【1】
秋晴れの下、2人の人間が歩いていた。そのうち1人、葉凛は恥ずかしそうに下を向いている。
ー全くもう。
大きなため息をつきたかった。もちろんすればいいだけの話で、夕方の農道は静かだった。今は葡萄が実りを迎えており、甘い香りが漂ってくる。ただし吹く風は少し冷たかった。朝晩と冷えるようになったのだ。
ー早くしないと暗くなりそうね。
空を見、茜色に染まり始めたのを確認する。夜の主役の月がそろそろ顔を出しそうだった。
しかし目の前を歩く青年に声がかけづらかった。それというのも、とあることがあり、気まずいのだった。
ー意識しない!! 意識しない!!
首を横に振ると、生えているエノコログサを手に取る。凛は猫じゃらしと呼んでおり、触れると気持ちがいいのだった。それを上下に振りながら、凛はついにため息を吐く。
ーどうしてくれようかしら。
前を歩く青年ー玉雅巳の背中を睨みつける。歳は1つ上で顔は凛に比べればかなり美形だった。今も日光を受け、髪がきらきらと輝いている。体格も肉づきがよく、文句のいいようがなかった。その彼と何で歩いているのかと言うと、凛のダイエットのためだった。大分、減って皆から喜ばれるようになったのだが、まだまだだった。
ーさすがに誰もいないわよね。
葡萄畑は誰もいなかった。朝や昼であれば、手巾を頭にかぶった人達で溢れていただろうに、今は淋しい光景だった。他にいるとしたら、長く伸びた2人の影くらいである。
猫じゃらしで遊びながら、凛は広い背中を追う。無言は今はありがたかった。目も合わせられないのだ。
ー額にキスするからいけないのよ。
それ以来、ずっと照れくさかった。額に触れ、1人で赤くなる。凛は首を横に振ると、何とかやり返せないものか考える。
ーそうだ!!
良い案を思いついたと目を輝かせ、顔を上げる。そんなことは露知らず、雅巳は前を向いたままだ。
ー試しにやってみよう。
くすっと笑い、雅巳に声をかける。
「…あの!!」
意外と大きな声になったなと自分で思い、口を閉じる。まだ目は見られないので、猫じゃらしで気をまぎらわせる。
「ー何だ? どうした?」
雅巳が心地の良い声で言い、振り返ってきた。悲鳴が出そうなくらい、その姿は美しかった。神の祝福を受けたかのように、光景が目に焼きつく。
ー…。やって大丈夫かしら?
これから自分がやろうとしていることが、彼にどういう影響を与えるか少し心配になる。しかし後戻りはできない。意を決した凛は猫じゃらしを使って雅巳を呼ぶ。
「ちょっとかがんでくれる?」
「は? 何のために?」
「いいから」
少し強めに言うと、首を傾げながらも雅巳が腰をおとしてくれた。やった、と心の中で喜び実行に移す。
「あのね…。ふー」
耳の中に空気を吹き込む。その途端、雅巳の体がビクッと反応し、耳をおさえる。
ーやった!! やり返せた!!
喜ぶ凛に対し、雅巳は耳をおさえながら頬を赤くする。凛がまさかそういう行動に出るとは思わなかったのだろう。
「…お前は…!!」
怒り出すのは当たり前で、凛も身構える。雅巳は何か言おうと口を開いては閉じを繰り返す。
「あの…」
「もういい!! おいていく」
雅巳の歩く速さが増した。凛は喜ぶのをやめ、必死でついていく。
「あの、ごめんなさい!!」
自分のほうが悪い気がして謝るが、雅巳は許してくれない。
ーいいじゃない。少しくらい遊んだって。
そう思う自分と、悪いことをしたかなと思う自分とせめぎ合う。
「待ってってば…!!」
「嫌だ。おいていく」
そう言い、雅巳は前を向いたままだった。気のせいか、耳が赤い気がする。
「もう!! 謝ったじゃない!!」
「…」
無言で雅巳は歩いて行ってしまう。どうしようかと凛は考えながら、やや駆け足になっていく。周りに誰かいたら、仲睦まじい恋人同士に見えたかもしれないが、そんなことは2人とも知らない。
「待ってってば…!!」
凛の声だけが響く。その2人を見る暗い影があるなんて、知る由もなかった。




