第17話 そのハンコ一つで、戦争か平和(トマト)かが決まる 〜ドラゴンを止める最強呪文は「予算凍結」〜
魔王城、西棟へと続く長い回廊。
そこは今、灼熱の暴風域と化していた。
「ぬおおおおおッ! 待っていろ勇者ァ! このヴォルカンが引導を渡してくれるわァァァッ!」
轟音と共に、赤い重戦車が走る。
国防大臣ヴォルカンだ。
彼の全身から噴き出す闘気は、物理的な熱量となって周囲を焦がしている。最高級のペルシャ絨毯がチリチリと燃え、壁の絵画が熱で歪む。
(……やめろ! その絨毯、一枚でゴブリンの年収分だぞ!)
俺は心の中で絶叫しながら、転移魔法を発動した。
空間が歪む。
俺はヴォルカンの進路上、十メートル先に音もなく出現した。
「止まれ、ヴォルカン!」
俺はマントを翻し、仁王立ちで立ちはだかる。
ヴォルカンが急ブレーキをかける。
ズザザザザッ……!!
床石が削れ、俺の目の前で土煙が舞い上がった。
「どいてくだされ、魔王様!」
煙の中から現れたヴォルカンは、血走った目で俺を睨みつけた。
「戦士が敵に背を向けて『接待』など、末代までの恥! 筋肉が腐るわ!」
「俺は奴の首を獲る! たとえ魔王様の命令でも、この『戦士の魂』までは縛れん!」
熱い。物理的に熱い。
こいつのやる気(殺気)だけで、俺のHPがジワジワ削られている気がする。
ここで力づくで止めるか?
いや、俺のステータスなら勝てるだろうが、城の被害が拡大するだけだ。それに、へそを曲げた部下ほど扱いづらいものはない。
(力じゃない。こいつを止めるのは、もっと重い……『大人の力』だ!)
「……そうか。私の命令が聞けないと言うのだな」
俺は声を低く沈め、懐に手を入れた。
ヴォルカンが身構える。最強の魔法が来ると思ったのだろう。
だが、俺が取り出したのは、長さ数センチの小さな棒だった。
黒光りするミスリル製。
先端には、禍々しい魔力で『承認』の文字が刻まれている。
「そ、それは……!?」
ヴォルカンが後ずさる。
彼の野生の勘が、最強魔法よりも危険な気配を感じ取ったのだ。
「魔王の決裁印。……国家予算の生殺与奪を握る、絶対権限の象徴だ」
俺はハンコに魔力を込めた。
カッ! と印面が赤く輝く。
「ヴォルカンよ。貴様が勇者に突撃するのは自由だ。その足で一歩でも前へ進んでみろ」
俺は冷酷に宣告した。
「その瞬間、私はこのハンコを、『国防省予算・全額カット』の書類に叩き押すことになる」
「なっ……!?」
ヴォルカンの動きがピタリと止まる。
「よ、予算カットだと……? だが、それでは国が……」
「知ったことか。命令違反をする軍隊になど、一銭たりとも払わん」
俺は畳み掛ける。具体的な「痛み」を想像させるために。
「まず、来月納入予定の『最高級ホエイプロテイン(チョコ味・3トン)』。あれはキャンセルだ」
「な、なんだとォォォッ!?」
ヴォルカンの顔色が赤から青へ変わる。
「あれは……あれは部下たちが楽しみにしている、ささやかな給料日の楽しみなのだぞ!?」
「さらに、訓練場の『24時間空調システム』も停止する。真夏だろうがサウナ状態だ」
「極めつけに……貴様が愛用している『特注ダンベル(10トン)』。あれも鉄くずとしてリサイクルに出す。カジノのスロットマシーンの材料になってもらおう」
「あぁぁぁぁぁッ!!」
ドサァッ……!
最強のドラゴン将軍が、その場に膝から崩れ落ちた。
まるで世界の終わりを見たような絶望の表情。
「あれは……あれは俺の相棒なんだ……! 共に汗を流し、語り合った友なんだぁぁ……!」
大の男が、廊下で号泣している。
物理的な攻撃には滅法強いが、予算と福利厚生への攻撃には紙装甲。それが社畜戦士の弱点だ。
(……よし、折れたな)
俺はハンコをしまい、しゃがみ込んでヴォルカンの肩に手を置いた。
ムチの次は、アメだ。
「……だが、ヴォルカン。もし、今回の『接待ミッション』を完璧にこなせば?」
俺は耳元で甘く囁く。
「ボーナスとして、国防省の地下に『最新鋭マグマ・サウナ』を建設しよう。もちろん、全自動ロウリュ付きだ」
ピクリ。ヴォルカンの耳が動く。
彼は涙で濡れた顔を上げた。
「サウナ……だと……?」
「ああ。筋トレの後のサウナは格別だぞ? 血行を促進し、超回復を早め、筋肉のキレを極限まで高める……『整う』というやつだ」
「と、ととのう……!」
ヴォルカンの目に、理性の光が戻るどころか、怪しい輝きが宿った。
「やります! やらせてください魔王様! 俺は今日から戦士を辞め、『劇団魔王軍』のトップスターになります!!」
「いい心がけだ」
俺はパチンと指を鳴らした。
影からリルが現れ、一枚の羊皮紙――「誓約書(台本)」を差し出す。
「では、ここにサインを。……内容は以下の通りです」
リルが事務的に読み上げる。
1.ブレスの使用は「照明用(空に向けて吐く)」に限定する。
2.勇者の攻撃が当たったら、必ず3秒間静止して「効いたフリ」をすること。
3.敗北時のセリフは「ぐわーっ、覚えてろーっ」で統一する。
「…………」
ヴォルカンがペンを持ったまま固まる。
プライドとサウナが、彼の中で激しくせめぎ合っているのが見える。
「……俺の、プライドが……」
「サウナのためだ。耐えろ」
「うぐぐぐぐ……!」
ヴォルカンは血涙を流しながら、誓約書にサインをした。
ミッション・コンプリート。
「行って参ります……! 俺の名演技、とくとご覧あれェェェッ!」
ヴォルカンはヤケクソ気味に叫ぶと、勇者の待つエリアへと走っていった。
その背中は、戦場に向かう戦士よりも悲壮感が漂っていた。
「ふぅ……。一番の難所は越えたか」
俺はその場に座り込んだ。
ハンコを握っていた手が、手汗でびっしょりだ。
正直、ブレスを吐かれたらどうしようかとヒヤヒヤしていた。
「お見事です、魔王様」
リルが感心したように眼鏡を直す。
「物理的な質量ではなく、『社会的責任』という重力でドラゴンを押し潰すとは。……勉強になります」
「褒めるな。虚しいだけだ」
俺は立ち上がり、胃薬を口に放り込む。
「だが、まだ終わりじゃない。幹部は抑えたが……」
「はい。次は『現場』ですね」
リルが次のスケジュールを示す。
そこには【亜人労働組合との出演料交渉】と書かれていた。
「勇者の聖剣で斬られる役なんて、誰もやりたがりませんからね。……揉めますよ」
「わかってる。……ポテチの準備をしておけ」
俺はため息をつきながら、地下の訓練場へと向かった。
魔王の仕事は、まだまだ終わらない。
【現在支持率:55.0%(横ばい・予算の一部を内部留保中)】
【獲得アイテム:ヴォルカンの忠誠心(サウナ付き)】




