傘下の剣豪 ~刀を捨てたら最強でした~
これは、まぐれとまぐれが重なって「まぐれじゃなくなる」までの物語。――
真夏の夜、とある家の庭外れ。苔生した古井戸が、月明かりをかき消すほどの光を放った。家の中まで照らしたが、一瞬の出来事で誰も気づかない。
朝が来る。
「おかしいな?」
餌やりを終え、家に戻ろうとする私を止める鶏達の騒ぎ。振り返っても、無駄に小高い段差のせいで、鶏小屋の様子はわからない。
私の家は、かつてこの地を治めた安土家の城趾近くにある。堀や石垣は残ってるけど、歴史的価値は微妙。
「また上んなきゃかー」
スマホを取り出す。パスは“269”。私の名前・安土ツルギ。
ラジオ体操もはじまらない時間。夏休みの朝練は遅めだし余裕ある。私は溜息をつくと引き返す。趣深い段差を上るたび、揺れるポニテ。その重量感だけが気分アゲてくれる。
段差を越えた瞬間、跳びはねる影が目に飛び込む。
「やばっ、野犬!?」
咄嗟に箒を掴んだけど、すぐに手汗びっしょり。
雄鶏がふた回りも大きな背に飛びかかる。でも野犬は無視で貪り続けてる。
「やめろっ」
何羽やられた? 視界がじんわり滲む。もう遅い、それでも……。
ありったけの力で、箒を叩きつける。
「……え、手練れ?」
思わず声が出る。おかしい。箒がビクともしない。これ、野犬じゃない。背を向けたまま、片手で箒を捉えてる……。
振り返る不審者。ハムスターみたいに頬を膨らませ、意地でも咀嚼をやめない。鶏の飼料をドカ食いする男で確定。
ボサボサ頭から伸びる茶筅髷。某将軍サンバでしか見たことない着流し姿(さすがに全方位キラキラしてないけど)。早朝に浴びていい情報量じゃない。人畜無害そうな顔してるけど……警察に突き出すべき?
青年は口の物をすっかり飲み込むと、私に話しかけてきた。
「誰だ、お前」
「いやこっちの台詞だわ」
「で?」
侍仕草の処遇に悩み、一周回って客間に通した。妙に他人じゃない気がして、おにぎりまで食べさせてる。ダメ男養成の才能あるかも。
「どっからきたの?」
奴は私の親切をミリも疑わず、鶏の餌と同じ勢いで詰め込んでる。返事がない。
「おい、聞け?」
首根っこを掴む。朝食まで用意したんだ。こっちに主導権がある。ヒモ男調教の才能あるかも。
「いほはらはっ」
「え、なんて?」
奴は最後のひとつを飲み込む。
「井戸からだ」
待って、井戸とか成仏キャンセル界隈の方……?
胸元を見る。死装束じゃない。深まる謎。何をされてる方なの?
「食った食った、死ぬかと思った。俺リョーマ!」
圧倒的感謝、雑な自己紹介。
「カゲローの奴、俺のふりもみこがし隠しやがってよ」
「カゲロー? ふりもみこがし?」
ふんころがしの話? 食べんの?
「菓子のことだ。城下には出回ってねえのか」
ダメ。日本語なのに何も伝わってこない。検索したら出る?
「カゲローってのは殺し屋で、ここらじゃ“蟻地獄”って呼ばれてる。俺の悪友だ」
「……殺し屋、悪友?」
私の脳は語彙力を失ってる。
「それなりに名の通った奴なんだけどなー。ま、いっか」
ぜんぜん良くない。殺し屋がそれなりに有名であっちゃ困る。やっぱ警察呼ぶのが正解だわ……。検索しかけた指で、画面を長押しする。
「んで探してたら、うっかり井戸に落ちて、戻ったら俺の家なかった」
いつ本性を現す? 気が気じゃない。……てか井戸ってうっかり落ちるもの? 緊張しすぎて逆に冷静さを取り戻す。
「待って」
スマホを閉じる。
「異世界転移してきたとか言わないよね?」
いつから私は冷静だと錯覚してた?
「いや井戸からきたぞ俺は」
意識高い質問も真顔で答えるリョーマ。異世界転移とか意味わかってないだろ。
「それより傘ねえか?」
リョーマの表情が露骨に曇る。
「傘? 晴れてるのに?」
「俺の傘、井戸に立てかけといたのに、どっかいっちまってさー」
私は、ふと気づく。
こいつ、RP強めのレイヤーなのでは?
ここは曲がりなりにも城趾。稀に撮影スポットとして、特異点みたいな人が集結する。今は夏休みだし。……謎、解けちゃったな。
「俺のが見つかるまで貸してくれねえか、傘」
刀貸せとか言わないだけマシか。警察沙汰は困るし。
「あ、あれでいい。ボロっちいけど!」
リョーマが勝手に神棚へ手を伸ばす。劇的にエモい唐傘が供えられてるからだ。
「それダメ触っちゃ!」
「ダメか」
可哀想なくらい素直に萎むリョーマ。教えてあげた方が良さそう。
「持ち主だった殿様は、手に負えない大虚とかでさ」
「とんでもねえ殿様だな」
「刀にまで嫌われた殿様に、手を貸したのがあの傘らしいけど、嵐を呼び地を鳴らす化け物だったって。ヤバいっぽい」
「おっかねえ傘だな」
「その殿様の二つ名は、“傘下の”……なんだっけ」
生前の祖父が、キレッキレに語ってた先祖の昔話。大作すぎてめっちゃ寝た記憶しかない。歴史に名もないし、じーちゃん盛ってたわ、たぶん。
私ですらこうだし、リョーマが飽きるのも当然。
「変な着物だな」
「RPまだ続けんの? これは中学の制服で」
言いかけ、ヒッと声が出る。
「遅刻界隈ってこんな時なんて言い訳する? うちのじーちゃん生き返ったんで、遅れました?」
「何言ってんだ、お前」
「RP侍に言われたくないわっ」
いやいや言い訳考えてる場合じゃない。
「あ、おい傘!」
「それ所じゃない! 私殺される!」
玄関の傘立てを一瞥しつつ、飛び出した。
「なんで付いてきた?」
水たっぷりなバケツを両手に、柔剣道場の廊下に立たされる私とリョーマ。
「お前が殺されるって言うからよ」
優しさの方向性がおかしい。
「んでコレなんだ? なんで持たされてんだ?」
バケツ知らない設定? この状況でもブレないのはなかなかえぐい。
「遅刻したから! 持って反省すんの」
「反省か!」
「うん」
「飲んでいいか、この水」
「うん……いやダメに決まってるし。反省しろっ」
「俺、反省しなくちゃなんねー心当たりがねえ」
それはそう。
「なあ、傘貸してくれ。落ち着かねえんだ」
「うっさいわ」
結局、部活をはじめられたのはギリお昼前。
ここだけの話。私は部活をなんとなくやってる。剣道選んだのは四才の時、少し通った経験があるってだけ。もはや骨折して秒でやめた記憶しかない。だから高い志も大きな夢も、小目標すらない。私もあの子みたいに……。
ちょうど視線を投げた先。「勝負あり」と下りる旗、続くお約束の賞賛。
「幼少から優勝総なめにしてきただけある」
「薄羽がいれば、全国制覇も夢じゃない」
すごいな、かっこいいな。私も薄羽さんみたいにずっと続けてたら、あんな風になれたのかな。胸がざわつく。
「……わ、っつ!」
「ぼーっとしないで安土」
私の面を掠る竹刀、避けた反動で派手にコケる。試合場内に二人きり、何も起こらないはずもなく。ぎゅっと目を瞑る。もう無理、なんで入っちゃったかな剣道部。この戦いが終わったら私……。
「胴あり」と旗が風を切る。地稽古を見守る部員がどよめく。
「あの一年ヤバない?」
……どの一年?
そっと片目を開くと、私の竹刀が相手の胴を取っていた。私かっ。
「運任せだろ」
「と思うじゃん。でも安土が一本取られる所、見たことない」
「無課金で薄羽と同列とか草。フィジカルで解決すんなし」
怖いか? 私の土壇場で発揮される才能が。まーもうちょい続けようかなー。
高速で掌を返す私。そんな耳を貫く威勢のいい声。
「全員まとめてかかってこいっ」
何してんのリョーマ。素手でクイクイと煽ったかと思えば、ちぎっては投げの乱痴気騒ぎ。しれっと混ざってるけど余所者……なんで皆普通に受け入れてんの?
私は速やかに奴の首根っこを掴む。仔猫みたいに虚無顔になるの好き。と、されるがままだった仔猫が、急に虎の威で私を押し止める。
「お前を殺そうとしてんの、こいつか」
ただの部活に殺しがあっては困る。
目の前に開かる特殊な脇構え。リョーマの目が細められる。
「なんだカゲローか。俺の菓子どこやった!」
こいつの頭は食うか飲むかしかないんか。
面を脱ぐ部員。
「あれ、女だ」
「うちの一般通過侍がごめんね。すぐ放り出すね」
ぺこぺこする私の前で、黒髪がはらりと揺れる。リョーマの頬に一筋の血。
「あなたも消えて、安土ツルギ」
薄羽カタナはそう言った。……消えてっていきなりえぐ。
「ん、アヅチ?」
私の名に首を捻るリョーマ。あ、名乗るの忘れてたわ。
「てかリョーマ、血!」
「俺より、お前だ」
ぽろりと落ちる何か。……うっ頭が。
急な解放感と、床いっぱい広がる長い髪。
「……嘘」
唯一続けたこと。本気で伸ばしたのに。ポニテの重量感からしか得られない栄養があったのに……。
床を舐める勢いの私に向けられる剣先。白練の胴着が眩しい薄羽さんの竹刀。
「竹刀で物が斬れるようになるまで、私がどれだけ努力したか。想像できる?」
ちょっと何言ってるかわかんない。リョーマが庇ってくれなかったら私、マジ殺されたのでは?
「あなた、なんで剣道やってるの?」
と聞かれても。中学は部活必須だし、あとえっと。
「遅刻するわ男とイチャつくわ、極めつけにあんなふざけた太刀筋で。私と同じですって?」
とんだことだよ。
「昔ね、一度だけ負けたことがあるの。相手は龍を纏う子だった」
突然の自分語りどした?
「未だに夢で魘される。だから私は、誰にも……龍の子にも負けない」
その指先が、全て捨ててきたと物語る。
「私の魂は重いの。まぐれのあなたとは違う」
結い髪を解く薄羽さん。私よりずっと長かった。
……わかったかも。私が剣道する理由を答えられない訳。
「剣道をチャンバラと一緒にしないで。剣道部に木偶の坊はいらない。楽しい思い出作りなら他の部でやって」
返す言葉がない。その場にいられなくなった。
「お、こんなとこにいたか!」
校舎裏なら誰も来ないと思ったのに。膝を抱える手に力が入る。
「食い物の匂いに釣られたら、お前がいた」
……私を探してたんじゃないんかい。
食欲ないし、ちょうどいい。蹲ったまま弁当を突き出す。それともうひとつ。
「お?」
リョーマが欲しがってた物。慌てて玄関で適当に掴んだから……。
「山吹色だ、すげえ! かっけえ! ありがとう!」
小学生の傘でこんなに喜ぶ男、見たことない。
「それ持ってさっさと帰って」
「帰れってもな、俺の家が見えねえ」
「あーうざ。その設定めんど」
リョーマを睨みつけた途端、喉の奥が詰まる。
「泣いてんのか、お前」
「ほっといて!」
あっち行けと竹刀を振り回す。本当は見つけてくれて嬉しかったのに。見つけてほしくて、リョーマなら見つけてくれる気がして、だから傘を……。
気持ちとは逆に荒ぶる竹刀。でもすぐにビクともしなくなる。今朝の鶏小屋を思い出す。小ぶりな傘を横に、全身で竹刀を受け止めるリョーマ。陰から覗く瞳。
やっぱ只者じゃない。手練れがすぎる。
「来いよ、相手してやる」
不敵な笑み、見透かされそう。堰を切ったように竹刀に乗る私の感情(物理)。
「髪切られたのしんどい。薄羽カタナうざい。泣く」
竹刀のリズムに合わせて弾ける泣き言。でも……。
「私はもっとうざい」
言い返せる程の目標も実力も、言い訳すらない自分が一番腹立つ。
「私、間違ってる」
薄羽さんの言葉が沼る。彼女は正しい。私今まで何してきたんだろ。比べるほど、自分だけがダメに見えて、息が詰まる。
「間違ってない」
無責任にしか聞こえない。イラっとする。
「食うか飲むかしか考えてない奴に何がわかんの?」
「お前はわかってんのか?」
私の攻撃は簡単にいなされた。竹刀と小学生の傘が互角に渡り合ってる。それだけリョーマには私の心が見えてる。比べて私は自分の気持ちすら……。
「わかんない!」
感情が暴走して、踏み込みより速く打突する。
「わかんない、わかんないことが、わかんない!」
理解不能がゲシュタルト崩壊しそう。乱れる呼吸に打ち込みも不規則になる。こんなの剣道じゃない、楽しくない。
「それはな、正解を探そうとするからだ」
心当たりある。私は不安だとすぐ他人見がちだし。ネットミームはその副産物。
「わかるわけねえ。そこらに落ちてねえんだからよ」
リョーマがたまに見せる眼差し。私より少し年上なのかもしれない。
「お前の答えは、お前しか引き出せねえ」
私の答えって? わかんないよ。
「……剣道やめる。やめなきゃダメだから」
「それ、お前の答えじゃねえだろ」
ぐっと竹刀に力を込め、地面に叩きつける。
「だって私、皆みたいに剣道する理由ないし!」
言ってて虚しくなる。私ってマジ中身ない……。
「何言ってんだ。理由はあるだろ」
「え?」
竹刀を拾うリョーマに鬼面が浮かぶ。ひびの入った“仁”の文字が不吉だった。
「言いたいことを言え。この時代にお前を縛るものはねえだろ」
リョーマは何に縛られてる?
「ダメなことなんてねえ、まだ捨てんな」
竹刀を私の手に押し戻すリョーマ。鬼面はふっと消えた。
「俺はまだ本音聞いてねえ。お前をやめるな」
私が私であること……。
膝から崩れ落ちる私を受け止める手。寝落ちするたびおぶってくれた祖父を思い出す。
「……剣道やめたくない」
これっぽっちしかない。でもこれが私の本音、意地や見栄を手放した丸裸の心。温かい手はただ黙って胸を貸してくれた。着流しがべしょべしょになっても。
さんざん泣いた後のチルい時間。
「真剣な空気読まずに、好きだけで剣道するのは違うかなって」
泣き疲れた私は、減ってく弁当を眺めながらふと呟く。
「いいじゃねえかそれで」
弁当に前のめりなリョーマ。
「いいのかな、それだけで。そんな軽い理由で」
「軽い?」
「だって他の皆は」
「皆って誰だ?」
「皆は、皆のことで」
どっかの構文みたいな中身のなさに、米が空を舞う。
「大して顔も浮かばねえ奴らなんか考えんな。一国の主じゃあるまいし」
軽く一蹴してくリョーマ。食べるのに夢中でちゃんと聞いてないのでは。その真相を探るべく私はアマゾンの奥地へ向かう勢いで、思いつく不安を投げる。
「でも! 薄羽さんに比べたら」
「どうでもいいじゃねえか、他の奴なんて」
私もどうだっていいってことか。
「人を突き動かすほどの好きが、軽いわけねえ」
不意打ちに息を呑む。
「信じろよ、お前の好きを」
心が震えた。
「私は……剣道が」
突然えぐい音で鳴く私のお腹。また泣きそう。
「ほら」
ふわりと香る卵焼きの匂い。
「うめえから取っといた!」
「……味知ってるし」
待って、あーんしろってコト!? 心臓爆発するが?
「しっかり食え、元気でねえぞ」
こっちの気も知らず、切ないほど保護者面のリョーマ。私の情緒返せ。ヤケクソでパクつく。
いつもと同じなのに、いつもより甘くて優しい味がした。
「楽しくやれよ」
数多の戦場を越えた先の景色を知る笑顔。
「楽しいは、何よりも強え力だ。忘れんな」
その身に巣食う鬼面。
「やっぱ異世界から」
言いかけて、私はやめた。
柔剣道場に戻ると、薄羽さんにゴミを見る目で一瞥される。もう家帰りたいと折れかける心を鼓舞して地稽古を申し込んだ。
「嫌よ。あなたと竹刀を交える無意味さを知ってるもの。魂が穢れるわ」
「う、薄羽さんでも、あれがまぐれにしか、みみ見えないわけ?」
こうでも言わなきゃ絶対相手してくれない。当然、場は騒然。
「あの土壇場ギフテッドどした」
「髪切られてヤケなんじゃね」
「抜身の刀に挑むとか、まるで諸刃の剣」
薄羽さんは、ガタガタな挑発を鼻で笑うと面を被る。
「いいわ。相手してあげる」
もう後に引けない。
「見せてもらうわ、土壇場ギフテッドとやらを」
試合場内の中心に立つ薄羽さん。
「このラインを跨いだら一切の希望を捨てなさい」
地獄の門パクり?
静かに構える姿、まさに蟻地獄。ライン跨げる気がしない。
「刀はしっかり握らねえと温まんねえ。冷てえと斬れ味が悪ぃんだ」
いつの間にか、竹刀を握った私の手を上から握るリョーマ。いや近っ……でもそれ所じゃない。
「いきなり意味わかんないんだけど」
「お前骨折ったことあるだろ」
「なんでわかんの?」
「無意識に左手庇ってる。それじゃ安定してねえ」
きっちり支えろと言わんばかりの熱が、手首に伝わってくる。いけそうな気がした瞬間、どつかれる背中。
「ちょ」
片足がラインを越える。面越しでもわかる鋭い眼光、吸い込まれる。身体固まる。いける気がしたのは気のせい。私はただの蟻だった……。
「ツルギ!」
ドキッとする。初めてだ……名前を呼ぶリョーマ、謎のシミ広がる懐全開で。
「やめろ変態」
てかなんてタイミングで声かけてくんだこらっ。
「菓子、懐に入れ忘れてたみてえだ。お前の涙で溶けた!」
熱が一気に上がる。力が入る。
「どうでもいいわっ」
竹刀の音が響く。
目の前に狼狽する薄羽さん。
私が籠手を取っていた。
「なんで?」とざわつく周囲、私が一番聞きたい。
「そうだ、しっかり握れ。熱込めれば絶対折れねえ。心も、骨も!」
後方腕組み悪党面のリョーマ。やっぱ意味わからん。でも、その笑顔を見てるとつられる。
『楽しいは、何よりも強え力だ』
ああ、そっか。
「私は剣道が好き」
気持ちは自然と声に出た。
「何そのドヤ顔、まぐれの癖に」
戦慄く薄羽さんの唇。今しかない。
「なんで剣道やってるかって? 楽しいからに決まってる」
「楽しいから? 本当に好きなだけ?」
大丈夫、私はもう絶対折れない。好きで十分。この気持ち、忘れたりしない。
「好きこそ物の上手なれ、だろがいっ」
一気に踏み込む。楽しい。髪伸ばしてる時くらい気分アガる。うっすらでも昨日より伸びてく自分が好き。
薄羽さんが何か言った。「龍」とか「子」とか。……あれ、身体止まんない。呪われたみたいで、恐い。
「世話焼けるとこもそっくりだな」
心に直接語りかけるような声、ハッと我に返る。竹刀の間に割り込む黄色い傘。剣先が薄羽さんの喉元で沈黙してる。あわや大惨事。
「ご、ごめん薄羽さん!」
「とんだじゃじゃ馬ね」
薄羽さんは剣先を掃い、背を向けた。
「もういいわ。これ以上は無意味」
周囲のクスクス笑い、幻聴がやまない。中学で突きは禁止、退部が頭を過る。
終わったわ……。
「あなたの魂は熱いのね。私じゃ勝てる気がしない」
静まる場内。唐突にぶっ込んできた薄羽さんを二度見する私。
「……必死にやってきた私がバカみたい」
そう独り言つ薄羽さん。面を脱ごうとしない。
「必死ってのはよ、必ず死ぬって書くんだ」
リョーマが震える竹刀に向かって言う。
「命懸けの時間、腹決めた自分……バカにすんな。誰にでも出来ることじゃねえ」
弾かれたように振り返る薄羽さんを、その眼は捉え続ける。
「勝ちに拘るのは大事だ、高え理想を見上げんのもな。ただそればっかが刀を握る理由じゃねえことも知れ。強さの引き出しは人それぞれ、そんな奴もいるってな」
「そんな奴……」
薄羽さんの視線を感じて背筋が伸びる。
「悪友が言ってたことだ。お前に返す」
「……そう。そんな気してた」
あいつ? 首を傾げる私とは逆に、薄羽さんは納得した様子で面を脱ぐ。
「ま、刀みてえに斬ること一辺倒になるなってこった。世には色んな武器がある」
「そうね」
潤む瞳で破顔する薄羽さん。守りたいこの笑顔。
その時だった。
「ざけんな、まぐれで終わらせんな」
六本の竹刀が私に向かってくる。待って、力入んない……。
「好きだからだ? ガキかよ、寝言は寝て言え」
……もうマジ無理。
《傘を持って公園で遊ぶのが好きだった。開くと大きなお花みたいで、くるくる回すと飛べる気がして。でも雨じゃない日は変だよって笑われた。皆と違うのはおかしいって仲間外れにされた。好きなだけじゃダメなんだって》
これ走馬灯っぽくね。ただの部活で死んでたまるか……でももう動けない。
《私の傘、壊されちゃった……》
「否定されていい好きなんてねえ」
私の視界に広がる小さな傘、その六枚の小間を各々貫く竹刀。
「ツルギの好きを否定すんじゃねえ!」
「……リョーマ」
私の孤独を引き裂く大喝、私のために立ち向かう背中。
「邪魔すんなコスプレ侍」
「好きだけで世の中通用するか! 甘ぇわ」
「安土ツルギを付け上がらすな」
竹刀が傘に刺さって身動き取れない輩。それでも口撃はやめない。
「うるせえなあ……」
リョーマの声が低く響く。その瞬間、空が泣いた。
「甘くて悪ぃか。そっちのがうめえだろ」
……うん?
リョーマは輩ごと傘を振り回す。軽く人知越えてる。
「覚えとけ」
身体から炎を放つリョーマ。虹彩は青く光り、黒かった瞳がぼんやり白く染まる。眠ってた祖父の昔話が甦る。
――雲を呼び 風に舞い 雷と化す さながら龍が如く。
「まぐれが重なったら、まぐれじゃねえ」
リョーマの真っ当な主張とともに、輩が柔道畳まで吹っ飛ぶ。部活は平穏を取り戻した――って言いたい所だけど、風圧で私も飛ばされる。
次こそ死ぬ。これもうただの部活じゃない……。
《開くと大きなお花みたいで、くるくる回すと飛べる気がして》
お洒落カフェを思わせるそよ風が頬を撫で、目を覚ます。焦るほど近い天井。ゆっくり回転してたのは穴だらけの傘。
「私、飛んでる……?」
リョーマの腕に守られて。
雨上がり、蜩が夏の終わりを嘆く頃。
「ごめんなさいツルギ、髪切るのはやりすぎた」
カタナとは名前で呼び合う仲になってた。
「好きなら、好きってもっと早く言えばよかったのよ」
「あの空気で? 魂の重さ知った後で?」
「ツルギの言葉なら、それはツルギだけの物。私は否定しないわ」
私を見下すことのない目。
「熱い魂に気付かされた。……ありがと」
カタナは憑き物が落ちたように穏やかだ。
「勝負はお預け。髪が伸びるまで待ってあげる」
「そんなで大丈夫そ? また勝ち逃げされたい?」
「あなた本当、四才の頃からムカつくわね」
嫌味を言うカタナに浮かぶ、古参面の笑み。彼女は今まで以上に強くなる。私も土壇場ギフテッドに頼らず、カタナに勝ちたい。そんな目標ができた。
「で、傘の陰にいた侍は?」
「リョーマなら井戸で洗濯するって、先に」
私は走る、全速力で。あの古井戸に向かって。
『彼を見て、うちに伝わる古い話を思い出したの』
走りながら、カタナの言葉を思い返す。
『“忘八の面”――戦乱の世に生まれた八つの呪い。一度被れば最後、刀を握るたび心を蝕む。やがて人でなしと化す、“侍殺し”の面』
私の竹刀を拾った彼は、様子がおかしかった。やっぱあの鬼面が……。
『彼が呪いを受けたのは四才。真剣を握れぬまま、侍の道を断たれた。武を何より好んでいたのに……』
彼は、言いたいことを言えと言った。「この時代にお前を縛るものはねえ」って。ねえ、どんな気持ちで背中押してくれた? 自分の好きも赦されないのに……私に「信じろ」なんて、なんで笑って言えたの?
『武家の生まれながら刀を持てず、国中に臆病者と嘲られ、遂には肉親にまで命を狙われた。その孤独と苦しみ……計り知れない。きっと、幸せじゃなかった』
やけに私を心配してたのは、彼もそうだったから。味方になろうとしてくれて。
全てがパズルのピースみたいにハマってく。
私、言っちゃったよ。食うか飲むかしか考えてない奴って。謝んなきゃ。
『彼の名は、安土――』
「リョーマ!」
息を切らしながら叫ぶ。古井戸はただ光を放つだけで、何も返ってこない。
『ツルギ、タイムスリップってあると思う?』
カタナの想像通り、リョーマはきっと意図せずここに来た。だからもう……。
後悔が、喉を締めつける。遅かった……。
膝から崩れ落ちる私を受け止める手。この温かさに覚えがある。
ボサボサ頭から伸びる茶筅髷。逆光の中、暢気に笑う彼。
「泣き虫なとこは似てねえな」
何度も彼の名を呼んだ。もう呼べないかもしれないから。
「私思い出したの、じーちゃんの話」
止まらない涙が何よりも別れを悟らせる。
「安土龍真。“傘下の剣豪”と呼ばれた男……私のご先祖」
二ッと悪戯っぽく笑うリョーマ。
「遅刻理由も強ち嘘じゃなかった! 祖先蘇ったし」
「何言ってんだ、お前」
ごめんねとありがとう、夢が叶って嬉しかった。色々伝えたい時に限ってしょーもない話ばかり。
「穴だらけにしちまった、ごめん」
壊れた傘を恭しく差し出すリョーマ。
「もう使えねえか?」
「そも使わないわ!」
こんな話してる場合じゃない。引き留めたい。
「マジ帰る気?」
リョーマにとって元の世界は過酷、だから。
「俺の好きがある、向こうにな」
「なんで?」
怖くない? 不安じゃないの?
「お前が笑ってる。それが答えだ」
「いかないで」が言えなかった。泣き面くしゃくしゃにして笑ってた。
リョーマが釣瓶に足をかける。
「お前の味、忘れねえ!」
「最後まで飯の話かよっ」
それでも、嬉しかった。
「じゃあ、またな」
リョーマの身体がゆっくり沈む。井戸に遮られる視線。駆け寄ろうとした瞬間、親指を立てた拳が突き上げられる。I'll be backとか言いそう。思わず吹き出した。
光は消えた。
この世界はリョーマにとって息抜きになったかな。
『きっと、幸せじゃなかった』
そんなことないよ。だって、リョーマは――日本一規格外の侍だから。
目まぐるしいこの時代だからこそ、『好き』を忘れたくない。
好きは人を想う優しさをくれる。好きは、前に進む勇気をくれる。
もし見失いそうになったら、見上げよう。
神棚に飾った二本目の傘を。
学生時代の作品をリライトしました!
ちょっとでも面白い、リョーマの元の世界のお話も気になる!
と思っていただけたら、ブックマークや下部の☆☆☆☆☆から評価してくだされば嬉しいです!
創作の励みになります!
お読みいただきありがとうございました!
短編調整前の作品はこちらから
▼連載版 傘下の剣豪 ~刀に嫌われた男~【完結済】
https://ncode.syosetu.com/n6220jy/




