【9】
雅巳の家は西側でも田舎のところにあった。凛の家と比べると、かなり狭い。しかも壁などが剥がれているところもあった。
ーここが雅巳さんの家…。
初めて来たが、東側の邸を見たばかりなので、あまりの落差にびっくりする。そんな凛の側を子ども達が楽しそうに笑いながら過ぎていく。井戸の側にいる女性達もぴたりと会話をやめ、こちらを凝視してくる。
ー何だかいづらいような、そうでもないような…。
雅巳が言う視線は、今はよくわからないが、自分が見られているという感覚だけはある。正直、気持ちのいいものではなかった。
「ー行くぞ」
雅巳に言われ、凛はうなずく。離れないようにぴったりくっつくのだった。
「お父様、お母様」
戸を開き、雅巳が声をかけた。中は薬屋をやっていただけあり、薬草の匂いがする。家具も薬屋のままらしく、道具が置かれていた。
「…何だ、雅巳か」
答えたのは、白いかっぽう着を身に着けた40代の男性だった。東側から追い出されたが、未だに薬屋を続けているのかもしれなかった。しかし凛が気になったのは、声音だった。
ーもう少し温かみがあっても良いと思うんだけど…。
実の息子に対して、冷た過ぎるような気がする。そう思ったら、部屋全体が暗くてざわざわするような感じがしてきた。
ーしっかりしろ、私!!
凛はこっそりと左ももを叩くと、気合いを入れ直す。雅巳がさらに前に出たので、くっついていく。
「仕事はどうした? 早く金を作ってこい」
「…は?」
思わず凛は小さく言ってしまった。慌てて口をおさえるが、聞こえなかったようだ。ほっとしたのも束の間、むっとする。
ーお金を作ってこいってどういうこと?
腹立たしくなってきて拳を作る。すると、今度は一緒にいた40代くらいの女性が参戦する。
「そうよ。早くお金、お金!!」
手のひらをひらひら動かすが、とても醜く見えた。いや、実際は綺麗な人なのだが、どうも人間としての情を感じられない。
ー何、この家?
変だ、と凛は素直に思った。普通は息子が帰って来たら、喜んだり、温かい言葉をかけるものなのに、おかしい。
ー雅巳さんが冷めているのもそこにあるのかしら?
雅巳は雅巳で、いつもよりもさらに冷めた顔をしている。睨みつけるようにも見えた。奥にもう一人いるのだが、その男性は20代くらいだった。薬研をかまっており、雅巳を無視していた。
ー家族じゃない。
嫌な雰囲気のする人間達だった。雅巳をまるでお金を稼ぐ人形のように扱っているような気がする。
ー息子よりもお金って…。最低。
悔しくて唇を噛みしめる。紅がついていたのだと思い直し、すぐ離したが、雅巳のことが心配だった。
しかし、雅巳は慣れているのか、平気な様子で返す。
「金よりも聞いて欲しいことがある」
「…ほう。何だね?」
自分の出番だと思い、凛は前に出る。
「陳華穂と申します。雅巳さんの婚約者です」
「…」
2人はじろじろと失礼なくらい凛を見つめてくる。美加に任せたので大丈夫だと思うが、気持ちが悪くてしょうがなかった。
「どこの子?」
女がふんと鼻を鳴らし、続けて言う。
「不細工ね」
「…は?」
まさかそうくるとは思わず、一瞬、素になってしまった。確かに啓太にもブスとか言われているが、それよりも遥かに冷たい言葉だった。まだ啓太のほうが人間味がある。
ー何、この人達? 何様のつもり?
あまりの憤りに、凛は泣きそうになってくる。だが、負けてたまるかと踏ん張る。すると、思いが通じたのか、雅巳が手を繋いできた。「え」と思っていると、彼も冷酷な声で返す。
「お母様、失礼です」
「あら、そう? 私のほうが美人ですもの。ほほ」
むかつく、と思いつつ、こういう人間いるよなと日頃、販売業をしていて良かったと思う。
「それで? その娘がどうしたって?」
男が雅巳に興味なさそうに聞いてくる。雅巳は気にせず、家族を紹介してくる。
「こちら父親の玉広人。で、そちらが玉結果」
「広人様と、結果様…」
2人は凛が名前を口にしても、ごみを見るような視線をぶつけてくる。「この両親じゃ…」と凛も苛々してくる。
ー人間の温かみを知らなくて当然だ。
1人で遊んでいたと言った雅巳に同情する。この親の子どもなら別に放っておいて大丈夫だろうとか、そんな感じで無視されていたのだと思う。
ー親から人間関係が始まるのに…。雅巳さんも苦労しているのかもしれない。
今にも泣きそうになってくる。親から子へ渡るべきものが渡っていないのだ。
凛がそんなことを思っているとは露知らず、雅巳は奥にいる人間を紹介してくる。
「兄の玉要」
ちらりとこちらを見てきたが、無視して薬研をいじっている。雅巳とは顔が似ておらず、どちらかというと不細工のほうだった。
ー雅巳さんのことを何だと思っているのかしら!!
兄弟同士で遊んだこともなさそうな感じに、本当に血がつながっているのだろうかと頭を抱えたくなる。
雅巳のほうが全然ましだと凛は考えを改め直す。雅巳はというと、凛を庇うように手を強く握ってくる。
「…。はっ」
吐き捨てるように笑い、広人は手を振る。
「帰れ。さっさと」
「…は? 帰れ?」
虫でも追い払う態度に、凛はさすがに頭にきて言い返す。
「嫌です!! 雅巳さんの婚約者と認めてください」
「何を言っているの、この馬鹿娘」
口元に手を当て、ほほっと結果が笑う。麗とは大違いで、この不細工めと喉まで出そうになった。
「そんなことより、何で周家の話をけった?」
「その話ですか」
雅巳も淡々と返す。親子の情はひとかけらも見つけられなかった。
「せっかくいいお話でしたのに。そうすれば、また東側で優雅に暮らせたんですよ?」
「お母様、その話はもういいんです」
「いえ、言わせていただきます。あなたさえ結婚すれば、こんなみすぼらしい家から解放されましたのに…!! きー!! 悔しい」
「…顔だけが取り柄のくせに。ぷぷ」
奥で兄の要がこっそり笑う。暗そうな感じに、凛は地団駄を踏みたくなる。
「早く周家へ行け!! 謝ってこい」
「嫌です。俺はこの人と一緒になります」
「馬鹿を言わないでちょうだい。どこの娘かもしれない女なんて!! ふん」
「この…」
黙っていればいい気になってと襦裙を強く握りしめる。凛が何か言おうとするのを、雅巳が首を振って断る。
「お母様、この娘が気に入っているんです。だから周家との婚約は破棄させていただきました」
「お前は…!! せっかく大金が手に入るところだったのに…!!」
また金の話かと凛は呆れる。これでは周家も断って良かったと思ったほうがいいかもしれない。
ーお金、お金、お金って…!! この人達は人間を何だと思っているの!?
自分達が招いた不幸なのに、その責任を雅巳に押しつけようとしている感じがして腹が立つ。
ーあなた達も真面目に働きなさいよ!!
雅巳が毎日、どれだけ苦労しているのかなんて、どうでもいい態度が許せない。
「私がこの人を幸せにします!!」
思わず大きな声で言ってしまった。こうなったら、徹底的に言ってやると口を開く。
「雅巳さんは毎日、一生懸命やっているんです…!! あなた達もそれは…その、仕事しているのかもしれませんが、うちにいてお金、お金、お金って…!! あまりにもひどすぎます!!」
最後は涙をこぼしてしまった。
「あなたね…」
「この性格ブス!! 母親のあなたが一番許せない!!」
つい言ってしまったが、雅巳は何も言わなかった。
凛は興奮しながら続ける。
「お金は簡単に手に入るものじゃないんです…!! 汗水垂らして、それこそ人に頭を下げて!! 悔しいことなんて毎日あるんです!! それを雅巳さんだけに押しつけるなんて…!!」
「…」
その場がしんとなる。尚も言おうとした凛のことを、雅巳がとめる。
「もういい」
「でも…!!」
「いいから」
手巾をさりげなく渡され、素直に受け取る。雅巳の香りに、落ち着いてきた。
「そういうわけですから、周家との婚約の話はなしです。いいですね」
「ふざけるな…!! いい話なのに…!! その娘、許せない」
「ーお父様、いいですね?」
雅巳の声が低くなり、圧倒されたのか、広人が黙る。
雅巳は満足したのか、凛と一緒に頭を下げる。
「この子と幸せになります。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いいたします」
凛も真似して鼻声で言う。
「勝手にしろ!!」
「全くですわ!! そんな鈍くさそうな娘…!!」
「ぷぷっ」
嫌な家族だと、凛はもう何も言う気がなかった。話の通じない人形みたいな奴らだと罵る。
「ー行くぞ」
雅巳に手を引かれ、凛は正気に戻る。小さく「はい」と答え、その場を後にしたのだった。




