【18】
それから投げ文はぴたりと止まり、凛達は安心して暮らせるようになった。しかし全部が解決したわけではないので、凛は「あーもう!!」と声を出し、短くなった髪の毛を乱暴にかく。
ーここは、あえてこちらから出るか。
そう決めて、雅巳に相談をしに行く。
「何? 1人で歩くって…お前な」
「しっ!!いいのよ。私が囮になって犯人をあぶり出せば」
「でも…。危険だぞ?」
「それは分かってる。だから雅巳さんにも、離れた場所で、見守っていて欲しいの」
「…。本当にいいのか?」
真剣な表情に、凛はうなずく。空は暗くなり始め、月が静かに輝こうとしていた。吹きつける風も寒くなり、襟元を押さえる。しかし凛の覚悟は変わらなかった。
「…。分かった。何かあったら、すぐ駆けつけられる距離にいるから」
「うん、信じている」
本心からそう言うと、2人は行動に移したのだった。凛はあえて1人で歩き、犯人がつられて出てこないか待っている。側に雅巳がいると分かっているので、囮役でも少しの緊張で済んだ。
ー何か視線を感じる。
雅巳ではないが、自分を追ってくる視線を敏感に感じる。「よし、つられた」と喜び、そのまま1人のふりをして歩く。
ー確かに、視線は嫌な感じがするわね。
雅巳が嫌がっていたのを、思い出し、ため息を吐く。人通りの少ないところをあえて歩くと、追ってくる気配が濃くなった。凛はあと少しと気合を入れ、相手の出方を待つ。
「…!!」
突然、1人になった途端、後ろから羽交い締めにされた。体をばたつかせ、悲鳴を上げようとすると、口を押さえられる。
ーよし!! つれた!! 負けるものか!!
凛はできる限りの抵抗をし、雅巳の登場を待つ。犯人もまさか凛が暴れると思わなかったのか、苦戦しているようだった。
「ーそこまでだ」
冷静な声音に、凛はほっと安堵する。
驚いたのは犯人のようで、凛を放し、逃げようとする。しかし凛も機会を逃してたまるかと、犯人の袍を一生懸命、掴む。必死だった。
「もう逃げられないぞ!!」
雅巳が凛を庇い、犯人の襟元を掴む。その途端、驚きの声を上げる。
「兄さん!!」
「…え?」
空耳だろうか。凛は驚いて固まるのだった。相手ー玉要が逃げ出そうとするのを、雅巳が止める。どうやら雅巳のほうが毎日の仕事で筋力がついているらしく、強いようだった。
「何だって、そんな…」
雅巳の声がかすれ、上手く言えないようだった。視線の正体が兄だと知り、驚愕しているらしい。尚も要は逃げようとするので、雅巳は頬を殴りつける。それから2人は殴り合いの喧嘩に発展していく。
ー雅巳さん、頑張って!!
誰も周りにいないのが幸いだった。腰の傷口が開かないか心配したが、格闘はすぐに決着がついた。要がその場に座り込む。
「…。兄さん、どうして…?」
雅巳は要の腕を揺さぶり、答えを求める。要はふんと鼻を鳴らす。
「勇者きどりか?」
「何を言っているんだよ…!! そんなことじゃないだろう!!」
必死なのは雅巳のほうで、要のほうはどうでもいいと思っているのか、抵抗をやめた。そして急に笑い始める。
「あはははは!! あーあ、ばれたか」
「兄さん…!! 一体、何をしてくれたんだ?」
「何を…? それはぷぷ」
小さく笑うと、雅巳を真剣に見つめてくる。
「何もしていないさ。俺はな」
「どういう意味?」
「俺がやったという証拠はないということだ」
「そんな…。でも現に今…!!」
「さあ? 単に後ろを歩いていただけだ」
ひらりひらりと、雅巳の言葉をかわしていく。凛は雅巳の後ろに隠れると、
「あなたが私の髪を切ったんですね?」
確信をもって聞くが、肩を竦めただけだった。確かに証拠がないのは痛い。
「何だって、俺の後をついていたんだ…?」
雅巳の言葉に、要は「ぷぷ」っと笑う。
「馬鹿じゃないのか? お前なんか追うわけないだろう?」
「でも…!! 今、追って来ただろう!!」
雅巳の怒鳴り声は初めてだった。凛もびっくりし、口を閉じる。
「どういうことなんだよ!! ええ!!」
体を揺さぶられ、面倒くさいと思ったのか、要が答える。
「分かった、分かった。教えてやる。お前を追っていたのは、俺ではない」
「は…? また嘘を…!!」
「つくわけないだろう? お前が知りたがっているのに、ぷぷ」
「…。じゃあ誰が…」
「手を放せ。痛い」
「逃げるつもり?」
「そんな場合じゃないくらいは、お前の馬鹿頭でも分かるだろう?」
「…」
雅巳が要を解放すると、彼は緊張感なく伸びをし、言ってくる。
「お前を追っていたのは、熱狂的なお前のファンだよ。女だ、女」
「…。本当に?」
「本当だけど…。もう証言は得られないぞ。お前が自分で壊したんだ」
「…。どういう意味?」
「そのままだ。お前が殺したんだよ!!」
「え…」
爆弾発言に、凛と雅巳は固まる。それに機嫌を良くしたのか、要がべらべらと喋り始める。
「お前が死ねって言うから、そのまま死んだんだよ」
「そんな…。嘘だろう?」
「嘘なものか。お前がこの世にいるための全てだったのに…。哀れな女。廟で首つって死んだんだよ」
「…。俺のせい…?」
「そうだ。お前のせいだ。責任とってお前も死んでしまえ」
雅巳の頬がひくりと動く。まずいと思い、凛が口を挟む。
「違うわ!! 雅巳さんのせいなんかじゃないわ!!」
しっかりしろと、雅巳の袍を掴み、必死で訴える。雅巳は意識を取り戻し、腰を擦る。
「じゃあ俺を刺したのも…?」
「その女だ。…本当はその馬鹿女を刺したかったみたいだけどな」
「ば…!! あのね!!」
「うるさい。お前はその女に会っているんだよ」
「は…? 私が?」
動きをぴたりと止めた凛を見、要が「ぷぷ」っと笑う。
「ふざけないでよ!! 何で私が…!!」
「文句を言いに来た女。そう言えば分かるか?」
「…!! あの人なの!?」
確かに直接会っていると思い出し、大きく驚愕する。あの文句を言いに来た2人はもうこの世にいないのだと思うと、ぞっとして身震いする。
「今頃、怖くなったか? ぷぷ」
愉快そうに笑う要に、凛は狂っているとしか思えなかった。
ー嫌だ、この人…。暗くさせてくる。
雅巳と同じ腹から生まれたのかと思うくらい、暗い性格のようだった。雅巳がそれに引きずられようとしているので、凛がパンと手を打つ。
「はっ!! 俺は…」
「大丈夫。雅巳さんのせいじゃないから」
努めて強く言うと、要が邪魔してくる。
「あーあ。お前、邪魔なんだよ。いつも雅巳にくっついて。お前なんかいなくなってしまえ」
「あなたのほうがいなくなりなさいよ!! 嘘ばっかり言って!!」
「嘘? 嘘だと思うのか? あはは!! 馬鹿女」
雅巳の耳を塞ごうとすると、彼は「大丈夫だ」という意味で手を挙げてきた。凛は深くうなずくと、彼を信じることにした。
「じゃあ兄さんに聞くけど、少年を毒殺したのは…」
「俺じゃないぞ。本当か、嘘か、どっちだ?」
「あのね、遊んでいるわけじゃないのよ!! はっきり言いなさい!!」
「ぷぷ。熱くなっちゃって…。馬鹿じゃないの?」
とらえどころのない相手に、凛も苦戦する。要は埃を払い、立ち上がると、雅巳の顔を指す。
「その顔、むかつくんだよね。そのせいで、どれだけ俺が苦労したことか」
「はっ…? 何を言って」
「黙っていろ。顔だけが取り柄のくせに…!! お前なんか小さい頃から嫌いなんだよ!!」
「そんな…。俺は兄さんのこと…!!」
「嫌いだろう。お前と違って不細工だし、もう何回も何回もそう言われてきた。俺のほうが優秀なのに…!!」
要は毒を吐き、その場を凍らす。兄弟なのに、全然違う2人。
ー何だか泣きたくなってくる。
要は要で苦労したようだが、凛が心を痛めたのは雅巳のほうだった。同じ家族、同じ血が流れているばずなのに、そこまで言ったりやったりする必要があるのだろうか。
ー同じ家に生まれなければ…。
雅巳もそう思っているのか、袍を強く握りしめる。要のほうはその姿が嬉しいらしく、「ぷぷ」っと笑う。
「言っておくけど、俺はあの家を出るからな。親交のある貴族の元へ身を寄せるから、あとは任せた」
「あとは任せたって…。無責任な」
「無責任なのは、お前だろう? この人殺し!!」
「人…!!」
「もうやめてよ!!」
凛が大声で止めに入り、雅巳の体を後ろから抱きしめる。先程から体が泣いていると感じていた。本当なら清と凛みたいに仲の良い関係がいいのに、この兄弟は複雑だった。
ー雅巳さんが辛そう!! 何とかしてあげたいけれど!!
今の自分には抱きしめることしかできなかった。それが伝わったのか、凛の手に自分の手を雅巳が重ねてくる。
「…兄さん、1つだけ言っていい?」
「何だ?」
「本当に少年を毒殺したのは、兄さんなんじゃないの?」
「さて、何のことだか?」
ひらひらと手を振り、上手くかわしていく。答える気はなさそうだった。
「ーじゃあね。俺はこれで去るから」
「ちょっと待ってよ…!!」
「待つか、馬鹿。お前の命令なんか聞いてたまるか」
要は吐き捨てると、背中を向けてくる。凛は悔しくて吠える。
「この…!! 卑怯者!! どこまで逃げる気!!」
「…何だと」
要の声に怒気が混じり、怖い表情で振り返ってくる。しかし凛は負けるわけにいかなかった。
「雅巳さんのほうがよほど人間らしいわ。あなた、悪魔みたい!!」
「悪魔!! はは。面白いことを言う女だこと」
腹を抱えて笑った後、要はずいっと体を前に出してくる。
「言葉には気をつけろ! お前なんか俺に話しかけて良い身分なんかじゃないんだよ」
「何が身分よ…!! 関係ないでしょう!!」
「関係あるんだよ、馬鹿女。ぷぷ。社会ではな、身分のあるなしで決まるんだよ。分かったか?」
「分かるわけがないでしょう!! 人間は同じ人間よ!!」
「馬鹿女だな…。お前にはお似合いだ」
凛の相手は嫌だと顔を顰めると、要は雅巳に話しかけてくる。
「いつもお前を見ているからな。気をつけろよ」
「…。どういう意味?」
「さぁてね。じゃあねー」
軽く言うと、一人だけ去っていった。残った凛が地団駄を踏む。
「くそ…!! 悔しい!! 何でよ!! こんな結末って…!!」
「…。俺も同じくらい悔しい」
道をだんと蹴ると、雅巳は目頭を押さえる。
「…言葉って難しいな。俺、よく分からなくなってきた」
「大丈夫よ、雅巳さん。私がいるから…!!」
強く後ろから抱きしめてやる。この人はこうやっていつも我慢してきたのだろうかと推測される。
ーあの家族の中で、一番まともなのはこの人だわ。
泣いてもいいと背中を撫でたのだが、今は気持ちが悪いのか、拒否してきた。凛は体を放し、確認する。
「雅巳さんは1人じゃないからね。死んだりしないわよね?」
「…。そういう風に見えるか?」
十歳は年取ったように見える。要の奴…と心の中で吐き捨てると、凛は言葉をかけ続ける。
「大丈夫、大丈夫。私なら何ともないし。それに悪いのは雅巳さんじゃないわ。皆、狂った人間の仕業なんだから…!!」
「狂った人間か…。はは」
乾いた笑いに、凛はぱしりと雅巳の頬を軽く叩く。
「辛いなら辛いって言うこと!! もう我慢しなくていいのよ!!」
「…ありがとう」
そう答えると、雅巳は空を見上げる。星が見え始めていた。
「星は喧嘩しないのに…。神様は何で人間に考える能力なんか与えたんだろうな」
「…。多分だけど」
凛は言葉を選びながら話す。
「神様同士が喧嘩しないように、癒しの存在として人間を創ったんじゃないかしら? 自分達を慰めてくれるように。私はそう思うけど」
「…そうか。癒しの存在か」
雅巳の笑顔はぎこちなかったが、それでも言葉を聞いてくれただけでも良かった。今は雅巳に善の力を与える必要がある。
「雅巳さん、光のあるところを歩きましょう。大丈夫、私が一緒にいるから。うるさいくらい喋ってあげる」
「うるさいくらい…? なるぼどな」
ぽんと頭を叩かれ、雅巳は大きく息を吐く。
「さて帰るか」
「うん。そうしよう」
雅巳の声が少し明るくなったので、今はそれで良しとすることにした。




