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傘下の剣豪 ~刀を捨てたら最強でした~

作者: 雪染衛門

これは、まぐれとまぐれが重なって「まぐれじゃなくなる」までの物語。――

 真夏の夜、とある家の庭外れ。苔生(こけむ)した古井戸が、月明かりをかき消すほどの光を放った。家の中まで照らしたが、一瞬の出来事で誰も気づかない。


 朝が来る。


「おかしいな?」

 餌やりを終え、家に戻ろうとする私を止める(にわとり)達の騒ぎ。振り返っても、無駄に小高い段差のせいで、鶏小屋の様子はわからない。

 私の家は、かつてこの地を治めた安土(あづち)家の城趾(じょうし)近くにある。堀や石垣は残ってるけど、歴史的価値は微妙。

「また(のぼ)んなきゃかー」


 スマホを取り出す。パスは“269(つるぎ)”。私の名前・安土ツルギ。


 ラジオ体操もはじまらない時間。夏休みの朝練は遅めだし余裕ある。私は溜息をつくと引き返す。趣深(ウザ)い段差を上るたび、揺れるポニテ。その重量感だけが気分(テンション)アゲてくれる。


 段差を越えた瞬間、跳びはねる影が目に飛び込む。

「やばっ、野犬!?」

 咄嗟に(ほうき)を掴んだけど、すぐに手汗びっしょり。

 雄鶏(おんどり)がふた回りも大きな背に飛びかかる。でも野犬は無視で(むさぼ)り続けてる。

「やめろっ」

 何羽やられた?  視界がじんわり(にじ)む。もう遅い、それでも……。


 ありったけの力で(いっけなーい☆)、箒を叩きつける(殺意殺意!!)


「……え、手練(てだ)れ?」

 思わず声が出る。おかしい。箒がビクともしない。これ、野犬じゃない。背を向けたまま、片手で(わたし)を捉えてる……。

 振り返る不審者。ハムスターみたいに頬を膨らませ、意地でも咀嚼(そしゃく)をやめない。鶏の飼料(エサ)をドカ食いする(アホ)で確定。


 ボサボサ頭から伸びる茶筅髷(ちゃせんまげ)。某将軍サンバでしか見たことない着流し姿(さすがに全方位キラキラしてないけど)。早朝に浴びていい情報量じゃない。人畜無害そうな顔してるけど……警察に突き出すべき?

 青年は口の物をすっかり飲み込むと、私に話しかけてきた。

「誰だ、お前」

「いやこっちの台詞だわ」




「で?」

 侍仕草(しぐさ)の処遇に悩み、一周回って客間に通した。妙に他人じゃない気がして、おにぎりまで食べさせてる。ダメ男養成の才能あるかも。

「どっからきたの?」

 奴は私の親切をミリも疑わず、鶏の餌(さっき)と同じ勢いで詰め込んでる。返事がない。

「おい、聞け?」

 首根っこを掴む。朝食まで用意したんだ。こっちに主導権がある。ヒモ男調教の才能あるかも。

「いほはらはっ」

「え、なんて?」

 奴は最後のひとつを飲み込む。

「井戸からだ」

 待って、井戸とか成仏キャンセル界隈の方……?

 胸元を見る。死装束(ゆうれい)じゃない。深まる謎。何をされてる方なの?


「食った食った、死ぬかと思った。俺リョーマ!」

 圧倒的感謝、雑な自己紹介。

「カゲローの奴、俺の()()()()()()()隠しやがってよ」

「カゲロー? ふりもみこがし?」

 ふんころがしの話? 食べんの?

「菓子のことだ。城下には出回ってねえのか」

 ダメ。日本語なのに何も伝わってこない。検索したら出る?

「カゲローってのは殺し屋で、ここらじゃ“蟻地獄(ありじごく)”って呼ばれてる。俺の悪友だ」

「……殺し屋、悪友?」


 私の脳は語彙(やばいやばい、)力を失ってる(こいつやばい)


「それなりに名の通った奴なんだけどなー。ま、いっか」

 ぜんぜん良くない。殺し屋がそれなりに有名であっちゃ困る。やっぱ警察呼ぶのが正解だわ……。検索しかけた指で、画面を長押しする。

「んで探してたら、うっかり井戸に落ちて、戻ったら俺の(しろ)なかった」

 いつ本性を現す? 気が気じゃない。……てか井戸ってうっかり落ちるもの? 緊張しすぎて逆に冷静さを取り戻す。

「待って」

 スマホを閉じる。

異世界転移(タイムスリップ)してきたとか言わないよね?」


 いつから私は冷静だと錯覚してた?


「いや井戸からきたぞ俺は」

 意識高い(アホみたいな)質問も真顔で答えるリョーマ。異世界転移とか意味わかってないだろ。

「それより傘ねえか?」

 リョーマの表情が露骨に曇る。

「傘? 晴れてるのに?」

「俺の傘、井戸に立てかけといたのに、どっかいっちまってさー」

 私は、ふと気づく。


 こいつ、RP(なりきり)強めのレイヤーなのでは?


 ここは曲がりなりにも城趾(じょうし)。稀に撮影スポットとして、特異点みたいな(コスプレした)人が集結(アッセンブル)する。今は夏休みだし。……謎、解けちゃったな。


「俺のが見つかるまで貸してくれねえか、傘」

 刀貸せとか言わないだけマシか。警察沙汰は困るし。

「あ、あれでいい。ボロっちいけど!」

 リョーマが勝手に神棚へ手を伸ばす。劇的にエモい唐傘が供えられてるからだ。

「それダメ触っちゃ!」

「ダメか」

 可哀想なくらい素直に(しぼ)むリョーマ。教えてあげた方が良さそう。


「持ち主だった殿様は、手に負えない大虚(おおうつけ)とかでさ」

「とんでもねえ殿様だな」

「刀にまで嫌われた殿様に、手を貸したのがあの傘らしいけど、嵐を呼び地を鳴らす化け物だったって。ヤバいっぽい」

「おっかねえ傘だな」

「その殿様の二つ名は、“傘下の”……なんだっけ」

 生前の祖父が、キレッキレに語ってた先祖の昔話。大作(なが)すぎてめっちゃ寝た記憶しかない。歴史に名もないし、じーちゃん盛ってたわ、たぶん。


 私ですらこうだし、リョーマが飽きるのも当然。

「変な着物だな」

RP(それ)まだ続けんの? これは中学(うち)の制服で」

 言いかけ、ヒッと声が出る。

「遅刻界隈ってこんな時なんて言い訳する? うちのじーちゃん生き返ったんで、遅れました?」

「何言ってんだ、お前」

RP(なりきり)侍に言われたくないわっ」

 いやいや言い訳考えてる場合じゃない。

「あ、おい傘!」

「それ所じゃない! 私殺される!」

 玄関の傘立てを一瞥(いちべつ)しつつ、飛び出した。




「なんで付いてきた?」

 水たっぷりなバケツを両手に、柔剣道場の廊下に立たされる私とリョーマ。

「お前が殺されるって言うからよ」

 優しさの方向性がおかしい。

「んでコレなんだ? なんで持たされてんだ?」

 バケツ知らない()()? この状況でもブレないのはなかなかえぐい。

「遅刻したから! 持って反省すんの」

「反省か!」

「うん」

「飲んでいいか、この水」

「うん……いやダメに決まってるし。反省しろっ」

「俺、反省しなくちゃなんねー心当たりがねえ」


 それはそう。


「なあ、傘貸してくれ。落ち着かねえんだ」

「うっさいわ」

 結局、部活をはじめられたのはギリお昼前。




 ここだけの話。私は部活をなんとなくやってる。剣道選んだのは四才の時、少し通った経験があるってだけ。もはや骨折して秒でやめた記憶しかない。だから高い志も大きな夢も、小目標すらない。私もあの子みたいに……。


 ちょうど視線を投げた先。「勝負あり」と下りる旗、続くお約束の賞賛(テンプレみたいなガヤ)

「幼少から優勝総なめにしてきただけある」

薄羽(うすば)がいれば、全国制覇も夢じゃない」

 すごいな、かっこいいな。私も薄羽さん(あの子)みたいにずっと続けてたら、あんな風になれたのかな。胸がざわつく。


「……わ、っつ!」

「ぼーっとしないで安土」

 私の(めん)を掠る竹刀(あいて)、避けた反動で派手にコケる。試合場内(コートライン)に二人きり、何も起こらないはずもなく。ぎゅっと目を(つぶ)る。もう無理、なんで入っちゃったかな剣道部。この戦いが終わったら私……。

「胴あり」と旗が風を切る。地稽古(じげいこ)を見守る部員がどよめく。

「あの一年ヤバない?」


 ……どの一年?


 そっと片目を開くと、私の竹刀が相手の胴を取っていた。私かっ。

「運任せだろ」

「と思うじゃん。でも安土が一本取られる所、見たことない」

「無課金で薄羽と同列とか草。フィジカルで解決すんなし」

 怖いか? 私の土壇場(どたんば)で発揮される才能が。まーもうちょい続けようかなー。

 高速で(てのひら)を返す私。そんな耳を貫く威勢のいい(とんでもない)声。


「全員まとめてかかってこいっ」

 何してんのリョーマ(あいつ)。素手でクイクイと煽ったかと思えば、ちぎっては投げの乱痴気(らんちき)騒ぎ。しれっと混ざってるけど余所者(よそもの)……なんで皆普通に受け入れてんの?

 私は速やかに奴の首根っこを掴む。仔猫みたいに虚無(きょむ)顔になるの好き。と、されるがままだった仔猫が、急に虎の威で私を押し(とど)める。

「お前を殺そうとしてんの、こいつか」


 ただの部活に殺しがあっては困る。


 目の前に(はだ)かる特殊(クセつよ)脇構(わきがま)え。リョーマの目が細められる。

「なんだカゲローか。俺の菓子(ふりもみこがし)どこやった!」

 こいつの頭は食うか飲むかしかないんか。

 面を脱ぐ部員。

「あれ、女だ」

「うちの一般通過侍がごめんね。すぐ放り出すね」

 ぺこぺこする私の前で、黒髪がはらりと揺れる。リョーマの頬に一筋の血。

「あなたも消えて、安土ツルギ」

 薄羽カタナはそう言った。……消えてっていきなりえぐ。


「ん、アヅチ?」

 私の名(フルネーム)に首を(ひね)るリョーマ。あ、名乗るの忘れてたわ。

「てかリョーマ、血!」

「俺より、お前だ」

 ぽろりと落ちる何か。……うっ頭が。

 急な解放感と、床いっぱい広がる長い髪。


「……嘘」


 唯一続けたこと。本気(ガチ)で伸ばしたのに。ポニテの重量感からしか得られない栄養があったのに……。


 床を舐める勢いの私に向けられる剣先。白練(しろねり)の胴着が眩しい薄羽さんの竹刀。

「竹刀で物が斬れるようになるまで、私がどれだけ努力したか。想像できる?」

 ちょっと何言ってるかわかんない。リョーマが(かば)ってくれなかったら私、マジ殺されたのでは?

「あなた、なんで剣道やってるの?」

 と聞かれても。中学は部活必須だし、あとえっと。

「遅刻するわ男とイチャつくわ、極めつけにあんなふざけた太刀筋で。私と同じですって?」

 とんだことだよ。


「昔ね、一度だけ負けたことがあるの。相手は龍を(まと)う子だった」

 突然の自分語りどした?

「未だに夢で(うな)される。だから私は、誰にも……()の子にも負けない」

 その指先が、全て捨ててきたと物語る。

「私の(カタナ)は重いの。まぐれのあなたとは違う」

 結い髪を(ほど)く薄羽さん。私よりずっと長かった。

 ……わかったかも。私が剣道する理由を()()()()()()訳。

「剣道をチャンバラと一緒にしないで。剣道部(うち)木偶(でく)(ぼう)はいらない。楽しい思い出作りなら他の部(よそ)でやって」

 返す言葉がない。その場にいられなくなった。




「お、こんなとこにいたか!」

 校舎裏なら誰も来ないと思ったのに。膝を抱える手に力が入る。

「食い物の匂いに釣られたら、お前がいた」

 ……私を探してたんじゃないんかい。

 食欲ないし、ちょうどいい。(うずくま)ったまま弁当を突き出す。それともうひとつ。

「お?」

 リョーマが欲しがってた物。慌てて玄関で適当に掴んだから……。

山吹色(きいろ)だ、すげえ! かっけえ! ありがとう!」

 小学生の傘でこんなに喜ぶ男、見たことない。

「それ持ってさっさと帰って」

「帰れってもな、俺の(しろ)が見えねえ」

「あーうざ。その()()めんど」

 リョーマを睨みつけた途端、喉の奥が詰まる。


「泣いてんのか、お前」

「ほっといて!」

 あっち行けと竹刀を振り回す。本当は見つけてくれて嬉しかったのに。見つけてほしくて、リョーマなら見つけてくれる気がして、だから傘を……。

 気持ちとは逆に荒ぶる竹刀。でもすぐにビクともしなくなる。今朝の鶏小屋を思い出す。小ぶりな傘を横に、全身で竹刀(わたし)を受け止めるリョーマ。陰から覗く瞳。


 やっぱ只者じゃない(様子がおかしい)。手練れがすぎる。


「来いよ、相手してやる」

 不敵な笑み、見透かされそう。(せき)を切ったように竹刀に乗る私の感情(物理)。

「髪切られたのしんどい。薄羽カタナ(剣道マウント)うざい。泣く」

 竹刀のリズムに合わせて弾ける泣き言。でも……。

「私はもっとうざい」

 言い返せる程の目標も実力も、言い訳すらない自分が一番腹立つ。

「私、間違ってる」

 薄羽さんの言葉が沼る。彼女は正しい。私今まで何してきたんだろ。比べるほど、自分だけがダメに見えて、息が詰まる。


「間違ってない」

 無責任にしか聞こえない。イラっとする。

「食うか飲むかしか考えてない奴に何がわかんの?」

「お前はわかってんのか?」

 私の攻撃は簡単にいな(パリィ)された。竹刀と小学生の傘が互角に渡り合ってる。それだけリョーマには私の心が見えてる。比べて私は自分の気持ちすら……。

「わかんない!」

 感情が暴走して、踏み込みより速く打突する。

「わかんない、わかんないことが、わかんない!」

 理解不能(わからない)がゲシュタルト崩壊しそう。乱れる呼吸に打ち込みも不規則になる。こんなの剣道じゃない、楽しくない。

「それはな、正解を探そうとするからだ」


 心当たりある。私は不安だとすぐ他人(スマホ)見がちだし。ネットミームは(言葉をかざるのは、自)その副産物(信のなさの表れ)


「わかるわけねえ。そこらに落ちてねえんだからよ」

 リョーマがたまに見せる眼差し。私より少し年上なのかもしれない。

「お前の答えは、お前しか引き出せねえ」


 私の答えって? わかんないよ。


「……剣道やめる。やめなきゃダメだから」

「それ、お前の答えじゃねえだろ」

 ぐっと竹刀に力を込め、地面に叩きつける。 

「だって私、皆みたいに剣道する理由ないし!」

 言ってて虚しくなる。私ってマジ中身ない……。


「何言ってんだ。理由はあるだろ」

「え?」

 竹刀を拾うリョーマに鬼面(ホログラム)が浮かぶ。ひびの入った“仁”の文字が不吉だった。

「言いたいことを言え。この時代にお前を縛るものはねえだろ」


 リョーマは何に縛られてる?


「ダメなことなんてねえ、まだ捨てんな」

 竹刀を私の手に押し戻すリョーマ。鬼面はふっと消えた。

「俺はまだ本音聞いてねえ。お前をやめるな」


 私が私であること……。


 膝から崩れ落ちる私を受け止める手。寝落ちするたびおぶってくれた祖父を思い出す。

「……剣道やめたくない」

 これっぽっちしかない。でもこれが私の本音、意地や見栄を手放した丸裸の心。温かい手(リョーマ)はただ黙って胸を貸してくれた。着流しがべしょべしょになっても。




 さんざん泣いた後のチルい時間。

真剣(ガチ)な空気読まずに、()()だけで剣道するのは違うかなって」

 泣き疲れた私は、減ってく弁当を眺めながらふと呟く。

「いいじゃねえかそれで」

 弁当に前のめりなリョーマ。

「いいのかな、それだけで。そんな軽い理由で」

「軽い?」

「だって他の皆は」

()って誰だ?」

「皆は、皆のことで」

 どっかの()()みたいな中身のなさに、米が空を舞う。

「大して顔も浮かばねえ奴らなんか考えんな。一国の(あるじ)じゃあるまいし」

 軽く一蹴してくリョーマ。食べるのに夢中でちゃんと聞いてないのでは。その真相を探るべく私はアマゾンの奥地へ向かう勢いで、思いつく不安を投げる。

「でも! 薄羽さんに比べたら」

「どうでもいいじゃねえか、他の奴なんて」


 私もどうだって(そんなにうまいか)いいってことか(、その弁当はよ)


「人を突き動かすほどの()()が、軽いわけねえ」


 不意打ちに息を呑む。

「信じろよ、お前の好きを」

 心が震えた。

「私は……剣道が」


 突然えぐい音で鳴く私のお腹。また泣きそう。


「ほら」

 ふわりと香る卵焼きの匂い。

「うめえから取っといた!」

「……味知ってるし」


 待って、()()()しろってコト!? 心臓爆発するが?


「しっかり食え、元気でねえぞ」

 こっちの気も知らず、切ないほど保護者面のリョーマ。私の情緒返せ。ヤケクソでパクつく。


 いつもと同じなのに、いつもより甘くて優しい味がした。


「楽しくやれよ」

 数多(あまた)の戦場を越えた先の景色を知る笑顔。

()()()は、何よりも強え力だ。忘れんな」

 その身に巣食う鬼面(のろい)

「やっぱ異世界から」

 言いかけて、私はやめた。




 柔剣道場に戻ると、薄羽(うすば)さんにゴミを見る目で一瞥(いちべつ)される。もう家帰りたいと折れかける心を鼓舞して地稽古(じげいこ)を申し込んだ。

「嫌よ。あなたと竹刀を交える無意味さを知ってるもの。(カタナ)(けが)れるわ」

「う、薄羽さんでも、あれがまぐれにしか、みみ見えないわけ?」

 こうでも言わなきゃ絶対相手してくれない。当然、場は騒然。

「あの土壇場(どたんば)ギフテッドどした」

「髪切られてヤケなんじゃね」

抜身(ぬきみ)(かたな)に挑むとか、まるで諸刃(もろは)(つるぎ)

 薄羽さんは、ガタガタな挑発を鼻で笑うと(めん)を被る。

「いいわ。相手してあげる」

 もう後に引けない。

「見せてもらうわ、土壇場ギフテッドとやらを」


 試合場内(ラインコート)の中心に立つ薄羽さん。

「このラインを(また)いだら一切の希望を捨てなさい」

 地獄の門パクり(どっかで聞いたような)

 静かに構える姿、まさに蟻地獄(ありじごく)。ライン跨げる気がしない。

「刀はしっかり握らねえと(あった)まんねえ。冷てえと斬れ味が(わり)ぃんだ」

 いつの間にか、竹刀を握った私の手を上から握るリョーマ。いや近っ……でもそれ所じゃない。

「いきなり意味わかんないんだけど」

「お前骨折ったことあるだろ」

「なんでわかんの?」

「無意識に左手(かば)ってる。それじゃ安定してねえ」

 きっちり支えろと言わんばかりの熱が、手首に伝わってくる。いけそうな気がした瞬間、どつかれる背中。


「ちょ」


 片足がラインを越える。面越しでもわかる鋭い眼光、吸い込まれる。身体固まる。いける気がしたのは気のせい。私はただの(あり)だった……。


「ツルギ!」


 ドキッとする。初めてだ……名前(わたし)を呼ぶリョーマ、謎のシミ広がる(ふところ)全開で。

「やめろ変態」

 てかなんてタイミングで声かけてくんだこらっ。

菓子(ふりもみこがし)、懐に入れ忘れてたみてえだ。お前の涙で溶けた!」

 熱が一気に上がる。力が入る。

「どうでもいいわっ」


 竹刀の(乾いた)音が響く。


 目の前に狼狽(ろうばい)する薄羽さん。


 私が籠手を取っていた。


「なんで?」とざわつく周囲、私が一番聞きたい。

「そうだ、しっかり握れ。熱込めれば絶対折れねえ。心も、骨も!」

 後方腕組み悪党(ワルニキ)面のリョーマ。やっぱ意味わからん。でも、その笑顔を見てるとつられる。


()()()は、何よりも強え力だ』


 ああ、そっか。


「私は剣道が好き」

 気持ちは自然と声に出た。

「何そのドヤ顔、まぐれの癖に」

 戦慄(わなな)く薄羽さんの唇。今しかない。

「なんで剣道やってるかって? 楽しいからに決まってる」

「楽しいから? 本当に()()なだけ?」


 大丈夫、私はもう絶対折れない。好きで十分。この気持ち、忘れたりしない。


()()()()()()()()()()、だろがいっ」

 一気に踏み込む。楽しい。髪伸ばしてる時くらい気分(テンション)アガる。うっすらでも昨日より伸びてく自分が好き。

 薄羽さんが何か言った。「龍」とか「子」とか。……あれ、身体止まんない。呪われたみたいで、恐い。


「世話焼けるとこもそっくりだな」


 心に直接語りかけるような声、ハッと我に返る。竹刀の間に割り込む黄色い傘。剣先が薄羽さんの喉元で沈黙してる。あわや大惨事。


「ご、ごめん薄羽さん!」

「とんだじゃじゃ馬ね」

 薄羽さんは剣先(わたし)(はら)い、背を向けた。

「もういいわ。これ以上は無意味」

 周囲のクスクス笑い、幻聴(ザマアw)がやまない。中学で()()は禁止、退部が頭を(よぎ)る。


 終わったわ……。


「あなたの(ツルギ)は熱いのね。私じゃ勝てる気がしない」

 静まる場内。唐突にぶっ込んできた薄羽さんを二度見する私。

「……必死にやってきた私がバカみたい」

 そう独り()つ薄羽さん。(めん)を脱ごうとしない。

()()ってのはよ、()()()()って書くんだ」

 リョーマが震える竹刀に向かって言う。

命懸(いのちが)けの時間、腹決めた自分……バカにすんな。誰にでも出来ることじゃねえ」

 弾かれたように振り返る薄羽さんを、その眼は捉え続ける。


「勝ちに(こだわ)るのは大事だ、高え理想を見上げんのもな。ただそればっかが刀を握る理由じゃねえことも知れ。強さの引き出しは人それぞれ、()()()()()()()ってな」

「そんな奴……」

 薄羽さんの視線を感じて背筋が伸びる。

悪友(あいつ)が言ってたことだ。お前に返す」

「……そう。そんな気してた」

 あいつ? 首を(かし)げる私とは逆に、薄羽さんは納得した様子で面を脱ぐ。

「ま、刀みてえに斬ること一辺倒になるなってこった。世には色んな武器(ヤツ)がある」

「そうね」

 (うる)む瞳で破顔する薄羽さん。守りたいこの笑顔。


 その時だった。


「ざけんな、まぐれで終わらせんな」

 六本の竹刀が私に向かってくる。待って、力入んない……。

()()だからだ? ガキかよ、寝言は寝て言え」


 ……もうマジ無理。




《傘を持って公園で遊ぶのが好きだった。開くと大きなお花みたいで、くるくる回すと飛べる気がして。でも雨じゃない日は変だよって笑われた。皆と違うのはおかしいって仲間外れにされた。好きなだけじゃダメなんだって》


 これ走馬灯っぽくね(やばい死ぬ)。ただの部活で死んでたまるか……でももう動けない。


《私の傘、壊されちゃった……》


「否定されていい()()なんてねえ」


 私の視界に広がる小さな傘(大きな花)、その六枚の小間(花びら)を各々貫く竹刀。

()()()()()()を否定すんじゃねえ!」

「……リョーマ」

 私の孤独を引き裂く大喝(だいかつ)、私のために立ち向かう背中。


「邪魔すんなコスプレ侍」

「好きだけで世の中通用するか! (あめ)ぇわ」

安土ツルギ(まぐれチャンバラ)を付け上がらすな」

 竹刀が傘に刺さって身動き取れない(モブ)。それでも口撃(こうげき)はやめない。


「うるせえなあ……」

 リョーマの声が低く響く。その瞬間、空が泣いた。

「甘くて(わり)ぃか。そっちのがうめえだろ」

 ……うん?

 リョーマは輩ごと傘を振り回す。軽く人知越えてる(ありえん馬鹿力すぎ)


「覚えとけ」

 身体から(オーラ)を放つリョーマ。虹彩(こうさい)は青く光り、黒かった瞳がぼんやり白く染まる。眠ってた祖父の昔話が(よみがえ)る。


――雲を呼び 風に舞い (いかづち)と化す さながら龍が如く。


「まぐれが重なったら、まぐれじゃねえ」

 リョーマの真っ当な主張とともに、輩が柔道畳(クッション)まで吹っ飛ぶ。部活は平穏を取り戻した――って言いたい所だけど、風圧で私も飛ばされる。

 次こそ死ぬ。これもうただの部活じゃない……。


《開くと大きなお花みたいで、くるくる回すと飛べる気がして》


 お洒落カフェ(シーリングファン)を思わせるそよ風が頬を()で、目を覚ます。焦るほど近い天井。ゆっくり回転してたのは穴だらけの傘。


「私、飛んでる……?」


 リョーマの腕に守られて。




 雨上がり、(ひぐらし)夏の終わり(セミファイナル)を嘆く頃。

「ごめんなさいツルギ、髪切るのはやりすぎた」

 カタナとは名前で呼び合う仲になってた。

「好きなら、好きってもっと早く言えばよかったのよ」

「あの空気で? (カタナ)の重さ知った後で?」

「ツルギの言葉なら、それはツルギだけの物。私は否定しないわ」

 私を見下すことのない目。

「熱い(ツルギ)に気付かされた。……ありがと」

 カタナは()き物が落ちたように穏やかだ。


「勝負はお(あず)け。髪が伸びるまで待ってあげる」

「そんなで大丈夫そ? また勝ち逃げされたい?」

「あなた本当、四才の頃からムカつくわね」

 嫌味を言うカタナに浮かぶ、古参面の笑み。彼女は今まで以上に強くなる。私も土壇場ギフテッド(謎のフィジカルバフ)に頼らず、カタナに勝ちたい。そんな目標ができた。

「で、傘の陰にいた侍(アンサング・ヒーロー)は?」

「リョーマなら井戸で洗濯するって、先に」





 私は走る、全速力で。あの古井戸に向かって。

『彼を見て、うちに伝わる古い話を思い出したの』

 走りながら、カタナの言葉を思い返す。


『“忘八(ぼうはち)(つら)”――戦乱の世に生まれた八つの呪い。一度被れば最後、刀を握るたび心を(むしば)む。やがて()()()()と化す、“侍殺し”の(めん)


 私の竹刀を拾った彼は、様子がおかしかった。やっぱあの鬼面(ホログラム)が……。


『彼が呪いを受けたのは四才。真剣(やいば)を握れぬまま、侍の道を断たれた。武を何より好んでいたのに……』


 彼は、()()()()()()()()()と言った。「この時代にお前を縛るものはねえ」って。ねえ、どんな気持ちで背中押してくれた? 自分の好きも(ゆる)されないのに……私に「信じろ」なんて、なんで笑って言えたの?


『武家の生まれながら刀を持てず、国中に臆病者(うつけ)(あざけ)られ、遂には肉親にまで命を狙われた。その孤独と苦しみ……計り知れない。きっと、幸せじゃなかった』


 やけに私を心配してたのは、彼もそうだったから。味方になろうとしてくれて。


 全てがパズルのピースみたいにハマってく。


 私、言っちゃったよ。食うか飲むかしか考えてない奴って。謝んなきゃ。


『彼の名は、安土――』


「リョーマ!」

 息を切らしながら叫ぶ。古井戸はただ光を放つだけで、何も返ってこない。


『ツルギ、タイムスリップってあると思う?』

 カタナの想像通り、リョーマはきっと意図せずここに来た。だからもう……。


 後悔が、喉を締めつける。遅かった……。







 膝から崩れ落ちる私を受け止める手。この温かさに覚えがある。

 ボサボサ頭から伸びる茶筅髷(ちゃせんまげ)。逆光の中、暢気(のんき)に笑う彼。

「泣き虫なとこは似てねえな」

 何度も彼の名を呼んだ。もう呼べないかもしれないから。


「私思い出したの、じーちゃんの話」

 止まらない涙が何よりも別れを悟らせる。

安土龍真(あづちりょうま)。“傘下(さんか)剣豪(けんごう)”と呼ばれた男……私のご先祖」

 二ッと悪戯(いたずら)っぽく笑うリョーマ。

「遅刻理由も(あなが)ち嘘じゃなかった! 祖先(よみがえ)ったし」

「何言ってんだ、お前」


 ごめんねとありがとう、夢が叶って(傘で飛んだの)嬉しかった。色々伝えたい時に限ってしょーもない話ばかり。


「穴だらけにしちまった、ごめん」

 壊れた傘を(うやうや)しく差し出すリョーマ。

「もう使えねえか?」

「そも使わないわ!」

 こんな話してる場合じゃない。引き留めたい。

「マジ帰る気?」

 リョーマにとって元の世界は過酷(ヤバい)、だから。

「俺の()()がある、向こうにな」

「なんで?」

 怖くない? 不安じゃないの?

「お前が笑ってる。それが答えだ」


「いかないで」が言えなかった。泣き面くしゃくしゃにして笑ってた。


 リョーマが釣瓶(つるべ)に足をかける。

「お前の味、忘れねえ!」

「最後まで飯の話かよっ」

 それでも、嬉しかった。

「じゃあ、またな」

 リョーマの身体がゆっくり沈む。井戸に遮られる視線。駆け寄ろうとした瞬間、親指を立てた(サムズアップした)拳が突き上げられる。I'll be(また戻っ) back(てくるぜ)とか言いそう。思わず吹き出した。


 光は消えた。


 この世界はリョーマにとって息抜きになったかな。


『きっと、幸せじゃなかった』

 そんなことないよ。だって、リョーマは――日本一規格外の(ぶっ飛んだ)侍だから。




 目まぐるしいこの時代だからこそ、『好き』を忘れたくない。

 好きは人を想う優しさをくれる。好きは、前に進む勇気をくれる。

 もし見失いそうになったら、見上げよう。

 神棚に飾った二本目(きいろ)の傘を。

学生時代の作品をリライトしました!


ちょっとでも面白い、リョーマの元の世界のお話も気になる!

と思っていただけたら、ブックマークや下部の☆☆☆☆☆から評価してくだされば嬉しいです!

創作の励みになります!


お読みいただきありがとうございました!


短編調整前の作品はこちらから

▼連載版 傘下の剣豪 ~刀に嫌われた男~【完結済】

https://ncode.syosetu.com/n6220jy/

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