亡国の王/虚空の暗殺者《後編》p.3
暗殺未遂があった宴の翌日、ジークの私室にて、ジークの前にリーエンと長い黒髪をオールバックにした男が一人、ジークの前で跪く。
ジークは椅子に座り、二人を見下ろす。
「昨日起こった襲撃への対応、見事だった。ユウロン、お前が掴んだ情報のお陰で兄上、カールの方は王の座からより遠ざかっただろうさ」
長髪の男、ユウロンは「光栄の限りです」と深々と頭を下げる。
ユウロンは五十代半ばというにも関わらず、その鍛え上げられた肉体は黒の軍服の上からでもはっきりと分かり、その風格から武術の達人の印象を与える。
ユウロン・ルオはジーク達王族に代々護衛・暗殺の任のために仕えている由緒ある一族の当主だ。
頭を下げたままユウロンは続ける。
「我らルオ家としても、王子の身をお守りできたのは本望です。我が子もお役に立てたようで」
ユウロンは隣で跪くリーエンをチラリと見やる。
「あぁ、リーエンつったか。面を上げろ」
ジークがそう言うと、「はっ」とリーエンは顔をあげた。
そこには、中性的な顔立ちをした十代中頃の青年がいた。
「ふん、昨日も思ったが、男……いや女かお前?」
すると、リーエンの代わりにユウロンが手を挙げる。
「王子、僭越ながらリーエンにはどんな環境にも溶け込み適応するために、あえて性別を曇らせて鍛え上げました」
「そこまで徹底してるのか」
ルオ家が長年、エルランドの王族の護衛をするに辺り一番信頼のおける家計であることはもちろん認識していたが、人としての矜持全てを捨て去ってまで徹底していた事に、ジークは内心驚いていた。
チラリとリーエンの瞳を覗き込むと、そこに生気は一切感じず、ジークを見つめ返しているようでどこか虚空を眺めている。
この者は明かに強者の部類に入る。だが、ここに至るまでどれだけ己の身を削ってきたのだろうか。
「リーエンは王子と少し歳は離れておりますが、物心ついた頃から護衛、諜報、暗殺、あらゆる訓練を積ませ、今や我ら一族有数の暗殺者となっております」
ユウロンはもう一度頭を垂れ、ジークへ忠誠の意を表する。
「我々ルオ家は代々王族を守る剣であり盾となるため、この身を道具と定義付け、あらゆる手段を持って王を支える所存。力だけでなく、お望みであれば給仕から夜伽も対応可能です」
「いらん。お前らは既にシュイを俺様に会わせた、十分だ」
シュイの名を口にした時、リーエンの無表情さが一瞬だけ揺らいだのをジークは見逃さなかった。
ユウロンはそれに気づく様子もなく、ひたすらに頭を垂れ続けた。
「こちらこそ、シュイは隠密どころか戦闘に関する才能は一切なく、せめて王子の夜にお役に立てたらと思いご献上いたしまたが、まさか婚約されるまで気に入っていただけるとは。使い道のなかった娘を救ってくださり、ありがとうございます」
ユウロンは淡々と言葉を並べるが、それはおよそ親が放つセリフとはかけ離れていた。
そんなことは気にする様子もなく、ユウロンはジークを見上げる。
「王子。リーエンの実力はこの前の宴で見て頂いた通りです。今後はこのリーエンを王子の護衛につけ、必要とあらばこの力を如何様にもお使いください。この身はエルランドのために」
ユウロンに続いて、リーエンも小さく「この身はエルランドのために」と続けた。
その声色にどこか陰が落ちていることを察しつつ、ジークは静かに頷く。
リーエンがジークの護衛に着いてから数週間が過ぎたが、リーエンと交流するチャンスはほぼなかった。
国政であらゆる会議や訪問、会食をしていく中でリーエンは常にジークの少し遠くを歩いてついて来るが、移動中話をすることもなく、時間だけが過ぎていった。
ジークは時折リーエンの表情を伺うが、いつもどこを見ているか分からず、暗い瞳はただ宙を眺め続けていた。
何度か話しかけたが、いつも言葉少なげに返事をするだけで、まともに話をしたことがない。
そんなある時、護衛の交代でリーエンが休憩を取っている時に、中庭でリーエンがシュイとベンチに座っている場面に出くわした。
ジークはその中庭から少し遠い位置にいたが、二人の会話に耳を立てた。
コソコソとした行動など本来はやらないが、シュイと話すリーエンの表情が心なしか明るく見え、つい何事かと足を止めてしまった。
「ほら、これ見てリーエン。この前ジーク王子が食事の帰りに寄ってくれた水族館からのお土産。可愛い魚のキーホルダー」
「魚が泳いでるのを見るだけの場所、だっけ?」
「そうだけど、いろんなお魚がいて、皆それぞれ好きに生活をしてる様子を見れるの」
「好きに生活……想像できないな」
リーエンはいつもの単調な声色ではなく、どこか力を抜いて話しているのが明らかだった。
シュイは両手でリーエンの手を握ると、力強くリーエンの顔を覗き込む。
「大丈夫。リーエンもきっと普通の生活が出来る日が来るよ」
「何言ってるのさ姉さん。ルオ家は生まれた瞬間から王族に尽くすために道具であり続ける事が決まっている。そんなのありえない」
「そう……だけど、でも、私はジーク様に拾われて、ルオ家の外の生活をさせてもらったよ。リーエンにもきっとチャンスは巡ってくるよ」
「私はいいよ。姉さんが幸せなら、それで十分だ」
寂しい言葉にも関わらず、リーエンは本気でそう言っているのだろう。
その表情には優しさが込められ、姉の幸せを心の底から祝福している。
護衛していた時の表情と全く違うことに驚いたのもそうだが、リーエンの姉を想う気持ちが本物であることをジークは実感する。
その夜、ジークはベッドでシュイを隣に寝かせ、物思いに耽っていた頃、ふと口を開く。
「なぁシュイ。今日、リーエンと中庭で話してただろ」
「き、聞かれていたのですか?」
「悪い。あいつの様子がいつもと違って、つい聞き耳を立てちまった」
すると、シュイは少し気まずそうに目を細めるが、安心させるためにその顔を撫でる。
「ルオ家が代々俺たち王族に仕えるために日々研鑽を積んでいるのは分かる。だがその内容を俺様や王族は知らされない。お前達ルオ家と、リーエンのことを教えてくれないか?」
「……ルオ家に生まれた子供は、五歳の頃から諜報活動や暗殺術の訓練を始めます。
訓練で徹底的に教え込まれるのは、私達ルオ家は王族の所有物であり道具であること。
個人の感情をまずは削り切り、いかに私情を残さず任につけるかを徹底的に身につけます」
「私は才能がないから最後まで訓練をすることはありませんでしたが」とシュイは付け加える。
「リーエンは歴代最高と言われるほどの才能を持ってました。ただ、私は訓練を始める前のリーエンを知ってるんです。本当は虫も殺せないくらい優しい子なんです」
確かに、中庭で見たリーエンの表情はいつもと違っていた。
幸せに生きる姉を見て、それを心から祝福しているように見えていた。
「リーエンは子供の頃から今も私に懐いてくれてます。私が才能を無いことで一族から除け者にされていた頃、リーエンは一族への貢献を引き合いに私をずっと庇ってくれていたんです。
だから、ジーク様に仕えることになってリーエンの元を去る事になった時は大層怒っていたのですが、最近はリーエンが直接ジーク様の護衛になって私との会話も増えて、少しずつジーク様の事を知ろうとしています」
「そうか……」
あの無機質な表情から何を考えているのか分からないが、もしかしたら時折向けてくる視線はジークを知ろうと思って向けていたのかもしれない。
だが、気にするべきはルオ家や、その他王家に仕えるために己を犠牲にして力を求める家系が多く存在していることだろう。
力こそより良い世界を作れるというエルランド王国の信条に沿っているとはいえ、それを極めるがために人の生を謳歌しないのでは本末転倒ではないか。
ジークは起き上がり、月の光に照らされたシュイを見下ろす。
「シュイ。俺様は最強の王になる。俺様を守る必要なんざねぇ、むしろ俺様が皆を守る存在になるんだ。そうすれば、完全とは行かずともルオ家も少しは普通の生活に目を向けるようになるだろう」
そう言うと、シュイは笑みを浮かべ、抱いていた毛布をぎゅっと抱きしめる。
「……どこまでも仕えさせて頂きます」
だが、そんな日が訪れることは、無かった。
空が赤く燃え、地上には血の池溜まりが広がっている。
エルランド軍内で一部がクーデターを起こし、追い討ちをかけるように獣が大量発生し、国は瞬く間に崩壊の一途を辿った。
最強を謳うエルランドの天敵は、同族による裏切りだった。
獣の襲撃により瀕死に追い込まれたシュイとリーエンを前に、ジークは膝を落とす。
「お願いします……どうか、姉を助けてください」
四肢を引き千切られ、腑を食い破られながらもリーエンが願ったのは姉の命。
「おい、リーエン、意識を保て!」
そう叫ぶも、リーエンは出血により気を失った。
死体の山を前にジークは救援に駆けつけた軍医を乱暴に掴む。
「早くこいつらの手当を!」
だが、軍医は虫の息であるリーエンとシュイを見て一瞬で顔を曇らせる。
「容体はどちらも芳しくありません。一人救えるかも怪しいです。酷な話ですが、どちらを救うか、お決めください」
究極の選択を迫られ、ジークは二人を見下ろす。
シュイか、リーエンか。
リーエンにシュイを頼まれた以上、他に選択の余地はあるのか?
そう思った時、シュイがピクリと肩を揺らし、閉ざしていた瞼をうっすらと開ける。
「シュイ!」
シュイはゆっくりと隣で倒れているリーエンを見ると、状況を理解したのだろう、ジークの瞳を真っ直ぐに見つめてくる。
「ジーク様……リーエンを救ってください。どうかこの子に殺し以外の、国民達と同じ生活を見せてあげてください。ジーク様が私にしてくれたように、この子にも色んな世界を見て欲しい」
それだけ言い残し、シュイはまた意識を失う。
ジークは選択を迫られ、時間だけが残酷に過ぎていく。
「王子、どうかご決断を」
ジークは僅かに震える手で、リーエンを指差した。
シュイが命を落とし、代わりにリーエンが生き残った。
入院先のベッドの上で、リーエンは弱った力でジークの胸ぐらを掴む。
「なぜだ! 姉を助けてくれと、頼んだ! 姉は貴方の婚約者だろ!」
リーエンという存在はきっと、国を守れず、愛した女一人守れなかった自分への罰だ。
「お前を生かしたのは、俺様のエゴだ」
その時リーエンに向けられた憎悪の瞳を、ジークは一日たりとも忘れた日はない。
ふと、昔の夢から覚めると、ジークは組織の病室のベッドに寝ていた。
身体中が包帯で巻かれ、点滴や酸素マスク、心電図など、様々な器具が身体中に張り付いている。
不意に隣に誰かの気配を感じ、視線を向けると、リーエンが椅子に座り、ジークを睨んでいた。
「は、いつかの日とは真逆だな」
苦笑しつつジークはそう言うが、リーエンは答えず、代わりに別の質問を投げる。
「どうして、あの時私を庇った?」




