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後編


「ヴァイオレット! お客様が来てるよ!」


 自室でソファに寝そべり、本を開いていたヴァイオレットは階下から響いたその声に顔を上げた。


 本を閉じて「はーい」と返事をしようとした時、部屋の窓に大きな影がかかった。

 太陽の光が差し込んでいた室内が急に薄暗くなる。


 ヴァイオレットはそれに気がつくと、慣れた様子で自室の窓を勢いよく開け放った。


「アーヴェル様、またこちらから来たのですか?」

「ああ……ヴァイオレットを散歩に誘おうと思ってな」


 ダイヤモンドのようなみずみずしい銀髪に、太陽の光を吸収したような金色の瞳を持つ彼は、このアースヴェルト帝国で竜騎士団の隊長をしているアーヴェル・ウィンチェスターである。


 彼は今日も相棒の赤竜ルルと一緒にヴァイオレットをお昼の空中散歩に誘いに来たようだ。


 太陽の光に照らされてキラキラとルビーのように輝くウロコを持ったルルも「ギャウ!」と「任せて!」とでもいうように一声鳴いた。



 ヴァイオレットがクリストファーと離婚し、この国に来てからすでに十ヶ月ほどが過ぎていた。


 今いるアースヴェルト帝国は大陸の最北端に位置し、最南端にある故郷ベルンシュタインとは大陸の端と端にあたるため、かなり距離が離れている。

 ヴァイオレットは離婚が成立した後、母方の親戚のツテを頼りこの国にやってきた。


 王妃としてのヴァイオレットのことを知る人が少ないところでゆっくり過ごしたい、という思いで勢い任せにやって来たのだが、気づいたらもうすぐこの国に来て一年が過ぎようとしている。


 南方のため一年を通して比較的温暖なベルンシュタインに対して、この北方のアースヴェルトは冬になると急激に朝晩が冷え込み、特に今の季節は寒さに不慣れなヴァイオレットにはつらい。


 しかし、穏やかでのんびりとした人柄の人が多いことに加えて、体が温かくなるような香辛料のきいた食べ物もヴァイオレットの口に合う。そのうえ、寒い時の澄み切った空気や無数のダイヤモンドが散らばったようなあたり一面の雪景色は、何度経験しても新鮮なものだった。

 

 このアーヴェルという男と初めて出会ったのも、ヴァイオレットが初めて見る雪に興奮して街で迷子になりかけていた時だった。

 踏み締める時のサクサクとなる音が面白くて歩き続け、気づいたら知らない道に出てしまい困り果てていたヴァイオレットに、任務で街の見回りをしていたアーヴェルが声をかけてくれたのだ。


 ちなみに、アーヴェルが所属する竜騎士団のトップが、この家の主人であるマルリー・エヴァンスだったりする。


「今日は寒いので家に引き篭もろうかと思っていたのですが……」

「だめだ。団長からヴァイオレットを外に連れ出すように言われている」

「……わかりました」


 なぜかヴァイオレットを本当の孫のように思いあれこれと心配してくれているらしいマルリーは、ヴァイオレットにとっては母方の祖母の弟、つまり大叔父にあたる。


 この国においてヴァイオレットの事情を知る数少ない一人であるが、少し過保護になりすぎているような気がしないでもない。

 なんとも言えない気持ちになりながらも、アーヴェルの手を取り、ルルの背中へと引き上げてもらう。


「あ……防寒具を忘れてしまったわ」


 ルルが大きく翼をはためかせ、高く舞い上がったところで気づく。

 アーヴェルは眉間にしわを寄せると、「これを着ておけ」と着ていたマントでヴァイオレットをぐるぐる巻きにした。

 

「ルルによく掴まっておくんだ」

「はい。……ルルはやっぱり温かいですね」

「ギャウッ!」


 竜の体温は常に一定に保たれているようで、ぴったりとくっつくととても温かい。


「今日はどこまで行くんですか?」

「ルルにいい場所を教えてもらったんだ。ちょっと遠出するけど大丈夫か?」

「はい」


 アーヴェルはヴァイオレットの言葉に迫力のある顔を少しだけ緩めると、さらに高度を上げた。


「これは……!」


 一刻も経たないうちに目的地に到着すると、ヴァイオレットは、初めて見る景色に驚きの声を上げた。


 北の山の麓となるそこにはモクモクと白い湯気のたつ大量のお湯が至る所に湧き出していた。


「温泉だ」

「本で読んだことはありますが、実際に目にするのは初めてです」


(本では美肌効果がある温泉もあるってあったけれど本当かしら?)


 思わずフラフラと近寄っていくヴァイオレットの腰をアーヴェルは素早く掴む。


「そっちは深いからやめておいたほうがいい。こっちのほうが浅いんだ」


 確かによく見てみると、ヴァイオレットが近寄って行っていたのはとても深いところだった。ルルは勢いよくザッパーンと水飛沫を上げて気持ち良さそうにお湯に浸かっているが、ヴァイオレットが足を滑らせたらひとたまりもないだろう。


 アーヴェルに案内されたそこは、浅瀬になっていて、足を膝までお湯につけるのにちょうど良さそうだ。


「これを使うといい」

「ありがとうございます」


 アーヴェルがタオルを手渡してくれたのでありがたくお借りすると、ヴァイオレットは縁に腰を下ろしておそるおそる足をお湯に浸けた。


「! 温かくて、気持ちいいです」

「そうか。良かった」


 アーヴェルも横に座るとお湯に足をつけた。


「景色もいいし、素敵なところですね」

「そうだな」


 ヴァイオレットはあたりをぐるりと見回した。

 北に連なる山々には雪が降り積もっており、まるで純白のベールをかぶっているようだ。その白さが澄んだ青空に映えており、二色のコントラストが美しい。


 ヴァイオレットもアーヴェルも、それほど口数が多いほうではないのだが、美しい景色と心地の良い沈黙の中でゆっくりとした時間を過ごした。


 そしてしばらく経った頃。

 誰もいないと思っていた空間に、スタスタと足音が聞こえてきて不思議に思ったヴァイオレットが振り返った瞬間。


「キャッッ!」

「お前ら……今すぐ服を着てこい」

「え! 隊長!?」

「ほんとだ! ヴァイオレットちゃんもいる!?」


 思わず悲鳴をあげて手で顔を覆ったヴァイオレットと低く凄んだ声を出したアーヴェル。


 それに慌てたのは、後ろから歩いてきた男性二人だ。近くのお湯に浸かっていたらしく、腰にタオルを巻いただけの半裸の格好で体格の良い体を惜しげもなく晒している。


 彼らは竜騎士団の団員で、アーヴェルの部下だった。

 何度かマルリーの仕事を手伝うために竜騎士団を訪れたことのあるヴァイオレットも面識のある二人である。


 二人は近くに置いてあったらしい服を急いで身に着けると、再びヴァイオレットたちのもとへやって来る。


「隊長、なんでここにいるんスか?」

「バッカお前! そんなのデートに決ま……ゴホンッ。失礼しました。それでは我々は騎士団に戻りますので、ごゆっくりどうぞ」

「ああ……後で戻ったらみっちり稽古をつけてやるからな」

「ヒィッ」

「隊長! 俺は無実です〜」


 この世の終わりのような顔をして竜に騎乗し去っていく二人をヴァイオレットは不思議そうな顔をして見つめていた。


「気にしなくていい。あいつらはいつもああなんだ」

「ふふっ……騎士団の方って、みなさん賑やかで面白いですよね」

「そうか? うるさいだけだ」

「この間の打ち上げに参加させてもらった時もとっても楽しかったです」

「たくさん絡まれて大変だっただろう。あんまり言うと調子に乗るからやめておいたほうがいい」


 ぶっきらぼうな口調だが、部下たちを心底信頼しているのも伝わってくる。


 アーヴェルは見た目や話し方に反してその実とても優しい、と気づいたのは出会ってすぐだった。

 彼はマルリーからヴァイオレットのことを頼まれると、街歩きに観劇、食事など、色々なところに連れ出してくれた。


 そのたびに、しっかりとヴァイオレットにも選択肢を与えてくれる。例えば「どこに行きたい?」であったり、「今日はお肉とお魚どっちが食べたい?」であったり。


 王妃として過ごしていた頃は、予定も食事内容もすでに決まっているものを実行し、食べる。それが普通で当たり前だと思っていたから、最初はとても困ったものだ。

 しかし、自分でも自分の意思がよくわからないヴァイオレットが答えを出すまで、アーヴェルはいつだって根気強く待ってくれた。


 そのおかげでヴァイオレットは自分が好奇心旺盛でいろんなところに行きたいと思っていることや、お魚よりもお肉料理が好きであることなど、色々な新しいことに気づけた。


 そして自分の好みやお気に入りのもの、落ち着く場所などを一つ一つ選び取りながら生きていくこと、これこそが『自由』なのだとやっとわかったのだ。


 それをゆっくりと教えてくれたアーヴェルのことを思うと、温泉に浸かっている足だけでなく、心までじんわりと温かくなるのを感じる。

 その心地良さを味わうように、ヴァイオレットはゆっくりと目を閉じたのだった。


  ◇ ◇ ◇


「今度この国で一年に一度の帝国記念パーティが開かれることは知っているか?」


 大叔父であるマルリーはその日、帰宅した途端にヴァイオレットを呼び出した。


「はい。アーヴェル様からお誘いを受けていて、当日のドレスも送ってくださるとおっしゃっていました」

「そうか。アーヴェルはヴァイオレットのことをとても気に入っているようだな。……この意味がわかるか?」

「…………」


 一般的には夜会のパートナーに誘い、さらにはドレスを贈るというのは親密な関係、例えば婚約者であったり、または男性から女性に好意を持っていることが多い。


 しかし、ヴァイオレットにはアーヴェルの気持ちなんてわからないうえに、自分は他国の元王妃なのだ。


(アーヴェル様がこの事実を知った時に、どう思うかしら)


 そう憂いながら黙り込んでしまったヴァイオレットをマルリーはしばらくじっと見つめた。


「まあいい。それよりも、今日ベルンシュタインから書簡が届いてな。かの国の国王陛下と王妃様が今年は式典に出席されるということだ」

「そんな」


 つまり、クリストファーとハルカがこの国に来るということだ。

 ヴァイオレットが王妃の時は一度も帝国を訪れたことなんてなかったのにどうして今更、という気持ちが浮かび上がる。

 顔を青ざめさせたヴァイオレットを気遣うようにマルリーは「無理して参加しなくてもいい」と一言添えると、ヴァイオレットによく考えるようにと言った。



 悩んだ末に、ヴァイオレットは結局夜会に参加することにした。それはアーヴェルと約束しているからでもあったし、彼から贈られてきた、銀色に金の刺繍が施された神秘的なドレスに背中を押されたというのもある。


(そうだわ。わたくしはもう、王妃だった頃のわたくしではない。これからの人生を自分で選び取っていくのだもの)


 美しいドレスを胸に抱きながらそう考えるヴァイオレットの瞳には強い光が宿っていた。


 

 夜会当日。

 アーヴェルはヴァイオレットの元まで馬車で迎えにきてくれた。


「ヴァイオレット、綺麗だ」


 その真っ直ぐでシンプルなアーヴェルの言葉に、ヴァイオレットは自らの頬が赤くなるのを感じた。

 それを見たアーヴェルはドレスと同じ色の髪を揺らしながら柔らかく微笑む。


 実際、ヴァイオレットはベルンシュタインにいた頃よりも、ずっと美しくなっていた。

 手入れの行き届いたストロベリーブロンドの髪の奥には、アメジストの瞳が強く輝いている。アーヴェルから贈られた華やかなドレスには華奢な刺繍が煌めいていて、それがより一層ヴァイオレットを神秘的な雰囲気にしていた。


 アーヴェルのエスコートを受け、繋いだ手に背中を押されながら夜会会場へと足を踏み出す。


 そこにはすでに、かつての夫であるクリストファーとその妻ハルカがいた。

 彼らもヴァイオレットが入ってきたことに気がついたようで、一瞬目を見開いて固まったのち、さりげなく挨拶を交わしながらヴァイオレットのほうまで歩み寄ってきた。

 そして目の前にたどり着くと、クリストファーがすぐさま話しかけてくる。


「私はクリストファー・ベルンシュタイン。こちらは妻のハルカ・ベルンシュタインです」


「私はアーヴェル・ウィンチェスターと申します。こちらはヴァイオレット・ウィンザー嬢、私の大切な人です」


 こんな状況なのに大切な人なんてさらっと言ってしまうアーヴェルはすごいわ、と感心半分恥ずかしさ半分のヴァイオレットをよそに、二人の会話はどんどん進んでいく。


「ウィンチェスターといえば、前皇帝陛下が可愛がっていた末娘を嫁がせたという?」

「ご存知でしたか」

「もちろん。そういえば、ウィンチェスター家のご長男は確か竜騎士団第一隊の隊長をされているとか?」

「私のことですね。他国にまで悪名が広がっているとはお恥ずかしい限りです」

「いや、戦場では相棒の赤竜と共に単体で辺り一体を焼け野原にしてしまうほどの強さを持つと聞いたことがあります」

「はは……噂が一人歩きしているようです」


 一生交わらないと思っていた二人の思いがけない掛け合いに目を白黒させていたヴァイオレットは、クリストファーの横に立っているハルカから強い視線を送られていることに気づいて見つめ返した。


「ヴァイオレット様、勝手に盛り上がっている男性陣は放っておいて、少し二人だけでお話しできませんか?」

「え、ええ……」


 大丈夫だろうか、と横に視線を送ると、それに気づいたアーヴェルがヴァイオレットの手を取りそこに口づけをしながら言う。


「行ってくるといい……ヴァイオレット様」


 その呼び方と彼の表情で、ヴァイオレットはやっと彼が自分の正体を知っているのだとわかった。


 しかし考えてみれば当たり前だったかもしれない。普段の姿からはかけ離れていてつい忘れてしまうが、アーヴェルは前皇帝陛下の妹の息子であり、つまり現皇帝陛下の従兄弟に当たる方なのだ。そんな彼が、身元も不明なご令嬢を連れ出すわけがない。 


(大叔父様から話を聞いていたのね)


 そう確信しながら、ヴァイオレットはハルカと共に連れ立って人気のない宮殿の中庭へと突き進む。


 少し前を歩いていたハルカは、真っ直ぐな長い黒髪を靡かせながら振り返った。

 異国情緒漂う清楚な顔立ちは子どもが二人もいるとは思えないほど幼くて、愛らしい。

 初めて顔を合わせた数年前から、全く変わらない姿だ。


 そして、その見た目以上に可憐で清廉で、心優しい少女だということをヴァイオレットは知っていた。


 むしろ、もっと嫌な女性であれば良かった。嫉妬に狂って醜悪になるような、自らの地位能力に驕り高ぶるような。

 そうであれば、ヴァイオレットのほうが王妃に相応しいと、クリストファーもいつか自分に振り向いてくれるだろうと、そういう幻想を馬鹿みたいに抱けたのに。


 でも、彼女はどこまでも勇者(その名)に相応しい。

 ヴァイオレットがかつて心の奥底に密かに抱き続けていた憎しみも、嫉妬も、怒りも、結局彼女にぶつけることは一度だってできなかった。


「ヴァイオレット様。私になんてもう会いたくなかったと思いますが、少しだけお時間をください。どうしてもあなたに伝えたいことがあるんです。だからクリストファーに頼んで、帝国にまで連れてきてもらいました」


 華奢な体の少女は、向かい合ったヴァイオレットのことをまるで物語の中の憧れの英雄を見つめる幼子のような目で見つめてきた。


「私がいたニホンという国で、よく読んでいた小説があります。それは、貴族に生まれたご令嬢と王子様との恋物語。私は夢中になって読みました。それは、紫色の瞳をした少女が努力の末魔王を倒し、王子様と結ばれる物語――ヴァイオレット様、あなたの物語です」

「……どういう、ことでしょう?」

「本当は、この世界の主人公はあなただったんです」

 

 そう言って目の前の少女は寂しそうに笑った。


「主人公……?」

「その本では、勇者なんて召喚されなくて、でも、ヴァイオレットという名の少女が大切な人を守ると決意した時にすごい魔法に目覚めるんです。そして、その力を使って仲間たちと旅をし、魔王を倒して最後には王子様と結ばれる」

「そんな、まさか……」


 喉から絞り出したような声はガラガラに枯れていて、困惑と不安で指先が小刻みに震える。


「そう、わたしが今いる場所は、本来あなたがいるはずの居場所でした。私の居場所なんて、元々この世界にはなかったんです」


 そう告げた少女は、昏く黒いがらんどうのような瞳をしていた。


「私が……あなたの人生を奪ってしまった」

「どうして……どうして、今更そんなことをおっしゃるのです!?」


 ヴァイオレットは思わず声を荒げてしまう。

 十二歳の婚約を結んだ日。幼くて不安いっぱいの顔をしたヴァイオレットの手を引いてくれたクリストファーにちっぽけな恋をした。その恋は叶わなくて、こんがらがって、最後には粉々に砕けてしまった。

 砕けてしまったものは、もう元には戻らない。

 だからヴァイオレットは、なんの意味もなさなかった想いの欠片を自分の体から切り離すように少しずつ捨て続け、やっとこの地でまた笑えるようになったのに――。


「そう、今更です。時間は元には戻らない。でも、私はヴァイオレット様、あなたにどうしても伝えておきたかった。あなたは私のことを一生許さなくていい、死ぬまで恨んでくれていい。私はそれだけのことをしました」

「どうにもできないなのに、伝えたかったと? そうやって伝えて、自分だけ楽になろうとしているのではありませんの!?」

「そうかもしれません。私はきっとこの後悔を一生抱えながら生きていく。それがこの世界とあなたへの贖罪です」


 なんて自分勝手なんだと大きな声で詰りそうになるのを必死に堪える。

 ただ、目の前の少女も目を見開き、ヴァイオレット以上に必死に何かを堪えているような、そんな表情をしていた。


 色が変わるくらい強く握りしめていた拳から少しだけ力を抜いたヴァイオレットの耳に「ギャウ!」という鳴き声が聞こえてくる。

 ヴァイオレットとハルカがその声につられるように同時に空を見上げると、見慣れた赤い竜が皇宮のすぐ上を旋回していた。


 ヴァイオレットの頭の中には、その背中に乗る、太陽のような瞳をした人の姿が浮かんだ。

 そして連想するように、空を飛ぶ自由さと、北の山脈の壮大さと、世界の広大さと。雪に染まった白銀の世界と、この国で出会った人たちと。

 たくさんのものが浮かんでは消えた。


(そうだ。わたくしはこの地で確かに自分で選んで生きてきた。そして――)


 ヴァイオレットは姿勢を正すと、項垂れたように俯きかけていたハルカを真っ直ぐに見つめた。


「ハルカ様。わたくしはきっと、あなたのことを一生許せません」

「はい」

「だけど同時に、あなたに心から感謝をしています」

「え?」


 目の前のハルカが不意をつかれたような顔をした。


「あなたがこの世界を救ってくださったこと。それは紛れもない事実です」


 ハルカが言うことが本当だとしたら。

 この世界を救うのが本当はヴァイオレットの役割だったとしたら。

 魔王を倒すなんてそんな恐ろしいこと、どれほどの勇気がいることだろう。

 自分にそんなことができるなんて、今のヴァイオレットには到底思えない。


 それに、ヴァイオレットは知っている。

 ハルカ自身も、望んでこの国に来たわけではないこと。

 そう、見方を変えれば、彼女だってヴァイオレットと同じ被害者なのだ。

 

 自分にはどうにもできない大きな力によって、その運命を捻じ曲げられた人たち。逃れられないその波が、ヴァイオレットも、ハルカも、いろんな人の人生を大きく変えてしまった。

 ――もしかしたらそれを人は宿命、と呼ぶのかもしれない。


 だから。


「居場所がないなんて、そんなこと言わないでください」


 彼女がこの世界に来て作り上げてきたもの全てが意味のないものだったなんて、絶対に思わない。そんな残酷なこと、彼女にだけは言わせたくない。


「あなたが今いるところは、あなたがこの世界で選び、自分で作り上げた居場所です」


 ヴァイオレットではなく、この世界を救った勇者だからこそ得たもの。


「そしてわたくしはあなたの選択の先でまた、幸福を見つけることができました」


 長い冬が明けて新芽が芽吹く美しさも、季節が移り変わることの儚さも。寒い冬の先には、必ず暖かい(未来)があるということも――。


 そういう当たり前で、でもいつの間にか忘れてしまうようなことを、この自然豊かなアースヴェルトの地はヴァイオレットに再び気づかせてくれた。


 だから、これだけは伝えなくては。


「この世界の未来を守ってくださって、ありがとうございました」


 小さなきっかけ一つ、ちっぽけな勇気一つで大きく運命が変わってしまう世界。

 もしかしたら、何か一つでも変わっていたら、全く違う人生になっていたのかもしれない。

 何が正解かなんて、きっとこの命が終わる時にもわからないだろう。

 

 一つの道を選ぶということは、残り全ての道を捨てるということでもある。

 後悔のない人生なんてない。


(だから、自分で生きて、選んで。そうしてたくさんの選択を重ねて、幾度もの季節を過ごした先で、わたくしも彼女も幸せだと心から笑えるような、そんな日が来るといい――)


 そう願うヴァイオレットの心を映したかのように、頭上には見渡す限りの晴れやかな空が広がっていた。


  ◇ ◇ ◇


 勢いよく夜会の会場へ戻ったヴァイオレットは、探し回った末、ようやく一人バルコニーに佇むアーヴェルを発見した。


「アーヴェル様!」

「ヴァイオレット、ハルカ様とは話せたか?」

「はい」


 晴れやかな顔で笑ったヴァイオレットを見て、アーヴェルも顔をゆるめた。


「こんなところでお一人で何を?」

「考えていたんだ。君に結婚を申し込んでもいいものか」

「え」

「ヴァイオレット君はまだクリストファー様が好きだったりするのか?」

「い、いいえ」

「それなら、俺と結婚してくれないか」

「…………」

「だめか……」

「だ、だめではないです」

「それじゃあ、結婚してくれるか?」


 ヴァイオレットは真っ赤な顔でコクコクと頷く。

 アーヴェルはその反応を見て嬉しそうに頬を緩めると――


「キャッ!?」


 ヴァイオレットを高い高いするように抱き上げた。


「ちょっと! 下ろしてください!」

「ちょっとくらいいいじゃないか。このままルルに乗って、二人でどこか遠くへ行きたいくらいなんだ」

「ギャウッ」


 いつのまにかバルコニーの近くに来ていたらしいルルの鳴き声まで聞こえ、恥ずかしさに身悶えながら、ヴァイオレットは浮かれた様子のアーヴェルにしばらく抱き上げられていたのだった。





お読みいただきありがとうございました。

少しでも面白い、続きが気になると思ってくださったらブクマや下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると嬉しいです。

また、いずれ別視点の番外編の投稿を考えております。もう少々お待ちいただけると幸いです。

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