5.アリアドル家の夕食は、二時間かかる。
◇◇narratorーpeoples of Ariadoll◇◇
「お前が田舎から来たって奴か」
エファは、勢いよく扉を開いた。
辺境のドルミナク領から来たという従姉弟に会う為である。
従姉弟にあてがわれたという二階の一室。
そこには誰もいなかった。いや、誰の姿も見えなかったという方が正しいのかもしれない。
その瞬間には、自分の両手は不思議なリングに後ろ手に拘束され、首筋には二本の刃が挟み込むように当てられていたのだから。
自分の前方、腹あたりの所に刃物を持った存在がいるのは分かっているが、視線を下げることができない。首筋の刃が喉を押し上げ、顎が下げられないのだ。
「どなたでしょうか?」
横から声がした。
振り向けない。何とか眼球を向けるが、視界の中に声の主は入ることがない。
「あ、あ、ぼ、僕はエファ・R・アリアドル……です」
「ご要件は?」
抑揚のない、淡々とした女性の声。
「い、従姉弟が来たと聞いたので、挨拶にまいりました」
「ノックもせずにドアを開けるのは、宜しくないですね」
両手の枷が解かれ、視界に女が現れる。
スラリとしたシルエットの黒いメイド服を着た二十歳前後の女性。美しかった。可憐とも儚げとも清楚とも優雅とも違う、婉容……いや、淡麗という方が適している。吊り橋効果というのが、この短時間に当てはまるなら、正にそれ。一目惚れであった。
気が付けば、首筋の刃物も消えていた。
代わりに自分の腹の前に居たであろう少女が、一歩下がると、可愛らしいカーテシーで挨拶をする。
「プリエラ・N・アリアドルともうします。エファお兄さま」
異常に可愛らしい少女であったが、それ以上に怖かった。
今まで自分の首筋に添えられていたであろう刃物がない。少女は、両手でスカートを広げてカーテシーをしている。
それに、さっきまで感じていた殺気が、嘘のように消えていたのだ。
少女に例えようのない獣の気配を感じながらも、エファは精一杯の虚勢を張る。
「あ、ああ、年齢は同じ九歳と聞いているが、俺の方が生まれ月で、あ、兄になるからな。あ、挨拶に来てやった」
そして、部屋を後にする。
怖かった。恐ろしかった。それ以上に不様だった。
歩く度に膝からカクンと力が抜ける。
気が付かれただろうか?膝が笑っている事を。
ちょっと兄貴風を吹かせたいだけだった。
王都のアリアドル家には、子供が五人いる。
本家に三人、分家に二人。
自分は本家の三男。上の二人は、十六と十三の男子。
分家は、十四と十の女子。
本家分家を見ても、一番下が九歳のエファということになる。そこに、同い年とはいえ、生まれ月で下になる妹ができたのだ。格好つけたかった。
それだけだったのに…………。
◇
「先程ぶりだな。改めて、儂がアリアドル家前当主マキシ・R・アリアドルじゃ。よろしくな──」
「ハイハイハイハイ。私がシーリア・アリアドル。これの妻」
「私がね、アリシア・アリアドル。現当主アドルの妻っていうところかしら。ごめんなさいね。今日は、お仕事でアドルは帰ってこれないみたいなのよ。それから──」
「エ、エファです」
「こら、エファ、ちゃんと挨拶しなさい。ふぅ、私の子供。この子の上にね、二人いるんだけど、二人共学園の寮に入ってるの。挨拶できなくてごめんネ」
夕食の席、改めて自己紹介の場となっていた。
現当主の妻アリシアは、ちょっとふくよかでおっとりとした美人である。
アリシアは、エファの緊張した様子を不思議に感じたが、目の前の二人を見て、何となく理解した気がしていた。何とも見目の良い二人。エファも年頃になったのね、なんて独り言ちる。
続いて挨拶をするのはプリエラ。
今、席についているのは、マキシ、シーリア、アリシア、エファ、そしてプリエラの五人だけである。
プリエラは、後ろに立つマニマニに一度視線をやると、綻ぶような笑顔を席につく四人に振り撒いた。
「ドルミナクよりまいりましたプリエラ・N・アリアドルです。学園に通う間お世話になります。領を出たことのない田舎者ですが、皆さま仲良くしてくださいまちぇ」
噛んだ!
皆の視線が集中する中、プリエラは恥ずかしそうに顎を引いてテヘペロ。
ズキュン!
音が聞こえた気がした。
着座する四人は勿論、マキシの後ろに控える執事長オーシ、オーシの部下と思われる二人の給仕をする執事、扉の前に立つ四人の護衛騎士に至るまでが胸を押さえて蹲った。
婦女子が人前で舌を出すなんて下品ですよと、シーリアが言おうとしたが、言葉にならない。
プリエラは、ペコリと頭を下げると、言葉を続けた。
「申し訳ありません。そして後ろに居ますのが、護衛兼侍女のマニシュマニです。マニシュマニ、ご挨拶」
挨拶の役を渡されたマニマニが、表情を変えることなく口を開く。
「ドルミナク領アリアドル家当主シリウス様、ドルミナク領家宰アルファディオ様の命により、プリエラ様側役の任に就かせていただいておりますマニシュマニと申します」
抑揚の無い、淡々とした挨拶。
まるで官僚武人のような言葉を、こう締めくくる。
「マニマニとお呼び下さい──ニコッ」
ドキュン!!
再び音が聞こえた気がした。
男たちは胸を押さえて蹲り、女たちはホウッと頬を染めている。
皆が心を鎮めるのを待って、シーリアが言葉を発す。
「プリエラは、エファと同い年仲良くしてやって下さいね。それと──」
「そうだ、あの光る階段はなんだ?魔道具か?」
言葉を奪ったマキシが、年甲斐もないキラキラとした目で聞いていた。
「はい。マニマニの魔道具ですわ、おじいさま」
「ほう、やはり魔道具か」
「はい。マニマニは魔道具使いですから」
「魔道具使いとな……。他にはどんな魔道具があるのだ?」
魔道具使いと言った後、少し間を空けたが、マキシのキラキラは止まらない。
通常一般地域では、魔道具使いは騎士、魔術師から下に見られる傾向にある。自己研鑽して身に付けた技、術ではなく、手軽な道具をメインで使用するからだ。それでも、同時に魔道具と持ち手の相性がピタリとあった時の怖さも知っている。ただ、ドルミナク領では魔道具創りの名手である家宰アルファディオの影響か、魔道具使いは、魔道具に愛された者、アルファディオに好まれた者として、羨望の眼差しで見られている。
「ハイハイハイ。魔道具使いに魔道具を曝け出させてどうするのですか!」
シーリアが会話の主導権を握り返す。
確かに、魔道具使いに手持ちの魔道具を曝け出させるのは、タブーとされている。マキシは好奇心に負けてしまっていたのだ。
「それと、プリエラ、あなたのドレスだけれど──」
「あぁ、〝MARUK〟の服ですよね──」
再びシーリアは言葉を奪われた。今度はアリシアに。
「お義母さま、最近王都で流行り始めたブランドですよ。まだ、東地区に一店舗しかないのですけど、なかなかの人気ぶりで予約が取れないって聞いてますよ」
「あら、そうなの?何か民族衣装のような雰囲気があるのだけど」
「そう、それが良いんですよ。勿論、一般ラインのスタンダードエディションも有名ですけど──あっ、マニマニさんのはスタンダードエディションよね。何より、プリエラちゃんの着ているバイドルデザインズが秀逸んですよ」
「バイドルって、西にあるバイドル地方の事?」
「そうですよ。なんでも、バイドル地方の民族衣装と昔からのクラシックデザインドレスを融合させたっていう、エスニックオクシデンタルなところが魅力なのよね」
「はぁ、そうなの」
「そうなんです、肩口が出ているのが特徴で、華麗なのに動きやすいらしいんですよ。ねっ、プリエラちゃん」
「あっ、はい。とても動きやすいです」
「凄いわ、羨ましいわ。〝MARUK〟のドレスなんて。どこで買ったの?オーダーでしょ、それ」
「はい。オーナーとデザイナーが父の知り合いなので」
「えっ、えっ、シリウス様のお知り合い。と、言うことは、そのドレス、デザイナーオリジナル?えっ、本当ですか、お義母さま」
「私は知りませんよ」
「でわ、お義父さま?」
「儂が知るわけがなかろう」
混乱に包まれる中、差し出がましいですが、と前置きをおいて、マニマニが締める。
「〝MARUK〟の本店は、ドルミナクにございます。オーナー兼デザイナーのマダマルコネ様もバイドルデザインズデザイナーのサーシスタ様もシリウス様と親交の深いご友人であり、プリエラ様は、イメージモデルをされております」
皆の視線がプリエラに集中する。
「えへっ」
アリアドル家の女主人は、どちらも話が長いようである。
ちなみに、夕食のコースは、まだ一品目だ…………。
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