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魂たちの放浪旅 0 星雲を越えた世界へようこそ  作者: Hs0
序章 おわりとはじまり
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0-0 家出

 悪夢が襲ってきそうな空模様だった。


 冬の終わり頃、ここら一帯は頻繫に灰色になる。高くて重い雲が、突然現れるからだ。星々はその砂埃を貫けず、誰も見えない場所で輝き続けることしかできない。

 一人の青年が立っている道を、割れてしまっている街灯が心許ない光で照らしていた。春一番に煽られている、少しずつ丈や太さが違う何千本もの木々に、大粒の雫が降り注いだ。地面に打ち付ける音も、非常に響き渡っていた。加えて霧まで出現したので、彼の視界はさらに悪化した。


 一歩踏み出すごとにスニーカーの中に水溜まりが入っても、足を止めなかった。これからどこへ行くのか、彼ですら分からなかった。目的地が無いまま、ふらふらと亡霊のように彷徨っていた。

 夜行性の野生動物に襲われるかもしれない。折れた木の幹に脳天を打ってしまうかもしれない。そんな恐怖すらも、まったく無かった。


 灰色の髪の毛で、右目には眼帯をつけている。青年の奇天烈な見た目は、彼の人間関係を悪化させるばかりだった。家族ですら、情けの言葉を一つも投げかけてくれなかった。それどころか、彼をのけ者扱いする日々だった。

 会社から帰って来た瞬間から機嫌が悪い父に八つ当たり気味に怒鳴られ、ヒステリックな母に夕食を地面に叩きつけられた。知らない男ととっかえひっかえに遊び、散財ばかりしている妹だけが重宝されている家庭環境だった。


 口をもごつかせて目を泳がせ、下を向くことが多くなったと自覚した時から、人とは反対方向に歩くようにした。前なら後ろ。左なら右。寝るなら起きる。食べるなら食べない。その小さな積み重ねの賜物が、いつしか彼の全身にまとわりついた。


 身体の芯が震えるほど、寒い冬の日のことだった。一枚の毛布すら分けてくれないので、青年は冷たい廊下に寝転がった。逆さまの玄関が視界に入った時、『扉の向こうには暗闇と夢が広がっている』と、初めて思った。手を伸ばさないのは自害と同義だと、何故か心の底から信じきっていた。

 どうせ気に留められないのを良いことに、あっという間に自宅が見えなくなる距離まで歩いていた。それが、初めて家出だった。不思議と後悔は微塵も無く、あらゆる苦渋から解き放ってくれた気がした。


 それ以降は憂鬱を追い払うために、気が付けば当てもなく放浪をするようになった。元より未成年なので、煙草と酒に溺れる気には最初からなれなかった。青年にとっては、何も考えずに世界を歩くという行動が特効薬となっているのは間違いなかった。本気で心配してくれる人が一人でもいたなら、この害でしかない癖は完成していなかった。

 現実は、彼の家族はあらゆる憎悪を通り越し、どうでも良くなっていた。もしも一生帰らなくても、頭の中に留める場所なんて無いのだ。


 青年自身も、家に閉じこもっているより、どこかへ赴くのが好きになっていた。実際、県を越えるまで旅をした。たまには電車も使ったりしたが、基本は歩きである。

 暑さが消えない夜の日や、大雪警報が出ている日にだって構わず、擦り切れたスニーカーを履いてどこかへ向かった。


 今日は夜遅く、どの家もピタリと戸と窓を閉めて明かりを消していた。風がさらに強くなり、雷鳴も轟き始めた。寝床で横になっている人の耳にも、けたたましく入ってきている。

 だが数十分も経てば、風は過ぎて雨も小さくなった。雷も徐々に収まり、静寂が帰ってきた。まだ、太陽が昇る時間ではない。人々は、ようやく落ち着いて眠れる。次なる轟音となる、サイレンさえ鳴らなければ。


 夜中にも関わらず、警察が真面目に青年を探しに来た。歩き回っているところをとっ捕まえて、家に連れ戻そうとするのだ。彼の言い分なんて、まったく聞き入れてくれない。それも当然、正しいのは警官である。

 過去に三度も同じ目に遭えば、もう無計画に飛び出すのを止めようと考えた。元から億劫な学校にも行かず、物置小屋に籠って縮こまったりもした。しかしその決心も少しずつ塵と化し、ついには一歩踏み出してしまうのが青年の悪い癖だった。

 

 今回は早い方だと、青年はどこか冷静な考えを持った。サイレンがすぐそばまで聞こえてきた。再び静寂が破られ、大半が浅い眠りへ逆戻りした。彼を見つけて家に届けるまで、音の嵐が吹き続ける。知らない人の睡眠事情なんて、まったく考えていない。


 大人しく連行されれば良いのに、悪足搔きをしたくなった。突然、彼は行ける所まで走り出した。通常なら、それも虚しい努力となり首の根っ子を引っ張られる。これで、その日の放浪癖の幕が閉じられる。

 しかし今日はなんだか、簡単には捕まらない気がしていた。たとえ近所と言えど、未知はすぐそばにある。草むらでほとんど隠れていて、今までずっと気がつかなかった。とても細い小道が、どこかへ伸びていたのだ。


 知らない道を発見した青年は、少しだけ心の重さが無くなった。迷うことなく草をかき分け、車のライトに映らないようにしゃがんで進んだ。後ろのサイレンが遠くなったのを確認し、『結構な時間稼ぎができそう』と、口角を上げた。

 家一つすら見えなくなった所で、これまでの疲れが出て来た。少し休憩することにした青年は、ズボンの汚れなど気にせず地べたに座った。両脚を伸ばし、両手を後ろに置いた。見上げると、相変わらず星が一つも見えない空があった。静かに小雨が降り出し、彼は目を閉じて受け入れていた。


 ――――どうか、このまま遠くに行けたら……


 淡い願いを、どこにもいない誰かに話した。返事がないのを確認して、青年は乾いた笑いを吹き出した。同時に、前方からガサガサと草が揺れる音がした。風ではなく、人間の手によって出ていると勘づいた。

 彼は警察の執着心を、少しばかり舐めていた。まさか、ここまで探してくるとは思わなかった。偶然にも、目撃者でもいたのかもしれない。


 ここで音を立てたら、一気に走って距離を詰められる。しかし、このままやり過ごすことも不可能だと、脳内で直感的に理解してしまった。『この道を知れたのが今回の収穫ということにして、殺人鬼のように自首しよう』と考えた彼は右膝を立てて、上半身を前に出した。


 その時、視界の端に映ったモノに青年は釘付けになった。


 青年が見ている狭い世界には、何の美徳もなく欺瞞に溢れかえっていた。彼が求めている理想郷も存在していないと、常に認め続けてきた。

 砂の中にある貝殻でさえ、彼より希望を持っているに違いなかった。今、足元にあるモノだって、はたから見ればぐしゃぐしゃで汚かった。だが彼からすれば、黄金の糸と同じくらい価値ある存在となり得た。


 すぐそこまで来ていた警察が、青年を認識して一気に走り出した。だが彼はすでに、そんなことを気に留めていなかった。目の前の人には、一瞥もしなかった。

 彼は迷いなく手を伸ばした。前から来るライトにではなく、下に落ちているモノへ。気の迷いかもしれないし、僅かな希望を押し付けようとしたのかもしれない。


 ともかく、この不吉な連鎖が続いていた物語の序章に、一筋の光が舞い降りたのだ。それが物語を突き動かす、素晴らしい教訓となるか。青年をこれからも苦しめる要素でしかなく、暗い運命しか照らさないのか。どっちにしろ、現時点で言えることは一つだけだった。



 死にかけていた、哀れな一つの魂から。

 わずかに、だが確かに。

 躍動する音が、聞こえ始めた。


 それは、生と希望と夢を渇望していた。

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