第18話 モンスター労組との「出演契約」交渉 〜聖剣で斬られるのは「労災」ですか?〜
魔王城の地下深層、大訓練場。
普段ならオークの雄叫びや魔法の爆発音が響くこの場所は、今、異様な静けさと――殺伐とした「交渉」の空気に包まれていた。
「要求します! 我々は『経験値』ではありません! 労働者です!」
「そうだー!」
「聖剣の光害対策を求めます! 目がチカチカする!」
「そうだー!」
訓練場を埋め尽くすのは、ゴブリン、オーク、コボルト、スライムといった下級・中級魔族たち。
彼らは武器を地面に置き、頭には黄色い「安全ヘルメット」、腕には「安全第一」と書かれた腕章を巻いて座り込んでいた。
その最前列で、ハンドマイク(拡声の魔道具)を握りしめているのが、厚労大臣のゴブ三郎だ。
「魔王アルス様! 現場から悲鳴が上がっています! 勇者エミリアの攻撃力はインフレしており、ワンパンで消し飛ぶ可能性があります。これは明らかな『ブラック業務』です!」
ゴブ三郎が分厚い要求書を突きつける。
「適切な安全対策と、万が一浄化された場合の『労災認定(遺族への特別年金)』が確約されない限り、我々は一歩も動きません! 断固として出撃拒否します!」
俺――魔王アルスは、冷や汗を拭いながら頷いた。
もっともだ。俺だって、何の保証もなく勇者の前に立てと言われたら逃げ出す。
「わかった、ゴブ三郎。落ち着け。……私も鬼ではない。わが国(魔王軍)はホワイト国家を目指している」
「口先だけの『ホワイト』は聞き飽きました! 具体的な対策を!」
「ああ、用意してあるとも」
俺はパチンと指を鳴らした。
背後からリルが、巨大なホワイトボードを運んでくる。
「今回の『接待防衛戦』にあたり、ダンジョンの設備を緊急改装した。これを見ろ」
俺は指示棒でボードを叩いた。
【安全対策①:ゴム製トラップ】
「まず、天井から落ちてくる『串刺し天井』や、床から飛び出す『槍』。これらを全て『高反発ウレタン素材』に変更した。当たっても『ボヨヨン』と弾かれるだけで、ダメージはゼロだ」
「おおっ……!?」
オークたちがざわめく。「あれ、地味に痛かったんだよな……」「ウレタンなら安心だ」
【安全対策②:幻影魔法(ARエフェクト)】
「次に、勇者の剣が当たった瞬間の演出だ。斬られた瞬間に『血飛沫』や『切断面』を幻影で表示するシステムを導入した。実際には斬れていないが、勇者には『斬った手応え』を錯覚させる」
【安全対策③:遮光ゴーグル支給】
「そして、聖剣の輝き対策として、全員に特注の『サングラス』を配布する。これで網膜は守られる」
俺の説明に、ゴブ三郎が目を見開く。
「す、すごい……! これなら『痛そうに見えて痛くない』! 完璧な福利厚生です!」
会場の空気が軟化する。
しかし、一人のオークが手を挙げた。
「でも魔王様! 演技に失敗して、本当に斬られたらどうすんですか!? 俺、演技なんてしたことねぇし……」
その言葉に、再び不安が広がる。
そうだ。彼らは戦士であって、役者ではない。
タイミングを間違えれば、本物の聖剣の錆になる。
俺は深く頷き、マントを脱ぎ捨てた。
「いいだろう。……私が直々に、『究極の護身術』を伝授しよう」
「護身術、ですか?」
「ああ。名付けて『絶対生存(クレーム回避)の型』だ」
俺はヴォルカンを呼び出した。
サウナのためにやる気満々の将軍が、鼻息荒く登場する。
「ヴォルカン。私を殴れ。本気でだ」
「なっ!? よろしいのですか!?」
「構わん。……来いッ!」
ヴォルカンが戸惑いつつも、丸太のような腕を振りかぶる。
ブンッ!
風を切り裂く剛腕。当たれば岩をも砕く一撃が、俺の顔面に迫る。
その拳が、鼻先に触れるか触れないかの、コンマ0.1秒前。
「――今だ」
俺は自ら、地面を蹴った。
後方へ。
ヴォルカンの拳の威力ではなく、自分の脚力で飛び退く。
空中で三回転し、わざとらしく背中から壁に激突する。
ドガァァン!
「ぐわぁぁぁぁぁッ!!」
迫真の悲鳴。
そして、地面に落ちた瞬間、俺は全身の力を抜き、呼吸を極限まで浅くした。
ピクリとも動かない。
目を開けたまま、焦点だけをずらす「死んだ魚の目」テクニック。
シーン……。
訓練場が静まり返る。
「ま、魔王様……!?」
ゴブ三郎が駆け寄ろうとした瞬間、俺はむっくりと起き上がり、服の埃を払った。
「……このように、衝撃が来る直前に自ら飛ぶことでダメージを無効化し、かつ相手に『手応え』を感じさせる。これを業界用語で『リアクション芸』と言う」
「す、すげぇ……!!」
モンスターたちがどよめく。
「完全に死んでたぞ!?」「あのヴォルカン様の拳を、ノーダメージで!?」「これが魔王様の技術……!」
俺はドヤ顔で説明するが、内心では冷や汗をかいていた。
(……これ、前世でパワハラ上司が灰皿を投げてきた時に身につけた、悲しい処世術なんだよな……)
「いいか! 斬られるな! 斬られた『フリ』をして、タイミングよく後ろに飛べ! これさえマスターすれば、労災ゼロで勇者を満足させられる!」
「はいッ! ご指導お願いします!」「俺もやりたい!」
訓練場が、一瞬にして「熱血演劇スクール」へと変わった。
◇
一時間後。
オークたちが「グハァッ!」と叫びながらマットに飛び込む練習を繰り返している横で、俺はゴブ三郎と最終契約を結んでいた。
「では、出演料の件ですが……」
ゴブ三郎が電卓を叩く。
「現金での支給は難しい。だが、今回は『現物支給』で手を打ってくれないか?」
「現物? 魔石ですか?」
「いや。……これだ」
俺はアイテムボックスから、人間界から取り寄せた段ボール箱を開封した。
中から出てきたのは、極彩色のパッケージ。
「こ、これは……?」
「人間界の至宝、『ポテトチップス(コンソメパンチ味)』と、『炭酸水』だ」
ゴブ三郎が袋を手に取り、恐る恐る中身を口にする。
パリッ。
サクサクとした食感。そして舌の上に広がる、強烈な旨味パウダーの爆発。
「!!!!!!」
ゴブ三郎の眼鏡がズレた。
「な、なんですかこの『魔法の粉』はぁぁぁ!? 芋なのに、肉のような、野菜のような、複雑怪奇な旨味が脳髄を直撃します!」
「さらに、この黒い水を飲んでみろ」
プシュッ。シュワワワ……。
コーラを流し込む。
「んぐっ! ……かぁぁぁッ! 口の中で水が爆発した! 甘い! 痛い! でも美味い!」
ゴブ三郎は震えながら、ポテチとコーラを交互に口に運び始めた。
止まらない。やめられない。
「こ、これは悪魔の食べ物です……! 我々魔族を堕落させるための兵器です!」
「今回の作戦が成功した暁には、これを全参加者に『ボーナス』として配給する。……どうだ?」
ゴブ三郎は立ち上がり、仲間に向かって叫んだ。
「みんな聞けーッ! 報酬は『魔法の芋』と『爆発する水』だ! 命を懸ける価値があるぞーッ!」
「うおおおおおおッ!!」
「やるぞー!」「俺の演技力を見せてやる!」
士気は最高潮に達した。
食欲の前に、労働問題は解決したのだ。
――だが。
俺が胸を撫で下ろしたその時、放送室からシルフが血相を変えて飛び込んできた。
「魔王様! マズいです!」
「なんだ、今度は何が足りないんだ」
「勇者の配信アーカイブを分析したんですが……この子、『ヤラセ』にめちゃくちゃ厳しいタイプです!」
シルフがスマホの画面を見せる。
そこには、過去に勇者が「八百長をしたモンスター」に対し、激怒してガチの制裁を加えている動画が映っていた。
『はぁ? わざと負けた? 視聴者を舐めてるの? そういう「運営の介入」みたいなの、一番冷めるんだけど!』
画面の中のエミリアの目は、笑っていなかった。
「……彼女は、『リアルなスリル』を求めています。演技がバレてコメント欄が『ヤラセ乙』で荒れると、キレて本気を出します!」
「…………」
俺は、楽しそうに「やられ役」の練習をしているオークたちを見た。
彼らの大根演技がバレたら、その瞬間に城が消し飛ぶ。
「……演技指導、もっと厳しくしないと死ぬな」
俺は胃薬を追加で飲み込み、鬼演出家としての仮面を被り直した。
「おい貴様ら! その倒れ方は不自然だ! もっと腰を入れろ! 殺される気でやれ! バレたら本当に死ぬぞ!!」
【現在支持率:55.0%】
【劇団魔王軍:結成】
【演劇レベル:学芸会(要改善)】




