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エヴァンジェリン

作者: 桂木

【高嶺の花  男爵嫡男の話】


 彼女は主家筋の公爵令嬢だった。嫡男とはいえ、配下の男爵家の私には直接口をきくことはおろか間近で見ることも難しい、まさしく高嶺の花だった。

 彼女と初めて会ったのは、十歳の時。管理を任されている領の報告に行く父に連れられて公爵邸に行った時だ。父が報告に行っている間、私は台所で待っていた。そこへ彼女が来たのである。

 私がそれまで見ていた髪をおさげにした泥臭い女の子とは違っていた。ハーフアップにしたウェーブのかかった亜麻色の髪、晴れた空を写したような青い瞳、磁器のような白い滑らかな肌。光沢のあるしなやかな生地に刺繍の入ったドレス。私の母が特別な夜会の時にしかつけずに大事にしているものよりも豪華な宝石のついた髪飾り。何もかもが違う。彼女は侍女らしき女性と一緒に台所に入って来た。彼女は私の方をチラッと見て嫌そうな顔をしたが、私は彼女から目が離すことができなかった。侍女が何かをキッチンメイドに言って、メイドからクッキーの入った皿を受け取ると、すぐに出て行った。

 しばらくして報告から帰ってきた父によると、私はぼーっとしており、「子供の女神様を見た」と言ったらしい。

「本当だよ。とても綺麗な女の子が来たんだ。今迄見たことがないくらい綺麗な女の子だったんだよ。女神様に違いないよ。あんな女の子と結婚したいなぁ。」

父は笑っていた。彼女を見てからは、私の心は彼女で占められた。

 けれど、私もすぐに現実に気付いた。彼女は筆頭公爵家の令嬢で私は配下のしがない男爵の息子。男女ということを抜きにしても身分が違いすぎる。どんなに思っても、彼女との結婚はおろか、知人なることもあり得ない。私は諦めるしかなかった。

 ただ虚しく月日が流れていった。年頃になると彼女は王都にある貴族令嬢が通う学校に入学してしまい、ますます領の屋敷にいることは少なくなり、その姿を遠目にも見ることはなくなった。

 その頃には、ポツポツと私にも結婚の話が舞い込み出したが彼女のことが忘れられず、どの話も断っていた。

 当然、年頃の筆頭公爵家令嬢の彼女にも話が持ち上がらないわけがない。相手は若くして王太子の諮問委員会のメンバーという将来有望な侯爵だ。もう、これで彼女は他の男のものになってしまう。そう思うとたまらない気持ちになった。自分のものにはならなくても、せめて誰のものにもなって欲しくなかった。

 そんな私の願いが天に通じたのか彼女はその侯爵とは結婚しなかった。それどころか、なんと、私に彼女との結婚話が舞い込んできたのである。

 彼女は学校で問題を起こしたのである。取り巻きに、ある令嬢の持ち物を隠させたり盗ませたという。その令嬢、正しくは他国の王女だが、ある公爵嫡男の婚約者であり、その公爵家は王太子の溺愛している婚約者の実家だった。また、その公爵嫡男自身も側近として王太子の絶大な信頼を得ている。

 いくら筆頭公爵家であり、王太子の生母の実家の令嬢といえども、なんの処分もしないと言うわけにはいかない。相手は他国の王女であり、外交問題になりかねない。また、婚約者である公爵家はこの国の富の半分をまかなうといわれており、豊かな穀倉地帯と有数の貿易港を持っている。こちらの頼みの綱の王太子の生母は隠れて久しく、王宮での影響力などないに等しい。

 実行犯でなく直接の指示はなかったため退学にこそならなかったが、いくら筆頭公爵家令嬢といえども、何の処分もなしというわけにはいかない。そこで、配下の嫡男でありながら、まだ誰とも婚約をしていなかった私に話がきたのだ。筆頭公爵家と男爵との結婚など、まずないから。私との結婚は罰ゲームのようで気分の良いものではないが、それが現実だ。

 公爵は彼女の卒業までの間に、私に商売女と関係を持たせて婚約を破棄するつもりでいたようだ。どうしてそんなことを知っているかと言うと、公爵家の後継、彼女の腹違いの長兄が私に忠告してくれたのである。

 しかし、その忠告は無駄になった。私を陥れる計画を実行する前に

彼女は王女に暴言を吐いてしまい、学校を退学して私と結婚をせざるを得なくなってしまったのである。

 男爵家に相応しい慎ましい結婚式が挙げられた。私の一族は皆が出席したが、彼女の一族は父親の子爵が出席しただけだった。その父親も式が終わるとさっさと帰ってしまった。直接手を下さなかったとはいえ、他国の王女、この国一番の金持ちの公爵嫡男で王太子の信頼の厚い男の婚約者に嫌がらせをし、盗みを働いたのだ。その上、暴言まで。いくら現国王の王妃で王太子の生母の実家の筆頭公爵家の令嬢といえども庇いきれない。しかも王妃は既に亡く、公爵家からは久しく宰相も大臣も出ていない。公爵家は王宮での影響力を失いつつある。そんな時にそんな相手と揉め事を起こしたのだ。一族を守るために、見捨てられても仕方がない。式だけでも父親が出席したのは誰も出席しないのはさすがに見捨てたと公表するようで世間体が悪いからだろう。

 結婚式が終わり、彼女を部屋へ案内した。

「どうしてこんな見窄らしい使用人部屋に私をとおすの?

馬車を用意して、家に帰るから。お父様はどうして私を置いて帰ったのかしら?」

「お嬢様、いえ、エヴァンジェリン、貴女は私と結婚したのです。ですから貴女の家はここです。

それにこの部屋はこの家で一番良い部屋で、貴女の部屋です。本当なら当主夫人である母の部屋でしたが、母が譲ってくれたのです。」

彼女は非常に驚いた顔をした。

「こんな見窄らしい部屋が私の部屋だなんて、、、」

そう言って、泣き出した。

 かわいそうなエヴァンジェリン、私と結婚した貴女はもう公爵令嬢ではなく、貴女が蔑み憐れんでいた下位貴族の男爵嫡男の夫人になってしまった。

 エヴァンジェリン、どんなに嘆き悲しんでも、貴女が咲いていた高嶺にはもう戻れないよ。こんなことなら、修道院に行けば良かったね。そこなら、神に仕えるといっても公爵令嬢のまま、その待遇を受けられたのにね。少し我慢すれば、還俗して公爵令嬢に相応しい相手と結婚できたかもしれないのにね。

 私は嘆き悲しむ彼女を哀れに思いながらも、彼女を手に入れた暗い喜びに打ち震えるのを抑えられなかった。





【摘花  腹違いの兄の話】


 母は筆頭公爵家の嫡男夫人として後継となる男児を四人産んだ。もともと体の丈夫でなかった母は一番下の弟を産んだ後、産後の肥立ちが悪く、亡くなってしまった。父の愛人が義父や夫が望んでいる女の子を産んだことも、精神的に母を苦しめていたようだ。しかし、父はその子を正式な公爵家の娘にすべく、愛人と再婚した。 

 貴族にとって男児は跡取りとして重要であるが、四人も男児ばかりである。待望の女児に祖父と父は育て方を間違った。元は愛人の子とはいえ、母親が再婚したので、筆頭公爵家の令嬢である。その身分に相応しく自分を律するように教育するべきだった。なのに、甘やして身分に驕るわがままな女に育ててしまった。このままではこの家に禍いをもたらしてしまう。私はそう祖父と父に進言したが、唯一の女児可愛さに、祖父も父も私の言葉に耳を貸さなかった。

 年頃になり、貴族令嬢の通う学校に通うことになった。貴族令嬢が通う学校、多少のことは家柄がものを言う。また、一緒に通わせた我が家の配下にある下位貴族の令嬢のおかげもあって多少の揉め事はあったが、なんとか無事に学校で過ごしていた。

 しかし、愛人の娘は学校で問題を起こしたのである。取り巻きの令嬢を使ってある生徒に嫌がらせをしていたという。挙句には、その生徒の持っている万年筆を盗ませたとも。

 祖父も父も筆頭公爵家、国王の正妃の実家という立場を利用して問題をもみ消せないか王宮に持ちかけたようだが、相手が悪かった。相手はある公爵家の嫡男の婚約者で、留学してきた他国の王女だったのだ。王女は婚約者がいるこの国へ行儀見習いも兼ねて留学していたのだ。身分が幅をきかす貴族令嬢の学校でも、さすがに他国の王族相手には問題を揉み消せないし、対応を誤れば外交問題になりかねない。王太子かなり怒っているようだ。

 王太子や宰相、王女の後見人や婚約者の家を交えた話し合いの結果、嫌がらせを実行していた取り巻きの令嬢は自主退学。愛人の娘は直接指示したわけではないので退学は免れた。しかし、直接指示したわけではないが、それを暗に指示する言動をとっていたことの道義的な罪と、そのような娘に育てた我が家の教育の責任を取るように王太子に言われた。また、これによって加害に加担させられた取り巻き令嬢への補償も。

 実行させられた娘は当然婚約を破棄された。娘の家は最近父親が死に幼い弟が後を継いでいる。それをいいことにか、相場とはかけ離れた高額の慰謝料を婚約者は請求したようだ。父親が生きていれば慰謝料の交渉もできただろうが、頼りの父親はいない。主家筋の我が家を頼ろうにも、嫌がらせを実行したのはその娘だ。娘は誰にも頼れず、慰謝料を捻出できそうにない。

 私はその娘のことを密かに思っていたが、彼女は子爵令嬢。とても筆頭公爵家の後継の私の妻になれるような身分ではない。私は正妻である母を苦しめていた愛人という立場に彼女をするしかないのかと悩んでいたが、私の心を知ってか、彼女の父親は愛人の子に伴って入学した際に他の男と婚約させた。人妻を愛人にするのはさすがに外聞が悪い。なんとかその婚約者を排除できないかとも思ったが、難しいようだった。

 けれど、天は私に味方した。婚約破棄されたその娘には、慰謝料と寄付金を肩代わりして、自分の娘が修道院長を務めている修道院にいかすことを提案した祖父に、私は自分の婚約を破棄しその娘と結婚したいと言ったのだ。子爵令嬢の寄付金などしれているし、他国の王女の持ち物を盗み出し、筆頭公爵家から疎まれている令嬢など、冷遇されるに決まっている。そこは世俗と切り離されてはおらず、密接に結びついている。それだけでなく、修道院長はこちらの身内なのだ。

 当然、祖父も父も反対したが、「王太子の怒りを解くためにはこのくらいしないと。本来なら結婚して幸せになるはずだったのに、妹がそれを壊したのだから、代替として同じかそれ以上を補償するしかない。」

と言った。愛人の娘がさせたことが原因で婚約破棄されたと王太子にも指摘されていたからだ。この提案は王太子の我が家に対する怒りを多少和らげたようで、祖父も父も承知するしかなかった。

 愛人の娘は常々「下の者は上の者の意を汲んで動くのが当然、それができない者はいらない」と言っていた。そして、王女が困ればいいとも。実際、王女が困っていることを喜んでいた。その発言のせいで取り巻きの令嬢は家を潰されないよう愛人の娘の機嫌をとるために、王女の物を盗むという大罪を犯したのだ。王太子にもそう指摘されているし、王女の後見人もそれをわかっていたからこそ、実行犯の取り巻きの令嬢に自主退学という温情的な処罰で済ましたのだ。なのに本人はそれを理解していないようだ。祖父も父もだ。

 このまま我が家として愛人の娘になんの処分もしなければ、さらに王太子の怒りを買いかねない。私がそう言うと、祖父は

「とりあえず、誰かウチのまだ婚約していない子爵か男爵と婚約させよう。筆頭公爵家の娘がそんな身分の者と結婚するなんて普通はないから、これで王太子も納得するはずだ。」

と言った。

「嫌よ、そんな家、恥ずかしいわ。それに私はあの人と結婚したいの。あの人もそれを望んでいると思うわ。」

あの人とは王女の婚約者だ。愛人の娘は昔から彼と結婚したがっていたが、当主も本人も首を縦に振らない。誰がこんな娘と結婚したいものか。王太子の婚約者の実家、この国一番の金持ち。我が家におもねる必要など全くない。

 けれど祖父も父もそれがわからないらしい。筆頭公爵家と遠続きになりたいと思っていると信じて疑わない。

「本当に結婚するわけじゃない。結婚はお前が卒業後ということにして、それまでに向こうに不祥事を起こさせてそれを理由に婚約を破棄するよ。

彼との結婚は、お前の婚約を破棄してから持ちかけよう。彼も王女なのに馬車から降りて歩いたり、平民と一緒にいたりするような娘など嫌なはずだ。お前との婚約を持ちかけたら、きっと承知するよ。」

 祖父も父も何を考えているのだ。下位貴族といえども、自分達のために平然と踏み躙って良いわけはないし、彼と王女の結婚は互いの王宮も絡んでいるのでそんなに簡単に解消にはなるわけがない。そんな話を持ちかけたらさらに王太子の怒りを買ってしまい、いくら筆頭公爵家、陛下の正妃、王太子の生母の実家といえども我が家は破滅だ。

 祖父も父も認識が甘すぎる。愛人の娘がこのまま卒業まで王女と揉め事を起こさないとは思えない。

「卒業後など、そんな悠長なことを言っている場合ではありません。すぐに自主退学させて、ほとぼりが醒めるまででも修道院に行かすべきです。」

私はそう言ったのに、「王女に嫌がらせをする馬鹿娘は退学したし、後で婚約破棄するとは言っても一度は男爵家と婚約して、エヴァンジェリンの名誉に傷をつけるんだから大丈夫だ」と言って譲らない。本人も「どうして私が学校をやめて修道院なんかに行かなければならないの?あの女が勝手にやったことで、私がしたわけでもさせたわけでもないのに」と言ってきかなかった。

 程なく私の危惧したとおりの事が起きた。愛人の娘は王女に暴言を吐いて早退させられたのだ。その話はすぐに王太子の耳に入り、その怒りは相当な物だった。家をとるか愛人の娘をとるかの決断を迫られた。さすがに祖父も庇いきれず学校を辞めさせるしかなかった。退学処分ではなく自主退学になったのは、王女側の温情だ。

 また、王宮から非公式だが我が家自体にも処分が下された。祖父は引退、父は廃嫡。公爵の座が私にまわってきた。

 退学後、すぐに愛人の娘は配下の男爵嫡男と結婚させた。これで愛人の娘は公爵家の人間ではなく男爵家の人間だ。

 エヴァンジェリン、お前の意を汲み悪事まで犯した子爵令嬢は筆頭公爵の夫人になったよ。今度はお前が彼女の意を汲む番だね。できない家は潰してしまおうね。

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