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とある勇者の独白

 私は瀬尾遥香(せのおはるか)


 日本生まれの、ただの平凡な女子高生だ。

 真面目だけが取り柄だから勉強は嫌いじゃなくて、学校の成績では学年十位以内をなんとかキープしているような、そんなどこにでもいる高校生。


 うちは裕福な家庭ではなかったけど、お母さんが私の将来のために身を粉にして働いてくれているのを知っていたから、頑張って勉強して、いずれは名門の国立大学に通おうと思っていた。


 生まれた頃には両親が離婚していたからお父さんはいなかったけれど、寂しい思いをしたことはない。だって、お母さんが私のことをとっても愛してくれていたからだ。


 お母さんは毎日眠る暇もないほど働いていて、なかなかおうちに帰ってくることができない。だから、部活には入らずに、学校が終われば毎日早めにお家に帰って夜ご飯をつくる。それが私の日課だった。


 私が料理上手なのはお母さんが教えてくれたからだ。お母さんはハンバーグが得意料理なんだけど、同じレシピで私が作っても同じ味にならない。なんでなんだろう?


 でも、時々お母さんの仕事がお休みの日にキッチンに並んで一緒にハンバーグを作る時間は嫌いじゃなかったから、それでもいいかなって思ってた。ハンバーグはお母さんと一緒に作ればいいんだって。


 そんな私には、なりたいものがたくさんある。


 幼い頃は、アイドルになりたかった。

 ちょうどアイドルの全盛期に小学生時代を過ごした私は、自分がテレビの向こうで踊って歌い、輝いている姿を何度も想像したものだ。


 でも、高校に入った頃には自分の平凡さを自覚して諦めた。


 この世の中に名を残すには、非凡な才能と、強力な運。この二つが必要なのだ。どちらかがかけてもうまくはいかない。

 私はまず非凡な才能のところで躓いた。容姿は十人並みだし、何か飛び抜けて得意なことがあるわけではない。でも、こうやって冷静に自分を客観視して見れるところは気に入っているかな。


 アイドルという夢は諦めたけれど、子供が好きだから先生なんかもいいなって最近はぼんやりと思ってた。得意科目は国語と日本史だから、やっぱり国語とか社会の先生がいいな。

 真面目に働いて貯金して、お母さんにいい暮らしをさせてあげるんだ。


 あと、今は勉強と家事ばっかりで忙しくてなかなか彼氏もできないけれど、いつかはとびきり素敵な人と結婚もしたい。

 別にイケメンじゃなくてもいいから、私のことをちゃんと愛してくれる、優しい人がいいな。


 そして、結婚披露宴では、今までの感謝を全部綴った手紙をお母さんに書いて、「今まで育ててくれてありがとう。絶対幸せになるからね」って、そう言って安心させたい。

 泣き虫なお母さんのことだから、きっとたくさん泣いちゃうんだろうな。 


 それで、子どもができたら、お母さんに育児を教わりながら、お母さんが私を愛してくれたみたいに、私も精一杯愛してあげるんだ。

 そして人生が終わるときには、たくさんの子どもや孫に囲まれながら幸せの中でゆっくりと息を引き取るのだ――。


 自分の未来をわくわくと思い描いていた頃の私は、その日も夜勤の母を見送り、いつも通り自分の部屋で眠りについた。そう、そのはずだったのに――――。





 結論を言うと、私は異世界に召喚されたのだ。


 目が覚めたら、全く見覚えのない場所にいて、たくさんの人たちに囲まれていた。

 みんなわたしのことを見た瞬間、大歓声をあげて喜んでいるみたいだった。

 私はその中で一人、口をポカンと開いたまま呆然としていた。

 すると、周りにいた人たちの中でも一番豪華な服を着た高い地位にいそうなおじさんが前に進み出てきて私の目を見て言ったんだ。


「ようこそお越しくださいました。勇者様」って。


 なんの力もない、非力な女子高生に向かって勇者様って。何それ、笑える。


 だけどそんな余裕があるのもその時だけだった。

 私は勇者としてあれよあれよという間に担ぎあげられ、気づいたら国宝の聖剣を片手に毎日手のマメが潰れるくらい訓練をさせられることになったのだ。


 正直ふざけんなって思った。だって、勇者の召喚なんて良いように言ってるけど、要はこれって誘拐でしょ?


 しかも、外鍵付きの部屋に毎日閉じ込められるという監禁つきの。


 魔王に苦しめられてるとか、可哀想だとは思うけど、私からしたらそれはこの国の事情であって、全く関係のない私を巻き込まないでよって思った。


 お母さんも心配してるだろうし、申し訳ないけれど帰してもらおう。

 そう思ってこの国の王様に直談判しに行った私に告げられたのは「帰せない」って、言葉だった。そう、「帰さない」じゃなくて「帰せない」だ。


 王様は申し訳なさそうに、私を召喚した古代の魔法に関する記述は少なく、呼び出す魔法は載っているが、帰還方法については全く記述がないんだって教えてくれた。

 嘘つけって思ったから王様が持っていた古文書を奪い取るようにして見してもらったら本当に書いてなかった。それに、古文書にはそれ以上に信じられない事実が記されていた。

 

『召喚魔法は、時と同じく一方通行だ。砂時計の砂が上から下へと必ず落ちていくように不可逆的なもの。召喚された本人のみならず、世界の運命をも大きく変えてしまうこの魔法を決して使ってはならない。よって召喚魔法を記述したこの書を禁書とし、未来永劫この魔法を使用することを禁ずる』


『この魔法によって召喚された異世界人は時空の壁を無理やり飛び越えることで体が根本的に改変させられる。それはこの世にありうべからざる存在だ。異世界人はこの世界に召喚された時点で自らの"時間"を失うことになる。つまり、不老となるのだ。』


 ……一方通行? 不老?


 それを理解するのに、たぶんとても長い時間がかかった。


 つまり、つまり――。


 私はもう一生日本には帰れないし、周りと同じように老いていくことはないということ?



 私の視界はそこで暗転した。





『遥香! 遥香! どこにいるの?』


『すみません、娘を探していまして。この顔に見覚えはありませんか?』


『……ごめんね。そばにいてあげれなくて、こめんね……』


 私はふよふよと空中を漂うようにしながらお母さんを見下ろしていた。

 髪を振り乱し近所を駆け回る母、私の顔写真を片手に街を行き交う人々に声をかける母、薄暗い部屋で一人項垂れてひたすら謝罪し続ける母。


 いろんな姿が次々に目の前に現れて、わたしは思わず手を伸ばしながら「おかあさんっ……!」と叫んだ。


 でもその声も手もお母さんに届くことはもちろんなくて。




『帰して……! 私を元の世界に帰してよ……!』

『勇者様、今更役目を放棄されては困ります。この国の命運はあなたにかかっているのです』


 知らない! そんなことどうでもいい!

 私は日本での平凡な生活に十分満足していたのに。

 私が今こうしている間にも、お母さんはきっと一人で……!


『これまで召喚された異世界人は皆、自らの命の長さに悲観して失意の中で自死を選ぶか、発狂してしまったみたいですわ。お可哀想な勇者様』


 私にもその未来が待っていると言いたいの?

 ただ結婚して子供を産んで、しわしわのおばあちゃんになるまで生きて、愛する人たちに看取られながら死ぬ。そんな普通の幸せすら手に入れることができないと?




 毎朝起きた瞬間に、私はこれまで起きた全ての出来事が夢ではないことに絶望した。

 目が覚めて最初に目に入るのは、見慣れた私の部屋の天井ではない。

 王宮のベッドは最高級のシルクでできた肌触りの良いものだったけれど、いつまでたっても嗅ぎなれない匂いがする。

 そのことが、私がこの世界においてどこまでも異分子でしかないことを証明しているかのようだった。



 そんな鬱屈とした日々を過ごしたある日、魔王討伐隊の仲間たちとの初めての顔合わせが行われることになる。


『初めまして、勇者ハルカ様。私はこの国の第一王子であるクリストファー・ベルンシュタインだ』


 自分のことでいっぱいいっぱいだった私は、その名前を聞いてやっとこの世界のことを理解した。そう、私が来たのは、日本にいたときによく読んでいた『菫色の聖女』という本の中の世界だったのだ。

 

 それなら話は早い。

 この世界にはすでに、救世主となるべき人物(ヴァイオレット様)がいるのだから。

 そう思ったけれど、私がこの世界に召喚されたことで、少しずつ原作との間に差異が生じていたらしい。

 

 いくらヴァイオレット様を見ていても、全く物語のように聖女としての力に目覚める様子はない。

 確かヴァイオレット様はクリストファーが魔物退治に出かけて大怪我を負った時に力を発現したはずだ。

 

 だけどクリストファーが魔物退治に行く時は、経験を積ませるためだと私も当たり前のように同行させられた。

 どのタイミングでクリストファーが怪我を負うのかもわからないうえに、変に力を抜けば死人が出るような緊迫した魔物との戦い。結局、流れに身を任せてひたすら魔物を倒すことしか私にはできなかった。


 皮肉なことに私はそうやって魔王を倒すための力を身につけていき、結局ヴァイオレット様が聖女の力に目覚めることはないまま、この世界は小説とは異なる物語を紡ぎ始めたのだった。



 魔王討伐の旅はとても過酷すぎて正直あまり記憶がない。

 私がいたせいでヴァイオレット様は力に目覚めることができなかった。だから私が代わりにならなければいけないと、それだけを胸に毎日数えきれないほど多くの魔物を屠って、夜には地べたで泥のように眠った。


 魔物は穢れから発生するから、その体に剣を突き立てるとおぞましい断末魔と共に体から穢れがどろりと溢れ出す。

 一度その穢れを誤って浴びてしまった時は、一晩中悪夢に魘されて大変だった。

 気が遠くなるほどの長い時間、何度も何度も魔物に食い殺される夢を見ながら、私はお母さんに助けを求めて叫んでいたという。


 クリストファーの私に対する態度が変わり始めたのはその頃からだった。

 

 最初はどちらかというと私に冷たかった。ううん、無関心と言ってもいいのかもしれない。


 次第に熱を帯びていくその瞳に私は戸惑い、焦った。

 だって、本当ならヴァイオレット様がいるべき位置に今、私は少しの間だけ代わりにいるにすぎない。

 だから、絶対に心を奪われないように。そして魔王を倒すという役割を果たした後には日本へ帰る方法を見つける旅にでも出ようと思っていた。


『行くな。……行くな! 愛しているんだ、ハルカ!』


 クリストファーは私に愛をくれた。だけどそれがどんなに残酷なことかなんて、彼はちっともわかっていないだろう。

 彼が私に愛を捧げば捧ぐだけ、それは薔薇の棘のように私に深く突き刺ささった。

 本来ならばその相手はヴァイオレット様だったはずなのに、彼と同じ時間を生きることすらできない私が、その手を取る資格なんてない。


『ハルカ、家族をつくろう。私がいなくなっても君が寂しくないように』


 それでも、そんな甘い言葉に頷いてしまった私はただの弱虫で臆病で、卑怯な女だ。

 私の砂上の楼閣のような脆い幸せの陰でたくさんの人の運命が踏み躙られたことはわかっていたのに、それに目を瞑って見ないふりをしてしまった。





 息子であるカナタが生まれてからおよそ二年が経った頃。


 クリストファーが執務中、急に倒れた。


 彼は、魔王を倒した時にその穢れを僅かばかり体に受けていた。

 それがじわりじわりと身を蝕み続けていたのだ。倒れた彼を治療した旅の仲間であるリーナは「あと一年ももたないだろう」と悲痛な顔で告げた。


 その言葉に私は思った。

 ――きっとこれは罰なのだ。


 この世界には本来存在しなかったはずの私。人の人生を奪い、自分勝手に生きた私のことを世界が許すはずなんてなかったのに、馬鹿な夢を見てしまった卑怯な女への罰。


 そして、体調を持ち直し、意識を取り戻したクリストファーの枕元で私は彼に「ヴァイオレット様に会いにいきたい」と願い出た。 


 この世界の主人公、私が現在手にしているものを本来全て手に入れるはずだった女性。 

 

 そんな彼女に訊いてみたかった。この世界()を許せるか、許せないか。


 彼女が許せないと言った時には、私の手でこの歪んでしまった物語を終わらせる。もしヴァイオレット様がその選択をしなかった時には、私は見届けようと思った。何百年、何千年かかろうとも、私が変えてしまったこの世界の行く末を――。



 だけどヴァイオレット様は――見た目も心も美しいその人は、竜が飛び交う遠い異国で、美丈夫な男性の手を取りながら、とてもとても幸せそうに笑っていた。「許さない」と言ったその口で、私の幸福を願ってくれた。


 私は彼女の言葉に嗚咽をもらしながら、自分がどれだけ傲慢だったのかに気づいたのだった。

 結局、私は怖かったのだ。自分でこの物語に幕引きすることも、知り合いが誰もいなくなった世界で永遠の孤独の中生きていくことも。だから、彼女に未来を選ばせようとした。

 だけど彼女はわたしが変えてしまった世界の中でも、心から幸せそうに笑っていた。

 そんな彼女を前にしてこの物語を終わらせるなんて、いったいどうして言えるだろう。



 中庭で泣き崩れ、地面に這いつくばって咽び泣いていた私の肩に温かい手がそっと触れる。

 触れた指先は少しだけ黒ずんでいて、今もその体を穢れが蝕み続けているはずなのに、そんな様子を微塵も見せないクリストファーは、静かな声で「そろそろ帰ろう」と言った。

 

 この世界でできた、私の帰る場所。ヴァイオレット様はそれを「私が作り上げた場所」だとはっきりと言ってくれた。

 その言葉に、この世界に来てからずっと迷子の子どものように不安定だった私の心がやっと救い上げられたように感じた。


 これから先の私の物語がどうなるかはわからない。人の時間の概念から外れてしまった私の人生に、完璧なハッピーエンドというものは訪れないのかもしれない。

 それでも、この世界が許す限り精一杯生きるしか私にはできないのだと、やっとわかったのだ。






 これで私の話は終わり。


 それから先のことを語るつもりはないけれど、私がその瞳を永遠に閉じた時、口元には穏やかな笑みが浮かんでいた。それだけは言っておきたいと思う。





もう1話投稿する予定です。

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