第10話 水に囚われた者
由美は美咲を抱きしめたまま、荒い息をついていた。
テレビの画面に映った光景──水の底で白いワンピースの女に抱かれる健二。
それは幻なのか、それとも現実なのか。
だが、ひとつだけ確かなことがあった。
──健二はまだ、どこかにいる。
それが救いようのない形なのか、それともまだ助けられるのかはわからない。
けれど、由美は決めた。
夫を、取り戻す。
「美咲……おばあちゃんの家に行く準備をしようか」
「……でも、パパは?」
「ママが探すから、大丈夫よ」
美咲は少し不安そうな顔をしたが、ゆっくりと頷いた。
ふと時計を見ると、朝の9時半を回っていた。
(まずは、美咲を安全な場所に──)
そう考えながら、キャリーバッグを取りに寝室へ向かう。
だが、その瞬間。
──ザザ……ザザ……
また、テレビが勝手についた。
振り返ると、画面の中に映っていたのは、団地の敷地内にある貯水槽だった。
(……貯水槽……?)
薄暗い映像の中、水面がわずかに揺れている。
よく見ると、水の中に何かが沈んでいる。
白い布が、ゆらゆらと漂っていた。
(……誰かがいる……?)
目を凝らした瞬間──
映像の中で、沈んでいた"それ"が突然動いた。
ぐるりと顔を向けたのだ。
それは……健二の顔だった。
「──健二!!!」
反射的にテレビに駆け寄る。
水の中で、健二の黒く潰れた目がじっとこちらを見つめている。
次の瞬間、画面が途切れた。
そして、画面いっぱいに女の顔が映った。
「……もう、遅いのよ」
ザザッ……!
ノイズが走り、テレビが消える。
部屋に響くのは、またあの音。
ポタ……ポタ……ポタ……
水の滴る音。
由美の耳元に、ひそやかな声が囁いた。
「あなたも、こっちへおいで」
ゾクリと背筋が凍る。
「……いいえ、行かない……!」
由美は震えながら叫んだ。
「私は、健二を取り戻す!!」
◆貯水槽へ
10年前、あの団地の近くで妊婦が亡くなった。
助けを求めながらも、誰にも気づかれず。
あの女は、恨みを抱えたまま、水の中に囚われた者たちを増やしている。
健二も、その餌食にされかけている。
でも、まだ遅くない。
(あの貯水槽に行かなきゃ……)
美咲を安全な場所へ預けたら、すぐに向かおう。
由美は決意し、急いで荷物をまとめる。
だが、ふと異変に気づいた。
──リビングの床に、水の足跡が点々とついていた。
(……え?)
足跡は、由美の背後へと続いている。
ゆっくり振り返る。
そこには、白いワンピースの女が立っていた。
黒く潰れた目で、じっとこちらを見つめている。
にたり、と笑った。
「……もう、遅いのよ」