貴方の幸せを願いリボンを贈る
ガダル男爵領の中央区の噴水前、チョコレートブラウンの髪をおさげにした少女が待っていた。
「マリン!遅れてごめん」
「いいえ、エド、私も今来たところだから、気にしないで」少女は柔らかく微笑んだ。
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マリンとエドは仲の良い友人である。
昨年マリンが街で酔っ払った男たちに絡まれていた時に、助けてくれたのがエドだった。
昼酒で酔っぱらっていた男たちは断っても断ってもしつこくて、逃げようとしても後ろは壁、目の前には男3人が立ちはだかっており、マリンは困り果てていた。周囲にいる人達は横目で見るだけ。男たちは傭兵のような恰好をしており、ガタイのよい身体から発せられる大声に皆おびえているようで、助けてくれる人はいなかった。
(誰でもいいから警備隊の方を呼んできてっ)と心の中で願っていると、「その女性は困っているようですよ」と通る声が聞こえた。声の方に目を向けると、黒髪で眼鏡をかけた男性が立っていた。
一瞬黙ってくれていた男たちは、「おめぇに関係ねえだろう」「ヒーロー気取りが」「俺たちと遣り合おうっていうのか」などと怒鳴り声をあげ、男性の襟首をつかんだ。
そして、ちょうどその時、警備隊が駆けつけてくれた。彼が戦って男たちを倒して助けてくれたとか、さっそうにマリンを連れて逃げてくれたとかではないけれど、皆が遠巻きに見ている中彼だけが声をかけてくれたということがマリンは嬉しかった。
「ありがとうございました!」
「いえ、警備隊が間に合ってよかったです」
「あ、あの、お礼をさせてくださいませんか」
「私は何もしていませんので…」
「あの中で声をかけてくれただけで私は救われました。しかも、あなたのお洋服も汚れてしまいました。弁償します!本当に申し訳ございません」男たちに捕まれた時に襟に汚れが付いたようだった。マリンはハンカチを取り出し汚れを拭うが綺麗にとれてくれない。
「高い服でもありませんし、あなたは悪くありませんよ。気にしないでください」
「でも、私の気がおさまりません…。では、もし、もし、良かったら、お茶にでも行きませんか?甘いものとかお好きですか?ご馳走させてください!って、男性は苦手ですかね。それだったら、ご飯でも!物でもなんでも!」
そう言うと、彼は笑って「甘いもの好きですよ」と言ってくれた。
「行きたいところはありますか?」
「はい!あ、そもそも名前も名乗らずにすみません…。私はマリンと申します。あの、この街に来ると必ず行くカフェがあって」
「私はエドです。マリンさんはこの街の外から来られたのですか?」
「はい、隣から。父の仕事によく一緒についてきていて」
「そうなのですね。この街で怖い思いをさせてしまって、本当に申し訳ありません」
「それこそあなたのせいではないです!あ、ベリーズカフェというのですが、エドさんは知っていますか?よくタルトを買って帰るのです。店先で買ってばかりで、店内に入って食べたことはないのですが…」
「はい。そこのタルトが私も好きです。店内も落ち着いた雰囲気で良いですよ」
「そうなのですね。楽しみです!…これではお礼になっていないですね」
「食べたくてもどうしても男一人では入りにくいので、十分お礼になっていますよ」
店内は落ち着いた雰囲気で、騒がしい街の中でこの店だけゆったりとした時間が流れているようだった。席に座りメニュー表を眺めていると、店員さんが注文に来てくれた。
「私は、春のフルーツタルトと紅茶のセットで。エドさんは何を食べられますか?」
「私はベリーのタルトとコーヒーのセットでお願いします」
タルトはとっても美味しかった。そしてエドと話してみると、お互い読書が好きだったり、しかも好きな本や作者が一緒だったりと共通点も多く、会話は盛り上がった。エドはこの街のことをよく知っていて、いろいろと教えてくれた。
お礼としてこの店に連れてきてもらったので会計は私が、と支払いしようとするエドを必死に何とか止め、外に先に出てもらった。会計を終え、マリンも店を出る。
「今日はありがとうございました。とても楽しかったです。…あの、私、来週もこの街に来る予定なのですが、もし、よかったら、またお会いできませんか?」
「…ぜひ。私もあなたとまた会えるのは嬉しいです」
「良かった!では、今日お会いした時間に広場の噴水前ではどうですか?」
「かまいません。あと、これ、良かったら」そう言うと紙袋を渡された。
「ここの焼き菓子も美味しいんです。よかったらお土産に持って行って下さい」
「いつのまに…!」
「さぁ、いつでしょう」
「ふふ。では、また来週よろしくお願いします」
「はい、また」
それから、マリンが街に来る時は、エドと毎回会うようになった。来る度にマリンが行ってみたかったところやエドのおすすめの場所に連れて行ってもらい、楽しい時間を過ごした。次第にお互いに敬語も使わなくなった。次は~に行こうと約束をし、必ず「またね」と言って別れた。会うのが10も超える頃にはマリンはすでにエドに惹かれている自分に気付いていた。そして、エドも自分のことを好いてくれているのではないか、そう思ってしまうほど、エドは優しく、マリンのことを温かな目で見てくれた。ただ、マリンは何も言わなかった。そして、エドも同じく。
今日はガダル湖に来ている。ガダル男爵領の中央区は、街から少し足を延ばすと自然豊かな場所が多くみられる。ガダル湖はとても水質が綺麗で、国内でも2番目に大きい湖だ。美しい湖畔の風景を楽しめるだけではなく、マリンスポーツを楽しむ人もいる。領としても観光面に力を入れてきているようで、新しいお店も建ってきている。また、養蚕・製糸業も盛んで、ガダル絹は国の中でも評価が高い。
マリンとエドは、ガダル湖でボートに乗ったり、周辺を散策したり、お弁当を食べたりして過ごした。エドとの時間は本当いつもあっという間だ。気がつくとに帰る時間となってしまった。
街に向かって歩いていると、「マリン」と突然エドに呼ばれた。エドの方を向くと、とても真剣な目をしていた。そんな表情は初めて見た。
「マリン、今日で会えるのは最後になる」
「えっ?」
「…結婚することになるんだ」
「!」
「父から言われたんだ。…僕は、僕の本当の名前はエドじゃない。エドウィン・ガダルというんだ」
「…ガダル男爵家のお方、ですね」
「今まで黙っていてごめん。僕はガダル男爵家の現当主の次男なんだ。ずっと言わないとと思っていたけど、マリンとの関係が変わってしまうと思ったら言い出せなくて。本当に情けないと思う。でも、もう遅いけど、今更だけど、僕の我儘なんだけど、マリンにどうしても本当のことと自分の気持ちを伝えたくて。…マリンのことが好きだって」
「…エド、ウィン様」
「マリン、僕はマリンが好きだ。僕は男爵家の次男だから、今まで結婚について特に何も言われてなかった。兄も成人していて、父の後を継ぐ準備をしている。だから、君との未来を考えてしまうほど、僕はマリンに惹かれていた」
「…」
「でも、ガダル男爵領を長く支援してくれていた貴族様の領地が今困っている。ガダル領が今発展できてるのはその貴族様の力があったから。だから、そのために僕も恩を返したいと思うし、そのための婚約を受け入れることは、末端でも貴族の子息である僕の義務だと思っている。その上で君に気持ちを伝えるなんて自分勝手甚だしいんだけれど…今でも分かっているのだけど…どうしてもマリンに気持ちを伝えたいと欲が抑えきれなかった。…これを受け取ってくれないか」
そう言って出された箱は中身が見えるようになっており、中にはピンク色でチョコレートブラウンのレースがあしらわれたリボンが入っていた。ガダル領産の絹で作られたリボンだ。
「マリンの髪の色と瞳の色で作ってもらったんだ。本当は、僕がマリンを幸せにしたかったけど、出来ないから、マリンには絶対幸せになってほしいから、リボンを贈らせてほしい」
「…」
「ダメ、かな?」
「エド…、エドウィン様。一生大切にします。一生、一生」
「マリン、泣かないで。ごめん、本当にごめん。受け取ってくれてありがとう」
マリンが泣き止むまでしばらくエドウィンは背中をさすってくれた。
「マリン、元気で」
「エドウィン様も」
「マリン…さようなら」
「…いつも通りにさよならしましょう!エド!またね!」
「そうだね…またね、マリン」
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翌月、エドウィンは父とともにカムイ伯爵家を訪れていた。応接間で、カムイ伯爵とその娘、エドウィンの婚約予定の相手を待っていると、しばらくしてカムイ伯爵が入ってこられた。
「ガダル男爵、今日はこちらまで来ていただいてありがとうございます」
「カムイ伯爵、そのようにかしこまらないでください。私は、私たちは今までの恩に報いたいのです。息子を婿にとお話しいただけたことだけで私たちは光栄な思いを抱いております。そして例えそれがなくても、私たちはカムイ領のために支援は惜しみません。ガダル領の今があるのは、カムイ伯爵家のおかげなのですから」
「本当にありがとうございます、ガダル男爵、エドウィン君も。しかし、ただで支援を受けることは出来ません。名ばかりかもしれませんが、伯爵家との繋がりによってガダル男爵家に少しでも利があればと願っています。娘も婚約について納得していますし、エドウィン君はとても誠実な人だと聞いています。安心して娘を任せられる。エドウィン君と娘でよい関係を築いてもらえれば嬉しく思います。…では、さっそくだが娘を紹介します。マリア―ヌ、入りなさい」
「失礼いたします」
女性が入室すると、エドウィンは不躾にも音をあげて立ち上がってしまった。入ってきた女性が、チョコレート色の髪色でピンク色の瞳をしていたから。
「エドウィン!」父にたしなめられ、「申し訳ありません」と深く頭を下げる。
そこからは先はあまり覚えていない。父たちの話は頭に全くと言っていいほど耳に入ってこなかった。目の前に座っている女性にも逆に目を向けることができずにいた。
それでは当事者たちで交流を、とカムイ伯爵がマリア―ヌ様にテラスへ案内をするようにおっしゃっられた時、やっと意識が戻ったくらいだ。
マリア―ヌ様とともに部屋を出る。案内のためマリア―ヌ様がエドウィンの前を歩いており、後ろ姿だがやっとしっかり見ることができた。髪は三つ編みでハーフアップに結われており、ふわふわと揺れている。そして、その時エドウィンの目に入ったものにまた衝撃をうけた。
(マリンに渡したリボン…!?)
「お茶の準備をしてきますので少々お待ちください」
テラスにある椅子に座り、一緒にいた侍女が去ると沈黙がながれた。エドウィンはもはや何の言葉を発していいか全く分からなくなっていた。すると、ふふっと笑い声が聞こえ、ふいにマリア―ヌ様の方を見る。
「エドウィン様、また、お会いできましたね」
そう言っていつものように柔らかく微笑む彼女がいた。