ユーロック王女
「下がってて」
ヴェルクトがソーマ・レキシマを抜く。
それとほぼ同時に、彼女は屋敷に入り込んできた。
短距離転移で姿を現したのは、白いドレスとマントを身につけた、ぞっとするほど美しいエルフの童女。
目には見えないが、強烈な霊気のようなものを身に帯びているのが肌でわかった。
「お待ちを、勇者様」
身構えるヴェルクトにビンレイ枢機卿が制止の声を投げた。
「彼女には、まだ戦意はありません」
「はい」
童女は微笑み、ビンレイ枢機卿の言葉を肯定した。
「まだ、血を流す意思はありません。皆さんが無理な抵抗をなさらない限りは」
「一旦待て、ヴェルクト」
ヴェルクトがこの童女に勝てないとは思わないが、ほかのエルフも屋敷に入り込んできているようだ。
この屋敷の従僕や衛兵たちにエルフの相手は無理だろう。
下手なタイミングで仕掛ければ、その瞬間に殺戮が始まりかねない。
「わかった」
話を呑み込めなくても、俺が「何か考えている」ことは察してくれるのがヴェルクトだ。
ソーマ・レキシマを鞘に戻した。
さすがに完全に警戒を解くようなことはしない。
ソーマ・レキシマそのものは懐には戻さず、鞘に収めた形のまま左手からぶら下げた。
「ありがとうございます。私はエルフ国サイフェリアのユーロック。三十年前に行方知れずとなった姉、シグルーダの足跡を追ってこの地へ参りました。お騒がせしてしまい申し訳ありませんが、どうかしばらくの間、ご辛抱ください」
サイフェリアのユーロック。
改めて聞くと、覚えのある名前だった。
「サイフェリアの王位継承者がなぜ、人族の領域へ?」
サイフェリア第二王女ユーロック、サイフェリアの第一王位継承者だ。
「お詳しいのですね」
ユーロック王女の青い眼が俺を見上げる。
「ドワーフ国ヴォークトのルヴィエーン王と取引をさせていただいています」
サイフェリアの友好国との繋がりを軽くアピールしておく。
「ルヴィエーン陛下ともお付き合いがあるのですか」
ユーロック王女は目を丸くした後、「実は」と続けた。
「近いうちに、サイフェリアの女王になることが決まったのです。ですが、サイフェリアの本来の王位継承者は姉シグルーダでした。王位を継ぐ前に、姉の消息を確かめておきたいと思ったのです。姉の足跡をたどっていくうちに、姉が消息を絶つ直前に逗留していたのがこのフレイツ伯爵邸であると知りました。そして、カースティ様にお会いし、お聞きしたのです」
ユーロック王女は金色の髪の右側をかき上げ、紫色の水晶のピアスを取り外す。
紫の水晶は淡く、かすかに光っていた。
「これと同じものをフレイツ伯爵様がお持ちだと。このピアスは母の形見で、本来一対のものを姉と私で片方ずつ持っていました。近づけると共振し、光を放ちます。ちょうどこんな風に」
ユーロック王女は光るピアスをかざし、ビンレイ枢機卿に問う。
「どういうことか、ご説明いただけないでしょうか。ビンレイ枢機卿様」
息を呑むビンレイ枢機卿。
白装束の七人組が次々と転移してくる。
ユーロック王女の手の紫の水晶が光を増した。
白装束の一人の手には、ユーロック王女のものと同じ紫水晶のピアスがある。
フレイツ伯爵邸を家探しして見つけ出したものらしい。
もう一人の白装束は、一枚の絵を手にしている。
そう上手くない筆致は、ビンレイ枢機卿が趣味でやっている油絵のものだった。
その絵のモデルは、薄く日焼けをした、やや中性的な面差しをしたエルフの娘。
耳には例の、紫水晶のピアスも描かれていた。
ユーロック王女の姉、シグルーダ王女の絵のようだ。
ユーロック王女の言葉通り、シグルーダ王女はここに逗留していたのだろう。
道中でビンレイ枢機卿が口にしたエルフの友人というのも、シグルーダ王女と見て良さそうだ。
ビンレイ枢機卿は何も言わない。
全身に滝のような汗をかいて、ユーロック王女の手の紫水晶を見つめていた。
「何も仰っていただけないのであれば、いたしかたありません。少々痛みを使わせていただきます。物証が集まった以上、もう遠慮はいたしません」
「お待ちを、ユーロック王女」
剣呑な気配を放ったエルフの王女に、俺は声をかけた。
「時間をいただけないでしょうか。突然のことですのでビンレイ枢機卿も、フレイツ伯爵家の皆さんも混乱なさっているはずです。まずは私が第三者として事情を聞き、ユーロック王女にお知らせする。そういう形ではいかがでしょう」
「貴方は第三者なのですか? バラド社長様。縁談でお越しになっているとうかがいましたが」
「ユーロック王女が保護してくださったカースティ嬢は、私との縁談を拒んで飛び出していったようで、すでに破談となっています。ビンレイ枢機卿との取引関係はありますが、エルフを相手に恣意的なことをするつもりはありません。完全に中立的な立場から、とはいかないかもしれませんが、虚偽を伝えることはいたしません」
「どの程度待てば良いのでしょう?」
「明日の朝ではいかがでしょうか」
わざと長めに言ったが、ユーロック王女はあっさりと頷いた。
「わかりました。手荒なことをせずに真実に至ることができるなら、私としてもそれに越したことはありません。ですが、逃げようとしたり、逃亡を幇助したりはなさらないでください。そのような動きが見えれば、その時点で皆様を鏖殺させていただきます」
そう告げたユーロック王女、そして白装束たちは、現れた時と同様、亡霊のように姿を消した。




