深夜、梅酒を仕込む。
先月長年癌を患っていた母が亡くなった。
三月の末までは元気で、桜を見に行こうと約束もしていたのに。その約束を守ることなく、自身の七十二回目の誕生日を迎えた直後から意識が混濁して。
それきり家族と会話らしい会話を交わすこともないまま、三週間眠り続けて息を引き取った。お喋りが好きで、料理が上手で、世話焼きで、愛情深いけどやや過保護。癌になるまでは天職だと言っていた仕事に邁進した人だった。
そんな母を亡くしてから、世界の色も音もどこか遠い日が続いていたけれど。今年は五月だというのに暑くなるのが早かったせいか、例年より早く庭の梅の木の実が大きくなった。
幼い頃からずっと植わっていて、兄より八歳下で私よりも五歳下の梅の木は、当初二メートルほどだったのに、今では五メートルくらいの高さがある。剪定や害虫駆除などの世話をしているのは私だ。
元々庭木に頓着しない家だったので、幼い時分は父が間違った剪定を繰り返すせいで花を見たことがないような、毎年カイガラムシでマタンゴ(パニックホラー映画)状態だった不憫な木だった。それが偶然花を付けたことで梅の木だと気付いたのは、中学時代だっただろうか。
なんやかんや紆余曲折あって高校は園芸関係のところに進学し、目標は庭の白梅を毎年咲かせることになった。
ブラック企業に勤める社会人になってからも、梅雨が近くなると傍若無人に枝をはびこらせる梅と戦い、春には花を咲かせ、メジロを呼び、夏に時々数個のお駄賃として実をつけてくれた相棒。名前は安直に梅子。
我が家では昔からずっと毎年今くらいの時期に母と梅酒を漬けていた。しかも何故か深夜に。ダイニングテーブルで私と母と、兄と。青梅を洗って、布巾で拭いて、爪楊枝でヘタを取って。
祖母の代からうちにある梅酒瓶に青梅、氷砂糖、青梅、氷砂糖と層を作り、仕上げにそうっとホワイトリカーを注げば、青梅はサッと緑に鮮やかさを増し、氷砂糖は名前の通り透き通る。その瞬間が魔法みたいで好きだった。
一昨年は何を思ったのか梅子が一キロも実を付けてくれたので、初めて自家製の実で梅酒を一瓶漬けた。お味はチョー○の梅酒の少し良いやつという微妙さ。美味しかったけどね。花木だから味は淡白。
そんな梅子はここ十年以上はずっと満開の花を見せてくれている。かわりに梅子に登って長時間高所作業をする私の腰と腕と脚と背筋は逝くが。
思えば桜を見に行く約束を破った母が最後に家族と見たのは、満開の梅子だった。朝仕事に行く前にバタバタとその前で記念写真を撮ったけど、兄、父と母のツーショット写真を撮っていたら、時間がヤバくて自分と母の分を撮らなかった。
これが母が元気な最後の日。母との写真を撮り逃したことを私はこれから一生悔やむだろう。そんなこんなで梅子は何も悪くないけど、身勝手だと思いつつ私は初めて彼女を嫌いになった。
今年は葉が繁ろうが、カイガラムシにまとわりつかれようが、実がなろうがどうにでもなれと思ったのに……結局脚立を出して、作業着を着て、愛用の剪定鋏とノコギリを装備し、貴重な休日の二日間を使って伸びまくった枝を切った。
切りながら幹にしがみついて泣いた。
何故か。
今年に限って梅子がびっくりするくらい実をつけてくれていたからだ。
重さにして三キロ。売り物に引けを取らない3L寸の綺麗な実を、枝がしなるくらいに彼女はつけてくれた。まるで不貞腐れた私を慰めるみたいに。
今年は去年母と漬けた梅酒が二瓶あるから梅酒を漬ける気はなかったし、空き瓶も一つしかない。何ならこの先ずっと漬けないでいようかと兄と言っていたのに、その舌の根も乾かないうちに梅酒瓶を二瓶買い足した。
梅子のせいで余計な出費をしてしまったので仕方がないから漬けようか。母がいない今年も深夜に、母と漬けたいつもの梅酒を。
*追記*
完成。来年の一周忌に飲もうかな。
父は夜10時には就寝する飲み専です……。