政略結婚からの穏やかな愛情を拒む私は悪女でしょうか?
五月雨の午後、ポタポタと落ちる雫が葉を打つ雨音を聞きながらガランとした部屋を見渡す。
結婚する時の嫁入り道具の鏡台も箪笥も何もかも全て処分してしまった。
手に持つボストンバッグに入っているのは数枚の古びたワンピースとこれから乗る汽車の切符ぐらいだ。
慣れ親しんだ部屋をもう一度見渡してから別れを告げて居間に向かえば、元夫が項垂れて座っていた。
「……それじゃあ、私はもう行きますわ。」
別れの挨拶に一言声をかければ、元夫がのろのろと悲しげな顔をあげる。
「………リズベット……本当に…もうやり直せないのか?」
もうすでに書類上は夫婦でなくなっているというのに、まだそんな事を聞く夫の苦しげな姿に心が締め付けられるような気がしたが、応えることなく無言で外に出た。
外に待機させていた馬車に乗り込もうと足をかけると、ガラガラと別の馬車が勢いよく駆け込んできて、中から金髪碧眼の可愛い女性が転がるように飛び出して来た。
「待って、リズ!!」
彼女の名前はメルローズ・ノース。波打つような蜂蜜色のハニーブロンドに大きな琥珀色の瞳の可愛らしい女性で、私の女学生時代からの親友だ。
今日ばかりは彼女の顔を見たくはなかったが、仕方なくそちらへ顔を向けた。
「…あらメル、そんなに急いでどうしたの?」
「どうしたのって、貴女が離婚したって話を聞いたから駆けつけてきたのよ!
本当なの?本当に離婚してしまったの!?」
「ええ本当よ。もう書類も受理されたわ。」
「そんな……。どうしてなの?貴女達あんなに仲が良かったじゃない。
なんとか今からでも考え直すことは出来ないの?せめて理由をちゃんと教えてちょうだい。」
私達の離婚にショックを隠せないという表情だ。きっと理由などまったく思い浮かばないのに違いない。
彼女の瞳には只々困惑と心配の色が浮かんでいる。
彼女が心底心配してるのが分かるから、私は冷たく突き放す。
「うるさいわね。……貴女には関係無いことでしょう?」
私の言葉にショックを受けた顔をしたメルローズは、瞳を潤ませながらそれでも必死に私を止めようと言葉をかける。
悲しくなるくらい誠実で、私の事を思ってくれる親友の気持ちがどれほど私を追い詰めるのか、彼女は全く分かっていない。
「関係ないって、私達親友じゃない!貴女に後悔して欲しくないから言ってるのよ!」
それは真実、彼女の本心。だから私は嘘をつくしかない。
「……後悔なんてしないわ。」
きっぱりと告げれば親友の顔には困惑の表情がさらに広がった。
「だ、たけど、貴女はあんなに旦那さんに尽くしていたじゃない。
それは旦那さんを愛していたんじゃなかったの?
それに貴女だってあれほど大事にされていたじゃない。
このままでは旦那さんも可哀想だわ。せめてもう一度だけ思い直してちょうだい。」
ええ本当に可哀想。そんな事は私が一番分かってる。だから私は笑顔で言った。
「可哀想だと思うなら貴女が慰めてあげたら?」
彼女が息を呑み大きな瞳が更に見開かれる。
「何を言っているの?どうして私が………。」
「別に、ただそう思ったから言っただけ……。悪いけれど汽車の時間があるの。これで失礼するわ。」
「待って!リズあなた何か勘違い…………。」
追いすがろうとする彼女を無視して馬車に乗り込んだ。
(勘違いなんかしてないわ。貴女が潔白なのは分かってるもの。)
「出してちょうだい。」
呼び止める彼女の声が聞こえたけれど、聞こえないふりをした。
馬車の窓から騒ぎに気づいた元夫が屋敷から出てくるのが見えた。
私の親友に近づいて行く元夫。
遠ざかってしまって何を言っているのかは聞こえないけれど
ペコペコと彼女が頭を下げているのが見えるから、『親友がごめんなさい。』とでも言っているのだろう。
元夫はきっと『君が謝ることじゃないよ。』とでも返しているに違いない。
小さくなる二人の姿を視界から外し、もう2度と会わない二人に心の中で、『ごめんなさい。』と呟いた。
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馬車の到着先である駅には一人の男性が待っていた。
長身で黒髪に青い瞳の美丈夫は、私が到着すると微笑んだ。
「やあ、早かったね。荷物はこれだけかな?」
「わざわざ待っていて下さったの?」
「君のことが心配でね。無事お別れ出来たかい?」
私からボストンバッグを受け取ると、汽車まで私をスマートにエスコートしてくれる。
「ベンジャミン様のご協力のお陰で100%私の有責で離婚することが出来ましたわ。お礼申し上げますわ。」
「私が好きでした事だよ。君が気にすることはない。」
「でも、これから住む場所も就職先までお世話してもらって………私は何もお返し出来ないというのに………。」
「それも私が好きでしてる事だよ。それにお返しと言うのなら、君がこれから側にいてくれる事が私にとっては最高の見返りに他ならない。下心でやっている事だ。君はただ受け取ってくれればいい。」
「でも………。」
「そんな申し訳なさそうな顔しないでくれ。約束通り、君は私の会社で働いてくれればいい。無理に君に手を出したりもしない。君がどれほどあいつを愛していたか、これでも私は分かっているつもりだよ。だから今はゆっくり気持ちを落ち着ければいいよ。私のことはその後気が向いたら考えてくれればいい。」
「………ベンジャミン様。」
「今日はもう疲れたろう。汽車に乗り込んだら隣国に着くまで眠ってしまうといい。」
案内された一等車両は個室の座席で、言われるままに横になった。
気を張っていたせいか、横になればあっという間に睡魔に襲われ眠くなる。
「俺は隣の個室にいるから、気兼ねなく休むといいよ。目的地に着いたら起こしてあげるから。」
ベンジャミン様の優しさに付け込んで、私はゆっくり瞼を閉じた。
本当になんて悪女だろうかと思いながら。
〜〜〜〜〜〜
元夫のルイス・フロリアンに初めて会ったのは、ルイス様が15歳、私が13歳の二人の婚約式でだった。
紡績工場を経営するの私の実家と染物問屋を経営するルイス様の実家との繋がりを強めるための完全なる政略だった。
「初めまして、僕のお嫁さん。」
初めての婚約者との顔合わせで緊張していた私に、ルイス様は温和な笑顔で話しかけてくれて私の心は一気にほぐれた。
ふわふわの薄茶色の髪に、新緑を思わせる翠の瞳はとても優しげで、こんな優しそうな人が結婚相手で良かったと心から安堵した。
政略での婚約だったけれど、ルイス様は穏やかで、とても丁寧に接してくれた。そんなルイス様を私は好ましく思った。
婚約期間は順調に過ぎて行き、次第にリズベットの気持ちは好ましいから好きになり、もうすぐ結婚という頃には愛してるへと変わって行った。
そして婚約から5年後、ルイスが20歳になったのを機に二人は結婚した。
「僕達は政略結婚になるけれども、穏やかな愛情を育んで行こうねリズベット。」
「はい、ルイス様!」
結婚式でルイス様はそう言ってくれて、私は心の底から彼と結婚出来て幸せだった。
ルイス様は自身が言った通りに穏やかな愛情を私に注いでくれた。
いつも優しく私の事を大切にして気遣ってくれた。
そんなルイス様に私の愛情は増すばかりだった。
だから、ルイス様の為に出来ることは何でもしようと心に決めた。
ルイス様の喜ぶことを探し、好きな物を用意し、いつでも彼が快適であるように努めた。
ルイス様の健康を考えて、食卓にはルイス様の好みに合う沢山の手料理を毎日並べた。
ルイス様が素敵に見えるように実家から最高級の生地を取り寄せてオーダーメイドのスーツを作らせた。
ルイス様の仕事の助けになるように、人脈を広げるためにパーティーに積極的に参加して、接待にも力を入れた。
人間関係に彼が悩まされないように、ルイス様の両親、知人、友人、部下に至るまで細々と気を配った。
そんな私にルイス様はいつも穏やかに『ありがとう』と言ってくれたので、私の心はそれだけで有頂天だった。
ただ段々と、二人の愛情の温度差が寂しいと思うようになった。
結婚してからも私のルイス様への愛情は増す一方なのに対して、ルイス様の私への愛情は穏やかなまま、婚約した頃と変わりがないように思えたから………。
パーティーなどで知人や友人に夫婦の仲の良さについて聞かれたり、からかわれると決まってルイス様はこう言った。
「僕達は政略結婚だからね。お互い恋愛結婚のような激しい感情はないけれど、その分穏やかな愛情を育んでいるよ。」
”穏やかな愛情"
いつもルイス様は私への愛をそう表現した。実際その通りだし、ルイス様からは十分に愛されているし大切にしてもらっている。
もしかしたら友人たちから揶揄われるのが嫌で照れ隠しでそう言っているだけなのかもとも思った。
だけど、この言葉を聞く度に、私がいくら愛してもルイス様の愛は只の家族愛だと言われたようで悲しくなった。
それでもルイス様はいつだって優しく私を優先してくれたから、長い年月をかけていけば、いつか同じような愛情を持ってくれるかもしれないと希望を持っていた。
思えばこの頃がルイス様と結婚してから一番楽しかった頃だろう。
ルイス様にもっと愛して貰いたくて、毎日毎日彼の為に頑張る日々だった。
それが崩れたのは、私の親友のメルローズが留学先の隣国から帰って来た時からだった。
親友のメルローズは女学生時代からの友人で、優秀な彼女は隣国パリスの進んだファション文化を勉強する為にずっと留学していた。
留学中で私の結婚式に出られなかった彼女は、私が幸せに暮らしているかをいつも心配してくれていた。
優しくて、頭がよくて、私の事をとても大事に思ってくれる親友は私の自慢だった。
『帰国したら私の大切な親友に相応しい旦那様かどうか見定めなきゃね。』
留学先からそんな手紙を送ってきては、私を温かい気持ちにしてくれた。
そんなメルローズが帰国したのは私が結婚して一年が経つ頃。
彼女の帰国を祝うパーティーに夫婦で呼ばれ、久しぶりに彼女に会えることに、それからやっと夫を紹介出来る事に胸が浮き立つような気分だった。
(メルローズは何ていうかしら?祝福してくれるかしら?それとも親友のリズに相応しくない!なんて怒り出してしまったらどうしましょう。)
可愛らしく華奢な彼女は、見た目とは違ってハッキリと自分の意見を言うタイプだ。
(夫の私への愛情が足りないなんて思ったら、もしかしたら夫がお説教されてしまったりするかもしれないわ。)
なんて余計な心配までしながら再会を楽しみにしていた。
出席したパーティーで、私を見つけたメルローズは直ぐに駆け寄ってきた。二人で抱き合って、久しぶりに会えた事を喜び合った。
久しぶりに会った彼女は、可憐さに磨きがかかり、自信に満ち溢れていてとても輝いていた。
こんな素敵な女性が自分の親友なのだと思うと鼻が高かった。
(夫もきっと素敵な親友だねと言ってくれるに違いない。)
そして夫を紹介しようと、笑顔で横にいたルイス様を見上げ、メルローズも夫の方を向いた。
「紹介するわメル、私の夫の……………。」
私は最後まで紹介する事は出来なかった。
見つめ合う夫と親友が、世界にたった一人を見つけたとでもいう表情でお互いの瞳にお互いを映していたから。
ほんの一瞬の事だった。
すぐにハッと意識を戻した二人は、呆然とする私をよそに、何事も無かったかのように挨拶を交わした。
「初めまして。リズベットの夫のルイス・フロリアンです。」
「友人のメルローズ・ノースです。お会いできて嬉しいです。」
たったそれだけの会話だった。
本当にたったそれだけ………。
そのあとパーティーで二人が会話する事もなかった。
ルイス様がメルについて聞いてくることも、メルがルイス様について聞いてくることもない。
その後のルイス様の私に対する態度はまったく変わらなかった。
今までと同じ……優しくて穏やかで誠実な態度。
いつだって私を気づかい優先してくれる夫のままだった。
メルローズの私に対する態度も、まったく変わらなかった。
明るくて、楽しい、友人想いの親友のままだった。
ただ留学中あれほど夫について聞いてきたメルローズが、ルイス様の話題を一切出さない。
ルイス様もメルローズについて聞いてくることもない。
二人が私に隠れて会うなんてことも私が知る限り一度だって無かった筈だ。
パーティーや街角で偶然会うことがあったとしても、精々失礼にならない程度の挨拶をするのみ。
目すら合わせてはいないと思う。
だから私の思い違いだったのだと思った……思おうとした。
けれど出来なかった。
だって気づいてしまったから。
二人がそれぞれ別のタイミングで、そっと相手を目で伺っていることを。
無意識で相手を目で追ってしまい。気付いて目をそらす。
タイミングが違うから二人の視線が絡むことはないけれど、瞳には恋焦がれるような、切ない感情が滲んでいた。
そして二人が恋に落ちているのと同時に、恋を諦めていることも気づいた。
不自然なほど合うことのない二人の視線が、妻の親友を、親友の夫を、愛してはならないと己を律しているのだと物語っていた。
(よりによって、どうしてこの二人が恋に落ちてしまったんだろうか……。)
神様を恨んだ。
二人の出会いが私が夫と出会う前だったなら、せめて結婚する前だったなら二人の関係は違ったものになっていたに違いない。
本当ならこの時点で身を引くべきだったのかもしれない。
だけど身を引くことは出来なかった。
いっその事二人が浮気でもしてくれれば踏ん切りがついたのかもしれないが、二人がどこまでも誠実だったから望みが捨てられなかったのだ。
(このまま時をやり過ごしていれは、二人の恋の熱は段々と冷めて行くのではないだろうか。)
(ルイス様に尽くし続けていれば、いつか私の方を愛してくれるようになるのではないか。)
そんな期待を持ち続けてしまったのだ。
4年もの長い間。
苦しい思いを引きずりながら、二人の想いに気づかぬフリを続けながら、表面上は朗らかに穏やかな愛情に満ちた生活を続けた。
気付けば周囲からは "理想の夫婦" なんて褒め称えられるようになっていた。
『政略結婚の理想の在り方ね。』
『穏やかな愛情を育んでらして羨ましいわ。』
『私達もあなた達みたいな愛し愛される夫婦になりたいわ。』
政略結婚で結婚して、お互いに相手を尊重しあい、大切に思っている。
喧嘩することも、問題一つ起きない穏やかな愛情で結ばれた夫婦。
傍から見れば、それは正しく理想の夫婦の形なのだろう。
けれどそんな風に褒められ、称賛される度に私の心は軋んでいった。
それは結婚生活ももうすぐ5年目に近づいていた頃だった。
その日は私と親友のメルローズが卒業した学校の同窓会だった。
同窓会と言っても、只の同窓会ではなく卒業生の他に家族や知人も参加する大きなパーティーで、所謂人脈を広げる為のパーティーだった。
その為、既婚者はパートナーと一緒に出席することが一般的で、私はもちろんルイス様と参加した。
同窓会なので当然ながらメルローズも参加する。
正直に言えばルイス様とメルローズを会わせたくなくて欠席も考えたのだが、学生時代の友人達は仕事に繋がりのある人達も多く、人脈を繋ぐ意味で欠席は出来なかった。
独占欲を剥き出しにしているようで少し恥ずかしかったが、ルイス様と揃いの衣装で出席すれば、『相変わらず仲が良いわね。』と友人達に茶化された。
メルローズもにこやかに私達の衣装を褒めてくれて、いつも通りルイス様とは挨拶する以外の話もしなかった。
ルイス様も私のエスコートをして側を離れることもない。
ダンスタイムになれば手を差し出してダンスにも誘ってくれた。
ルイス様に誘導されてダンスホールの中央へ向かえば、夫と親友が恋に落ちているなんて私の妄想なんじゃないかとすら思えしまうくらい幸せな気持ちになった。
だけど中央にはダンスに誘われたのか、見知らぬ男性にエスコートをされたメルローズの姿があって、ルイス様の瞳が切なげに揺れたのを見てしまい、直ぐに妄想じゃないことを思い知らされた。
音楽が鳴り始めて、気持ちを切り替えるようにルイス様とダンスを踊った。
ルイス様に恥をかかさないように一生懸命練習した為、私のダンスはなかなかのものだ。
周りから感嘆の声が漏れた。
ダンスは相手を見ながら踊るのがマナーだ。
だからダンス中、ルイス様は自分だけを見てくれる。
ダンスの時間だけは夫の余所見を気にしないでいられるのが嬉しくて、この時間が永遠に続けば良いのにと願う。
メルローズも今は見知らぬ男性と踊っている。
あわよくば、その男性と上手くいってくれないだろうかと浅ましい事を考えたのがいけなかったのかもしれない。
ダンスのターンの際に親友と夫がぶつかったのだ。
夫にぶつかったメルローズが、転んで尻もちをついてしまう。
夫が慌てて親友に手を差し出す。
「すいません。大丈夫ですか?」
「こちらこそごめんなさい。ありがとうございます。」
ふわりと愛らしい笑顔で応えた親友が、夫の差し出した手に、ほんの少し指先を乗せて立ち上がる。
そして直ぐに離れる二人。
たったそれだけ。
自分にぶつかって転んでしまった女性に手を差し出すなんて紳士なら当たり前の行為。
親友だって、マナーとして差し出された手にほんの少し指先を乗せた程度。
本当にたったそれだけ。
それだけなのに……………。
「…………気持ち悪い。」
たったそれだけの事に殺意のようなどす黒い感情が込み上げ、目の前が真っ赤に染まったような気がしたのだ。
夫も親友も私の為に自分の恋を諦めているのに、たったそれだけの事すら許せない自分の心が浅ましくて、信じられなくて、吐きそうになった。
気持ち悪いと呟いて顔面蒼白になった私に気づいたルイス様は、パーティーを切り上げて直ぐに家に連れ帰ってくれた。
馬車で移動中もずっと大丈夫かと心配してくれた。
家に戻れば気持ち悪いと言った事で、家人に妊娠を疑われて医者を呼ばれてしまった。
ルイス様もそれで心配してくれていたのかもしれない。
「おめでたではないようです。」と医者に言われて少しガッカリしているように見えたから。
結婚してもうすぐ5年が経ち、子供はまだなのかしらと囁かれる声も大きくなってきていた。
夫の両親にも待ち望まれているし、夫ももしかしたら子供が欲しいと考えていたのかもしれないと申し訳なく思った。
「最近ずっと忙しかったからね。疲れが出たのかもしれないよ。今日はもうゆっくり休むといい。」
「ごめんなさい。ルイス様……。」
穏やかな声で優しい言葉をかけられて、増々申し訳なく思った。
「ねえ、ルイス様は子供が欲しい?」
単刀直入に聞いてみた。
「そうだね。だけどこればかりは授かりものだしね……。あまり気負いすぎないで。いつか自然に出来るだろうから気にしないで。」
「……そうね………ありがとう。」
"自然に出来ることはない" と言えなくて、私は言葉を濁した。
何故なら、私は夫と親友が恋に落ちる瞬間を目撃した日から避妊薬を飲んでいたから。
ルイス様との子供が欲しくなかった訳じゃない。
ただ………子供を作るのが怖くなったのだ。
もし子供が出来た後に夫が親友を選んでしまったらと考えたら、悪い方へと考えるのを止められなくて、怖くてとても作れなかった。
それにもしそうなったら、自分がどうなってしまうのか、壊れてしまうのではないか、それ以上に大切な二人に何かしてしまうのではないかと恐ろしくなった。
子供が出来れば、それこそルイス様は私だけを見てくれるようになるのではと考えなかった訳じゃないが、それは子供を利用するようで嫌だった。
何よりルイス様に本当の意味で愛されてから、子供を作りたいと夢見る気持ちが捨てられなかった。
だけどもういい加減しっかり考えなければいけないのだろうとも思う。
『嫁して三年子なきは去れ』なんて言われていた時代では無いけれども、それでももう結婚して5年が経った。
夫は私の親友に思いを寄せていたとしても、ずっと私に誠実でいてくれた。
これからだって、きっと浮気をするつもりもなく、今まで通り私に穏やかな愛情を注いでくれるのだと思う。
ずっと大事に大切にしてもらって、恋愛でなく家族に向ける愛だとしても、穏やかな愛情をくれる夫を欺くような真似をこれ以上してはいけないだろう。
ましてルイス様が私との間に子供が出来ることを望んでくれているなら尚更だ。
いつかなんて夢見るのは止めて、現状に満足していい加減前に向かって進まなければいけないだろう。
そんな事を考えながら眠りについた。
それなのに夜中にふっと目が覚めた。
時計を見れば夜中の2時で、隣でルイス様が眠っていないのに驚いた。
「………まだ起きているのかしら。」
明日は大事な商談がある日だ。
寝てなかったり、ソファーで寝てしまっていたら良くないと思いルイス様を探して寝室を出た。
居間を覗けば、灯りもつけずに窓辺で月明かりに照らされ、ぼんやりと佇む夫を見つけて、声をかけようとして固まった。
ルイス様が自分の手を見ていたから。
正確にはメルローズに差し出した右手。
彼女が触れた指先を。
切なげに苦しげに自身の指先を見つめるルイス様は、私が見ているなんて思いもしなかったのだろう。
「………メルローズ…。」
ポツリと囁いて、そっと指先に口付けた。
叫びだしそうになる口元を、両手で押さえて、その場を離れた。
ひび割れていたガラスが、パリンと粉々に飛び散った気がした。
『…………無理……。』
政略結婚の相手として申し分のない愛情を受けているのは分かっている。
『…もう………無理………。』
ルイス様はいつだって誠実だったし、これからもきっと同じように浮気なんてしない事は分かってる。
政略結婚の相手として穏やかな愛情を注いでくれているのなら満足すべきなのも理解している。
世の中にはもっと酷い目や辛い思いで政略結婚をしている夫婦がいる事もちゃんと知っている。
だけどこれが
これが "穏やかな愛" だと言うのなら………
『………私には到底耐えられない………。』
それから私は人が変わったようにルイス様に冷たく当たり、家政を放棄し、仕事を放棄し、何もかもを放棄した。
パーティーを渡り歩き、散財し、周りの人間に悪態をつくようになった。
最初は私の突然の豹変にルイス様も周囲も戸惑い心配してくれた。
なんとか改めさせようと試みてくれたが、一向に元に戻る気配を見せずにいると、いつしか私は悪女と呼ばれるようになり、周囲は距離を置くようになった。
子供もいないことからルイス様に離婚を勧める人も増えていった。
ルイス様の辛そうな顔を見る度に心は軋んだが、決して行いを悔い改めようとはしなかった。
100%私の有責で離婚するためには必要な事だったから。
悪いのは全て私だ。
ルイス様はいつだって誠実だったし、政略結婚の相手である私を精一杯愛してくれた。
ただ私が与えられる穏やかな愛情だけに満足できないだけだ。ルイス様にはなんの瑕疵もない。
ただの私の我が儘からの離婚なのだから、離婚後に万が一にもルイス様が責められることの無いようにしなければならなかった。
(私が悪女になれば、別れてもルイス様を責める人は誰もいないだろう。)
(私の有責での離婚なら、メルローズとすぐに再婚しても、きっと皆から祝福される。)
私の身勝手で振り回されるルイス様にしてあげられる、最後の贖罪だった。
たけどルイス様はなかなか離婚に踏み切ってくれなかった。
何度離婚の話を切り出しても首を縦に振ってくれない。
ルイス様にとって私は、所詮深く愛する事の出来ない政略結婚の妻なのだし、役に立たない妻など必要ないのだから、早く見切りをつけてくれればいいのにと何度も願った。
きっとルイス様は政略結婚の責任を果たそうとしてくれただけなのだろうが、彼の誠実さが私をますます苦しめた。
ルイス様がメルローズを好きだと知っていなければ、愛されているのではと勘違いしてしまいそうだった。
夢を見てしまいそうになり、何度自分を奮い立たせたことか。
そして、その度に私の心は疲弊していった。
だから最後の手段に出ることにした。
本当はそんなことは絶対にしたくなかったけれど、ルイス様以外の男と関係を持てば、さすがにルイス様も諦めてくれると覚悟を決めたのだ。
その頃の私はもう本当に心が限界で、この苦しみから解放されるなら自分などどうなってもいいとさえ思っていた。
だからある夜会で声をかけてきた軽薄そうな男の誘いに、襲われるのを承知でついて行ったのだ。
夜会の会場を出て庭園へ行けば、案の定茂みに連れ込まれ、押し倒された。
(これで終われるはず………。)
そう思っていたのに、男の手が身体を弄り、服に手がかかると恐怖が迫り上がってきた。
「ごめんなさい!私やっぱり無理だわ!」
土壇場で怖ろしくなり、逃げ出そうとすれば『静かにしろ』と激昂した男に頬を叩かれ、押さえ込まれた。
恐怖と絶望でガタガタと震えながら、それでも何とか逃げようと藻掻くが女の力では跳ね除けることは出来なかった。
「やめて!!!」と叫べば、舌打ちした男に再び拳を振り上げられ、恐怖に身を縮ませた。
『誰か助けて!!!』 『誰か助けて!!!』『誰か助けて!!!』
恐ろしさで声も出せずに、心の中で助けを叫んだ。
本当にもう駄目だと諦めかけた時、誰かが飛び込んで来て、私に覆いかぶさっていた男を蹴り上げ、真横にすっ飛ばした。
「大丈夫か!?助けるのが遅くなって済まない!!」
「…………………ベ…ンジャミン様…? 」
男を蹴り飛ばして、助けてくれた男性の名はベンジャミン・マークス。
夫の友人であり、私の実家の紡績事業とも昔から関わり合いの深い隣国のマークス商会の経営者で昔から何度も顔を会わせたことのある見知った男性たった。
黒髪黒眼の精悍な顔つきの美丈夫で、しっかりとした落ち着いた雰囲気の彼は仲間内では兄のように頼られている人だった。
夫とも仲が良く、夫が彼に仕事の相談をする事もよくあった。
「すまない……。君をパーティーで見かけて、様子が変だったから後をつけてたんだが……途中で見失ってしまって……。」
ベンジャミン様は、破れたドレスを隠す為に自分の上着をかけてくれ、私を安全な場所まで連れていってくれた。
「落ち着いてからでいい、何があったのか話してくれないか?」
恐怖とショックで、ボロボロと泣き震える私を急かすことなく、ベンジャミン様は優しく気遣い待ってくれた。
ベンジャミン様の落ち着いた雰囲気に、次第に緊張の糸がほぐれて恐怖から解放されると、安堵感からか気付けば私は全てを話してしまっていた。
夫に好きな女性がいること、その女性が親友なこと、そしてその事実から目を背けるのはもう無理だと言う事、だから悪女になって離婚してしまおうと思っていること。
ずっとひた隠しにしてきた気持ちが、せきを切ったように溢れてしまい、話し出せば止まらなかった。
誰かに聞いて欲しい気持ちもあったのだろう。
ベンジャミン様は責めることも、怒ることもせずに、ただ黙って静かに聞いてくれた。
話し終わった後、夫の友人でもあるベンジャミン様に何故話してしまったのかと後悔した。
馬鹿な事をと叱られるかと思ったが、話を聞き終わるとベンジャミン様は協力を申し出てくれた。
「君があいつと離婚を望むなら手伝うよ。その代わり、もうこんな無茶はしないでくれ。」
昔からの知り合いではあったが、夫の友人でもある彼が何故と思った。
ベンジャミン様に尋ねれば、ベンジャミン様は以前からルイス様がメルローズを好きなことに気づいており、それなのに何もしなかったことを悔やんでいるとの事だった。
私に対しては、苦しんでいるのを気づかなくて申し訳ないと思ってくれているとの事だった。
「君がこんなに苦しんでるのなら、もっと早く行動すべきだった……。」
優しい言葉に涙がまた溢れ出した。
「ベンジャミン様がお気になさる事ではありませんわ。
友人であっても、夫婦間の事に口出しするなんて出来ませんもの……。
お気持ちだけで十分です。
それに……貴方が私の様子に気づいて、気にして下さったから、私は今日無事でいられましたわ。」
心からお礼の言葉を述べれば、ベンジャミン様も心底ホッとしたように胸をなで下ろした。
しかし、協力したいとの言葉は決して取り下げようとはしなかった。
「ああ本当に無事でよかった……。
だからこそ、もう2度と君には危ない目にあってほしくない。
君が悪女を続けるなら私の申し出を受けて、手伝わせてくれないか?」
本来であれば、どんなに有り難くとも、夫の友人に離婚の手伝いをしてもらうなんて非常識な話は、受けはしなかっただろう。
何故ベンジャミン様がこんなにも親身になってくれるのかも、もっと考えたかもしれない。
だけどこの時の私は万策尽きていて、藁にも縋りたい気持ちでいっぱいだった。
それにベンジャミン様にルイス様とメルローズの恋心がバレていたなら、他にも誰か気付いている人達がいるかもしれないという考えが、私を焦らせていた。
(早く離婚しなくては……夫の浮気で離婚したなどと噂がたってしまうかもしれない。)
だから、ベンジャミン様から差し出され手に縋り付いた。
「いいのですか?私の有責で離婚となれば、慰謝料の支払いで手元にはほとんど残らないと思います。
だから大したお礼は出来ないと思うのですが……。」
「まさか謝礼なんていらない。協力は私がしたいからするだけだから、気にする必要なんてないよ。」
「ですが………。」
それでも流石に無償で協力してもらうのは申し訳なくて悩んでいるとベンジャミン様に提案された。
「……それなら無事離婚が成立したら……一つお願いを聞いてくれないか?」
「お願いですか?」
「ああ、決して君の意にそぐわない事はしないし、願わない。
私の願いを聞いて嫌だと思ったら、叶える必要もないと約束するから……。」
「………それではお礼にならないのでは。」
「いいんだ。約束してくれるだけでも満足だから。」
「…………わかりましたわ。」
それから私はベンジャミン様が用意した男性達と遊ぶフリをする事になった。
私が夫以外の男達と身体の関係を持ったと噂を流す為だ。
彼等はベンジャミン様に雇われた役者だった。
見目麗しい彼等と共にいれば人の目を引き、私がふしだらで不貞を働いているという噂は瞬く間に広がっていった。
毎日毎夜、様々なパーティーに違う男を連れて顔を出しては、夜の町に消えていく。
実際はベンジャミン様の用意してくれた宿に一人泊まっていただけなのだが、自宅に帰らない日が続けば、私の悪評は遠く田舎で隠居暮らしをしていたルイス様のご両親の耳にも入った。
義理の両親は大激怒し、ルイス様もこれ以上私を庇うことは出来ないと諦めたようで、ついに離婚の運びとなった。
実家の両親には迷惑をかけて申し訳なかったが、100%私の有責で離婚出来て安堵した。
政略結婚なのにあんなに大事にしてもらって、ずっと誠実でいてくれたルイス様を傷つけて自分の心を優先するなんて、自分でもなんて身勝手な悪女だろうと思ったが、私が消えればきっと親友のメルローズがルイス様を支えてくれるだろう。
そうすればルイス様もやっと本当に愛する相手と結婚して幸せになれるのだから、許してほしいと心の中で謝った。
ベンジャミン様に告白されたのは、無事に離婚出来たと報告へ行った時だった。
「ずっと好きだった。ルイスが君の親友であるメルローズ嬢を好きなことに気づいたのは、君を見ていたからだ………。」
そう言われて酷く驚いた。ずっと自分の気持ちで手一杯だった私にはベンジャミン様の好意は思いもよらないことだった。
「君を手伝ったのも、君が好きだったからだ。
……こんな卑怯なやり方は軽蔑されても仕方ないと思う。
だがこれ以上君を傷つけるルイスの側に君をいさせたくなかった。
私を好きになってくれとは言わない。
だけど、もし私の願いをきいてくれるなら、私の側にいてくれないだろうか?
私の商会で一緒に働いてくれるだけでもいい。」
離婚に協力するお礼にベンジャミン様の願いを一つ聞く約束だったが、正直どうしたら良いのか悩んだ。
別れたとはいえ元夫の事が好きだったから。
だから『ベンジャミン様の気持ちには応えられない』と一度はきっぱり断った。
しかしベンジャミン様はどうしてもと粘った。
「本当に私の事を好きになってくれということじゃないんだ。もちろん好きになってもらえたら嬉しいが、ただ少しの間だけでも側にいる機会が欲しいだけなんだ。
それに君を一人にさせるのは心配だ………。
本当に仕事仲間としていてくれればいい。
それでどうしても嫌だと思ったら、直ぐに出ていってくれて構わないから。」
チャンスだけでも欲しいとベンジャミン様に懇願されて、悩んだ末にリズベットは折れた。
ベンジャミン様の気持ちにつけこんでいるようで申し訳無かったが、元夫との離婚で個人資産は慰謝料としてほとんど渡してしまっていたし、実家の両親はカンカンに怒っていたから実家に頼ることも出来ないので、商会に雇って貰えるのは普通に有難かったのだ。
それに、ベンジャミン様が私を好きで、下心から協力してくれたとしても、助かったことは事実だ。
私の事情に付き合って、友人を裏切るような真似をしてもらった負い目もあった。
「商会で一緒に働くだけで宜しければ…………。」
「ああ それで構わない。」
ベンジャミン様はとても嬉しそうに笑った。
それから私は、ベンジャミン様と一緒にベンジャミン様のマークス商会の本店がある隣国へと向かった。
知り合いが誰もいない隣国での暮らしは、少しずつ私の心を落ち着かせていった。
マークス商会の事業は手広くて、覚えることも多く大変だったけれど、忙しさが心の痛みを紛らわせてくれた。
元夫の事を考えない日は無かったけれど、それでも日々を重ねるごとに気持ちは和らいで、元夫が親友と幸せになってくれたらいいと心から思えるようになっていった。
ベンジャミン様は約束した通り、私に気持ちを押し付けるような事はしなかった。
必要以上に接触もしてこないし、困らせるような事もしてこなかった。
親切な上司の枠から出るような行動は一切しなかったので、もしも告白されていなければ、私は好かれているかどうか気づきもしなかったかもしれない。
ただ、私と一緒に働ける事が嬉しいと、彼の表情が伝えてくるだけだった。
そんなベンジャミン様の側は心地よく、段々とベンジャミン様の側にいることが当たり前になっていき、ベンジャミン様の嬉しそうな笑顔を見ると、私も嬉しい気持ちを感じるようになっていった。
ベンジャミン様の存在が、確実に自分の中で大きくなっていると気づいたのは、離婚してから2年後に元夫と親友が結婚したと聞いた時だった。
心配そうにこちらを見つめるベンジャミン様に、申し訳ないくらい、私の心は凪いでいたから。
むしろやっと二人が幸せになってくれるのかと、肩の荷が下りたような気持ちすらして、自分の心の変化に驚いたくらいだった。
それよりも、心配してくれるベンジャミン様の心が嬉しくて、自分の心を変化させてくれたのは、目の前にいるこの人なのだと自覚した。
知らず知らずの内に、どうやら自分はベンジャミン様に、好意を持つようになっていたらしい。
自覚したら、私の口からスルリと言葉がこぼれた。
「今は元夫よりも貴方が好きだと言ったら、信じて貰えますか?」
この二年、ベンジャミン様は私に負担をかけないように、『好き』や『愛している』といった言葉は一切口にしなかった。
恋情すら見せないように気を遣ってくれていたから、今も私を好きでいてくれているのか、少し不安だったが、私の言葉を聞いた彼は、驚いた表情をした後に心底嬉しそうに破顔して笑った。
「例え嘘だったとしても、君に好きだと言って貰えるなら、一生信じ続けるよ。」
ただベンジャミン様と付き合うにあたっては、本当にこんな女でいいのかと、何度も確認を取った。
何しろ私の社交界での評判は最悪だ。
政略結婚なのに、誠実で穏やかな愛情をくれた元夫に満足出来ず、手酷い裏切り方をして別れたような悪女だ。
世間の評判も悪く、離婚歴もあるこんな女を選ばなくとも、社会的地位もあり、見目も良い初婚のベンジャミン様なら、もっと条件のいい女性を選びたい放題のはすだ。
何より私は自分の愛情が重い事を、嫌と言うほど自覚していた。
元夫とのような穏やかな愛情では満足出来ない。
こんな重たくて面倒臭い女で、本当にいいのかと、幾度も尋ねた。
「君の悪評に手を貸したのは私だ。
悪いと言うなら、君の気持ちにつけこんで騙すような真似をした私の方が、よほど悪い男だろう。
それに私は穏やかな愛情なんて望んでないよ。
私は君に本気で愛されたいし、君だからこそ本気で愛したい。
むしろ重たく面倒臭いのは私の方だよ。
今まで我慢していた分も含めて、これからはガンガン愛を伝えて行くから、リズベットこそ覚悟しておいてくれ。」
満面の笑みで惜しみない愛情宣言したベンジャミン様は、宣言通り毎日のように私に愛を囁いた。
熱の籠もった視線で見つめられて、好きな人からの熱い眼差しを受けるというのは、こんなにも心を熱くするのかと初めて知った。
「やっと君から愛してもいいとお許しが出たんだ。遠慮なく愛させてもらおう。」
態度で、言葉で、視線で、全てで『愛している』と語ってくれるベンジャミン様。
愛情を示せば、それ以上の愛情が返って来る。
今まで私が知らなかった愛がそこにはあった。
愛に見返りを求めるなんて浅ましいのかもしれないが、愛情に対して愛情で応えてもらえることが嬉しくて、私の心は急速に満ちていった。
「結婚してくれないかしら?」
ベンジャミン様が私の気持ちを推し測って、結婚の話を持ち出すのを躊躇している事に気づいたので、私の方から提案した。
「私からプロポーズしたかったんだが……。」
ベンジャミンが残念そうにそう言った。
「ふふ、知ってるわ。指輪を持ち歩いてらっしゃるでしょう?」
「バレてたのかい?」
私の指を見てはポケットに手を突っ込んで、見ては出してを繰り返していれば誰だって気づく。
「ごめんなさい。いつ言って下さるのかしらと思って待っていたのですけど………なかなか言い出して下さらないから、自分から言ってしまったわ。」
「それは申し訳なかった。」
跪いた彼から贈られた婚約指輪はディアレスト(最愛)。
ダイアモンド、エメラルド、アメジスト、ルビー、エメラルド、サファイア、トパーズ
(diamond 、emerald、amethyst、ruby、emerald、sapphire、topaz)
宝石の頭文字を使って伝えたい愛のメッセージを綴った指輪。
「ちょっと古めかしいかとも思ったが……私の気持ちを伝えるならこれしかないと思ったんだよ。」
"最愛"
それはかつて元夫から得たいと、ずっと望んでも望め得ないものだった。
一度は手に入れる事を、完全に諦めたもの。
それが今ベンジャミン様によって与えられ、指輪という形になって左手の薬指で輝いている事に、歓喜の涙が流れて止まらなかった。
「私の最愛になってくれるかい?」
「……貴方も……私の "最愛" になって下さるのなら。」
頬を伝う涙を指で拭ってくれながら、彼が嬉しそうに『もちろんだ。』と言った。
それから、ベンジャミン様は少し言いづらそうな顔で一つのお願いをしてきた。
「………もし君が嫌だったら、聞かなかった事にして欲しいんだが、聞いてほしいお願いがあるんだ。」
一年後………
ベンジャミンはリズベットの故郷である隣国のとある夜会に参加していた。
妻となったリズベットの実家に用事があって、この国を訪れたのたが、仕事の付き合いで出席する事となったからだ。
リズベットの実家のある国、つまりルイスがいる国でもあるので、夜会で会うことは想定していたが、会場についた早々にルイスに入り口で声をかけられて舌打ちしそうになった。
どうやらルイスはベンジャミンが夜会に参加するのを聞いて、待ち構えていた様子だった。
「ベンジャミン!!!」
声をかけられてルイスに目をやると、ベンジャミンはほんの少し眉を顰めた。
ルイスの顔には疲労の影が濃く見え、着ている服はどうにも野暮ったく、全体的に精彩を欠いているように見えたからだ。
「やあ、ルイス久しぶりだな。君の結婚式には行けなくて申し訳なかった。
なかなか仕事のスケジュールが空かなくてね。」
「そんなのはどうでもいいんだ!そ、それより聞きたい事がある。ついて来てくれないか!?」
あれ程熱い視線を送っていた女性との結婚式を『そんなの』と言うのかとベンジャミンは少し不快に思ったが、ルイスに大人しく付いて行った。
男性用の談話室についた途端、ルイスは声を荒げた。
「君がリズベットと政略結婚したというのは本当なのか!?」
やはりその事かとベンジャミンは思った。
「ああ、その通りだよ。リズベットの実家の紡績工場と私の商会の服飾部門は昔から取引があるからね。うちは今後、服飾関係に力を入れる予定だから関係強化の為にこちらから申し込んだ。」
「どうしてなんだ!リズベットは僕の妻だったんたぞ!友人の妻だった女に手を出すなんて酷いじゃないか!」
「どうしてと言われても…家門同士の利害が一致したから政略結婚を申し込んだ。そして受け入れられたから結婚したんだが?
それに君の妻だったから何だと言うんだ?
もう3年以上も前に離婚している相手だろう?何も問題はないはずだが?」
「でも…………政略結婚なんて可哀想じゃないか…。」
「可哀想?」
「僕との政略結婚だって上手く行かなかったんだぞ。
君だって知ってるだろ?僕達がどんなに仲の良い夫婦だったか。
それでも駄目だったのにまた政略結婚させるなんて………。
リズベットがもう一度政略結婚する事に納得しているとは思えない……。
無理矢理結婚させたんじゃないのか!?」
「失礼な事を言わないでくれないかルイス。
リズベットにはきちんと了承を得ているし、無理に結婚を進めたりなどしていないよ。」
「でも本当は嫌だったかもしれないだろ?
もしかしたら断りたくても断れなかったのかもしれない。」
「私たちの政略結婚は家門の利益が絡んでいると言っても、そんな強制的なものじゃない。
彼女が本当に嫌だったら、拒むことが出来るものだった。
無理矢理結婚したなんて事実は全くない。」
「だけど……。」
「それに君との政略結婚が駄目だったからって、私との政略結婚が駄目になるとは限らないだろ?
少なくとも私は駄目になるとは思っていないし、リズベットもそう思ってくれていると信じているよ。」
「しかし……後悔する事になるかもしれないじゃないか……。」
「後悔するかどうかなんて、それこそ最後までフタを開けてみないと分からないじゃないか?
かもしれないことに神経を使うよりも、私はこれから先、上手く行くよう心を砕いて行きたいと思っているよ。
………用件はそれだけか?それだけなら失礼するよ。来たばかりで挨拶回りも済んでないんでね。」
早々にルイスの前を去ろうとするが、慌てたルイスに腕を掴まれた。
「待て!待ってくれ!それなら………リズベットに会わせてくれないか!?
……彼女と話がしたいんだ……。」
「……話?もし何か伝えたい話があると言うなら、私が代わりに聞こう。伝えても大丈夫な話なら伝えておくが?」
「!!それじゃあ駄目なんだ……… 直接じゃないと……。」
「夫である私に話せなくて直接じゃないと駄目な話とは?
それは私に聞かれては不味いという意味か?」
「いや…そういう訳じゃない……。
ただ、出来れば……内密に話したくて……………。」
「元夫に妻と内密に話したいと言われて、私が了承すると思うのかい?」
「……だけど……………。」
言い淀むルイスにベンジャミンは溜息をついた。
もう3年以上前に離婚して、ルイスはリズベットの親友だったメルローズと再婚して2年近くが経っている。
二人の関係は完全に赤の他人だ。
とはいえ離婚した元妻と友人がくっついたと知れば、楽しい気分はしないだろう。
ルイスの離婚については、ベンジャミンとしても後ろ暗いところがあるので、文句の一つくらいは聞いてもいいかと思っていたが、念願叶って恋愛結婚した妻がいるのに、リズベットに会わせろと言ってくるとは思ってもみなかった。
まして内密に会って話したいとは?さすがにベンジャミンの許容範囲を超えていた。
「………言えないならこの話はこれで終いだ。
理由も分からないのに、妻と元夫が二人だけで会うのを許す訳にはいかない。
それに、リズベットとしても君に会うのは、気乗りしないだろうからな。」
「そんなわけない!彼女が僕に会いたくないなんてあるわけないだろ!彼女は僕に会いたいに決まってる!」
今度こそ立ち去ろうとしたベンジャミンの耳に飛び込んで来たルイスの言葉に、こめかみがピクリと動く。
「…3年以上も会ってないのに、何故君にリズベットの気持ちが分かる?
勝手な憶測は止めてくれないか?」
「憶測じゃない!だって彼女は僕の事を………」
「………まさか『まだ愛してる』とか言わないだろうな。」
ベンジャミンに絶対零度の視線で睨まれて、ルイスはビクリと肩を震わせた。
「あ……………その………。」
いつもの穏やかなベンジャミンでは考えられない怒気に冷や汗を流す。
「いや……だって……、リズベットは僕と結婚していた時……もの凄く献身的に僕の事を支えてくれていたから……きっと……本当はまだ………。」
ベンジャミンから放たれる冷気のようなものが一層低くなる。
「いい加減にしろルイス。これ以上はリズベットに対しても、今の君の妻に対しても失礼だ。
君が私達の結婚について否定的なのはよく分かったよ。
もう十分だろう?本当に挨拶回りがあるから失礼する。」
「駄目だ!!!!!」
今度こそ立ち去ろうとするベンジャミンだが、ルイスがベンジャミンを逃すまいとドアの前に立ち塞がった。
「リズベットに会わせてくれ!会わせると言うまでここは通さない!」
「…………ルイス。」
あまりに無礼な態度にベンジャミンの我慢も限界になる。
「君がどう考えていようが、リズベットはもう君を愛してなんかいないし、理由も分からないのに君に会わせるつもりもない。
これ以上この話を続けるつもりなら、今後の君との付き合いも考えさせてもらうよ。」
「そんな………………。」
ベンジャミンにキッパリと拒絶されて、ショックを受けたのだろう。
ルイスは顔を青褪めさせた。
「さあ、本当にそこをどいてくれルイス。
私としても手荒な事をしたくは……」
「………助けて欲しいんだ。」
このままでは、どうあってもリズベットには会わせてもらえないと悟ったのだろう。
ベンジャミンの言葉を遮って、ルイスは震える拳を握りしめながら声を絞り出した。
「助け………………?」
ベンジャミンが小首を傾げると、ルイスは意を決したように話し出す。
「………公爵夫人が……リズベットがいなくなった商会とはこれ以上取引きしないと………。
公爵家御用達の看板を下ろすようにと…………。」
「ああ………………。」
なるほどとベンジャミンは納得した。
公爵家との取引は確かリズベットがまだルイスの妻だった時に始まり、彼女が主体になって行われていた事業だ。
そして公爵家の御用達という看板はいまやルイスの商会のステータスだ。
それが失くなってしまっては、商会としての格も下がる上に信頼も失う事になる。
商人としてなんとかしたいと、出来るだけ内密に解決したいと思う気持ちは分かる。
しかし
「リズベットがいないから取引きを無しにと言っても、離婚してから3年以上も取引きは続いていた訳だろう?
それなのに何で今更彼女の名前を出して御用達の看板を下ろせなんて話になるんだ?」
「そ……それは………。」
誰でも不思議に思う事だろう。
彼女がいなくなった事が原因だと言うのなら、とっくの昔に取引が無くなっているはすだ。
説明を促すようにじっと見つめれば、ルイスは観念したように話し出した。
「…離婚の前に…リズベットは自分が担当した仕事の今後の指示を細かくノートに書き残してくれていて……。
それで…ここ数年は彼女の指示通りに商品の搬入や納品をしていたんだけど……段々とそれだけじゃ回らなくなってきて……。」
「はっ?」
思わず間抜けな声が出た。
「頼むよ!ちょっとでいいんだ!リズベットにどうしたら良いのか相談させてくれないか?
リズベットは公爵夫人と仲良くしてたし………もし出来るなら口利きしてもらえないだろうか?」
恥も外聞も無いルイスの頼みに、こめかみが痛くなる。
そしてベンジャミンは、黙ったまま冷めた目でルイスを上から下までゆっくりと眺めた。
先程声をかけられた時感じた、野暮ったさや、どこか精彩を欠く姿を。
よく見れば服の型は3年以上前に流行ったもので、革靴は使い古したものらしく、端のほうが擦り切れている。
前に最後に会った時とは天と地ほどに差がある姿。
(こいつは全く変わってないな………。)と溜息をつく。
そして思う
(こいつは未だに理解していないのか……。)と
商人とは、売る品物がどうあれ、常に新しい物を追い求めて、最新かつ最高な商品をお客様に提供し続けるものだ。
それなのにコイツはリズベットが3年以上も前に書き残した指示をそのまま、その通りに何年も繰り返して来たと言う。
「僕は……ちゃんとリズベットの書き残してくれた業務通りに最高の物を仕入れて公爵家に納品してきた。
それなのに何故か公爵夫人はお怒りで………。」
「ルイス……………。」
目も当てられなくて、片手で頭を抱えてルイスの話を遮る。
「世の中には流行と言うものがある……。
いくら品質が良くとも、時代遅れな物を毎回納品させられたら誰だって愛想を尽かすだろう。
目新しいものや、顧客の嗜好に合わせた商品を探し出してきて紹介するのも商人の務めだ。
まして公爵家ともなれば目も肥えている。
流行を踏まえた一流品を提供し続けなければ飽きられてしまって当然だろう?」
逆によく3年も御用達の看板を下ろす話が出なかったものだ。
リズベットの残した指示が余程優秀で先を見据えたものだったのだろう。
彼女の優秀さに舌を巻いた。
「だからリズベットに助けて欲しいんじゃないか!」
「……それは君の仕事だルイス。
リズベットはもう君の妻じゃないんだぞ?リズベットに頼ろうなんてお門違いだ。」
「けど僕には公爵夫人の好みなんて分からないから…僕は流行の事もよく分からないし……。」
「……君が駄目だとしても、君の細君はどうなんだ?
デザインの勉強をする為に留学するほどファッションに情熱があってセンスも良く、流行にも敏感だとリズベットから聞いていたが?」
本来なら商人が流行を分からないでは済まないのだが、それなら分かる人間に頼めばいい話だ。
わざわざリズベットに頼まなくても、自分の妻という適任の人物がいるだろう。
そう告げればルイスは目をキョドキョドとさせた。
「彼女は……留学先のパリスのファッションに傾倒していて……その……この国のセンスは古くて理解出来ないと……。
それに公爵夫人は……『高位貴族のマナーも禄に習得出来ていない女が薦めてくる商品など必要ない。二度と寄越すな。』とご立腹で……。」
「…………まさかとは思うが、公爵夫人にパリスで流行っているドレスをそのまま薦めたりしてないだろうな?」
「…………………。」
沈黙は肯定と同義だ。
夫婦揃って何をしているんだとベンジャミンは開いた口が塞がらなくなった。
パリスはファッションの最先端で、ありとあらゆる物がパリスから流れて来ると言ってもいい。
しかし、今パリスで流行っているドレスは胸元や背中が大きく空いた、ビビットなカラーで染められた布地を使う物だ。
お年を召した年配の貴婦人がそのまま着用するには向かない。
それにこの国はまだ保守的で、伝統的なスタイルを好む傾向が残っている。
流行りはもちろん大事だが、いくら流行っていたとしても、顧客のニーズに合ってなければ何の意味もない。
だから商人は流行りを踏まえつつも、顧客の趣味趣向に合わせて商品を提供せねばならない。
頭痛のしてきたこめかみを押さえながら、ベンジャミンはリズベットから聞いたメルローズの人柄を思い出していた。
メルローズは可愛らしい儚げな印象だが、ハッキリと自分の意見を言う性格だという。
「………もしかして……公爵夫人相手に、伝統的スタイルを流行遅れだとか言った?」
「……メルローズは、良かれと思って………。」
庇うとは沈黙よりも尚悪い。
あまりの酷さにベンジャミンは大きくため息を吐いた。
「ルイス……商人はお客様の嗜好を否定してはならない。
君の細君に悪気は無かったとしても、これは商人としての基礎の基礎だよ。
お客様の嗜好を理解した上で、良いものを気持ちよく買って頂けるように努力するのが商人だ。
どれほど流行っていたとしても、押し付けてしまったら意味がない。
君の細君は元々商家の出ではないといっても、君が最初にしっかり教えておけば良かった事だ。
それが出来なくて起こった不利益をリズベットに何とかしてもらおうなんて、虫が良すぎやしないか?」
怒りを通り越して呆れた。
当然の正論と言うには当たり前の事過ぎて、口に出すのも面倒臭いが、お前の責任だと突きつければ、ルイスは泣きそうになりながらすがって来た。
「そ、それはそうかも知れないけど……今回だけは助けてくれないか?
頼むよ……本当に困っているんだ。ちょっとだけでいい…。
せめてリズベットに僕が協力して欲しいって頼んでいる事だけでも伝えてくれないか?
もちろん出来る限りのお礼はするから!」
「断る。」
必死の形相のルイスの願いを間髪を入れず断る。
懇願をにべもなく突っぱねれば、断られるとは思っていなかったのだろう。ルイスは動揺したように声を荒げた。
「ど、どうして!?俺達は友達だろ?
それにリズベットなら僕が困ってるって知ったら、きっと助けようと思うはずだよ!
伝えてくれるくらいしてくれたって良いじゃないか!!」
「……確かに君は古くからの友人だ。
だから私からのアドバイスであればしてもいいが、リズベットに会わせる事は出来ない。」
「な、なんで!?」
強頑な拒絶の姿勢にルイスがたまらず疑問の声をあげた。
そんなルイスにベンジャミンはにこやかに微笑みかけた。
「私がリズベットを愛しているからだよ。」
「えっ?」
ルイスの顔が鳩が豆鉄砲を喰らったような表情で固まった。
「愛する妻が、別れたとはいえ元夫と会う事を喜ぶ男なんていないだろう?
まして元夫の為に尽くす姿なんて見たくないのは当然じゃないか。」
「はっ?えっ……君がリズベットを……?な、なんで!?」
理解が追いつかないのだろう。
顔を驚愕に染め上げて、ルイスが尋ねる。
そんなルイスの様子に、ベンジャミンはふっと笑みを深めた。
「何でって、妻を愛するのは当たり前の事だろ?」
「で、でも君達は政略結婚だろ!?それなのにどうして……。」
「政略結婚で結婚した妻を愛したら悪いのかい?」
見開かれるベンジャミンの瞳………
「…君が言うように、私たちは政略結婚で結婚した。
だけど私は既に誰よりもリズベットを愛しているし、自惚れでなければ、彼女も私を愛してくれているんだ。
もちろん、恋をしているという意味だよ?」
心底幸せそうにベンジャミンが微笑えば、ルイスは言葉にならないのか、かわりにヒュッと喉を震わせた。
まだ事態が飲み込めて居ないのだろう、愕然としながら浅い呼吸を繰り返している。
絶対的な価値観が崩れ落ちて、何を信じていいのか分からない迷子の子供のような表情だ……
そんなルイスの姿に
『ああ……これが見たかった。』と心の中でベンジャミンは笑った。
リズベットにプロポーズする時、ベンジャミンはあえて政略結婚の体をとって結婚したいとお願いした。
それはルイスに政略結婚だろうが恋情を持つ事が出来る事を見せつける為。
政略結婚だからと『穏やかな愛情』しか育めないと決めつけて、リズベットを傷つけたくせに、彼女の惜しみない献身だけを受け取って来たルイスへの意趣返しだった。
リズベットには『そんな事しても意味がないわよ』と笑われたが、それでもいいからと頼み込んだ。
そして今、魂が抜け落ちたように愕然とする目の前のルイスを見れば『やっぱり思った通りだ』と思わずにはいられない。
『何が穏やかな愛情だ』とにこやかな笑顔の下でベンジャミンは仄暗く笑った。
昔からルイスには恋愛結婚への憧れがあり、政略結婚では恋情はわかないと頑なに思い込んでいた。
リズベットと婚約の話が持ち上がってからというもの恋愛結婚への思いは更に強くなっていったように思う。
『別に相手に不満があるわけじゃないんたけど、もう恋愛を出来ないのかと思うと残念なんだよね〜。』
そんな事を会う度によく愚痴っていた。
『政略結婚でも愛し合っている夫婦は沢山いるだろう?
リズベット嬢なら何度か会ったことがあるが、可愛らしくて良い子じゃないか。』
『まあね、僕だって彼女の事は好きだよ。
彼女となら穏やかないい関係を築いていけると思ってるよ。
でもきっと恋情を持つことは出来ないと思うんだよね。』
『最初からそんな事言ってないで婚約者になったんだからちゃんと向き合えよ?』
『ハハッ分かってるよ!ちゃんと大事にはするつもりだから心配いらないさ。』
恋愛への憧れが強く、恋に恋するようなフワフワとした思想のルイスはどうにも危なっかしく思えた。
たがこの頃はまだ若く幼いだけで、ルイスもいずれ大人になれば変わっていくだろうと思っていた。
リズベットに対しても父親の会社の取引先のお嬢さんとして数回話した程度の関係だったから、特に何か思うような事はなかった。
ベンジャミンがリズベットの存在を気にかけるようになったのは、ルイスが婚約してから一年が経った頃だ。
きっかけは久しぶりに会ったルイスが何処か垢抜けていて驚いた事だった。
ルイスはどちらかと言えばオシャレには無縁で、靴下なんか左右違う物を履いていたり、寝癖もそのままなんてこともしょっちゅうの、良く言えばおおらか、悪く言えばズボラな性格のヤツだった。
それがまるでどこぞの貴公子のように見違えるように洗練された姿になっていてビックリしたのだ。
上質な生地のオーダーメイドの上着に、パリッと糊の効いた洗いたてのシャツ、ピカピカに磨きあげられた革靴、流行のポケットチーフやタイなど、どれもこれもが流行に則った一級品だった。
『ルイス……君……しばらく会わない間に随分オシャレになったじゃないか。すっかり見違えたよ。』
感心して褒めればルイスはポリポリと頭を掻いた。
『ああ、ベンジャミン。…これ婚約者のリズベットが全部用意した服なんだよね。
彼女の実家の紡績工場の糸から作った生地をうちの染物工房で染めて出来た布地でね。
パーティーで着れば宣伝にもなるし、両家の結びつきをアピールするのにも丁度いいって彼女が提案してね。
それで着せられてるんだよ……。』
『へえ、リズベット嬢が………。彼女って確かまだ13歳だったよね?しっかりしているね。』
『まあね……。でもおかげで見世物パンダになった気分だよ。それに僕はこんな窮屈な服は好みじゃないんだけどなぁ。』
『だけどアピールは大事だよ。婚約者に感謝して、しっかりパンダをやることだね。』
『う〜ん君が言うなら頑張るかな……。』
この時ベンジャミンは、ルイスの婚約者のリズベットは若いのに、商売のことをよく分かっているなと感心していた。
商人にとって服装はとても大事だ。
身なりをしっかり整えるのは当たり前だが、センスの良い服装でいることは販売する商品の価値を高める事にも繋がるからだ。
同じ品を売るにしても垢抜けない人間と洗練された人間なら、どちらが良いかなど聞かれなくても分かる事。
服飾の仕事についているなら尚更だった。
だからルイスにいい婚約者が出来たことを祝福しつつも羨ましく思った。
そして商才のある友人の婚約者が本格的に気になりだしたのは少し後だった。
それはルイスの実家の染め物が公爵夫人の目に留まり"公爵家御用達"に選ばれたと聞いてお祝いに訪れた時だった。
『やあルイス、君の店が公爵家御用達に決まったって聞いたよおめでとう!
一体どうやったのか知らないが公爵夫人に認められるなんて凄いじゃないか正直驚いたよ!』
王家に次ぐ力をもつ公爵家の御用達に選ばれると言うことは、店の格を一段も二段も上げることになる。
何年も歴史のある老舗の中から選ばれるのが常の中、中堅どころのルイスの店が選ばれるのは正に大抜擢で、ベンジャミンは心からの賛辞を送った。
そんなベンジャミンの祝辞に、以前よりも更に洗練され垢抜けたルイスが、満面の笑顔で応えた。
『ああ、ベンジャミンありがとう!!
実は公爵夫人のお茶会に招かれていたリズベットが着ていたドレスを公爵夫人がお気に召してね!それがご縁で御用達のお話を頂いたんだよ!』
『公爵夫人のお茶会にリズベット嬢が!?』
『ああそうなんだ!リズベットは時々公爵夫人のお茶会に招かれていてね!
そこで僕の家の染色の技術が公爵夫人のお眼鏡に適ったんだ!認められて本当に誇らしいよ!』
『……………………それは凄いね。』
ウキウキと上機嫌のルイスは単純に自分の家の染め物が認められた事を喜んでいたが、ベンジャミンが凄いと称賛したのはリズベットについてだった。
まずリズベットが公爵夫人のお茶会に招かれていることが凄い。
『リズベット嬢は……どうして公爵夫人のお茶会に招かれるようになったんだい?』
『?さあ、何だか貴族のご婦人方のチャリティーがどうとか言ってた気もするけど……リズベットはお茶会が好きみたいで、あちこち顔を出してるみたいだから何処かで誘われたのかもしれないなぁ。』
『リズベット嬢はそんなにお茶会へ行くのかい?』
『ああ、週に3回は何処かへ行ってるね。気楽なものだろう?お茶を飲んでお喋りしてばかりなんだから。
あっ!でも今回はそのおかげで公爵夫人の目にとまったんだから文句は言えないな!ハハハッ!!」
『……………………………。』
この時が始まりだった。
ベンジャミンがリズベットに対して強烈に興味を抱くようになったのは。
ルイスはまったく分かっていないようだが、貴族の女性にとってお茶会はただの遊びではない。
情報や流行、国内外の事情や情勢などを得るための社交場だ。
そこに一介の商人の娘であるリズベットが呼ばれるということは普通はあり得ない。
それでもお茶会に呼ばれるということは、貴族女性達はリズベットにそれだけの価値を見い出しているということであり、またリズベットが貴族の女性についていけるだけの知識や教養を身につけてもいるということでもあった。
さらに公爵夫人のお茶会に呼ばれるとなれば、どれだけ凄いことかなど言わなくても分かるだろう。
公爵夫人のお茶会に、私的なものであったとしても只の商人の娘が招かれるなど奇跡に近い。
しかもリズベットの嫁ぎ先の店を御用達に指名するなど、只事ではない。
確かにルイスの家の染め物工房の技術は素晴らしい。
だけど素晴らしい染色技術を持つ工房はルイスの家だけではない。
公爵家であれば数ある中から選びたい放題のはずだ。
しかしルイスの家を選んだということは、リズベットを贔屓にしたということだ。
要はリズベットの価値が買われたのだ。
ベンジャミンはゴクリと喉を鳴らしルイスに尋ねた。
『……………ルイス、君は公爵家へは赴いたことはあるのかい?』
『僕?一度だけ商品の説明に行ったけど…………届けるだけならリズベットがお茶会に行く時に一緒に持って来てくれればいいって言われたから、それ以降はリズベットに任せているよ。
リズベットも将来の女主人として勉強になるからって張り切ってたし………。』
『……………君はそれでいいのかい?』
『えっ、何が?』
『…………なんでもないよ。』
それはリズベット以外必要ないと言われているようなものだよ?という言葉は飲み込んだ。
それに正直なところルイスが公爵家へ赴いても、この程度の言葉の裏を読めないようではリズベットの足を引っ張ることになるだろうと思ったからだ。
貴族との取り引きは貴族のマナーや常識をマスターしているのが大前提だ。
遠回しな言い方もその一つ。
とりわけ高位貴族相手の場合は、更に上位のマナーを身に着けていなければ、たとえ軽い非公式な会だったとしても、間違えば取り返しがつかない事になる。
それこそ公爵家でやらかせば致命的だ。
(リズベット嬢は凄いな………………。)
素直に感嘆の声が心の中で漏れた。
何度も公爵家のお茶会へ呼ばれて御用達の看板を得るほど信用されているのなら、当然高位貴族のマナーなど必要な事は全てマスターしているのだろう。
ベンジャミンも上流階級のお客様の相手をする為に身に着けてはいたが、それでもミスが出ないか、まだまだヒヤヒヤする事も多い。
自分よりも4つも年下の少女が、自分よりも遥か高みにいる事に尊敬の念を抱いた。
一体どれ程努力をしてきたのだろうかと思うと同時に、婚約者であるルイスが彼女の努力をまったく分かってない事を残念に思わずにはいられなかった。
正直ルイスにはもったいないと思わざるを得なかった。
それからベンジャミンはリズベットの事が気になって仕方なくなった。
だからといって人の婚約者だ。何かアプローチする訳じゃない。
それとなくルイスにリズベットの話を聞いて、密かに感心し、驚き、賞賛の声を送るくらいだった。
リズベットは好奇心旺盛で新しい情報や技術を求めてはルイスの家の工房の助けにならないかと試行錯誤していたようだった。
お茶会で得た知識からいち早く流行を察知して、染め物のカラーやデザインを決めて、何処よりも早く販売させればそれは飛ぶように売れて話題を掻っ攫っていった。
もともと良かったセンスは、貴婦人達に学ぶ事で更に磨かれ、染色された布地を使った様々なコラボ商品を生み出しては培った人脈を使いどんどん販路を広げていく。
ベンジャミンが経営する商会でもリズベットが手掛けた商品を取り扱ったが、どんな商品もあっと言う間に売れてしまい、彼女の有能さにますます目が離せなくなっていった。
商人として彼女の才能と努力に惚れ込んだ。
リズベットのおかげで右肩上がりの商売であることに気づきもしないルイスに腹を立てながら、ベンジャミンはこの気持ちが恋だとは微塵も思っていなかった。
ただ商人として尊敬しているだけだと思い込んでいた。
だから二人の関係に口出しするような事はしなかったし、二人が結婚する時も祝福していた。
なんだかんだ言いつつも、ルイスはリズベットを大切にはしているようだったし、優柔不断な所があるが悪い奴ではないし友達だ。何よりリズベットが幸せそうだったので、勿体ないなとは思っても黙って見守ったのだ。
モヤモヤする気持ちは、商人としてリズベットという商品が、正当に評価されていないことへの不満なのだろうと、自分の気持ちに蓋をしていた。
それが変わったのは二人が結婚してしばらく経ってからだった。
『何故彼女はあんなに寂しそうに笑っているんだ?』
とあるパーティーで、久しぶりに見た彼女の笑顔が曇っているのに気づいて気になった。
つい観察してしまっていた時に耳に届いたあの言葉。
" 穏やかな愛情 "
初めてルイスがリズベットに対しこの言葉を使っているのを聞いた時は信じられなかった。
『僕達は政略結婚だからね。激しい恋愛感情なんてないけれど穏やかな愛情は育めているよ。』
二人の仲を褒められたり祝福される度にルイスは " 穏やかな愛情 " という表現をよく使った。
その度に悲しそうに微笑むリズベット。
(コイツは何を言っているんだ!?)
リズベットの行動の全てがルイスを深く愛していると伝えているのに、二人の間には恋愛感情などないと言い張るルイスが到底信じられなかった。
(ルイスは本気でリズベットから向けられる愛情を家族から向けられる愛情と同じだとでも思っているのか!?)
他意もなく心からそう口にするルイスと、言われる度に傷ついた表情になるリズベットを見て胸が痛んだ。
(何で彼女の気持ちに気づかないんだ!?)
本気で意味が分からなかった。
頭のてっぺんから足の爪先までリズベットの愛情にどっぷりと浸かり、仕事でも私生活でも彼女に献身的に支えられて利益を享受しているというのに彼女の愛を否定するような発言をするルイスに怒りが湧いた。
(私ならリズベットに寂しい思いなんて絶対にさせないのに…。)
知らず知らずの内に自分がもしもリズベットの夫だったらと考えてしまった自分に、初めて恋心を自覚した。
とはいえリズベットはルイスの事を心の底から愛しており、ルイスに特別何か落ち度があるわけでもない以上、ベンジャミンには諦めるしか道がなかった。
だからベンジャミンは経営する隣国の支店での活動をメインとし、しばらく二人の前から距離を取ることにした。
『ベンジャミン様がいらっしゃらなくなればルイス様は寂しく思われると思いますわ。
ルイス様は特にベンジャミン様を頼りにされてましたから。
どうか便りを差し上げてください。』
別れの挨拶に訪れた際の言葉ですら、リズベットの頭の中はルイスの事でいっぱいで胸が痛んだが、表面上はにこやかに『もちろんです。』と言葉を返して国を立った。
(いずれ時間がこの胸の痛みを和らげるだろう。)
時を重ねていけば、いつかはルイスもリズベットの愛情に気づいて、恋愛結婚だ政略結婚だなんてこだわりなく、彼女を心から愛するようになるはずだ。
そう自分に言い聞かせて仕事に邁進した。
それからリズベットの情報はあえて入れないように努めた。
聞かないようにしていても、それでも時々聞こえてきてしまう二人の噂は "おしどり夫婦"やら"理想の結婚"など良好な関係を示唆するものばかりだったので、結局のところ夫婦として上手くやっているのだろうと疑いもしなかった。
だからリズベットが "悪女になった"と言う噂を耳にした時は、最初はまったく信用してはいなかった。
日に日に噂が大きくなって『流石にこれは放置していては不味いのでは?』と思い慌てて帰国して、やっと噂が本当だったと知って驚愕した。
夫婦で参加すると聞いていた夜会に一人で参加していたルイスを捕まえて問い詰めた。
『ルイス、夫人と何かあったのか?どうして今日は夫人は一緒じゃないんだ?一体何があってこんな事になってる!?』
『ベンジャミン!帰国していたのか。……それが僕にもサッパリ分からないんだよ。
僕達は穏やかな愛情を育めていたと思っていたのに、リズベットが突然変わってしまって………。
今日も二人で参加するはずだった夜会なのに直前になって気が変わったって出て行ってしまって…………。』
『穏やかなって君はまだそんな………いやそれよりも出て行ったって一人でか?
どうして君は追いかけなかったんだ!
ここで夜会に参加してる場合じゃないだろう!?』
『だ、だってリズベットが付いてくるなって怒鳴ったんだ………。
それに大事なお得意様の夜会だから貴方は参加した方がいいんじゃないかしらって言われたから………。』
『馬鹿か!それで夫人に何かあったらどうするつもりなんだ!!今からでも夫人を探しに…。』
『ルイス様!!!リズベットは今日も来てないんですか!?』
突然会話に入ってきた女性に驚いて振り返る。
金髪碧眼の可愛らしい容姿の女性は、私の存在に今気づいたとでもいうようにハッとして謝った。
『あっ…申し訳ありません!お話し中でしたか……。』
『ああ!大丈夫だよメルローズ嬢。今僕達もちょうどリズベットの話をしていたところだから。
ベンジャミン、こちらリズベットの友人のメルローズ・ノース嬢だ。メルローズ嬢、こちらは僕の友人のベンジャミン・マークスです。』
大丈夫じゃないし、呑気に自己紹介している場合じゃない。
突然会話に割り込まれたのもいい気はしなかったが、リズベットの友人だと紹介されたので、仕方なく挨拶を交わす。
『…はじめましてメルローズ嬢。ルイスの友人のベンジャミン・マークスです。』
『あっ…はじめましてリズベットの親友のメルローズ・ノースです。
ごめんなさい……会話に突然割り込んでしまって………。』
潤んだ瞳で見上げて謝罪され、尚且つリズベットの親友だと強調してくる姿にあざとさを感じて、何とも言えない嫌な感じがした。
『ははっ、ベンジャミンはそんな事を気にする男じゃないから大丈夫ですよ。そうだろう?ベンジャミン。』
『…ええ、勿論お気になさらないで下さい。』
自分の妻がいなくなった話をしていたというのに、何をヘラヘラと笑っているんだ!とルイスを不愉快に思ったが不快感は笑顔の下に隠した。
メルローズ嬢は両手で胸を押さえ、ホッとした表情をした後に悲しげな表情を浮かべてルイスに向かい合った。
『あの……ルイス様。それでリズベットは…今日もご一緒ではないのですか?』
『ああ……残念だけど会場に入る直前になって、夜会に参加するのが嫌になったと言い出して何処かに行ってしまったんだ………。』
『そんな………それじゃあルイス様は今日もお一人に?
なんてことでしょう……。リズベットが…親友が本当にごめんなさい。』
『いや…いいんだよ。こちらこそいつもリズベットが心配をかけてすまないね。』
『ルイス様………………。』
ほんの数秒見つめ合った二人は、ベンジャミンがいる事を思い出したようにパッと目を逸らした。
気まずげに目を彷徨わせるルイスに、ほんのりと頬を染めるメルローズ嬢。
『あの……それでは私…これで失礼します。
リズベットが戻ったら、どうかお知らせ下さいルイス様。』
『あ、ああ………。必ず……知らせるよ。』
そそくさと去っていくメルローズ嬢を目で追っているルイス。
(この二人……………………………。)
ベンジャミンの中でとうしようもない不快感が広がっていった。
『………素敵な女性だろう?いつも僕とリズベットの事を心配してくれるんだ。』
メルローズ嬢の背中に憧憬を秘めた瞳を向けるルイスに舌打ちしたくなった。
『君は………君たちはまさか……彼女の前でいつもそんな感じだったのか?」
チラチラとこちらを伺うメルローズ嬢の視線を感じながらベンジャミンは尋ねた。
『?何の事だい?』
『いや…………いい。何となく事情は読めたから……。』
ポカンとするルイスに背を向けてベンジャミンは会場を後にした。
意識的にしろ、意識的でないにしろ、あんな風に恋する瞳を愛する人が他人に向けているのを、真横で見させられるのは地獄だったろう。
その相手が親友だと言うならば尚更だ。
(リズベットは恐らく二人の為に身を引くことを決めたんだろう。)
ルイスの事を常に一番に考えていたリズベットと突然立った彼女の悪評を結びつければ答えは簡単だった。
(きっと自分が悪者になることで離婚後にルイスの評判が悪くなるのを避けようとしているに違いない。)
どこまでもルイスを愛するリズベットが悲しかった。
それからはご存知の通りだ。
自暴自棄になったリズベットが襲われていた所を助けて、彼女を手に入れるために動いた。
リズベットがどれほど深くルイスを愛しているのか知っていたので、愛してもらえるとは思わなかったが、彼女を傷つけるルイスと親友だという女の側に、これ以上いさせたくなくて、強引に協力を申し出て隣国へと掻っ攫った。
だから私の事を愛していると言ってもらえた時は、信じられないほど嬉しくて、『嘘でも一生信じるよ』とつい余計な事を言ってしまった。
だけど困り顔で『嘘じゃありませんわ。』と笑ってくれた彼女の愛は疑いようもなく深かった。
彼女の愛に包まれるようになると、知れば知るほど、これ程の愛を穏やかな愛情などと宣っていたルイスが信じられなかった。
そして今、『政略結婚でもリズベットを愛している』と聞かされ愕然としているルイスを、ベンジャミンは少しばかり憐れに思う。
人は誰かを失くしてから初めて、その人がいかに大切でかけがえのない人だったのか気づく事がある。
その人が普段何気ない日常の中に存在し、長年当たり前に寄り添ってくれていた人物なら尚更だ。
ルイスにとってリズベットの愛は常に側にあるものだった。
当たり前にある物を、人は特別だと認識するのは難しい。
塵一つ落ちていない部屋で、わざわざ塵が落ちていないことに気づくのが難しいのと同じだ。
リズベットから向けられる愛は余りに深く、そして当たり前だと思わせる程にさり気ない心遣いに満ちていてた。ルイスでは気づけなかっただろう。
そして…
彼女の愛を当たり前だと思っていたのなら、自分の愛にも気づけなかったに違いない。
ベンジャミンは、いくら流行に疎いとはいえ3年以上も前に仕立てた服を着るルイスを見つめた。
リズベットが仕立てたであろう服………。
とはいえ彼女を傷つけたルイスに手加減するつもりはなかった。
確かにルイスはリズベットを大事にしていた。
リズベットの親友に恋心を抱いていたとしても、浮気と呼べる行動をしたわけでもない。
政略結婚で結ばれた相手に特別な感情をいだけないと思いつつも、彼なりに愛してはいた。
だけどルイスは政略結婚では愛情を育めないという思い込みに囚われて、一度も真剣にリズベットに向き合わなかった。
気づくチャンスは幾らでもあったのに、恋することに憧れて、彼女の愛にどっぷり浸りながら、道ならぬ恋という娯楽に夢中になったのもまた彼だ。
だからリズベットを失うのはルイスの自業自得だ。
これから先リズベットがどれだけルイスを愛していたか、またルイスが自分の気持ちに気づこうが気づくまいがもう遅い。
もう二度と彼女の愛情がルイスの元へ帰ることはないのだから。
だからハッキリと引導を渡しておく。
「それとねルイス、リズベットは今身重だから、どのみち君の手伝いなど出来ないんだよ。
この国へ来たのもリズベットのご両親へ報告する為で、お二人とも心の底から喜んで下さったよ。」
朗らかに伝えれば、ルイスの目が驚きに見開かれた。
「彼女も『やっと愛し愛される人との子供が産めるなんて幸せだ。』ととても嬉しそうに言ってくれてるんだ。」
ベンジャミンの言葉にルイスの顔から血の気が引いていった。
「分かったら、もうリズベットに会おうなんて言い出さないでくれるか?
それからリズベットはもう私の妻だ。リズベットと呼び捨てにするのもやめてくれ、
いいね?」
茫然自失のルイスの肩を、軽くポンと叩き、ベンジャミンはルイスの横を通り過ぎる。
通り過ぎざま『そんな…………。』と絶望したような声と、崩れ落ち膝をつく音が聞こえたが、ベンジャミンは無視して部屋を後にした。
これから先、じわじわと時間をかけて政略結婚で結ばれた元妻の愛情がどれだけ深く得難いものだったのか知っていけば良いと思う。
そうしていつかは、自分がリズベットを真実愛していた事にも気づいて苦しめばいい。
『馬鹿な男だ………………………。』
恋に恋して、本当に自分を愛してくれていた人、愛している人を苦しめた愚か者にかける情など、ベンジャミンにはなかった。
おしまい
悲恋だけどハッピーエンドな話が書きたくなって書いてみました。
特に誰が凄く悪いという訳ではない話にしたつもりでしたが、読み返すとルイスの駄目っぷりとベンジャミンの腹黒っぷりが結構エグいかな?と思いました。
ちなみにメルローズは、本当に二人の仲を壊す気は無いけど、ルイスから恋情を向けられていることには気づいていたという設定でした。
この後ルイス視点、メルローズ視点も書こうかと思っていたのですが、長くなってしまったのでベンジャミン視点までで終止とさせて頂きました。
『読んでもいいよ』と思って下さる方がいれば書くかもしれませんし……書かないかもしれない。
「愛する人の子供が産める」を「愛し愛される人との子供」に変更致しました。
誤字脱字報告してくださった方ありがとうございます。




