。


(うわぁ……帰りてぇ……)


 胃がキリキリと痛む。

 だが、ここで逃げれば死ぬ。

 俺は震えそうになる膝を抑え込むと、無意識にスキルを発動させていた。


【魔王の威圧パッシブ


 ビビっている俺の感情が、周囲の空間をビリビリと振動させる。

 それが、側から見れば「怒りに満ちた覇気」に見えることなど知らずに。


「良い威圧感です。その調子で、愚かな議員どもに格の違いを見せつけてやりましょう」


 リルが不敵に微笑み、扉を開け放った。


 ギギギギ……。

 重い音と共に、魔窟が開かれる。

 そこには、シルエットだけでヤバさが伝わってくる、一癖も二癖もある「四天王」たちが待ち構えていた。


【現在支持率:31.6%(微増)】


(0.1%増えた! よし、これならいける……か!?)


 俺は覚悟を決め、地獄の会議室へと足を踏み入れた。

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