第4話 身体の異変
翌朝、由美は目を覚ました瞬間、異常を感じた。
腕が、異様に重い。
何かが乗っているような、しびれるような感覚。恐る恐る布団をめくる。
腕一面に、青黒い痣が広がっていた。
「えっ……?」
昨夜、どこかにぶつけた覚えはない。それどころか、こんなに広範囲に痣ができるようなことはしていない。
「ママ?」
ふと、部屋の入口に娘の美咲が立っていた。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない。大丈夫よ」
慌てて腕を隠す。
娘を不安にさせたくない。
だが、昨夜の水滴の跡、あの女の言葉……すべてが繋がっている気がしてならなかった。
何かが近づいている。
──いや、もうすでに取り憑かれているのかもしれない。
◆スーパーの異変
今日こそは何も起こらないでほしい。そう願いながら、スーパーへ向かった。
仕事が始まり、しばらくは何事もなかった。
だが、異変は不意に訪れた。
レジを打っている最中、ふと横のカゴ置き場に目をやると──
カゴの隙間から、白い指が覗いていた。
「──っ!」
反射的に後ずさる。
気のせいかもしれない。もう一度見てみる。
……何もない。
(……本当に、疲れてるだけ……?)
だが、客の対応をしている間も、どこかから視線を感じる。
誰かが、ずっと見ている。
レジの向こう、鏡張りの柱の中──。
そこに、黒く潰れた目の女が立っていた。
(なんで……!?)
心臓が締め付けられる。
すると突然、レジのディスプレイがちらついた。
ピ、ピ、ピ──
画面にノイズが走る。
そして、映し出されたのは──
「……やめて」
女の顔だった。
ぼそりと、かすれた声が聞こえる。
「──ッ!」
思わず手を引っ込めた瞬間、画面は元に戻った。
「由美さん、大丈夫?」
隣のレジの坂井さんが、怪訝そうにこちらを見ていた。
「ご、ごめんなさい……ちょっと、眩暈がして……」
「無理しないほうがいいわよ?」
頷くが、指先は震えていた。
◆消えた夫
シフトが終わり、急いで帰宅した。
だが、玄関を開けた瞬間、異変に気づいた。
「……健二?」
夫の靴がない。
今日は早く帰ると言っていたはずなのに、まだ帰っていないのだろうか?
「美咲ー、パパ帰ってきた?」
「え? ずっと帰ってないよ?」
リビングで宿題をしていた娘が答える。
おかしい。電話をかけようとするが、スマホの画面がフリーズしたように動かない。
(……なんで?)
すると、玄関から微かに水音が聞こえた。
ポタ……ポタ……
(……水?)
恐る恐る振り返る。
──玄関の床が、びしょびしょに濡れていた。
まるで、誰かが濡れたまま入ってきたかのように。
ぞわりと悪寒が走る。
そのとき、娘がぼそりと呟いた。
「ママ……パパ、帰ってきたんじゃないの?」
「え……?」
「さっき、玄関のところで見たよ? でも、すぐ消えちゃった」
「……」
夫は、どこにいるのか?
本当に帰ってきたのか?
それとも……。
「……ママ、ドアの向こうに誰かいるよ?」
娘が指差したのは、玄関のドア。
ドアの向こう、すりガラスの向こうに、ぼんやりとした人影が立っていた。
動かない。
ただ、じっと、こちらを見ている。
「……パパ?」
尋ねる。
返事はない。
コンコン。
ドアを叩く音。
「……パパなの?」
返事はない。
「……開けていい?」
美咲がそっと手を伸ばす。
「ダメ!!」
思わず叫んだ瞬間──
──ドアの向こうの影が、にやりと笑った。
その顔は、夫ではなかった。
黒く潰れた目の、あの女だった。
「──っ!!!」
一気に息が詰まる。
美咲の手を引き、玄関から離れる。
ドアの向こうの影は、ゆっくりと後ろへ引いていった。
やがて、すりガラスの向こうから姿が消える。
静寂だけが残った。
「……ママ?」
娘が怯えた声を出す。
わかっている。もう、これは偶然なんかじゃない。
あの女は、確実に由美と美咲を狙っている。
もう、安全な場所なんてどこにもない。
「……パパ、どこにいるの?」
夫のスマホを再び鳴らす。
だが、繋がることはなかった。
──その翌日、夫は見つかった。
しかし、その姿は、もう元の夫ではなかった。