亡国の王/虚空の暗殺者《前編》p.1
たん、と足が地面を蹴り、身体が宙へと投げ出される。
月夜の光を浴びながら、リーエンは空を舞い、港の倉庫街の屋上から屋上へと音も無く飛び回る。
後ろ一本に結った黒い髪はまるでしっぽのように揺れる。
リーエンの中性的な整った顔立ちは見る者に愛くるしさを感じさせ、団服の黒いコートを身に纏うと体つきが見えづらくなり、性別の判別難易度が増す。
そんなことを気に留めるはずもなく、リーエンは一人、任務にあたっていた。
港は大きく、一階建ての倉庫が幾つも均等に並んで建てられている。
リーエンはその倉庫のうちの一つに着地すると、近くの給水塔の陰へと身を潜める。
「指定座標まで接近した。私の眼でここまで接近しても倉庫内のコンテナの中身が見えない。明らかに邪術で対処されている。直接中身を覗いた方が良いだろう」
耳に付けた通信機を開き、リーエンは遠くに待機している仲間へと連絡を取る。
『今回は潜入調査だけが目的だ。組織に送られたタレコミの裏取りが出来た時点で撤退しろ』
通信機越しにジークの声が漏れ、リーエンは一瞬だけ表情を険しくするも、すぐにいつもの無表情へと戻る。
「……了解」
静かに通信を切り、リーエンは今立っている倉庫への侵入を開始した。
難なく倉庫に侵入すると、倉庫内は大量のコンテナがぎっしりと積まれていた。
そのコンテナの周りを、人が数名歩き回っている。
全員が長物の銃を所持しており、倉庫の警備員と言い張るにはあまりにも重武装だった。
リーエンはコンテナの天井に張り巡らされている格子に身を寄せ、眼下のコンテナと見張りをしている人間の配置を確認する。
倉庫内の端に置かれているコンテナへ監視の目が行き届かない隙を見いだし、タイミングを計って身体を天井から離す。
重力に従って自由落下が始まるが、事前に天井と腕に巻き付けていた極細のワイヤーがリーエンをコンテナの頭上で制止させた。
ワイヤーをナイフで切り、音も無くコンテナの上に着地すると、リーエンはその場でうつ伏せになる。
懐から小型のバーナーを取り出し、熱でコンテナの天井に小さな穴を空ける。
即席で作ったのぞき穴から、リーエンは右目に発動させた邪術で暗がりも関係なくコンテナの中の様子を観察した。
そこには大量の人間が収容されていた。
全員が虚ろな表情をしており、一人として声を上げず無言を通している。
途端、静寂を切り裂く咆哮が上がる。
リーエンは身構えるが、音はリーエンがいるコンテナの少し遠くから発せられていた。
それは、よく聞く獣の咆哮と同じだった。
その咆哮に感化されるように、他のコンテナからも同様の雄叫びが上がり、それは次第にリーエンの近くからも轟いた。
再び穴から中を覗くと、中の人間が大口を開いて叫び、数名が身体の変形を始めていた。
四肢の関節があらぬ方向へ何度も折れ曲がり、頭は花が開花するかの如く四つに割れる。
身体から蔦に似た触手が幾つも飛び出し、変形が完了すると、そこには花の獣が存在していた。
「おい、うるせぇぞ!」
少し遠くで男の怒号が上がり、コンテナが銃底で殴られた。
一通りの調査は終えた。
そう判断したリーエンは、見回りをしている男達の視線が他のコンテナに集中していることを確認し、近くの窓から外へと飛び出した。
再び倉庫の屋根へ登ったリーエンは、倉庫街の外に向かって移動しながら通信を再び繋げる。
「連中が獣の群れを収容していることは確認できた」
『了解。さっさと離脱しろ』
ジークの指示が飛び、リーエンは通信を切ろうとしたとき、ジーク側から声が割って入ってくる。
『リーエンお疲れ様ぁ!』
『ちょっとシャム、声大きい』
『テメェらうるせぇぞ!』
隠密行動だというのに無邪気に声を上げるシャムと、それを注意するメリッサよりも大きい声でジークの怒号が響く。
これだから自分以外は偵察が出来ないのだ。
ため息を吐きながら通信を切ったリーエンは、途端、背筋に悪寒が走った。
「っ!」
倉庫の屋根の一つへ着地すると同時、リーエンは後ろを振り向くが、そこには変わらず倉庫が均等に並び立っているだけで、誰もいなかった。
「……」
しばらく無言で辺りを警戒するが、何も起こらない。
一瞬感じた気配に後ろ髪を引っ張られる感覚に陥りながらも、リーエンは先を急いだ。
そんなリーエンの様子を、少し遠くに位置する倉庫の陰から、フルフェイスのヘルメットを被った男が一人眺めていた。




