勇者様と王女様
翌朝。
俺はフレイツ伯爵邸に現れたユーロック王女にシグルーダ王女と若き日のビンレイ枢機卿、フレイツ伯爵の交流、別れの物語を語り、シグルーダ王女救出への協力を要請した。
「いかがでしょう? この一件は一時保留とし、まずは協力してシグルーダ王女の救出を。最終的な結論はシグルーダ王女を交えて出すという形では」
そう告げた俺の目を、ユーロック王女はまっすぐに見据える。
静かな視線だが、心臓を握り込んでくるような、魔眼めいた重みがあった。
やがて、
「ダメですね」
ユーロック王女は困ったような顔でそう言った。
「やはり、お二人を処断すると?」
「結論を急ぐつもりはないのですが」
ユーロック王女は軽く首を横に振ると、改めて俺の目を見た。
「貴方がわからないのです。バラド社長様。貴方が信用に値する方なのかどうか。社長様の言葉には、嘘は感じません、ですが、こういった交渉ごとに慣れた方だとも感じます。だから、わからないのです。嘘はないという感覚を信じていいものかどうか」
「そこは信じていただきたいのですが」
交渉慣れしているようなので、信用できるかわからない。
妙な拒まれ方もあったものだ。
「申し訳ありません」
ユーロック王女は頭を下げる。
表情は誠実だ。
本当に申し訳なく思っているようだが、かえって始末が悪い。
「生理的にダメだからダメ」と言われているようなものだ。
「どうすれば、信用をしていただけるのでしょう?」
「わかりません」
ユーロック王女は困った顔のまま言った。
「私には、社長様のような方を見定める物差しがないようなのです。良いか悪いかではなく、判断ができません……ですが」
ユーロック王女は、俺の背後に立つヴェルクトを見上げた。
「貴女なら、わかる気がします」
「わたし?」
警戒気味の声をあげたヴェルクトに、ユーロック王女は微笑みかける。
「はい、貴女とは、通じ合えるものを、畏敬すべきものの気配を感じます。私たちが社長様に指一本でも触れたなら、私たちは鏖殺される。そういう気配を」
物騒なことを楽しげに言いながら、ユーロック王女は立ち上がった。
「遊びませんか? 少しだけ。貴女を知れば、社長様のこともわかるように思えます。貴女が護ろうとしている社長様が、信頼に値する方であるのか」
「ヴェルクトと戦いたいと?」
「はい、あくまで遊びですので、致命的な武器や術は使わずに、十分だけ、どちらかが降参するまでという条件で。もちろん、私から申し出たことですから、事故で私に何かあっても、仇や恨みとはいたしません。いかがでしょうか」
俺が返事をする話じゃなくなってきたようだ。
「どうする?」
「いいよ、やる」
ヴェルクトは頷き、こう付け加えた。
「やってみたい」
なるほど。
ユーロック王女の言う通り、通じ合う部分があったらしい。
ゆるふわ武闘派娘と森の戦闘種。
根底の部分で、共鳴する何かが。
†$
フレイツ伯爵邸の庭に出て、ヴェルクトはユーロック王女と対峙する。
致命的な武器は使わないという取り決めだ。
アガトス・ダイモーンやソーマ・レキシマは使えない。
武器がわりに乗馬用の短鞭を借りて使うことにした。
ヴェルクトが振り回すとこれでも十分危険だが、刃引きした剣だの木剣を振り回すよりはマシだろう。
対するユーロック王女は庭に落ちていた木の枝を拾い上げると、そこに精霊の力を通し、細剣のような形に変えた。
ガゼボのテーブルの前に立ち、砂時計を手にしたバラドが問う。
「準備はよろしいですか?」
「いいよ」
「はい」
ヴェルクトとユーロック王女は首肯する。
「時間は十分間。いずれかが降参するか、十秒以上倒れたところで決着とします。倒れた相手への追い討ちは禁止です」
十秒云々はバラドがあとで付け加えたルールだ。
「始め!」
バラドが砂時計をテーブルに置く。
遊びで睨み合いをしても仕方がない。
「始め!」の声と同時に、ヴェルクトは踏み込む。
ユーロック王女も同じ考えだったようだ。
ヴェルクトと同時に、瞬間移動のような速度で突っ込んでくる。
妖精加速。
人智を超えた速度だが、ヴェルクトの目ならば追えない速度ではない。
横薙ぎに斬りつけてくる木の細剣の軌道に乗馬鞭を叩き込み……折られた。
精霊力で強化された木の枝と、使い古しの乗馬鞭では強度が違いすぎたらしい。
そのまま木の細剣を振り抜かれれば終わりだったが、正面からヴェルクトと撃ち合ったユーロック女王の腕にも、相応の負担があったようだ。
ユーロック女王は手を止め、一旦後退する。
そこから、木の細剣をヴェルクトに投げて渡した。
「お使いください」
「いいの?」
「武器の差がひどすぎますから。少し待ってください。新しいものを作ります」
ユーロック女王は新しい木の枝を拾い上げ、二本目の木の細剣を作る。
騎士道精神が半分、もう半分は、時間稼ぎだ。
ユーロック王女はヴェルクトから見えない角度で、痺れた腕を動かしていた。
羽織っていたマントを脱ぎ、白装束のエルフの一人に手渡すと、「続けましょう」と微笑む。
エルフの王女は、そこからさらに加速する。
再び正面から打ち合うかと見せて、ふっと姿を消す。
そして亡霊のようにヴェルクトの背後に姿を現した。
妖精加速の極限速度。
ヴェルクトの目でも追うのは難しい速度だったが、姿を見失う前の足運びからユーロック王女の動きを読み、後方に裏拳を送り込む。
ユーロック王女の横面を捉えた。
その一瞬後、王女の足もヴェルクトの側頭部を捉える。
裏拳を食らいながらも強引に体をひねり、蹴りを入れてきた。
わざと脱力し、蹴り飛ばされる形で打撃を受け流し、ヴェルクトは背後を振り仰ぐ。
同じく殴り飛ばされたユーロック王女が地面を転がり、立ち上がるのが見えた。
その顔を見据えて、ヴェルクトは笑みをこぼす。
楽しい。
殺し合いではなく、ただ、互いの力を問うためにやりあう。
こういうのは、ラヴァナスを亡くして以来だ。
金色の髪をかきあげ、ユーロック王女もまた心地よさそうに「ふふ」と笑った。
ユーロック王女が言った通り、通じるものがあるらしい。
勇者と王女は、さらに撃ち合う。
妖精加速の分、速度はユーロック王女に分がある。
木の細剣の扱いも、ユーロック王女のほうが洗練されている。
ヴェルクトはそれを天性の嗅覚と先読みで見切り、要所要所に的確な一撃を送り込み、凄絶な撃ち合いを繰り広げる。
音をあげたのは、撃ち合いに耐えられなくなった二本の木の細剣だった。
二本同時に、破裂するように砕け散る。
「限界、みたいですね」
息を弾ませて呟いたユーロック王女は、拳を握って持ち上げる。
「どうしますか?」
「もう少し、いい?」
ヴェルクトもまた拳を作る。
「はい、じゃあ、もう少しだけ」
似た者同士は笑い合う。
拳同士がぶつかり合い、壮絶な音が響いた
二人の娘が交わした笑顔からは想像のできない、ぞっとするような打撃音。
バラドたちはもちろん、白装束のエルフたちすら慄然として、身震いをするような音だった。
時に足を止め、時に縦横に動き回りながら、ヴェルクトとユーロック王女は殴り合い、蹴り合いを続ける。
肉食の獣同士が争い合うような、じゃれ合うような、凄絶で、奇妙な攻防だった。
「残り十秒」
少し呆れ気味の顔で、バラドがそう告げる。
このまま引き分けでも困りはしないが、それでは面白くない。
至近距離での撃ち合いの中、ヴェルクトはユーロック王女と目を合わせた。
(最後!)
視線だけでそう告げて、ヴェルクトは上体を反らす。
わざとわかりやすくした。
乗ってきてもいいし、裏を取りにきても構わない。
ともかくこれが、最後の一撃。
ユーロック王女は逃げなかった。
ヴェルクトが振り下ろした額、つまり頭突きを小さな額で真っ向から迎え撃つ。
重く、鈍い音が響いて、血煙が舞う。
二人は同時に、ひっくり返るように倒れた。
素手で壮絶な格闘戦を演じた挙句に頭をぶつけ合って両方倒れる勇者とエルフの王女。
さすがについていけなかったのだろう。バラドはやや投げやりなトーンでカウントを取り始める。
「……十、九、八……」
頭を揺らしすぎたようだ。クラクラして立ち上がれない。
(まぁ……いい、かな)
勝たなければいけない戦いではない。
戦いを通じ、自分やバラドを見定めさせるという目的は果たせたはずだ。
先にユーロック王女に立ち上がってもらっても構わない……のだが。
なんとなく、気に入らない。
手に力を入れ、立ち上がろうとした時。
「降参です」
ユーロック王女はぽつりと言った。
「認めます……おでこは、貴女のほうが硬くて、分厚いです」
変なところで負けを認められた。
上体を起こして視線をやると、ユーロック王女は、割れた額からダラダラと血を流して気を失っていた。
試しに自分の額に触れてみたが、割れてはいない。
(……勝った?)
と、そんなことを思っている場合ではない。
ヴェルクトは慌てて声をあげた。
「王女様!」




